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えん×デビ とーきんぐ・オーバー  作者: Syun
悪魔が来たりて
5/6

四.天使と、悪魔と、人間と

「え?」

 飛んだテーブルは、別のテーブルにぶつかってバラバラになる。部品点数が多かったり、材質が木とかプラスチックならわかるけど、鉄のテーブルは普通、そうはならない。

「なに、これ?」

 小鳥の疑問に答えている余裕はない。手を掴んで、休憩スペースから待避する。

「メフィストフェレスは心を操る悪魔だ。なのに、人間一人思い通りにできないなんて」

 周囲のテーブルと椅子がまとめて吹き飛ぶ。地面に落ちたすべてが用を為さないくらいスクラップになる。

 心を操る悪魔、か。なんて皮肉だ。悪魔は、言葉で人間に憑くはずなのに。これじゃただの暴力による脅迫だ。こういうのは俺の管轄外だ。

 もっと言うと、こういう手合いはまず間違いなく手段を選ばない。小鳥だけ逃がしてもそっちを人質に取る可能性が高い。

「ね、ねえ。これ、アトラクションじゃない、よね」

「ああ」

 小鳥を背中にかばって、ゆっくりと後ずさりする。遮蔽物のない環境はやばい。その上で、周囲に物がありすぎる。

 メイオとユリはまだ帰ってこないのか? いや、形式的にでも、天使と悪魔の対決構図を作るのは拙いか?

 いや。それ以前に、こんな状況で何故周囲にだれも人がいない?

 答えがあるとしたら。

「人払いの秘術が悪魔にもあるのか」

「御名答。さすがに天使と渡り合っただけある」

 しまった。魔界にとっての俺の認識って、物理的実力主義の人だった。この状況で話し合いを持ちかけても、上から目線にしか見られないぞ。

「できれば、自分の意志で力を貸してほしいものだけどね。アレが失敗したことを考えても、どうせ無理だろう?」

 やばい。これ、相手の手加減とかが望める状況じゃ、ナイ。

「いいだろう。仕方ない。ミカエルより託されし秘密兵器、見せてやる」

 首もとのロザリオ。十字架でありながら剣の形をしたそれを握りしめ、もう片手はしっかりと小鳥の手とつなぎ、


「エンジェルフラッシュ!」


 天へかざす。それだけで、まるで太陽ができたかのように、辺りが真っ白な光に包まれる。

 そう、これが母さんから貰った最終兵器。逃走用ツールである。

「うわっ、なんだこれは!? 目がっ!」

 聞こえる声を無視して、小鳥の手を引いたまま走る。

 ここまでやっても誰も気がつかないなんて、反則だろ。休日だろ、今日は。それに、監視カメラだってあるはずなのに。

「ま、待って、ちょっと待ってっ!」

 二〇〇メートルほど走って、突然、手が振り解かれた。

「ど、どうなってるのよ、この状況! 現実よね、これ!?」

「残念ながら現実だ。奴の名前は、言うとおりならプルート・メフィストフェレス。正真正銘の悪魔だよ」

「悪魔って! 言われてもそんなこと信じられるわけないでしょっ!」

「でも、事実だ」

 小鳥が息をのみ、周囲の時間が止まる。

 一瞬が引き延ばされたような空白の後、胸ぐらを掴まえられて、前後へのシェイクが始まる。

「助けてっ。助けてよ、あまつがっ! わたし、まだ死にたくない! もっといろいろ、やりたいことがあるのにっ!」

「た、助ける。助けるから。だからそのシェイクをやめてくれ」

「それに、それにっ!」

「絶対助けますから! だからやめてー!」

 折れる! 延髄が上下で二つになる!

 人は首をトンってやられても気絶しない! 死ぬんだ!

「いやだ! わたし、天都賀が好きだってことすらまだ言ってないのにメイオちゃんとか悪魔とかこの前から全然意味分かんないっ! こんなのヤダあっ!」

「ぐえ…………え?」

 は?

 え? いま、なんと?

「小鳥……さん?」

 折れそうになっていた首をなんとか動かして、小鳥と目を合わせる。幸運なことに、三半規管も正常に戻りかけてる。

 代わりに、小鳥が泡を吹きかけてるけども。

「あ、あれ。言った? 言っちゃった? あれれ、気が遠くなってきた? わたしもう、死にかけてる?」

「落ち着け。たぶん目が回ってるだけだ。落ち着いて素数を数えろ」

「う、うん、わかった。えーと、それで、ソスーってなんだっけ。キャベツにかける奴?」

「それソースな。この状況でよくボケられるな小鳥」

 いろいろと切羽詰まった状況ですね、はい。

 とにかく、詰まれたタスクは消化しないといけない、ですよね。

「まず、謝らせてくれ。ごめん」

 その一言で、小鳥は呆けた顔になり、まなじりに涙を浮かばせた。

「あ、え? あはは、わたし、フられた? こういうシチュエーションって、普通受け入れてくれるんじゃないのかな? そ、そういう効果、期待してたわけじゃないけど。でも、こんな簡単に」

「いや、そうじゃなくて。知ってた」

「はい?」


「言いにくいんだけど、小鳥が俺を好きなんだろうなって、知ってた」

「は。はああああああああ!?」


 ……耳鳴りが酷い。気持ちは分かるけど。

 そりゃ、驚くよなあ。隠してた他人への好意を、当人に知られてたら。

「だ、誰か天都賀に言った!? わたし、そういう話、誰にもしてなかったはずだけど!?」

「聞いてない。覚えてるか? 前、顔を近づけただろ。ほら、猫に餌やってた時」

 こくこく、と首が縦に振られる。うん。覚えててくれましたか。ついでだから、あのときの一撃を謝罪してくれたりすると嬉しいんですけども。

「アレは、一種の心理テストだったんだ」

「は、はい?」

「理論はいろいろあるけど、人間、咄嗟の時には本能に即した行動が出る。だから、急に顔を近づけられると、本当に嫌ってるのなら、嫌な顔するか、目を背けるか、思い切り突き飛ばすかする。どうとも思ってないなら、なんのリアクションもない」

「わ、わたし、どうしたっけ?」

「真っ赤になって身を引いて、そのまま顔逸らした。目線合わすのが恥ずかしい感じで」

「わ、わ、わわわ! ま、まんま! そのまんま!」

 真っ赤になったまま、小鳥は顔を逸らしてしまう。

 うん。自分への好意を分析するとか、俺もかなり恥ずかしいんですけどね。当たってても外れててもアレだし。

「それと、お望みの答えについては保留させてくれ。申し訳ないけど」

「ううっ。それって、断るときの常套句じゃん」

 再び小鳥は涙目。できれば、もうちょっと話を聞いていただきたいんですけども。

「違う。人間は、正常な条件下じゃないと正常な判断はできない。今は正常な条件下じゃないから、答えを返せないってだけ」

「咄嗟の時は本能に即した行動が出るって、さっき言わなかったっけ?」

「それとこれとはまったくもって別。いや、同じかな。生命の危機にさらされると、人間の思考は即物的になるって話だし。あ、でもそう考えると違うのかもな。欲求が優先するわけだし」

