ある娼婦による遠方蛮族の交流記録
街の喧噪は毎度の如く、明るい活気に包まれている。帝国有数の経済都市、その一つであるラヴェナルでは毎日多くの人々の営みが賑わいをみせていた。
徐々に頻度を増す増税、少しきな臭くなりつつある周辺諸侯と皇族の関係、不安要素はあれど人々は日々の生活を謳歌していた。
そんな仮初の平穏は突如として、予想外な形で切り裂かれる。国境近くの城砦都市が東より来たる蛮族に制圧された、そんな情報が飛び込んできたのだ。内ゲバばかりに警戒していた彼らからすれば、遥か彼方から侵略してき未知の存在の集団など寝耳に水である。
しかし街のトップたちこそ右往左往すれども、一般の市民に至っては未だ危機感の欠けた状態だった。
ここに到達する前にも、いくつかの城砦都市があるのだから焦る必要はない、そもそも軍隊が何とかしてくれるだろう、そんないくつかの慢心からくる油断が既に蔓延していたのだ。
だがそれはすぐに、単なる希望観測に過ぎないのだと思い知らされることになる。都市陥落の報を受けてから僅か5日後、彼らの目には街へ向け突き進む蛮族の大軍が映っていた。
―――――
「そんなわけだからさ、頼むよ。くれぐれも無礼のないようにね。」
「はいはーい。お任せあれー。」
気の抜けた返事を返し、差し入れを抱え夜の闇の中を駆けてゆく。
私の名はリューナ、この街の売春宿で働く娼婦だ。特別キツい生い立ちという訳でもなく、単なる平民の出だ。しいて言うなら幼い頃に父とは死別し、追い出されるように家から独立、そのままこの業界に逃げ込んだ。この世界ではよくある、普通の話なのだけど。
(あーあ、本っ当に最悪!何でよりによって蛮族の親分の相手なんてする羽目になんのかな。そんな命懸けの仕事やれる程責任感無いっつーの。)
軽い態度とは裏腹に内心では悪態をつく。だってそうでしょう、場合によっては私の言動一つでこの首が胴と泣き別れするのだから。
想定以上の進軍速度によって街に対策を打つ時間などなく、包囲された私たちはあっさり降伏した。蛮族あるあるの略奪蹂躙祭りでも開催されるのでは、と皆戦々恐々としていたが、それは杞憂に過ぎなかったのだけど。
彼らの首領、蛮族の王が街のお偉いさんに突き付けた要求は以下の通り。都市内の駐屯兵団の武装解除、都市周辺での彼らの軍勢の野営の許可、軍税(治安維持税、略奪免除税、関税の一部)の課税である。この条件さえ飲めば市民生活には一切の危害を加えない、とのことだ。
正直言って拍子抜けもいいところ。何なら徹底的に犯されたあげく、捕虜として連れまわされるのも覚悟していた。蛮族のくせに紳士的なのか、はたまた何か裏があるのか、判断に苦しむ。
しかし要求にはもう一つ、滞在中の都市内の娼館の占有、つまりは慰安所の設置も含まれていた。日々過酷な行軍を続ける軍人のストレス解消の為には性欲処理も必要なのだ。勿論王様も例外でなく、この街の存続のためにもご機嫌取りが必要になる。売り上げ上位の娼館に籍を置く私に、その大役の白羽の矢が立ったのだ。可愛いは正義、と言うがこんなもの只のありがた迷惑だ。
繁華街や都市の外の簡易キャンプではすでに何名かの同業者の元に行列が出来ており、途中私も何人かに声を掛けられたが、上手いことお断りしておいた。モテる女はなんとツラいことか、と胸の内で一人乾いた笑いを抱きながら進むと、ひと際大きな天幕に行き着く。どうやら目標の元に辿り着いたようだ。
入口に陣取る衛兵らしき男による危険物の持ち込み検査が済み、垂れ幕を潜り抜けた先には想像の斜め上を行く光景が広がっていた。
――――
