激変の狼煙③
秀とエイレーネはヘルカを追う。二人はヘルカを見失わないようにするのがやっとで、一向に追いつくことはできなかった。ただ、その位置は継続的にマクティグ軍に報告していた。ヘルカの異能も報告済みだ。複雑に逃げ回っていたヘルカも、増えていくマクティグ軍の警務隊に追い詰められていく。流石に超人相手では、さしものヘルカでも日本軍の警務隊のようにはいかないようだった。
やがて、ヘルカはマクティグ軍の格納庫の扉を背にして、警務隊に包囲された。秀とエイレーネも追いついたが、包囲の輪には加わらず、遠巻きにその様子を見つめる。下手に加勢するよりは、警務隊に任せた方がいいという判断だった。
ヘルカを包囲しているのはほぼ超人だった。秀には雰囲気で分かった。マクティグの超人は、自信に溢れ、どことなく傲慢な感じがする。ソルヴァルズもそうだった。しかし、ヘルカは自信こそあるようだが、そこまで傲慢な様子は無く、特権階級という雰囲気ではない。そのことが、何となく秀には引っかかった。
「無駄な抵抗はやめて、大人しく同行してもらおう。これだけの超人を相手に勝てると思うなよ」
警務隊の隊長と思しき男が呼びかける。しかし、ヘルカは応じる気は無さそうだった。それどころか、笑みすら浮かべている。
その中で、不意にヘルカの眼が光る。爆発が起こるが、その威力は魔導障壁で抑えられた。しかし、秀の位置でも一瞬視界が真っ白になった。その光が無くなると、ヘルカの姿も無く、格納庫の扉に人一人通れるほどの穴が空いていた。その時になって、警務隊の面々の顔は真っ青になった。秀にも、その意味はわかる。超人が乗ったトロルの強さは、今日分からされたばかりだった。
やがて、轟音と共に、格納庫の天井が破られる。そこから出てきたのは、弓を携えたシャープな見た目のトロルだった。夜の闇に銀色の機体はよく映えた。今日の演習には出ていなかった機体だ。秀は見覚えはあるものの、名前までは思い出せなかった。
「あれを、動かせるのか」
警務隊の誰かが、弓のトロルを見つめたまま、うわ言のように呟いた。すっかり戦意が喪失している。秀が流石に声をかけようとした時、トロルの持つ弓に光の矢がかけられ、格納庫に狙いをつけていることに気がついた。
「逃げろ!」
秀は叫び、エイレーネの手を引いて後退する。警務隊も蜘蛛の子を散らしたように退散した。その次の瞬間、光の矢が放たれ、格納庫が中身ごと吹き飛んだ。瓦礫から魔導障壁で身を守りつつ、秀はエイレーネに尋ねる。
「おい、あれはなんだ」
「ミスティルテイン。マクティグのトロル隊の連隊長機でかなり上級なトロルだ。並の超人には使えないシロモノだぞ」
エイレーネの答えを聞いて、警務隊が戦意を無くしたのも納得がいった。ヘルカがそれだけ強大な超人というのもあるだろうが、諦めてしまった一番の理由は、隊長機を取られたということだろう。新島基地にいるトロル隊は一連隊だけなので、その象徴を奪われてしまったというのは、マクティグ軍にとっては絶望的な出来事であるのは容易に想像がつく。
「とにかく、あいつを止めるしかないな。あの調子で格納庫を潰されたらヤバいぜ」
秀は、自分の穂高がある格納庫に向かって走り出した。エイレーネも着いてくる。時々ミスティルテインの方を見るが、ヘルカは追ってこない。その場に留まって破壊活動に従事している。
「おいエイレーネ。ギガース隊は出せないのか」
「今申請してるんだぞ。悪いが秀、ギガースを出すとなったら司令室に行かなきゃいけない。だからここでお別れだ」
秀は、おうと答えてエイレーネと拳を突き合わせた。その瞬間、エイレーネから少しエネルギーが流れてきた。感じていた疲労が癒やされる。それどころか、むしろ今日一番にエネルギッシュな感じがする。
「がんばれ!」
エイレーネは、歯を見せてニカっと笑った。その明るさは、夜の闇の中で一際輝く。秀は見惚れそうになったが、すぐ気を取り直して、親指を立ててまた走り出した。
***
ヘルカが聞いていた通り、ミスティルテインは相当強力なトロルだった。操縦席に座っているだけでも、力を吸われる感覚がある。意識をかなり強く保っていないと、すぐ気を失いそうだった。
「だけど、この程度なら操れる!」
ヘルカは言い切って、ミスティルテインに弓を構えさせる。すると魔術の矢が、ミスティルテインの手の中に出現する。
「いけ!」
