変わり始める日常②
2100年、12月24日。21世紀最後のクリスマスイヴに、新島近海の上空に突如としてふたつのワームホールが空いた。その先にあったのは、別宇宙の地球であった。ひとつはガイア、もうひとつはヨルズ。ガイアは単一国家による支配がなされている星で、ヨルズは異能を持つ超人が、それを持たない凡人の上に立つ星だった。また、マクティグ王国なる国が星の陸地の六割を支配し、地球との交流もそのマクティグ王国が牛耳った。
それぞれの宇宙を、ガイア人はコスモス、ヨルズ人はイグドラシルと呼んでいた。不思議なもので、地球の神話にある固有名詞と同じだった。この事実は当時の学者の知的好奇心を掻き立てたが、その知識欲がすぐ満たされることはなかった。
2101年、2月18日。ガイアが宣戦布告も無しに、いきなり地球に侵攻した。ワームホールのすぐそばにあった新島と式根島が真っ先に攻撃対象とされ、瞬く間に制圧された。ガイアの軍勢は強かった。ガイアの主力は、ギガースという、身長が5〜7メートルある巨人であった。首を落とすか粉々に吹き飛ばすかしないと死なない圧倒的な再生能力と、魔術による援護に、22世紀の地球はなす術もなかった。
戦闘開始から一年経つと、日本の首都は鹿児島になっていた。すでに本州、四国、北海道はガイアの手に落ち、九州も福岡、長崎が占領された。ガイアは手当たり次第に攻撃を仕掛けており、北海道の先の極東ロシア、福岡と長崎の先にある朝鮮半島まで占領してしまった。中国も中原はほぼ支配されてしまい、新島から南に向かった部隊もオセアニアに迫っており、あまりに強すぎる軍勢に地球が支配されるのも時間の問題かと囁かれた。
しかし、ガイアの矛先が自分に向くことを危惧したマクティグ王国が、地球側に立って参戦したことで状況は一変した。ヨルズの超人は魔術を使えること、そして何より、ギガースの首を簡単に落とせる「トロル」という人型兵器の存在が、ガイアと対等に渡り合える秘訣だった。
それを見た地球も早速、トロルのような人型兵器の開発に着手した。トロルやギガース並みの大きさの人型ロボットは既にあった。宇宙コロニーの作業用機械だ。それを元に開発されたのが、メカ・ジャイアントだった。その第一号「03式MG『富士』」は、2103年4月9日に日本のコロニー工場で生産され、地球に108機が降下した。
その後は、地球がギガースと渡り合えるようになったことで形勢が逆転。2106年2月11日、ついに新島奪還に成功。その約二ヶ月後、4月3日に講和条約が成立。新世界大戦と名付けられたこの戦争は、地球・マクティグ王国連合軍の勝利に終わった。
その後、ガイアの監視と新島の守備を目的として、廃墟と化した新島に貿易港も備えた軍事基地が建設された。それが新島基地であり、黒根港跡と新島空港跡、ミサイル試験場跡を中心に建設され、本村地域の半分を占める広大な基地となった。国土のほとんどが廃墟となってしまった日本で、これは分かりやすい雇用を生み出した。その結果、2125年現在も復興の進んでいない土地がある中で、新島村は日本で最も先進的な自治体となった。一方で、風俗店のような店もそのおかげで出来てしまった。また、若郷地区では生き残った島民が戻り、漁業を中心とした昔ながらの新島の暮らしが営まれている。本村からガイアの標的にされたので、若郷にいた島民は多くが避難できていたのだ。
新島基地に駐留していたのは、初めは日本軍、国連軍、マクティグ王国軍だったが、後にガイア軍も人質的に駐留することになった。当然、大戦でガイアを恨んでいる人も新島に住んでいるので、そのような事情もあってガイア軍人は外出が認められていない。
以上が、2125年の新島の現状である。
***
秀は自室で、味を感じぬ舌でレーションを食べながら、ぼんやりと入隊直後に受けた大戦の歴史教育を思い出していた。比喩でなく本当に秀には味覚が無いので、余計なことを考えながら食べないと精神がもたないのだ。エイレーネと並んでソフトアイスを食べた時にすぐ食べてしまったのもそのためだった。味を感じられないというのは、食の喜びを感じられないということで、秀は自然に、食事がこの世の中で最も嫌いなこととしてしまっていた。
レーションを食べ終えたところで、部屋のドアが空いた。入ってきたのは、同じ新島教育MG隊第五分隊で訓練を受けている、同期で同室の笹川一弘であった。小太りで常に汗をかき、かけている眼鏡は皮脂でベトベトだ。昼だというのに髪の毛は寝癖がついたままで、作業服はシワだらけでよれている。鼻毛も無精髭も汚く伸びていて、普通の人なら見た目だけで嫌悪感を催すだろう。実際、同期のみならず先輩や教官にも蛇蝎の如く嫌われている。どのくらいかというと、廊下で歩けば聞こえる大きさで舌打ちされながら距離を取られるくらいだ。その不潔な見た目は何度も注意を受けているが、一向に直る気配はない。
「見てくれよ景浦! 穂高の1/20スケールのプラモだぜ!」
