三.賽は投げられる
大 大 ○ Ψ
さて。やってきました遊園地。
うーん。場違い感がつま先から頭のてっぺんまで染め上げてる気がする。
よくよく考えてみたら、縁遠かったんだな、こういう施設。それこそ、小学校以来か。
「うわー、おっきいねえ」
「…………、そうね」
ユリとメイオも、驚いた表情で入場ゲートを見ている。
「人間はすごいわね。他人を楽しませるための労力を惜しまないなんて」
「魔界にはこういうのはないのか?」
「ないわ。基本的に自分のことしか考えてないからね。その様子だと、天界にもないんでしょう?」
「うん。娯楽を生み出せるのは人間の特権なんじゃないかな」
そうなのかもしれないな。欲求と快楽。それを満たすように行動するのが人間なわけだし。
もっとも、経営者はいかに黒字を出すかを期待しているわけで、それをするとなると人を惹きつけなきゃいけないから、自然とテーマ性やエンターテイメント性の高いものが生み出される。上手くできてるよ、世界は。
「で、小鳥はどこだ?」
「さっきから後ろにいるわよっ」
おう。現地集合だって聞いてたから、結構注意してたのに。
振り向くと、黒シャツにグレーのベストと赤のタイに、ショートスカートを合わせたファッションの女の子がいた。
「どちらさまで?」
「あんたのわたしの印象は、制服しかないのかっ!」
目の中で火花が散る。ナイスパンチ。
「いや、申し訳ありません。たしかに、私服を見るのは初めてだったもので」
「…………なによ。ちょっとがんばったのに。損した」
「え、そうなの?」
「なんでもないわよっ!」
再び顔面ストレート。最近、頭部へのダメージがバリバリ蓄積されてる気がするんですけど。大丈夫か、俺の頭。
「とにかく、入ろうか」
「そうね」
入り口でフリーパスを買って、中へ。うーん、四人分は結構な出費だな。
「…………ほんと、さらっと」
「何か仰いましたでしょうか、小鳥様」
「なんにも」
どうも、フォロー対象が一人増えたみたいだな。自業自得とはいえ。
「ねえねえお兄ちゃん、何に乗る!?」
「へえ…………すごいとこね」
いや、分量としては一人分減った、のかな? はしゃいでるユリと感心したようにアトラクションを見てるメイオは、もうフォローの必要なさそうだ。
それに、最初の一日みたいなギスギスした空気ももう見えないし。俺がいちいちネジを巻いて時計を進める必要はないのかもしれない。
「小鳥も楽しんでくれよ、せっかくなんだし」
「う、うん」
小鳥は、きょろきょろと辺りを見回して、少しずつ顔の赤みを増していく。
「小鳥先輩は何に乗りますかー?」
「え? えーと、わたしは、どうしようかなー」
ちらちらと目線が動いてるけど、たぶんこれはツッコまないほうがいいんだろうな。観覧車はまだ早いですよ、いろいろと。
で、俺たちは入場ゲート前のマップをそれぞれ眺め、
「このお化け屋敷っていうの、興味あるわね」
「「!?」」
メイオの一言で、空気が凍り付いた。
正確には、ユリと小鳥がだけど。
「どうかした?」
「ど、どどど、どうもしないよ。ねえ、小鳥先輩」
「え、あ、ああ、うん。そうだね、ユリちゃん」
どうもしてないことないよ、アウトだよ、その反応は。あと、そのひきつった笑いも。
「お化けって、幽霊のことよね? それがたくさんいるってこと?」
「いや、そうじゃない。あんまり詳しく説明すると面白くなくなるけど、人間が化けて脅かすって表現が適切なのかな」
「ふーん? 変なものがおもしろいのね、人間って」