気合いを込めると、矢はヘルカの思い描いた通りの軌道で飛んでいく。まだ無事だったマクティグ軍の格納庫を貫いていき、最後は弾薬庫で爆発した。それを見届けて、ヘルカはミスティルテインを完全に意のままに操れることを確信した。
「アイリスが来る前に、やれるだけやる!」
ヘルカは、マクティグ軍の施設を中心に破壊していく。B・Sはヨルズのレジスタンスだ。新島基地側に、同じ土俵で立たれるのは困る。どんなことをしてでも新島の神格持ちの戦力を削らなければ、B・Sに勝ち目はない。
しばらくすると、流石にトロルの部隊が出てきた。それらの中で最も格の高いトロルはリジルが一機のみだった。リジルは、全身に剣を纏った、近接戦に強いトロルだ。リジルも凡人には扱えないとはいえ、並の超人でも普通に扱える程度の代物だ。事前に調べた情報では、ミスティルテインは二機配備しているとのことだったので、それを出してこないということは、先程暴れた時に破壊できたようだ。
また、ガイアのギガースも何人か出てきた。流石に新島側も余計なことを考えてはいられなかったのだろう。エイレーネの動きの早さもあるに違いない。とにかく、挟み撃ちの形になった。だが、格の高いトロルは、乗り手によっては一騎当千の力を持つ。
「やるしかない!」
ヘルカは意気込むと、リジルに向けて矢を射た。しかしリジルは難なく回避し、その動きを利用して間合いを詰めてくる。更に、空を飛べないボラルは銃で、ギガースは弓矢でヘルカを狙う。弱い魔導障壁で防げる程度のもので、それによってダメージを被ることはないが、とにかく気が散る。それに、リジルの動きが思ったより素早かった。元々機動性に優れたトロルだが、今回それを操っている超人も、かなりの手練れと見えた。
(焦るな。実質、敵はこのリジルだけなんだ)
ヘルカはミスティルテインに矢をつがえさせたまま、リジルを注視する。体当たりをするには、当然ながら近付かなければならない。リジルは、本来なら十分な支援のもとで本領を発揮するのだが、今のような状況では、ミスティルテインを相手にするには明らかに不利だ。しかし、無策でリジルを突っ込ませるとは思えない。
(多分伏兵がどこかにいるな。あのソルヴァルズのことだ。絶対に罠を張ってる)
後ろにも目をつけるつもりで、ヘルカは周囲を警戒する。パッと考え付くのは、リジルかミスティルテインかを隠しているというものだ。そうなると、二機目のミスティルテインを破壊できたかもという考えは捨てなければならない。
考えている間にも、リジルは迫る。突っ込んでくるのに合わせて撃墜するつもりだったが、その隙を突かれるかもしれない。結局、リジルの突進は躱すだけに留めた。不意の追撃は無かった。伏兵は居なかったということなのか、それともまだ策があるのか。どちらかは分からないが、とにかく用心するに越したことはない。
基地の破壊は重要な任務だが、それ以上に生きてアイリスの元に帰らなければならない。破壊任務については、マクティグ軍の格納庫を潰したり、生身で逃げていた時に適当に施設を破壊して回ったので、十分とは言えないかもしれないが、最低限のことはやった。
(本当は、アイリスが来るまで暴れるつもりだったけど……)
ヘルカはトロルとギガースの数を改めて数える。合わせてざっと五十体はいる。ボラルとギガースは飛べないので、ミスティルテインにとってはそこまでの脅威ではないが、それでも多勢に無勢であることには変わりない。
しかし、今すぐにヨルズに戻れば、それこそ超人部隊を相手にしなければならなくなる。であれば、新島で適当に逃げ回る方が生き残る可能性は高い。
そのように考えている間にも、トロルの部隊がひとつ増え、リジルも三機になって突撃してくる。流石にリジル三機を、ずっと相手取るのは分が悪い。一機くらい減らしておこうという欲が出た。そのためにも、棒立ちは危うい。ヘルカはミスティルテインを平行移動させた。こうすれば、リジルの突撃に時間差が出来る。
最初の二機までの攻撃は、最小限の動きで回避する。そして背後から三機目に、振り向きざまに光の矢を射る。その瞬間、三機目が左に回るのを見て、更にそこに射る。三機目はまた左に回る。今度は、ヘルカは二本束ねて射った。今度は敵が上方に回避する。それに合わせて、束ねたうちの一本の軌道を上方に変えた。これの回避は間に合わない。敵は魔術障壁で防ごうとするが、矢は容易く貫通してリジルを破壊した。
(まずは一機。だけど、この手は二度使えないな。それにしても、流石に初めてのトロルはきついな)