「なんか騙されてる気がするなあ…………」

「正解。小鳥あきらさんに四〇点」

「正解なの!? って、なにその点数!?」

 ショックを受けた表情になった小鳥に、笑顔を向ける。ただし、とんでもなく曖昧なのを、だけど。

「俺は、そんなに立派な奴じゃないよ。せいぜい、相手を言いくるめるのが上手いくらいで」

「そっか。好きになるわけないよね、わたしみたいなの。酷いことばっかり言ってたし、天都賀、ずっと冷静だったもん。だから、今も冷静に断ろうとしてるんでしょ?」

「いや、話聞けよ。それはないから」

「へ?」

 うーん。正しい感情は、言葉にしないと伝わらないものだけれど。それっていろいろさらけ出すってことだから、気恥ずかしくもあるね。

「嫌いなら、先延ばしにする必要ないだろ。今この場で断ってる」

「へ」

 ぱちぱち、と瞬きをする小鳥さん。うむ、実にいい百面相ですね、今日は。

「もちろん、恋愛って打算とかでするものじゃないけどさ。今どうこうすると死亡フラグみたいだから」

「あ、えーと、うん。わかるような、わからないような」

 死亡フラグって、たぶんありえるものだと思うんだ。緊張が切れて油断して、本来のモチベーションを発揮できないとか、そういう科学的根拠の面から見ても。

「なわけで、返答は後日になりますがお許しください。で、こんな状況だからついでに。三年前、富士山が噴火するかもしれないって騒ぎがあっただろ?」

「うん。結構なニュースになったよね。それがどうかしたの?」

「あれ、俺ん家のせいなんだよ」

「……………………へ?」

「悪魔の住む魔界ともう一つ、この世界の隣には、天使の住む天界があってさ。三年前、天界と人界――――この世界の間で戦争が起こりそうになったわけ。その一端が、うちの父さんと母さんが再婚したこと。あ、母さんは一回目だけどな」

「つ、ついていけないんだけど?」

「だから。うちの母さんと妹は、天使なんだよ。本名は、ミカエルとユリエル。この世界にいるのは、人間と悪魔だけじゃない。羽根と輪っかを持った、光の御使いもいる」

「……………………いや、意味わからない嘘つかれても。壮大すぎるし。ユリが、天使?」

「こんな時だから、って言っただろ。この状況で嘘つく必要と理由がないと思うけど?」

「それはその、煙に巻こうとしてるとか」

「ああ、なるほど。一理あるな」

「納得するんかいっ!」

 顔面パンチ一発。ナイスストレート。

「だって、そう言われても仕方ないし。でも事実だ。ユリは天使で、メイオは悪魔。天都賀家は今、ごった煮の魔窟です」

「う、うーん。たしかに、天都賀が今わたしを騙す理由がない、けど」

「悩むことない。それが普通の反応だ。でも、本当のことなんだ」

「それでも、うーん。信じるには、ちょっと抵抗が」


「見つけたぞ、天都賀盾」


 突然の声に、小鳥と二人振り向く。そこには、真っ黒な翼を広げて空に浮かぶ悪魔の姿。

 しまった。状況をすっかり失念してた。

「うん。理解した。疑ってごめん天都賀」

「いや、この状況でそういう言葉が出ますか」

 たしかに、論より証拠とは言うけど。目の前に『浮かんでる人』がいれば、信じるしかないだろうけど。人間、驚きのメーターが振り切れたら、逆に冷静になるけど。

 仕方ない。覚悟を決めるか。

「オーケー、プルート・メフィストフェレス。鬼事は俺の負けだ」

 両手を上げて、一歩前へ。これが降参のポーズとして三界共通なのかは知らないけれど、なにも持っていないってことくらいはわかるはず。

「…………まだ隠し球がありはしないだろうな?」

「いいや、ネタ切れだ。で? あんたは俺を手玉に取りたいのか、それとも殺したいのか、どっちなんだ?」

「両方だね。手玉に取って利用してから殺すか、手玉に取れなければ殺す」

 正直者だな、悪魔。メフィストフェレスの血筋なのか、それとも種族的に嘘がつけないのか。

「なるほど。たしかに、こっちは分が悪い。けど、それは今だけの話。形勢ならすぐに逆転するぞ」

 空を指さす。

「ほら、援軍が到着した」

 そこには、弾丸のように突っ込んでくる二人の天使と悪魔の姿。彼女たちは白と黒の翼を広げ、目の前に降り立つ。

 そりゃ、あれだけ派手にやったり空を飛んでる人がいれば、イヤでもわかるよな。

「ごめん、お兄ちゃん。悪魔が近づいてたなんて、気付かなかった」

 振り向いたユリは、俺の後ろの小鳥を見て、飛び上がりそうなほど驚いた。

「ユリ、ホントに天使だったんだ」

「その、黙っててごめんなさい、小鳥先輩」

「いいよ。ユリは、友達だもん。それは変わらないよ」

「ありがとうございます」

 いい友情だな――――と言いたい所なんだけど、やっぱりその、状況がですね。

「兄様…………」

「久しぶり、と言うほどでもないかな、メイオ」

 こっちと、差がありすぎて。

 どう見たって、感動的な再会じゃない。

「自分から志願した割に、全く目的を果たせていない。尻拭いをするこっちの身にもなったらどうだ? 昔からおまえは成長しないな。ところで、お前はどこに立っているんだ?」

