変わり始める日常④
七月の末日、秀たちは今年度一回目の別宇宙間の実戦演習を行う。この時には既に基礎的な操作の訓練は終え、訓練課程の兵同士は勿論、そうでない兵とも実戦演習も行っていた。しかし、今回の相手はマクティグ王国軍だ。日本軍とマクティグ王国軍との交流も兼ねてこの演習は行われる。形としては、マクティグ王国軍に教育隊が稽古をつけてもらうという感じだ。なので、毎年教育隊がこてんぱんにやられるというのが恒例だ。
しかし、今年は違った。第五分隊だけが、最後まで立って奮戦していた。その中でも、秀の操る穂高は王国軍の主力トロル、ボラルにも引けを取らない。それどころか、圧倒していた。他の二人は、秀のサポートに徹することで、チームワークを発揮して強さを発揮していた。
「おやおや、こりゃ面子丸潰れじゃないの? マクティグも出し惜しみしなければいいのに」
基地のロビーで中継映像を見ながら、ヘルカは呟いた。思わず口角が釣り上がるが、すぐ手をやって直した。あまり変な一面を見せるものではない。ヘルカ・アーリドッティルは、お節介だが頼れるお姉さんで通しているのだ。
「ヘルカ少尉。すごいですね、彼ら」
国連軍の同僚で歳下の男が声を掛けてきた。ヘルカに話しかけているが、その視線は髪に行ったり胸元に行ったり斜め上に行ったりと忙しない。彼はヘルカに惚れているのだ。頼り甲斐のあるキャラクターをしていると、このようなことがよくある。なお、付き合う気は毛頭ないのだが、好かれているということそのものは嬉しい。
「まあ、二人も訓練課程にしては中々だけどね。景浦士長は別格だね。これまでの実戦演習じゃ負け無しらしいし、マクティグの初敗北になっちゃうかもね」
「はは、そうですね……」
同僚は乾いた声で頷いた。秀の動きは目を見張るものがある。まるで穂高が本当に生身の人間かのように滑らかに動いている。元々穂高は高い機動性と柔らかい動きが特徴的な機体だったが、それを秀は新島にいる誰よりも上手く扱っている。
(やっぱり、景浦士長は見込み通りの子だ)
モニターの中で、秀の穂高が舞う。それを見ながら、ヘルカは、また手で口元を抑えながらほくそ笑んだ。
***
演習場の高台に設けられた幕の中から、ソルヴァルズは双眼鏡で戦闘を眺める。雲ひとつない快晴だが、そこは小さな島だ。べたついた潮風が肌を撫でる。
幕は安全地帯といえど演習が行われているところから近いこともあり、轟音や衝撃がたまに襲ってくる。その度に、肌が痺れて動悸が激しくなるが、ソルヴァルズはその感覚が好きだった。第三王子で良かったと思う。第一、第二王子くらいだと政治の方に引っ張られるからだ。新島には戦いの匂いが無いのでそこは不満だが、軍人としていられる今の環境は心地よい。
そのようなことを考えている間にも、王国軍のボラルが次々に撃破判定されていく。個人的に親交ができた秀が活躍するのは喜ばしいが、総指揮官という立場からしてみれば、いかに天才だろうと自分の部下がいいようにやられているのは情け無い気分になる。
「おい、参謀長。このままでは負けるぞ」
ソルヴァルズは、演習場を見つめたまま、すぐそばにいた参謀長に話しかけた。参謀長は凡人である。凡人は超人のような神格も異能も無い分、手先が器用で賢い傾向にある。その中でも特に秀でている者は、この参謀長のように超人並みの待遇で要職に取り立てられることもある。
「そうですが、しかし超人を入れるわけにはいかないでしょう。地球人には神格が無いのですから」
「そうだな、しかし、こちらは凡人縛りとはいえ、大戦も経験した者もいる。それが訓練課程の兵にいいようにやられたとはあっては、恥晒しもいいところだろう」
秀が神格持ちだとは言わなかった。ソルヴァルズは何となく、秀は隠している節があると見ていた。地球人で神格持ちとあれば、どうしたって好奇の目で見られてしまう。それは秀も望んでいないだろうと考えてのことだった。
「このまま負けるのを見ているよりも、大人気なくとも勝ちを手にする方がいいと思うのだが」
「しかし、超人のトロル乗りは今は支援に徹していますよ。今すぐ動かすのは」
参謀長は難色を示した。その返事は知っていた。ゆえに、彼が全て言い終える前に、ソルヴァルズは双眼鏡を仕舞って歩き出した。
「殿下、どちらへ?」
「余が出る。ボラルをひとつ借りるぞ」
「な、総指揮官が自ら出るなど、非常識にも程があります!」