ミスティルテインにも慣れてきたが、それでもヘルカは疲れを感じ始めていた。逃げるなら、リジルを撃墜されて少し混乱している今しかない。そうと分かれば、ヘルカは適当に矢を落として施設を破壊しながら、演習場の方に向かった。
***
日本軍の格納庫は空いていた。整備要員が残って作業をしていたのだ。しかし、外からやってきた秀を見て、一人が作業の手を止めて怒鳴りつける。
「待機命令が出ているだろ! お前何やってんだ!」
「発見者は俺です! それより、早く逃げてください! 今犯人がトロルを奪って暴れてるんですよ!」
秀も怒鳴り返す勢いで反駁した。その内容に、整備要員の他の者にも動揺が広がる。その間に、秀は自機の足元まで来る。リフトに乗り込もうとするが、その寸前で先程の怒鳴り合った整備要員に襟首を掴まれた。
「出撃なんて命令出てねぇぞ! 除隊ものだぞ、分かってんのか!」
「だけど、あんなのを放置しておけない!」
秀は、渾身の力で彼の手を振り解いた。何やら下で喚いていたが、もう秀の耳には入らなかった。
リフトで上がっている間、秀は思う。自分が何者か分からない。その恐怖はずっとある。児童養護施設にいた頃は、その恐怖のために、人と交わるのを避けていた。今にして思えば、そのような場所にいる者は誰もがそうと思うのだが、幼い秀にはそれが分からなかったし、分かる歳になっても、自分が特別と思いたかった。その幼さと訣別するために、軍に入って、新島に帰ってきた。そこで、養護施設出身なのを心の底から気にしない一弘と衍子と出会い、そして、エイレーネと出会った。やっと心が落ち着ける環境に身を置くことができて、秀は今の日々を幸せに感じていた。それを乱すモノは、許してはおけなかった。
穂高の操縦席のハッチを開け、シートに座る。パイロットスーツ無しでここに座るのは初めてだった。ハッチを閉じて、起動の準備に取り掛かる。その途端に、端末が鳴った。新太からだった。
「景浦に出撃命令が下った。可及的速やかに出撃せよ、とのことだ。なんでも、ソルヴァルズ殿下直々の指名らしい」
新太の声に戸惑いの色を感じた。秀自身も、それを聞いていくらなんでも都合が良すぎると思った。今日の演習でソルヴァルズの評価が余程高くなったのか、それともエイレーネが手回しをしたのか分からないが、考えられる理由としてはそのふたつくらいしか無かった。
「景浦は一時的にソルヴァルズ殿下の指揮下に入るそうだ。その後の詳しいことは殿下から直接聞いてくれ」
「承知しました。景浦士長は、これよりソルヴァルズ殿下の指揮下に入ります」
秀は復唱して通話を切ろうとしたが、新太の僅かな息遣いが聞こえて、その手を止めて待つことにした。すると、数秒してから、新太が告げた。
「生きて帰って来いよ」
これまで聞いたことのないような優しい声色だった。それに、はいと秀が答えようとしたところ、電話の向こうで騒がしい音が聞こえた。聞き取りづらいが、新太も何か言っている。なにかと思っていると、一弘の声が耳に飛び込んできた。
「景浦! あんなのさっさと倒して帰ってこいよ!」
「秀、ファイト」
衍子の声も聞こえた。こんな自分でも、応援の声をかけてくれる存在があることが、今は心強く思えた。
「分かった。俺あっての第五分隊だからな」
秀は自分を奮い立たせるため、意識して明るく、強く言った。通信を切ると、入れ替わりにマクティグ軍の通信士から連絡が入った。
「景浦士長は、これより我が軍の指揮下で行動していただきます。ただちに出撃し、示す座標に移動してください」
「はい。景浦士長は、ただちに出撃し、示された座標に移動します」
秀は復唱し、出撃のシークエンスを進める。そうしながら、心の中で訓練と同じようにやればいいと、何度も繰り返す。やがて、機体の方の準備が終わり、いよいよ武器を取る。訓練用の模擬刀ではなく真剣を腰に携え、ペイント弾ではなく実弾が込められた機関銃を背中に取り付け、肘と脛のブレードからは訓練用のカバーを取り外す。
(いよいよ、実戦になるんだ)
この時のために今まで訓練を積んでいたということは分かっていても、秀の手は震えていた。いくら模擬戦で正規パイロットより優れた成績を出していたといっても、自分が死ぬ恐れが少ない模擬戦と、あっけなく死ぬ実戦とでは、やはり重みが違う。
「思い出せよ俺。つい数分前は、命令も無しにこれに乗り込んだじゃないか」
秀は自らの頬を音が鳴るほど強く叩いてから、操縦桿を強く握った。自分の居場所を守りたい。その気持ちを思い出した。