「っ…………」

 どうやら、こっちもこっちで複雑な家庭環境のようだ。

「まあいい。とにかく、そこの天使が邪魔だ。おまえはそいつを何とかしろ。そのくらいならできるだろう」

「なんとかって……」

 メイオの視線が、ユリに向く。その色は、おそらく『戸惑い』。

「…………」

 ユリの視線も、メイオに向けられる。色は同じ。

 二人はお互いに見合って、微妙に距離を測り、

「私は…………」

「メイオ、ユリ、ストップ」

「むぎゅ」

「ぐぎゅ」

 今まさに飛び出そうとしていた二人の後ろ襟を掴むことになってしまったので、変な声を出されてしまった。

 二人とも、喉を押さえてせき込む。

「「何するの!?」」

「まあまあ」

 思いっきり詰め寄られたので、押し返す。

 悪魔が悪魔を倒す構図も、天使が悪魔を倒す構図もダメだ。

 でも、メイオの心が揺れてる以上、形勢がこっちに有利なのは間違いない。

 これで、俺が舞台に上がれる。

「無駄に焚き付けるなよ、プルート・メフィストフェレス。それがあんたのやり方なら否定はしないけどな」

「悪魔が天使を倒すのは自然なことだろう?」

「いいや、そうでもないさ」

 少なくとも、メイオとユリみたいに逡巡するのなら、それは自然な事じゃない。

 そもそも、戦う根本理由もわからないのに戦うのは不自然だ。

 だから、俺が倒す。そうしなければならない理由があるから。

「悪いけど、あんたの方がメフィストフェレス失格だ」

「へえ。面白いこと言うな、人間」

「ま、暴力持ち出す時点でどうあってもそいつに同意する気はないんだけどさ。だとしても、メイオの方がメフィストフェレスらしいよ」

 悪魔は、人間を騙して自分のいいように使うと言う。なら、

「単純に、あんたの味方はしたくない。メイオの味方はしてやりたい。籠絡っていう意味なら、されてるだろ?」

「天都賀…………?」

 ぽんぽん、とメイオの頭をたたく。

 そもそも、兄と妹の関係が単純な上下だなんてどこの誰が決めたんだ。

「魔界に帰れ、プルート・メフィストフェレス。悪魔の味方ならしてやってもいいけど、あんたじゃ交渉役として話にならないんだよ」

「に、人間…………」

 俺に未熟の烙印を押された悪魔は、小刻みに体を震わせる。その周囲に黒い炎が燃え上がり、辺りに焦げたような臭いを漂わせる。

 はあ。

 暴力で相手を従わせようっていうのも嫌になるけど。

 もうちょっとなんかこう。必要なんじゃないのか。

 整合性、ってものが。


「相手に困ったらすぐ暴力。なんかお家芸みたいになってないか? ……………………だいいちさあ。魔王(サタン)土星(サターン)ってなんの関連もないし。自信満々でプルートとかウラヌスとか星の名前つけてる時点で、悪魔としてキャラがブレとるというか、ズレとるというか。それ、神様の名前だぞ?」

「「……………………」」


 おや。悪魔の兄妹様が真っ白になってしまわれた。そのまま、サラサラと砂になって飛ばされてしまいそうな感じだ。

「え。お兄、ちゃん?」

 ユリまでが、目を点にしている。ちょっと離れていた小鳥からも、反応無し。

「なんだ、その様子じゃ知らなかったのか。ま、仕方ないよな。名前って自分の誇りだし? 変えられないし? 上級魔族とやらなんだから、権力のある人がつけたんだろうし?」

 ひゅー、さらさらさら、と。なんとも言えない音がした。ような気がした。

 よし。プルート・メフィストフェレス戦、完結。テコ入れと引き延ばしはないぞ。

「さて。お前の兄貴、魔界に押し返せるか、メイオ。構っているヒマはない」

「ぁぃ」

 ぴ、とメイオが手を上げると、ブラックホールのような黒い球体が現れて、プルート・メフィストフェレスが吸い込まれていった。無言で。

「さて、一難去っ」

「アマツガ。ワタシ、アクマトシテオカシイノ?」

 真っ白になったまま、メイオさんが棒読みで言葉をお発しになられた。ついでに、半開きの口の端辺りから魂が出ている、ような気がする。

「そんなことくらいでダメージ受けるなよ」

 呆れてそう言うと、ブチ、と何かが切れるような音がして、メイオに色が戻った。

「そんなことくらいじゃないっ! 私、上級魔族なのよ!? 何度も言うけど、悪魔としてのプライドがあるのっ!」

 詰め寄ってくるメイオの周りから、心なしか稲妻が飛んでいるような気がする。あぶない。

「天都賀っ! 答えなさいよ!」

「……知らんよそんなこと」

「知らんよって、おまえねえ!」

「知ってるわけねーだろそんなこと。俺はそもそも、本当の天使も悪魔もどんなのか知らないんだから」

「…………え?」

 頭を掻いて吐き捨てるように言うと、目の前のメイオの目が点になった。

「天使は光だけで構成されてて、雌雄の別無し。悪魔には、蝙蝠の翼と山羊の角がある。天使は人を導き悪魔は騙して契約して魂をとっていく。そんなの、人間の勝手な想像でしかない」

 わしゃわしゃ、とメイオの頭を撫でる。そこには確かに角はあるけれど、それが何だというのか。

「ただの人間だって、天使とか悪魔とか比喩表現みたいに言われることがある。つまり、人間の言うことはたいてい、自分主観のものなんだよ。だから、俺の言うこともあの兄貴の言うことも気にするな。おまえ自身がプライドを持って悪魔やってるなら、それで十分じゃないか」

「それ、結局言ってることは全く同じじゃない」

「うん。でも少なくとも、俺にとってユリはユリで、メイオはメイオだ。天使だからとか悪魔だからとか、あんまり関係なく」

「……それもどうなのよ」

「ま、わからないならそれでいいよ。どうやら、理解してもらう時間も無くなったみたいだし」

 魔界がメイオ一人じゃ足らないと判断したのかどうかはともかく、形振り構わない手に出てきたのは確かだ。あの兄貴、妹を心配するタイプに見えなかったし。

 なら、こっちも手段は選んでいられない。

「『契約』しよう、メイオ」

「は?」

 メイオの目が、再び点になる。

「聖書が示すように、神は人と契約する。それは、天使にはできないことだ。でも、悪魔は魂と引き替えに望みを叶えることができるんだろ?」

「そ、それは、できないこともないけど。いいの? 契約するっていうのはその、おまえの言うとおり魂を」

「いいから契約しろ、メフィストフェレス。文言はゲーテに従えばいいな?」

「わ、わかったわよ。どうなっても知らないからね!」

 具体的にどんな手順を踏むのかわからないので、なんとなく手を繋いでみたりする。

「『時よ止まれ。汝はかくも美しい』」

「っ――――――――」

 特に何が変わったわけでもなく、儀式は終了した。

 いや、開始できたのかも終了できたのかもわからないけど。

「い、一応、契約完了よ。望みは何?」

「保留」

 間髪入れずに答えると、メイオはがっくりと肩を落とした。

「おまえそれ、とんでもない詐欺じゃない!」

「今は特にないからな」

 契約してるって事実が当面必要なんだ。これで天都賀盾は、三界全てにつながりを持っていることになる。

「それで? これからどうする気よ。契約までして」

「天界に行く」

「「――――――――はい?」」

「だから、天界に行く」

 提案に対して天使と悪魔の二人が固まったので、もう一度言ってみた。当然のごとく、二人とも慌て始める。

「て、天界ってそんな、気軽に言うけど。おまえ、行ったことあるの?」

「ない。でも、行けるはずだ。悪魔が天界に攻め入ろうとしてるってことは、メイオだって行けるはずだろ」

「そうじゃなくて、おまえの話よ!」

「そ、そうだよ。人間が天界に行ったなんて、聞いたことないよ」

「天使も悪魔も人界にいられるんだぞ? なら、人間だって天界にも魔界にも行けるだろ」

「存在としての強度自体が違うわよ! もしかしたら、死ぬかもしれないのよ!?」

「このまま状況が進めばどのみち誰かが死ぬ。そんなことは問題じゃない」

「問題だよ! 危ないことはしないって、何度も約束したのに!」

「俺だってしたくはない。けど、状況は切迫を超えて危急だ。確実に、次の瞬間にはもっと危なくなってる。なら、一秒でも早く手を打つのが得策だろ」

「で、でも、おまえがなんでそこまでしないといけないのよ」

「そ、そうだよ。それにこれは、天界と魔界の問題で、天使と悪魔の問題で」

「じゃあおまえ達、天界と魔界が無くなってもいいのか?」

「「……………………よく、ない」」

 決定。初めてだけど、天界行きが決定しました。

 転生とかそういう概念がないってことは、天国とは別なんだろうから、死ぬ必要はないよな?