遂に始まった西方遠征は好調な出だしを切っている。最初の会敵から数えて約7日目、道中多少の抵抗のせいで想定より時間は要したが、早くもこの帝国の重要貿易拠点の一角たる都市ラヴェナルの攻略には成功した。ここを抑えられるかで今後の方針も大きく左右されるだろう。
こちらの地方では俗に蛮族などと呼ばれる我々、アウカーン部族連合は所謂遊牧騎馬民族に分類される人種だ。持ち前の機動力と馬上弓によるヒットアンドアウェイ戦法を活かし、今のところは向かうところ敵なし、といったところであろう。
あちこちの草原に点在してた各氏族を纏め上げ早数年、西方への侵略は俺も周りも初めての経験、油断は禁物だ。
この遠征に動員した兵数は合計して約20万、さらにそれを4つに分割し互いに情報交換をしつつ各自で敵の諸都市の切り崩しを行わせている。具体的に言えば、3つに分けた本命部隊を横並びにして帝国の横っ腹に殴り込み、後詰めの第4部隊がそれを追走する体制で進軍していることになる訳だ。
騎馬民族の能力でなら一日当たりの行軍速度は約100km、それに加え俺たちは各隊で独立行動をとりつつ、絶えず早馬を出し綿密な連携を取っていた。帝国首脳部からしたら各個撃破も出来ない強敵が、同時に幾つも現れた状態、頭を抱えたいことだろう。
略奪の免除をチラつかせ結ばせた条約により、一先ず腰を落ち着けられる場所は得た。部下たちにもとりあえずの労いの時間を与え、俺自身は次なる一手への布石を用意する。今夜は長丁場になりそうだ。
「し、失礼します…」
高く積まれた資料の束に溜息を吐いていると、上ずった、か細い声がふと耳に入った。
―――――
どうしよう。第一声でしくじった。あまりの光景に声が出せなかった。どうせ蛮族のことだ、酒宴でもやって乱痴気騒ぎなのだと想像してたのに。いやだって、まさか書類作業をしてるとは思いもよらないですよ。
外からも騒々しい喧噪が聞き取れたのは、何かしらの通達や指示が飛び交っていたからだ。とても声を掛けれる雰囲気じゃない。一人天幕の隅で縮こまっていると、弱気な思考に突如割って入る声が響く。
「おい、そこの嬢ちゃん!字の読み書き出来るか?!」
「ふぇ、私ですか?! で、出来ますけど…」
中央でペンを動かし続けている若い男がこちらに目を向けている。またもや引っ込みかけた己の言葉、今夜の私はコミュニケーションも不調のようだ。
勢いに飲まれ二つ返事で返せば、目の前には山積みの書類が置かれる。私に当てがわれたのはここに記されたデータの整理らしい。流されるがまま、卓上で彼と数人の者たちと共に計算を進めていく。何でこんなことに、と内心悶々としていたが。
データの内容や彼らの話ぶりからしておそらく、これはここ数年のこの街、ラヴェナルの各産業の収入や納税額などのお金の動きだ。何でそんなものをこんな連中が、と疑問が頭の中をグルグル巡るが、口より手を動かせと言われそうだったのもあり、結局聞けずじまいに終わった。
強いて分かったことと言えば、部下へ命を下す姿から私を呼び止めたあの男こそ、この蛮族の王たる者だということくらいだろうか。私とさして変わらぬであろう年齢のその男に僅かばかりの尊敬、劣等感を抱きつつも黙々とペンを走らせる。
天幕の内には字を書き連ねる音だけが木霊していた。
「よし、お疲れさん。お前らも今日はあがっていいぞ。」
彼の労いの言葉を合図に30人ほどいた部下の者たちは皆それぞれの野営地に引き上げていく。徹夜も覚悟したが、なんとか作業は数刻の後に完了した。
内には私とお目当ての蛮族の王だけが取り残された。おもむろに振り向く彼の威風堂々たる姿に、思わずこちらの体が委縮する。
「えーっと、そうだな、名前まだ聞いてなかったな。」
「リューナと申します。以後お見知りおきを。」
「ああ、リューナ、お前さんにも感謝しなくちゃな。うちの陣営は識字率が低いもんだからよ、本当に助かった。」