「なァに、これでもミョルニルを使える身だ。凡人の使うトロルと超人の使うトロルは違うというのを思い知らせてやるさ」
ソルヴァルズは返事を待たずに颯爽と駆け出す。後ろで何やら参謀長が罵詈雑言の混じった怒鳴り声を上げているが、無視する。凡人ながら王族にそのような口が聞ける豪胆さを持っていることには尊敬する。後で酒を恵んでやろうと思いながら、高台から駆け降りた。
***
刀の白刃が翻るたび、次々とボラルに撃破判定が下される。ボラルは球体を組み合わせたような姿をしている。これは非常に厄介で、しっかり刃筋を立てた斬撃でないと簡単に受け流されてしまう。しかも、今使っているのは演習用の刃引きなので尚更だ。また、銃弾についても同じことが言え、愛嬌のある見た目ながら、一筋縄ではいかない。
だが、秀はそのような不利をものともしなかった。魔術を教わってから約一ヶ月して、エネルギーの流れのようなものを感覚で掴めるようになった。エネルギーの流れが分かれば、秀の技量なら現状に合わせた的確な攻撃や防御、姿勢制御を行うことができる。
魔術を使うのにも慣れてきて、普通に操縦するだけでは出来ない細かい制御を実現するための補助も出来るようになった。例えば、斬撃や銃撃の角度を調整する、姿勢制御を魔術で行い、操縦は攻撃に徹するなどだ。しかし、穂高を魔術のみで思いのまま操れるほど熟練しているわけでもなく、魔術を使っていると露呈すると面倒なことになりそうと考えているので、あくまで操縦の補助に使うに努めている。
「いいぞー! 秀! 日本一!」
耳元にエイレーネの声が響く。側にいる訳でも、通信している訳でもなく、魔術で声を届けているようだ。演習が始まってからずっとこの調子だった。初めは鬱陶しいことこの上なかったが、もう慣れた。今教育隊で残っているのは第五分隊だけなので、何か指示が出されることはないので、エイレーネの声はもはやただの雑音だった。
(あとボラルは八機。この調子なら——)
勝てると確信した瞬間だった。何と、ボラルが一機増えた。それだけではない。その増えた一機は、あっという間に残っていた一弘と衍子を撃破してしまった。
「負けそうだからって一機増やすかよ!」
「流石にこれは、卑怯じゃないの!?」
一弘と衍子がそれぞれ悪態をつく。そのボラルは、あからさまに他のとは動きが一線を画していた。秀はチューンしたものかとも思ったが、装甲の凹みを見ると、撃破判定されたものを戦線復帰させたもののようだった。
(こんな短時間でチューンは無理だろう。だったらあれはなんだ?)
疑問に思いつつも、そのボラルが追いつくまでまだ時間の猶予はある。背中のラックに提げた機関銃の背面撃ちも駆使しながら、元からいたボラルを倒していく。残り五機まで減らしたところで、新しいボラルに捕捉された。その時、エイレーネと同じように、魔術で別の声が届けられた。
「すまんな景浦士長。これも演習の一環と思って、恨んでくれるなよ!」
ソルヴァルズの声だった。その声とともに、ボラルが突っ込んでくる。秀は回避行動を取りつつ、ボラルの構造を思い出しながら、ソルヴァルズに魔術で問い掛けた。
「なんですかそのボラルは! おかしいでしょう、性能が!」
「これが真のボラルだ。凡人が使う時とは訳が違うのだ!」
自信満々な声で答えが返ってきた。秀は声が届いたのを安心する一方で、無茶苦茶な御仁だと呆れていた。先日話した時はクールな好青年に思えたが、今のソルヴァルズは闘志の塊だ。しかし、秀はその方が好感が持てる。
話している間にも、またソルヴァルズ機が突進してくる。秀は、穂高に刀を上段に構えさせて立ち止まる。それを受けてか、ボラルの動きが変わった。ジグザグに走りながら向かってくる。とはいえ、穂高の向きを変えればいいだけで、間合いに入れば関係ない。
やがて、その時は来た。秀はソルヴァルズ機に向きを合わせ、穂高の最大パワーで振り下ろす。秀の脳裏には、刀を叩きつけられるボラルの映像が思い浮かんだ。しかし、現実では、刀がソルヴァルズ機の手前の空間で弾かれた。秀は一瞬何が起こったかわからなかったが、ソルヴァルズは勢いを緩めない。即座に気持ちを切り替えて、突進は避けた。だが、その回避に精一杯で、残っていた別のボラルを失念していた。
その五機が一斉に飛びかかってくる。秀は穂高の全てのバーニアを駆使してその回避を試みるが、一機は避けきれなかった。体当たりを受け、土の上を穂高の機体が転がる。