 ない、よね? うん。きっとない。

 さて。今後の予定が決まったところで、フォロー対象はもう一人いる。そっちの方を向くと、視線がユリとメイオと俺で揺れ動き、

「ごめん、ユリ、メイオちゃん。ちょっと、二人にしてもらえるかな?」

「はい」

「わかったわ」

 申し訳なさそうに言った小鳥の言葉に天使と悪魔の二人がうなずいて、少しだけ遠ざかる。

 ああいうイベントの後で二人になるのは、平時じゃないけどちょっと気恥ずかしい。でも、ちゃんと話はしておかないと。

「そういうわけだ、小鳥。ごめんな、とんでもない休日になっちゃって」

「いいわよ、別に。怪我があるわけでもないし、状況はなんとなくわかったから」

 それでも、小鳥は不満そうだ。そりゃそうか。いろいろ要素はあったけど、半分くらいはデートのつもりで来たんだろうから。

 うーん、でも、ダブルデートですらないわけで。どういう認識だったんだろうな、今日のレクリエーション。

「そういう、誰かのためにがんばれるのが天都賀のいいところだし。ただし、ちゃんと帰ってきて答えてよね」

「それはもう」

 責任ですよね。あと、さらりと褒められてしまった。

「うう、もう。なんでこんなの好きになっちゃったかな」

「えーと。すいません」

 謝るところでもないような気がするけど。

 小鳥は、盛大な溜息を吐いて、頭を振った。そうだよなあ。今日、すごい激動の一日だったもんな。整理する時間も全然足りてないだろうし。

 で、小鳥さんは、突然明後日の方向を向き、

「天都賀って、キスしたことある?」

「は?」

 はい? いきなりとんでもないことをお聞きになられますね。キス、ですか? それは、唇と唇をくっつける類のアレですよね?

「それは、『そういう意味』での話、ですよね?」

「あ、当たり前でしょ! 親にしてもらったかとか、誰が聞くかっ!」

「んー」

 キス、ねえ。

 キス、かあ。

 微妙なのが一回あったけど。

「義理の妹はカウントに入りますかね?」

「う、うっわー。本気で引いちゃいそう。妹のブラコン利用して、欲求の解消するなんて」

 あ、やっぱりそういう感想になりますか。あと、ホントに引くのはどうかやめてください。

「想像力たくましいってレベルじゃないぞ、それは。俺への妄想被害だ」

「じゃあ、なんで妹とキスする必要があるってのよ」

 う。それを言われると、なあ。

 思い出すのは、ちょっと辛かったり。

「…………腕がですね。ここから飛んだことがあるんですよ」

 だいたい右肩の辺りを指さす。で、右脇と往復。

 そのジェスチャーを見た小鳥は、瞬きを繰り返して、

「飛んだ、って。その、ジャンプ的な意味で?」

「いえ。天都賀盾(本体)と天都賀盾(右腕)に分かれた意味で」

「え? ちょ、ちょっと待って。そんなさらっと言われても、え?」

「ともかく、天使の術らしいよ。魔法みたいなもんかな。そのために必要なことだったんだってさ」

 キスするくらいで腕がくっついたら、安いもんじゃないのかな。キスする人の心象はともかくとして。

 難しい顔をしていた小鳥は、また溜息を吐いた。心労ばっかり蓄積させて、申し訳ないことこの上ない。

「ほんとになんか、今日は驚かされてばっかり」

「それについては平謝りするしかありません。申し訳ない」

「だから、謝らなくてもいいって。とにかく、天都賀はキスするの、初めてじゃないってことだ」

 俯いた小鳥は、拳を握りしめ、

「っ!」

 アッパーカット、と見せかけて俺の襟首を掴んで手繰り寄せ、


「ん――――!」

「ん――――!?」


 キス、された。

 そらもう、唇と唇でガッツリ。接触時間は、一〇秒くらい。

「…………小鳥、さん?」

 どう反応せーっちゅーのさ。燃える。顔が。

「い、いいでしょ! 一回目じゃないんだったら、何も減らないわよ!」

「いや、うん、たしかに小鳥の言うとおりなんだけど」

 照れる。だってマジなんだもん小鳥さん。爆発させられるまでもなく、自爆する。

「……………………話、終わった?」

 憮然とした声に振り向くと、メイオが不機嫌な顔で腕を組んでいた。何故怒ってるんだ。

「うううう…………」

 そして、ユリもなんとも言えない顔をしている。

 えーと。うん。深く突っ込まない方がいいのかな、今は。

「ほ、ほら。行きなさいよ。私はこっちで待ってるから。ちゃんと帰ってきてよね」

 えーと。うーむ。やっぱり自爆するのかな、俺。

「とりあえず、天界行きましょうか?」

「「……………………いいけど」」

 やべえ。爆発させられる。マジで物理的に。

「と、とにかく、天界に行くぞー。で、どうやって行くんですかユリさん」

「んーと、まずは雲の上まで飛ばないとダメかな」

 え。それは、一度凍死か窒息死させるって意味ではないですよネ?

「それじゃ行くよー」

「あー、ちょっとだけ楽しみだわ」

「いや、ちょっと待って。いきなりそう言われると、心の準備が」

「れっつ、ごーっ!」

「そー、れっ!」

「ひええええええ!」

 がっしりと手を掴まれて、お空へジャンプ。右手をユリ、左手をメイオに固定されて、上へと引っ張り上げられる。

 ぽかーんと口を開けた小鳥の顔が、あっという間に小さくなっていく。手を振ることもできない。両手を塞がれているので。

 小鳥が点になり、遊園地の全景が見え、それも街並みの一部になっていき、鳥瞰図に変わっていく。雲を突き抜けても減圧症にならないのは、なにか天使とか悪魔の不思議な力が働いてるんだろう。助かった。