「いえいえ、私如きの力添えなど些細なものですよ。」
「そう謙遜すんな。アウカーンは俺が周辺部族を統一してやっと国として成り立ったようなもんだ。国家としては赤子同然、如何せん人材不足には苦労してんのさ。」
その近寄りがたい印象とは対照的な砕けた話ぶりに、こちらの緊張の糸もほどけていった。彼の気遣いに少しありがたみを感じる。
「統一、ということはやはり貴方がヤガダイ様ですね。」
「ん、ああ、俺も自己紹介がまだだったな。そうだ、そうだとも。如何にも、我こそはヘガンテクが嫡子、アウカーンの王、大族長ヤガダイである!…なんてね。」
<(`^´)>エッヘン! とでも言いたげな仰々しい態度に思わず苦笑してしまった。今思えばこの時は彼の寛容さに救われたていたのだと思う。ご機嫌取りとしては落第だ。
灯りに照らされる彼の顔も何だか気恥ずかしそうだ。とうとう2人そろって笑いをこぼしてしまった。
数字の羅列との睨み合いが殆どだったとはいえ、数刻共にしたこともあり私たちはすっかり打ち解けられた。
私も本調子の話ぶりを取り戻しており、夜の天幕には会話の花が咲く。
幾ばくかの時が過ぎた頃には話題は彼の西方遠征の動機に移っていた。
「はぇー、ヤガダイ様には左様な大望がございましたのですね。」
「他にも実益的な面もあるが、大陸を横断し端と端を繋げる規模の領土を拡大したいってのが精神的にはデカいな。男として生を受けたからには、己が名を残したくなるのが性ってやつだ。ま、笑われて当然な話だがな。」
「いいえ、目標もなく惰性的に生きる私からしたら、それは十分素晴らしいものだと感じますよ。」
遥かなる野望、空前の大帝国の建設の夢を語る彼の顔はまるで、まだ見ぬ大物を狙う獣のような鋭さを孕んでいた。荒唐無稽な、そんな大それた夢だ。しかし不思議と嘲りの念は生まれなかった。どこか人を引き付ける求心力があり、だからこそ彼はこの若さで部族連合の王にまで上り詰めたのだろう。
少なくとも私たち一般市民は、民心の離れつつあるこの国より、彼ら遠方蛮族の応援をしたい。
酔いも回り、2人だけだが宴もたけなわと言った状態。夜の帳も落ち、頃合を見て私は己が職務を全うせんと言葉を紡ぐ。
「さて、此度も長い長い夜の訪れと存じます。今晩は私めの体でその身に溜まった疲れをお癒しくださいませ。」
胸元をはだけさせ、お決まりの文句で誘う。慣れた行程だ。
お世辞にも褒められた食い扶持の稼ぎ方ではないだろう。偏見の目に晒されることも日常茶飯事だ。だが、私もこの仕事には一定の誇りと自信を抱いている。ならばこそ、この新たな街の支配者への歓待への抜擢も、それまでの努力の証明なのだと明るく解釈できる。相手の小難しいピロートークへの受け答え、同時にこなす過干渉の自粛、つまりは教養と身の振り方はそれなりに修めていると自負している。
蒸し暑い夜に火照った私の身体は、彼をなし崩しに行為へ至らせるのには十分だった。
翌朝の寝台の上には、腰も立たずぐったりと這い蹲る私と、すでに身支度を終えた蛮族の王がいた。
「昨晩はお楽しみだったようで。」
朝の定時連絡のため現れた彼の副官が、皮肉と冗談交じりに挨拶する。
「なーに、女も野戦も攻略法は一緒だ。ガツンとデカいのを食らわせれば、あれよあれよと音を上げて陥落していくもんさ。」
「うぅ、人気嬢としての私の沽券がぁ…」
「昨日は飛ばし過ぎたかもしれんな。そのー、すまねぇ。」
不貞腐れる私に彼は頭を下げる。すでに理解していたが彼の本質は、(行為の荒々しさを除けば)人当たりの良い男だ。そんな気にしなくてもいいのに、とは思ったがこのまま黙っているのも面白そうなので、あえて口はつぐんだ。埋め合わせ、という訳ではないがずっと気になっていた疑問には答えてもらえたのだ、収穫としては豊作と言えるはずだろう。