「おいエイレーネ、今のは何だ」
秀はダメージと撃破判定がされていないことを確認しつつ、エイレーネに魔術で尋ねる。
「魔術障壁。魔術で周りの——」
「説明はいい。どうすれば破れる?」
「それを知りたければ説明を聞け! あれは魔術で周りの空気の密度を濃くして、それとエネルギーを合わせて斬撃を弾いたんだ。だから破るには、その密度を戻すか、それで防げないくらい強い一撃を食らわせるんだぞ」
「分かった」
と言いつつ、秀はエイレーネの言っていることの全ては理解できていなかった。しかし、最後の一言でもう覚悟は決まった。今の自分の魔術でソルヴァルズの魔術障壁を破ることが出来るという確信は無いが、出来なければ負けるのだ。
今度は、秀からソルヴァルズに近づく。魔術に依らないパワーも欲しい。ブースターを最大出力にし、急加速をかける。魔術で更に加速し、加えて向きも整える。技の選択は突きだ。面積あたりの攻撃力が最も高い。魔術障壁を破るには最適と思えた。
間合いに入る。刀を突き出す。その先端に、有りったけのエネルギーを込める。今回もやはり、ソルヴァルズ機の手前で止められるが、秀は引かなかった。ジリジリと障壁に剣先がめり込み、数秒して、ついに破った。渾身の突きがソルヴァルズ機に迫る。しかし、次の瞬間にそれは視界から消え、刀は空を切る。その直後に大きな振動が穂高の操縦席を襲い、モニターに撃破判定の文字が浮かんだ。
***
秀は大股で、陽が落ちた後の官舎周辺を一人で歩く。演習は結局、教育隊の敗北に終わった。秀は講評を新太から受けたが、何も覚えていない。覚えているのは、撃破判定が下された直後にソルヴァルズに言われたことだった。
「余の障壁を破ったのは流石だ。だが、後一歩だったな」
その言葉を思い出すたび、秀は胸を掻きむしりたくなる。自分のことは嫌いだが、自分が負けるのも嫌いだと悟り、秀は、今回の件で負けず嫌いな自分を自覚できた。何でも一朝一夕にこなせていた秀にとって、ほぼ同じ土俵に立って負けたのは人生初の経験であり、屈辱だった。
(次はあのすまし顔に泥を塗りたくってやる)
秀は燃えていた。それに、魔術に関しては人生で唯一、一朝一夕に出来ないことだったので、その鍛錬が楽しかったのだ。ソルヴァルズを倒すため、MGの操縦技術と、魔術の研鑽を積む。今の秀にとって、これはこの上なく前向きになれるこの先の目標となった。
それでもイライラしている理由は、敗北の他に、秀が今手に持っている手紙にもあった。官舎に戻る最中に国連軍の男に捕まり、ヘルカに渡してくれと押し付けられて逃げられたのだ。その時のどもり気味な口調と、赤くなった顔、そして封筒の質の良さを鑑みるに、ラブレターだと秀は推察していた。それで今、秀はヘルカを探してうろうろしているのだった。
(男なら直接言えってんだ)
確かに秀はヘルカと面識があるが、そこまで仲良くしているつもりはない。ヘルカの方が勝手に絡んでくるだけだ。それなのに見知らぬ男とヘルカの仲介役にさせられるなど、腹が立つことこの上なかった。
「バカらしい。今すぐ破り捨ててやろうかな」
声にまで出てしまった。すると、だんだんとその気になってきてしまった。その勢いのまま、秀が封筒の両端を摘み、今にも裂かんとした時だった。何となく、秀は変な感じがしてその手を止めた。魔術の扱いに慣れてきてから、時折そうした形状し難い違和感を感じることが多くなったのだ。今日は、その違和感がいつもより強い気がした。その出所の方角も、ぼんやりとだがわかる。
(外にいるからかな)
秀は念の為魔術で足音を消しながら、違和感を発する方向に向かう。近づいていくたび、その正体にピンと来た。
(そうか、電波だな)
魔術の修行の副産物として、エネルギーの流れに敏感になってきていたのだ。電波の無い場所などありはしないのだが、普段飛び交っているものとは違うイレギュラーな電波があると、それを感じてしまうようになっていた。電波と気がつくと、それからはその出所も明確に分かる。官舎と基地本部の建物から少し外れたところにある、軍用車の車庫の裏だった。
そのような場所から電波が発せられているという状況に不安を覚え、秀は自然と早足になる。果たして秀が辿り着いた先にいたのは、ちょうど先ほどまで探していたヘルカ・アーリドッティルその人だった。