「扉を開くから、ちょっと待ってね」

 高度は不明。わかるのは、落ちたら死ぬだろうなってことと、地球は丸いんだなってこと。

 そして、地球は青くて、国境線なんて見えないってこと。二人の宇宙飛行士の言葉は正しかった。

「お兄ちゃん、ホントにいいの?」

「…………ああ」

 迷いがないって言ったら嘘だし、怖くないはずなんてない。実際、現実逃避気味だし。でも、青い地球を見たら少しだけ心が落ち着いた。

 俺にできることがあるのなら。それが今できるのなら。やるべきだ。

「行こう。メイオも、文句はないよな?」

「ふん。私、上級魔族だって言ってるでしょ。問題ないわよ」

「それはなにより。そういうわけだ。いくぞ、ユリ」

「う、うんっ!」

 空の真ん中に浮かぶ光の輪。エンジェルハイロウに似たそれに向かって、三人で突っ込む。

 その先は、光の道。青い空は消えて、白く輝く世界が広がっていた。そこを、天使と悪魔に手を引かれて進んでいく。

 少しだけ、左手を握るメイオの手に力が入ったような気がする。

「変な話。おまえを籠絡しにきたはずなのに、その相手に言いくるめられて天界に向かってるなんて」

「うん。実に貴重な経験ですね」

「他人事みたいに言うなっ!」

 手を振り払われそうになったので、慌てて握りしめる。ここで明後日の方向に飛ばされたら、どこに行くのかわからない。

「まったく。ちょっとは大人しくしてなさいよ」

「こっちの台詞だよ、それ」

「あのー、もうすぐ着くよ、二人とも」

 そのまましばらく、光の道を進む。ひときわ強い光を抜けて、

「これで到着――――え?」

 ぽいっ、と。なにもない空間に投げ出された。

「はい?」

 両手から、ユリとメイオの感触が消えている。右手左手共にフリー。

 足場がない。身体は、宙に浮かんでいる。

 いや、人間が宙に浮けるわけがない。


 落ちまーす。


「――――――――落ち着け」

 ダラダラと身体を汗が流れるのと、寒気が取り巻くのとで、感覚が無茶苦茶になる。

 だって、落ち着けって、それ以前に脚を落ち着けるところがないんですけどぉ!?

「わーっ! お兄ちゃん!」

「へ? あ、天都賀!?」

 文字通り、二人が飛んできて助けてくれた。がっつりと背中から抱き留められる。

「だ、大丈夫、お兄ちゃん?」

「ああ、大丈夫問題ない。ちょっと身体が重くて息苦しいけど、ひどい風邪だと思えばなんてことない」

「ちょっと。それ、結構まずい状況じゃないの。強がらなくていいわよ」

「ダイジョウブダヨ? リアルに死を実感して、コワクナッテナイヨ?」

「天都賀が壊れた!?」

 だってそりゃそうだろ。いきなりデッドエンドとか、誰も思わないだろ。

 しかし、天界って表現は実に的確だ。まさに天の国。地表が見えない。たぶん、ここより上に見える雲の上とかに居住区があるんだろう。

 そしてなんか、空気が清浄すぎるのか、濃密なのか。少しだけだけど、本当に息苦しい。

「…………とにもかくにも、進まないといけないな。止まってるわけにはいかない」

「う、うん。それはそうだけど」

「争いの結末はいくつかあるけど、その最たるものは疲弊と自滅だ。そんな結果をもたらすわけには行かない」

 そのために、俺はここに来たんだから。

 まずは、それを止められる場所に行かないと。

「ユリ、母さんの居場所はわかるか?」

「うん。わかるよ」

「だったらそこに突っ込む。そこが最前線だろうからな」

「つ、突っ込むって?」

「文字通り突撃。そーれレッツゴー」

「ちょ、ちょっと待ってよー」

「そ、そうよ、もう少し対策を」

 ぱたぱたと三人で暴れ回る。どっちに行ったらいいかわからないので暴れる俺を、ユリとメイオが抑えている状態ではあるのだが。

「事態は一刻一秒を争うんだよ。一秒ごとに状況は悪化してるんだ」

「でも、そのまま行ったってどうなるかわかんないでしょ。ほら、私、天界にとっては敵なんだし」

「策なら考えてある。メイオ、俺を盾にしろ。で、メイオの背中をユリが護る。それで問題なく進めるはずだ」

 ぴたり、と動きが止まった。二人とも、何か怖い物を目にした時の顔になっている。

 ああ。渾身の捨て身ギャグは通じなかったか。無念。いや、ギャグじゃないんだけどもさ。

「盾、って。あんた、当たり所が悪かったら死ぬわよ?」

「そ、そうだよ。それなら、わたしが前に行くよ。ある程度なら、天使同士の力は相殺されるし」

 二人の言葉に、首を振って返す。

「元々なんのリスクも無しで事を成せるって考えるのが間違ってる。両界共通の悪手はたった一つ。俺が即死することだ。なら、矢面に立つのは俺に決まってる。第一、メイオを後ろに置いたら後ろから撃たれる」