よくよく考えてみればそうだな。ジェットコースターと言い、遊園地ってある種恐怖を味わうアトラクションばっかりだ。もちろん、想起される感情はそれだけじゃないんだろうけど。
「ま、いいわ。行きましょ」
「だってさ。行くぞ、二人とも」
「「どーんと来いだよ!」」
大丈夫かな、これ。
メイオ、俺、右手と右足が同時にでているユリと小鳥の順で、列に並ぶ。で、パンフレットを広げて、気付く。
「んー。どうも、三人までしか一度に入れないみたいだな、ホラーハウス」
そりゃそうだな。大勢で談笑しながら行ったら、本来の主旨は達成できないだろうし。
「へ、へー。じゃあ、誰か残る?」
「いや、それじゃつまらない。こいつで決めよう」
小鳥の提案を蹴って取り出したるは、なんの変哲もない五〇〇円玉。それを宙にかざす。
「裏が出た二人と、表が出た二人で組分けな。じゃあ、メイオから」
空中に弾く。左手の甲と右手の平で挟み取って、開く。
「裏。次は小鳥」
もう一度、動作を繰り返す。
「表。じゃ、最後はユリだな」
最後の一回。
「裏。メイオとユリ、俺と小鳥でペアだな」
ペアになったメイオとユリは、無言で顔を見合わせた。何かいうより早く、予防線を張ろう。
「文句は受け付けません」
「わかったわよ。こいつと行けばいいんでしょ、行けば」
「うう。不安だなー」
不満そうな二人の背を押して、先に並ばせる。さすがに、絶叫系ながら趣旨が違うこっちは空いている。
程なくして、二人がホラーハウスに飲み込まれていった。最低でも五分はインターバルがあるらしく、小鳥と二人取り残される。
その目は、俺の手の中でもてあそばれる金色の硬貨に向けられていた。
「上手い分かれ方したわね」
「そう、いい偶然ですね。ところが、世の中にそんな都合のいい偶然なんてないのだよ、小鳥くん」
ピン、と空中に五〇〇円玉を弾く。空中で掴み取って、左手の甲に乗せる。
「今は表」
手を開くと、表面が光を返している。
「でも、もう一度手をかざすと?」
「え、裏になった?」
「コインのすり替えなんて、初歩の初歩だよ小鳥くん」
「い、イカサマじゃん!」
「失礼だね、小鳥くん。損害は発生していないから問題はないのだよ」
発生しない可能性はゼロじゃないけどねー。でもたぶん、お化け屋敷が一つ吹っ飛ぶくらいですむんじゃないだろうか、きっと。ハハハハ。
どうかそんなことになりませんように!
「それにしても、そんな技が使えるなんて知らなかった。ギャンブルとかするの?」
「しないよ。昔、ホスピタルクラウンの人に教えてもらったんだ」
「ホスピタルクラウン? それって、病院にピエロの格好してマジックを見せに来る人、だっけ」
「イエス」
指の間には、五〇〇円玉が二枚。こいつがタネと仕掛けだ。
「なるほど、手品ってことね。あれ? でもじゃあ、天都賀って入院とかしてたの?」
「ん、いやまあ、ちょっと」
「あ、ごめん。嫌なこと聞いちゃったかな」
「いいや。母さんが入院してたんだよ、五年くらい前に」
「お母さんって、あの店長さん…………じゃないよね」
「本当の母さん、って表現するのも変だけど、そうだった人」
携帯を取り出して、画像を表示する。そこには、渋い顔をする小学生の頃の俺と、笑顔を浮かべる黒髪の女性の姿が映されていた。女の人は、ベッドの上に寝て、薄めのパジャマを着ている。
「この人が、天都賀のお母さんなんだ」
「ああ」
「それじゃあ、この人――――ううん、なんでもない」
時間が来て、携帯の使用を注意された。待受画面に戻して、ポケットに押し込む。
「それじゃ、俺たちも行くか」
「え。う。ど、どーんと来いっ!」
「いてぇ」