一弘は抱えていた通信販売のダンボールを開けて、その箱を興奮気味に秀に見せつけた。それを見ても秀はなんの感慨も湧かなかったが、とりあえず相槌を打っておいた。
「うん」
「甲装備も乙装備も再現可能で、しかも改も再現できちまうんだ! すごいだろ!」
「ん、そうだな」
秀は、普段自分で乗っている機体の模型を作って楽しむ意味が分からなかった。
穂高は正式名称を21式MGといい、四年前にロールアウトした最新のMGにして世界初の第二世代MGだ。そのような新型機が訓練課程の者にも与えられているのは、今はもうMGの需要がほとんどないからである。ギガースを倒すことしか念頭に置いていないので、地球の他の兵器には大抵不利なのだ。そのおかげで、第二世代まで作っているのはワームホールが近い日本だけだ。MGは他にもアメリカのサンダーバードやロシアのグロズヌイなどがあるが、どちらも生産は終了して、今は細々とデチューンと部品交換などを行うのみだ。
「この甲装備の刀の再現度なんかすげえんだぜー! 刀身のソリの角度なんか完璧だね! 景浦もそう思うだろ」
「そうだな」
穂高には甲装備と乙装備がある。前者は対ギガース用のMGサイズの刀と機関銃二丁を装備しており、高い機動性でギガースを翻弄してその首を落とすことを主眼とした装備だ。後者は長距離ミサイルや無反動砲などを装備した後方支援用の装備だ。両装備とも、武器を失ってもギガースと近接戦闘が出来るように、肘と脛にブレードが仕込まれている。ちなみに、秀と一弘が搭乗するのは主に甲装備である。
「おーい、開けてよ」
不意に、窓を叩く音と女の声が聞こえた。秀は返事もせずに立ち上がって窓の方に向かう。そこにいたのは、一弘と同じく同期で同部隊の青沼衍子だった。衍子はロープに体をくくりつけていた。そのロープは、真上の階の部屋に続いている。これはいつものことだった。衍子はよく、このようにして遊びに来ている。官舎における男女のフロアの行き来は禁止されているので、わざわざ衍子は窓から来るという危険な真似をしている。
「誰にも見られなかったろうな。見られたら俺たちも上がるんだぞ」
一弘が険しい口調で言う。「上がる」とは問題行動を上官に咎められて、何らかの罰が与えられることである。衍子の行動程度では除隊レベルにはならないが、頭を丸めたり、奉仕活動をさせられたり、昇進が遅れたりということになるので、少々厄介である。
「ん、それは大丈夫」
衍子は自信満々だった。実際、衍子の行動が露見したことはない。
「とにかく中に入れてよ。落ちてもいいなら別だけど」
「はいはい」
秀は窓を開け、衍子のすらりとして女らしい柔らかい脚を部屋に入れた。そこからは衍子一人でも出来る。慣れた様子で上半身も部屋に入れ、ロープを解く。その際、秀は豊満な胸が窓枠に少し引っかかって凄い揺れ方をしたのを間近で見てしまった。衍子は童顔で背も低いので、その胸は一際目立つ。秀は慎ましい胸の方が好きなのだが、それでも大きな胸が揺れる様を見ると、下半身に血液が貯まる感じがある。
その一部始終を見ていた一弘が、若干唇を尖らせた感じで呟く。恐らく、秀が性的に少し興奮したことも見抜いている。
「いつも思うけど、よく恋人でもない男に平気で脚触らせるよな」
「誰でもいいわけじゃないよ。秀は風俗通いで女の子の体に慣れてるから」
そのような理由で脚を触らせる衍子は頭がおかしいと秀は思うのだが、役得なので何も言わない。後で脚の感覚を思い出しながらオナニーしようとさえ考えていた。衍子が遊びにくるようになってから、秀はよく衍子を犯す妄想でオナニーしている。別に好意を持っているわけではないが、初めて衍子の体に触れた日から、衍子を犯す妄想が具体的になって、ちゃんとオナニーで発散しないと何をしでかすか自分でも分からなくなったからだった。
衍子が遊びにくるようになったのは、入隊して二年目になってからだった。この官舎は、男子は四人部屋、女子は二人部屋となっているのだが、秀たちの代で陸軍MG学校が二年に一度の採用になったので、後輩が入らなくなったのだ。MGの訓練は二年で修了するため、先輩はこの部屋から出ていった。それで、秀と一弘の二人部屋になり、衍子の方は一人部屋になった。そうなってしばらくしたら、寂しいからと衍子が窓から侵入するようになったのだ。
「午後って何するんだっけ?」
衍子は秀のベッドに勝手に寝転んで、秀たちの方を見ずに尋ねた。
「今日は実機での空中機動だろ。そんぐらい覚えとけよ」
一弘が食い気味に答える。秀から見ると、一弘は衍子のことがあまり好きでないのか、少々当たりがいつも強い。しかし、一弘の強気に当てられても、衍子はマイペースを崩さない。
「そうか、空中機動かー。ふふふ、私の穂高でギガースを屠れる日が近くなるわけだー」
長い黒髪を振り回しながら、衍子はベッドの上でじたばたする。その言葉を聞いて、秀は衍子が新島の出身であることを思い出していた。