「それは……そうだろうけど」

「とにかく、乱戦になればなるほどいろいろマズイ。孫子曰く、兵は拙速を尊ぶ、だ」

「もう、どうなっても知らないわよ?」

「合点承知」

 メイオに後ろから抱きかかえられて、その後ろにユリが張り付く。見事なフォーメーションだ。

「ナビゲート、頼むわよ?」

「うん」

 ふわ、と前方向への力がかかる。そのまま滑り出すように風景が動いていき、次第に加速を強め、

「ふ、風圧、がっ!」

「そんなこと言われても仕方ないでしょ!」

 なるほど。矢面に立たされるって、こういうことか。


   ○○○  ΨΨΨ


「み、ミカエル様! 外界結界、突破されそうですー!」

「狼狽えるな! 弱化した結界の突破は予測の範疇内。ここで食い止めればいいだけのことだ!」

 そこにいるのは、盾をもってして色ボケと評する天都賀ミカではない。大天使ミカエル。天使の軍団の総司令である。

「攻めてくる以上は落とす算段を持って、ということか――――――――うーん、さすがに無関心すぎたかなあ」

 一瞬だけ人界での顔に戻って、彼女は溜息を吐いた。

 だとしても、本当の後悔はしない。この三年を否定する気は、彼女にはない。だから戦う。血の繋がらない息子が守ってくれた生活を、自分が壊すわけにはいかないのだから。

「結界、破壊されます!」

「攻撃に備えろ!」

 ミカエルの証である剣をかざし、彼女は声を張り上げる。比喩ではなく、周囲の空気が戦慄する。

 ヒビの入った場所から、空間が割れる。その向こうの暗闇から、蝙蝠の翼を持った人影が飛び出す。

 人影は次々と増え、軍隊の体を成す。今まさに、天使と悪魔が一触即発状態になり。

 火ぶたが切って落とされるより先に、三つの影がその間に飛び込んだ。


「待てぇい!」


   大Ψ○


 今まさに衝突しようとする両軍の前に、無理矢理割り込んだ。うん。ちょっと今の、ヒーローっぽかったかもしれない。メイオに釣られてなければ、だけど。

「じゅ、盾!?」

 天使軍の先頭に立っていた母さんが、驚いてずっこけそうになっていた。

「ふ、天使ミカエル。軍と軍の総力を持って正面からぶつかり合うなど、愚の骨頂! 心ある者のすることではない!」

「な、なんだろう…………正しいことを言われてるのに、アイデンティティーを傷つけられたような…………」

「そして悪魔たちよ! 高尚が聞いて呆れる! 結局暴力しか手段がないのか? まったく。それじゃあ、人間以下だ!」

「貴様、口を慎め! 塵にするぞ!」

「そうだ、人間っ!」

 ふっ。その言葉を待っていた。

「いいのか、そんなことして?」

「どういうことだ、人間」

 食いついたな。よし、筋書き通り。

 あとは、嘘とハッタリだ。

「俺は、メイオ・ウラヌス・メフィストフェレスの契約者だ。結んだ契約は、一蓮托生。『俺が死んだら彼女も死ぬ』だ。俺を殺せば、上級魔族の令嬢が死ぬことになるぞ」

「は!? そんな契約した覚え――――――――むぎゅ」

 メイオの口を押さえて、悪魔を煽る。

「さあ、やってみろ悪魔。メフィストフェレス家を敵に回したいのならな!」

「げ、外道すぎだぞ人間っ!」

「どっちが悪魔だっ!」

 いや、君たちが悪魔ですよ。

「う、うーん。やっぱり盾のやり方はえげつないというか、なんというか。それって、その子を殺したら盾も死ぬ、ってことだし」

「さ、さすが盾様。悪魔さえも手玉に取るその魔神のごとき智恵、素晴らしいですー」

 あれー。なんか身内からも評価良くないよー。

「……………………ちょ、ちょっと天都賀、どういうことなのよ! 聞いてないわよ!」

「……………………だから、そういうことにしておけば天使はメイオを殺せないし、悪魔は俺を殺せないだろ。いわゆるメキシカンスタンドオフって奴だ」

「……………………う、うーん。ちょっと強引だけど、たしかに有効かもしれないね」

 ひそひそ、と天使と悪魔の軍団の間で内緒話をする俺たち。そして、行動を決めかねる両軍団。三すくみ、というか完全な膠着状態に持って行くことには、一応成功した。

 さあ、ここからが芝居の第二幕だ。

 メイオに吊り下げられたまま、手を振り上げて宣言する。


「事態は完全なる停滞を迎えた! そこで、天界と魔界双方に提案だ! ワイルドカードになった俺の立ち会いの下で、トップ同士の一騎打ちで勝負を決めないかね?」


   ○大Ψ


「レディースエンドジェントルメン! ようこそ! 天界と魔界の頂上決戦の場へ!」

『わあああーっ!』

 マイクに向かって叫ぶと、歓声が上がる。うむ。素晴らしい。

 今我々のいる場所は、イタリアはローマのコロッセオ――――に酷似した闘技場。天使と悪魔の術でできあがった物だけど、すばらしい。お膳立てが完璧すぎる。

「なに悦に浸ってるのよ。あとそれ、なに?」

「俺の勝負服」

 具体的に言うと、黒のスーツにダークグレーのネクタイ。葬儀屋さん一歩手前の色合いである。ただ、見方によっては悪魔の味方に見えたりするかもしれないのが悩みどころ。

「さあ、盛り上がっていこうぜ! 今日まさに、世界のあり方が変わるんだからな!」

『おおおおーっ!』

「「「……………………うーん」」」

 会場は盛り上がってるけど、俺の隣に両界の代表代理としているユリとメイオ、さらに後ろにいる母さんは思いっきり引いているようだ。きっと、俺のテンションがおかしいから、でしょうねえ。

 手を振り上げる。カッ、と、ライトが光って、闘技場の両端を照らす。

 片側にいるのは、ホワイトロリータと呼ばれる服を着た、少女。うん、少女(ロリ)

 そしてもう片側にいるのは、俺と同じような黒スーツに黒ネクタイをした、完全に葬儀屋さんの格好をした、少年。うん、少年(ショタ)

 これが両界の代表ですか。マジですか。

 と、とにかく、続けるぞ。二人とも歩いて、リングに上がったわけだし。

「白コォーナァー! 天界代表、一四六センチ四〇キロ、天使長ガブリエルー!」

「わぁーっ! 勝つぞぉー! ってそんなにちっちゃくないよ!」

「黒コォーナァー! 魔界代表、一四五センチ四〇キロ、悪魔長ルシファー!」

「ふん、負けるものか。っておい待てなぜ私がガブリエルより小さいのだ!」

「さあ、両者ともになけなしのプライドが燃えているぅー!」

「「おまえはどっちの敵で味方だ!」」

 仲のいいツッコミを無視。

 煽れ。もっと感情を煽るんだ!

「両者ともにボルテージマックス! コレは面白い戦いが見られそうだ! もう一度聞くぞ! 盛り上がってるかー!」

『うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!』

「……………………騙されてる。激しく騙されてるわみんな」

 メイオが頭を抱えてるけど、気にしない。

 相乗効果、というものがある。互いの要素がそれぞれに刺激し合い、相乗的に波及していくというモノだ。今回は高揚として、それが最大限機能している。縦縞のシャツでも着てもらいたいね。

「天界と魔界の勝敗を決めるその方法。それは!」

 シン、と会場から音が消え、空気が張りつめる。その中で俺は、高々と手を掲げ、宣言する!


「ジャンケンだあっ!」


『じゃ、ジャンケン?』


 張りつめた空気が弛緩し、凍り付く。

「そう、ジャンケン。ルールは説明するまでもないですよね? グー、チョキ、パーの三手で、三竦みの関係。天界と魔界のルールは知らないから、人界のルールでやらせてもらいますけど、力の相関についても説明は不要ですよね?」

「あ、あのさー、盾くん。確かに提案には賛成したけど、天界と魔界の存亡を賭けた戦いを、ジャンケンでやるっていうのは」

「そうだ、人間。魔界の力を持ってすれば、天界を滅ぼすなど容易いこと。今更そんな小さな戦いに持っていく必要性はない」

「おや。ジャンケンなんて簡単なゲームで負けるのが怖いのかな?」

「「!」」

 顔色が変わる。

 呆れから、怒り。敗北という二文字が、意識を変容させる。

「三竦みというのは、古来から数多くのパワーバランスの統制に用いられている、伝統的な手法だ。加えて、細々とした要素の入り込む余地がない。様式美と言ってもいい。それで、勝てないと?」