突き上げられた右腕が、側頭部を直撃した。明日からヘルメットとか被った方がいいかな、これ。
ずんずんと早歩きで建物に踏み込む小鳥の後に続いて、足を踏み入れる。少し歩くだけで、ギシギシと床が軋む。そういえば京都に行ったときに鶯張りってのがあったな。あれの転用だろうか。
「……わくない……こわくないっ」
「小鳥さん小鳥さん。人間には自己暗示というものがあってね。平時ならまだしも、この状況下じゃ逆効――――――――」
ドタン、と。何かが倒れ込んできた。
「ひ、ひうーっ!」
垂直に飛び上がった小鳥が、がっしりと俺の左腕を掴む。こう、関節が極まりそうな形で。
いろいろと男の子なら嬉しいところに密着してるような気はするけど、それより何より痛い痛い。
「小鳥さん小鳥さん。腕が折れる」
「こ、これはお化けが怖いんじゃなくて、暗いところがダメなだけなんだから。その辺、間違っちゃダメだからね。絶対、絶対に!」
「いや、別にお化けが怖くても構わないから。小鳥に、ゴーストバスターズ的なキャラを求めてるわけじゃないし」
嗜虐心と好意と保護欲の境目って自分ではわかりにくいけど、震えてる小鳥はちょっとかわいいと思うし。
「お、おっきなマシュマロなら怖くないもん」
「いや、アレはアレで実際にあったら怪獣映画みたいで――――――――」
ぶらーん、と、天井から何かが垂れ下がってきた。
「わーっ!」
ごき、とか腕から音がしたような気がするけど、空耳だろう、たぶん。
それにしても、なかなかにハイテンポなお化け屋敷だな。こういうのって、序盤は焦らすものだと思ったんだけど。
とは言え、考える暇を与えないっていうのが平常心を奪う方法の一つなのはたしかだ。やっぱりちゃんと研究されてるんだな。
「あ、天都賀はなんでそんなに平然としてるのよっ!」
「考え事してるから」
「か、考え事って、この状況でよくそんなこと――――――――」
がつっ、と。何かにぶつかった。
「ひゃーっ!」
「にゃーっ!」
あれ? いま、悲鳴が二つ上がった?
「おまえたち、何してるの」
「…………メイオ?」
うずくまって震える天使と人間の側で、悪魔が呆れた顔で腕を組んでいた。
「ずいぶん進むのが遅いんだな?」
「仕方ないでしょ。さっきからこいつ、震えてばかりで前に進めないのよ」
「なるほど」
んー。ホラー番組とか始まるとすぐ逃げるから、相当苦手なんだろうとは思ってたけど、ここまでなのか。
「ユリも小鳥も、立った立った。後ろに追いつかれるぞ」
「うー、天都賀ぁ」
小鳥に手をさしのべたら、腕を掴まれて引きずり倒された。また頭を痛打するところだった。
「まったく。しょうがないわね、おまえは」
「ううー」
メイオも、ユリを助け起こしている。その顔は言葉通り、手の掛かる子供を見るような苦笑。
小鳥が以前俺に、「お兄ちゃんの顔をしてる」と言ったことがあった。それって、今のメイオみたいな顔のことだろうか。
「行くわよ、天都賀」
「りょーかい」
お互い、ユリと小鳥を引きずるようにしてお化け屋敷を出る。正直、堪能してる余裕なんかなかった。従業員の人たちも、ある程度察してくれたのかもしれない。それほど驚かされはしなかった。
「「うー」」
「落ち着くまでそうしてていいぞ」
ぐでー、とテーブルに突っ伏す二人の側に、飲み物を置く。この分だと、しばらく動けないだろう。
「お化け屋敷って、本当に娯楽として成り立つの? こいつらはこんなだし、おまえは平然としてるし」
「面白い人には面白いんだろうな。ま、原理を知るとなんでも楽しめないものだよ」