機密漏洩な気がしなくもないが、それだけ信頼してくれているのだろう。あるいはたかが小娘程度、と侮られているのか。出来れば前者であることを願いたい。
まぁ、ふたを開けてみればつまり、都市の支出データを参考に軍税の額を決めているのだと。それは締め付け過ぎず、されど緩過ぎず。生活に影響があれど、略奪よりはマシ、という生殺しの状態が必要なのだとか。予定では、今日中に街の行政庁からそれを賄うための増税の公布がなされるとのことだ。
「行く先々の都市でそんな面倒なことを?何の理由があるんですか?」
「それは今後のお楽しみだな。準備が整うまでこの都市の外に居座るつもりだ。その間はギリギリまで搾り取らせてもらうぞ。」
前言撤回、紳士ではなく、やはり策士だ。その瞳は遥か遠く、先の瞬間を見据えている。
それは今後の戦場の光景か、はたまた大いなる野望へ続く覇道か。
その行き着く姿に感じた孤独には一口には言い表せない魅力があった
肉体関係でしか他者と繋がりを作れない私は、激しく求められると弱いのだ。彼の目指す景色の先を私も見届けたい、不躾ながらもそう感じてしまった。
彼の厚意に甘えてか、はたまた好奇心に誘われてなのか、私は結局何日も野営地を訪れた。無意識に彼との逢瀬を楽しみにしている自分が心の片隅にいたことには目を瞑ろう。
幾たびも肌を重ね、言葉を連ねた。
いつの間にか、最初の頃のより砕けた敬語で会話する程度には親密になっていた。互いの経験、価値観、境遇、愚痴、その他他愛ない話を続けた。まるで相手の傷を舐め合う様に。
これだけ腹を割って話せたのはリューナが初めてだ、と彼は言う。連合を率いる者としての責務は彼の内面の弱みの吐露を妨げていた。
理解するのは私にとっては容易なことだった。赤の他人ならいざ知らず、自分に期待を突き付ける人たちには己の内側は曝け出しにくい。
しかし、少なくとも私たちは違う。互いに寄せるのは期待では無く信頼だから。
彼の言葉の端々に感じた後ろ暗さ、そこにはどこか同情とも憐憫とも言える感想を抱いた。周りに味方はいても本音は明かせない、私たちは似た者同士なのだろう。
――――
ラヴェナルに滞在し一週間、ついに帝国が動き出した。
北西の都市を目指し攻め上がる北方部隊からの早馬が、敵側の大規模な進軍を伝えてきたのは、昨日の夜遅くのことだった。目標は当然俺たちの居座る経済都市ラヴェナルだ。待ちわびた知らせを前に、己の鼓動の速まる感覚を感じた。
急務を要する事態に軍全体の空気も少しささくれ立つ。必要な人員を各自のキャンプから召集し、臨戦態勢を整える。ここから先は情報と俺の勘、そして同胞たちの持てる力が鍵となるだろう。
リューナをほっぽって来てしまったことに気付いたのは、それから数刻経ってからだ。悪いことをしてしまったと、今更ながら反省する。
最初の報告から数日、その間も俺たち首脳部はひたすら帝国の動向に目を、耳を、全神経を集中させていた。
兵士全員が騎乗し移動する遊牧民族と、徒歩の歩兵を編成した一般的な軍隊では、進軍速度は雲泥の差である。故にこそ互いの会敵するタイミングは指揮する者の手腕にかかっていると言えよう。速度の違いによるタイムラグ、戦場の設定と誘導、援軍との合流の準備など、複雑に絡み合う事象を手繰り寄せ、最適解を導き出すべく戦略を練り込んでゆく。
日数を重ねるごとに精度を増す斥候の報告、そこから割り出される敵兵力の数は約18万、正直想定より多い。報告によると多数の異なる軍旗がはためいていたことから、構成員には他国からの派兵も含まれているのだろう。前面に押し出している3つの本命部隊と後方部隊の兵力はそれぞれ5万ずつ。今の帝国軍なら物量に物を言わせて各個撃破ぐらいはできなくもない。