「「ふ、ふふふふふふふふふ」」

 表情は、不敵な笑みに。

 ノったな。もう逃げられない。

「天使と悪魔の皆さんも、代表である二人が負けるとお思いで?」

『――――――――!』

 観客席からの言葉も消える。

「さ、やる気になったところで、追加ルールを一つ。一瞬でも遅れたら後出し。手がなんであろうと、強制的に負けです」

「いいだろう。やろうか、ガブリエル。まさか、臆したとは言うまい」

「そっちこそ。後で文句を言っても遅いよ」

 天界と魔界の長それぞれの背後で、竜とか虎とか炎とか稲妻が踊る。実際、嵐の一歩手前みたいな状況になってるし、これが天使長と悪魔長の力か。

「よし、ではいきますよ。見合って見合って。じゃん、けん――――――――」

 ぐぐぐぐ、と両界の長が顔を突き合わせて拳を握りしめる。

 会場の緊張が最高潮になったところで、


「さて、帰るか」


 ずこー、と天使長と悪魔長の二人がズッコケる。それだけじゃなく、会場全体が八時に全員集合したみたいになる。

「おいこら盾くん。ナメてるのか? いくらわたしでもキレるよ?」

「人間。貴様、皮を剥いで無限地獄に捨てるぞ」

 二人に詰め寄られて、その分下がる。こええ。さすがは両界の最強。見た目幼稚園児とは言え、かなりの迫力。

 それでも、ここで引くわけには行かない。まさにここが三界の命運の分岐点なのだから。

「おっと。あっしが合図を出さないと、決着は永遠につきませんぜ? それでも俺を殺しますかい?」

 俺の言葉に、二人の表情が消える。

「盾くん。ひょっとして、最初からそのつもりだったの?」

「人間。さっさと合図を出せ。それで終了だろう」

「イヤだね。このまま永久に冷戦状態を続けるがいい」

 浮かべるのは、不敵な笑み。それに二人の頭に血が上り、完全に意識がこっちに向いたタイミングで、


「ぽん。はい、俺の勝ち」


「「え」」

 唐突に出したVサインに、二人の目が点になった。

 時が止まる。メイオやユリ、母さんの目も点になったまま。会場の天使も悪魔も、真っ白になっている。当然、誰も声を上げない。

「言いましたよね? 一瞬でも遅れたら後出し。強制的に負けだって。だから、俺の勝ちです」

「ちょ、ま! 盾くんが参加するなんて聞いてない!」

「に、人間。貴様、言ってることがおかしいぞ!」

「俺は、天界と協定関係。同時に悪魔の契約者でもありますから、立場としては中立です。でも、それ以前に人界の人間なわけで。とりあえずの代表代理として、戦争に参加する理由も権利もあるはずですけど?」


『ねえよ!』


 天使と悪魔全員から総ツッコミをもらった。ついでに、いろんなものが飛んできた。炎、電撃、氷。なぜかあるケチャップや空き缶を、母さんとユリとメイオの三人が防いでくれる。

 その中で、一歩前に出る。浮かべるのは、笑みだ。

「――――天使は嘘をつけない」

「うっ」

「――――悪魔は約束を違えられない」

「なっ」

 じり、と両界の長が後ろに下がる。

 なんでもない、人間である天都賀盾って高校生に気圧されて。

「にしたって、お互いに仲良くするくらいのこともできないなんて、天使も悪魔もしょーもない存在だな。なにが人間より高次だ。口ほどにもない」

『ううっ』

 天使と悪魔全員の表情が、苦悩に歪む。

 そりゃそうだろうな。存在意義とか、そういうものの根幹が揺らぎかけてるんだから。

 さて。そろそろ頃合いだな。

「聞きますけど。そんなに悩むことですか?」

「そりゃ悩むよっ。天使と悪魔は、敵対関係なんだからっ」

「そうですか? 俺は証明して見せたんですけど」

「なにをだ、人間。小賢しい」

 頭痛に悩んでそうな二つの顔が向けられる。

 天使と悪魔の意義。たしかにそれも重要かもしれない。でも。


「人間と天使と悪魔は、友達としてわかりあえるって」


 ユリとメイオの手を取る。彼女たちの驚いた目が、俺に向けられた。

「どうだ、二人とも。この数日一緒に暮らしたけど、殺し合わなくちゃいけないほどだったのか?」

 天使の少女と悪魔の少女は、お互いに顔を見合わせて、

「…………そんなこと、なかった。楽しかったよ」

「そうね。どちらかと言えば、天使よりも天都賀の方がストレスだったわ」

 微笑みと苦笑い。それでも、笑っている。

「母さんやユリみたいに人界で暮らしてる天使は多くいました。なら同じように、人に紛れて暮らしてる悪魔もそれなりにいるんじゃないですか?」

「あれ? そういえば。どーなの、ルシファー」

 ガブリエルさんの問いに、ルシファーさんはイヤそうに表情を歪め、

「いるな。おまえの所のように、『目』としてだが」

「やっぱりね。天使にだって、朱に交わって赤くなった目がいるんです。悪魔にだっているだろうし…………その辺どうですかね、メイオ・ウラヌス・メフィストフェレスさん?」

「っ、ふん。悪くなかったわよっ。誰かと一緒に、ううん、人間や天使と一緒にご飯を食べたり、遊んだりするの」

 唐突に話を振られたメイオは、腕組みをして、顔を逸らしてしまう。それでも彼女の声には、プラスの色が濃いように感じた。

「完璧なんて無理です。人は、それを目指すと必ずパラドックスに突き当たりますから。天使も悪魔も、きっとそうなんじゃないんですかね。曖昧な世界で、曖昧な心を持って生きてるんじゃないでしょうか」

 まずは、ガブリエルさんとルシファーさんを見る。そして、集まった天使と悪魔のみんなを見る。

「憎み合わないとか、そういうのは綺麗事なのかもしれないですけど。こうやって、同じことに夢中になって、同じ想いを感じることができるって証明にならなかったですかね、今日のことは」

 静かな空気の中で、天使と天使、悪魔と悪魔、それに天使と悪魔がそれぞれ、視線を交わす。

 その視線はあちこちに逸らされてしまったけど、みんな照れてるだけなんだと思いたい。だって、不満の言葉はないんだから。

 と。ルシファーさんが、目をこっちに向けてきた。

「なるほどな、人間。これが貴様の戦いか」

 ぎくり。や、やばい、バレたか?