恐怖のドキドキと興奮のドキドキを勘違いするとか。怖いもの見たさとか。もちろん、そういう要素を知っていたとしても、心が動かないかっていうと別だけど。
「おまえは、こういうのに耐性あるのね」
「んー。生きてる人間より恐ろしいものはないよ」
「ズレてるんだかそうじゃないんだか…………」
渋い顔をしながら、メイオはストローをくわえ、ジュースをすする。
うん。天界とか魔界とか、忘れそうになるな。気を抜いたら、一週間はあっという間に過ぎそうだ。現に、もう半分過ぎてるわけだし。
…………見積もりの半分が過ぎて、天界はどうなってるんだろう。交信してないからまったくわからない。逆に言えば、便りがないのはいい便りってことなんだろうか。
そうだな。天界が落ちてたら、次は人界だろう。何かしらリアクションがあるはずだ。
「はーやれやれ。気が抜けないな、ほんとに」
「…………思い切り気を抜いてるけど、おまえ」
ジト目で見られた。心外だ。こんなにも気を張り詰めているというのに。
「なんとか言ってやってくれ、小鳥さん」
「ううー、なんとかー」
…………だめだこれ。
「こうしてみると、本当に平和ね、人界は」
「そうかもな。端々見るとそうでもないんだろうけど。まか――――メイオの故郷はこんなじゃないのか?」
「鬱々としてる、っていえばいいのかしらね。とにかく、こんなに明るくはないわね」
親子連れ。カップル。友人同士。本当に人間が清廉潔白に生きていれば、心底から妬まれたり憎まれたりすることはないはずで。爆発しろとかいうのも、こう、笑顔で言う冗談の類なんだ、と思う。
爆発させられるのだろうか、今の状況。三股かけてるように見えたり、とか。
「ううー」
「あうー」
「なによ?」
ないか。
ないな、うん。
そもそも、三股かけてみんなでデートなんて行くものか。
「さて、そろそろ次に行こうか。ここで鬱々としてるよりは健全だ」
カラになったジュースを、まとめてゴミ箱に投げ込む。
「うん。でもその前に、ちょっと手を洗いに行ってくるね」
「私も行くわ」
小走りでトイレに向かうユリのあとを、メイオが自然に追っていく。
「なんか、天都賀がどうこうする必要なかったんじゃないの?」
「みたいだな」
小鳥と二人、顔をつきあわせて天使と悪魔の帰りを待つ。
「で、聞きたかったんだけど。メイオちゃんって、天都賀とどういう関係なの?」
「う」
しまった。その辺の設定を考えてなかった。
「母さんの、親戚?」
「なんで疑問系?」
「いや、よく聞いてなくて?」
事実、親戚と言えば親戚、なのだろうか。悪魔って、堕天した元天使だって言うし。
「ふーん? でも、たしかにユリとメイオちゃんって、似てるかもね」
「そうなのか?」
「んー。雰囲気って言うのか、なんて言えばいいのかわからないけど、こう、お姉ちゃんと妹みたいな」
「ああ、それならわかる」
メイオが特段しっかりしてるってわけじゃないんだけど、どこか世話好きそうだというか。だから、姉妹みたいに見えるのかもしれない。俺とユリだって、外見的に共通項があるわけじゃないからな。
夫婦だって、元は他人だ。家族っていうのは、血のつながりが問題になるものじゃ、
「快楽や欲望が渦巻いているね。うん。いい場所だ」
とりとめのない思考が、愉悦を含んだ声で中断させられた。
ゆっくりと、そっちに目を向ける。
誰だ、と聞くまでもない。全身を包む黒衣。紫がかった黒髪に、紫の瞳。それに、人を惑わせるような、中性的な容姿。
「初めまして、天都賀盾。僕はプルート・メフィストフェレス。君の側にいたアレの兄だよ」
指が振られる。同時に、ドン、と音がして、隣のテーブルが宙を舞った。