「ぼ、僕は別に、ただお二人を騙しただけですヨ?」

「…………何を煙に巻こうとしている。同じ方法で『天界』を倒したのだろう?」

 うわ。これ、確実にバレてるな。

「どういうことですか、ルシファー様」

 控えめに。それでも食いつくように、メイオが歩み寄る。

 当然か。そのために俺の所に来たんだから。

「そいつは世界と戦ったのだ、メフィストフェレスの娘」

「世界、ですか?」

「そう。おまえではなく、おまえと戦う理由の方とな」

「あ、そういうことか。なるほどね。ウチと人界の時も盾くん、ただわたしと話をしただけだったし」

「だが、実に有効だ。こちらとしては完全に気勢を殺がれるわけだからな」

 やっぱり、俺の天敵はルシファーさんなのかな。詐欺師に近い俺のやり方は、手がバレると二度と使えない。一応反撃くらいはしておこうってことなのかもしれない。

「と、いうことだな。事後処理はないが、悪魔と天使の諍いはこれで終わりだ。帰るぞお前たち」

 ルシファーさんが背を向けて、ゆっくりと歩き出す。

「じゃあ、わたしも行こうかな、って、あー! 結界の修復しないとっ!」

「そ、そうですね。大至急」

 ガブリエルさんと母さんが、腕を振り回して走っていく。

 悪魔は静かに。天使はバタバタと舞台を降りる。

 その中で、少年の顔がくるりと振り返り、

「機会があればまた会おう。天都賀盾」

 最後に。ルシファーさんは、精神的な年相応の微笑を浮かべて消えた。やべえ。すげえこわい。どんな機会にまた顔を合わせるって言うんだ。

「あ、わたしもお母さん手伝ってくるね!」

 ユリも、そんな言葉を残して母さんの後を追っていった。

 いつのまにかあれだけいた天使と悪魔もいなくなっていて、閑散とした場にメイオと二人取り残される。

「まったく、よくやるわよ。こんな手、考えつきもしなかった」

「そりゃそうだ。考えつくなら、こんなことになってないよ」

 本当に、単純なことなのにな。もっとも、ルシファーさんの言うとおり、俺のやり方だって戦いの一つなんだろうけど。

「宗教のお話だと、悪魔は堕ちた天使のことを言うそうだ。なら、悪魔も天使も本当は大して変わらないのかもな。だったら、仲良くだってできると思ったんだ」

「ほんと、変なの。昔なら、そんなこと言われたら即灰にしてるはずなのに。今はそんな気にならないわ」

「そりゃ助かった。と言いたいところだけどさ」

 苦笑してしまう。

「メイオ、相手を灰にしたことなんてないだろ?」

「な、何言ってるの。私、由緒正しい上級魔族よ? 誇りは護らないといけないのよ」

「じゃあ、そのまま力を振るって街を滅ぼせばよかったのに。それくらいすれば、俺は従ったかもしれないぞ?」

「それは、その。灰にしたら、征服する意味がないし。そもそも征服じゃないし」

「そうでもないだろ。民衆を制する一番簡単な方法は、恐怖の対象になることだ。畏敬は簡単に砕け散るけど、暴力は長く意識に影を落とし続けるからな。そういう意味じゃ、見せしめっていうのはすごく有効な手段なんだけどな」

「わかってるわよ。天界と魔界の創造以来、私たちはずっと最終戦争での敗北を恐れてきた。悪魔は天使に勝てるのか。絶対存在である神に勝てるのかって」

「そうだな。死は、一番強力な暴力だ」

「でもおまえ、それすら武器にしたわよね?」

 はは。ホントはあれ、一番やっちゃいけない方法なんだけどな。いわゆる、死ぬ死ぬ詐欺。最終手段だからさ。

 メイオは、そんな俺を見て笑顔を浮かべた。

「天都賀。私、あんたみたいな存在の名前、一つだけ知ってるわ」

「ん?」

「傍若無人。正しいことのために突っ走る。後悔しない。否定されても構わない。誰をも救い、打倒する。そういう存在」

「俺、そんな奴か?」

「そうよ。で、私が知ってるそういう奴の名前ね」

 メイオは、今までに見た中で一番優しい表情で――――、


「神、っていうのよ」


「ねーよ。なんで神だよ」


 一瞬で否定した俺の言葉に、メイオの表情は怒りに変わった。直後、久しぶりの頭突き。

「人が! 褒めてるのに! なによあんた!」

「ほめてねーよ。なんだ神って。一緒にしないでくれ」

 ホント、イヤだ。最近ご無沙汰だった頭突きを文節ごとに食らったせいで痛む頭を放置してしまうくらいに。

「俺は、神様みたいに誰も彼も愛せるほど壊れてない。嫌いなものだっていくらでもあるし、受け入れられないものもいくらでもある。救えないものだって、いくらでもあるんだ」

「なによ、それ。あんた、実際は血も涙もないわね」

「事実だ。俺は、上を丸め込んで下を抑えただけで、天使と悪魔の全てが納得したわけじゃないはずだし」

 そう簡単なら、もっと早くカタがついてるはずだし。それがいつか爆発しないとも限らない。

「それに、神様は悪魔の敵だって言ったじゃないか。まだ俺のことを敵だと思ってるのか、メイオ?」

「それは、べつに、その、天都賀をどうこうする気はないわよ」

 顔を背けてしまったメイオの表情は読めない。それでも、その心変わりはきっといいことだと思う。

「あーあ。結局、私なんかじゃ天都賀に勝てなかったってことか」

「そうでもないよ?」

「…………え?」

「いや、本当はもっと単純に済む方法があるからさ。それなら、二日くらいで終わった」

 メイオの目がまん丸になる。うーん、それってそもそも、手段として考えてたのは俺じゃないんだけど。

「人にも、悪魔にも、天使にも、心がある。誰かを好きになれる。だから、メイオが俺以外のことを考えられないような状態になれば良かったんだ。こう、俺の言うことなら二つ返事で聞いてくれるような」

「そ、それってつまり?」

「本来の意味での籠絡」

「あ、あんた、そういうことするつもりだったの!?」

「しないよ」

 即答すると、メイオは見開いた目をしばたたかせた。

「恋とか愛って、もっと尊いものだと思うからさ。必要だからとか、そんな理由でするもんじゃないよ。そんなんで世界が救われても、なんか味気ないし」

「……天都賀、あんた冷血な割にロマンチストだったのね」

 あれ。感心されてしまった。

「『人の心は揺れやすく、されど封じられた芯は揺らぎにくい』。逆に言えば、人の心は簡単に変わるってことだから。大事にしないといけない」

「それも、例の母親の言葉?」

「ああ。天都賀こころ。心理学者だったんだ」

「なるほどね。心理学者、か。あんたは、その一番弟子ってわけ」

「不肖のな」

 母さんは、最後まで笑っていた。だからこそ忘れられないし、あの境地にはまだたどり着けていないのもわかる。俺はきっと、不肖の弟子のままだろう。

「そっか。納得した」

 た、とメイオは少し距離を取って、笑顔になった。

 なぜか。その顔が、泣きそうに見えて。

「お別れね、天都賀」

「へ?」

「だって、私の役目は対天界の切り札天都賀盾の籠絡だったもの。もうその必要もないでしょ」

「あ、うん。そうだ、な。でもまあ、よければウチに遊びに来たりなんかすると、ユリが喜ぶんじゃないか? それにほら、遊園地も途中だし」

「あのね。私、上級魔族の令嬢なの。そう簡単に遊び歩けるわけないでしょ?」

「そうか。そうだよな、うん」

 あ、あれ。なんで俺、こんなにショック受けてるんだ?

 いや、メイオがいなくなることが悲しくないわけじゃないのは確かだけど。おかしいな。

「どうしたの、天都賀?」

「その、なんかさ。寂しいな、って」

 素直に言葉を口にしたら、メイオはびっくりして倒れそうになっていた。

 うん。俺ちゃんと、メイオに籠絡されてたんだな。

「あはは。おかしいわね、私たち」

「そう、なのかな。よくわからん」

 二人で、笑い合う。これが最後になるって予感と共に。

「じゃあね、天都賀」

「うん。じゃあな、メイオ」

 背中を向けて歩き出したメイオは、急にきびすを返してこっちに向き直って、滑るように空を飛んできて。


「あのね、天都賀」


 古来、悪魔は耳元で囁くという。

 メイオ・ウラヌス・メフィストフェレスという名前の悪魔は、最後の最後でその悪魔の本領を発揮して、小さな言葉を残していった。


 ありがとう、と。

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