幸いにも、敵の目標は有数の経済拠点たるこの街一筋というのが救いだろう。総指揮官の俺目掛けてわざわざ北方部隊と南方部隊の間を突っ切ろうとしてくれているのだ。こちらとしても挟み撃ちをし易い態勢、これを活かさない手はない。
「でもここまで大規模に別行動をとる軍隊なんて上手く合流できるんですか?いくらなんでもそこまでの連携は難しい気が...」
最近では軍議にも顔を出すようになったリューナが至極全うな懸念をぶつけてくる。互いに忙しいながらもこうして会う機会を設けれるのは、部下たちの気遣いあってのことだ。
「そう、そここそが盲点ってやつだ。帝国は4つに分かれた俺らの部隊が、それぞれ独立して動き、結果として互いの状況すら把握出来てねぇと錯覚してる。普通の軍隊ならそれが常識だろうな。だが生憎騎馬民族に常識は通用しない。早馬による伝令が行き渡り、連携がとれる距離は最大で1000km。つまりどれだけ別行動してようと、その実、全て互いに示し合わせて戦っているってことだ。」
各隊の合流による強襲のプランは抜かりない。国民総員騎馬兵の軍隊だからこその規格外の連絡線、その利点は余す所無く使わせてもらおう。
「そうなると残る問題は兵数差ですね。別動隊の方々も制圧した都市の対応に追われてることですし、期待できる援軍はよくて半分弱くらいかな。だとすると、北と南と後方、そしてヤガダイ様率いる中央で合計して2+2+2+2で8万ですね。う~ん、心許ないなぁ。」
たしかにこのままでは確実な勝利にはまだ程遠い。だからこそ以前から張り巡らしていた布石を活用するのだ。これは一種の賭けでもある。作戦の成功はそこに委ねる他無い。
―――――
最近は蛮族、じゃなかった、アウカーン部族連合の面々の空気もヒリついてる。お邪魔になるのも悪いし身を引こうとも考えていたのだが、ヤガダイ様の部下の方から、ぜひ大族長に会ってやって欲しい、とせがまれ結局ズルズルと居着いてしまっている。
帝国側の国民目線の意見が欲しい、と軍議にもお呼ばれしたが生憎私は質問するくらいしか能がない女だ。あまり力にはなれず、歯痒い思いをしている。
兵力差を補う方策を聞けば彼は一枚の紙を差し出してきた。木版で量産したらしきそれには帝国の行政への痛烈な批判、アウカーン部族連合による一般市民への呼びかけ、そしておまけに傭兵稼業の求人が書き込まれている。
「こんな物をいつの間に?」
「手の空いてる奴らに交代で刷らせてた。これを密偵に持たせてよ、各地の都市でバラまかせてたのさ。」
「でも、さすがにこんな子供騙しみたいな手、通用しない気が...」
「もちろんこれだけじゃないさ。うーん、ヒントを出すなら、そうだな、軍税、あれが絡んで来るのさ。」
曰くわざわざ軍税調達の為に課税せざる負えない程度の金額にしたのが要点なのだと言う。
略奪のように彼らが直接金品を巻き上げるのではなく、街の行政を介して間接的に市民から搾取することにより、蓄積されるヘイトを帝国という政治機関に擦り付けているのだ。人々は直接の納税先である街のトップ、ひいてはこの国家そのものへの悪感情を募らせる。逆に侵略戦争の常識、都市略奪を行わないアウカーン部族連合は徐々に民心を集めている。ある意味最悪のマッチポンプ作戦だ。しっかり理に適っているのが余計に怖い。
要は帝国各地の民心をこちら側に引きつけ、各地の失業者を傭兵として吸収せんとしているのだ。
「だから課税額のコントロールなんてやってたんですね。」
「いやー大変だったよ、あれ。リューナにはその節では本ッ当に世話になった。」
相変わらず王様なのに低姿勢な態度には面食らう。後で聞いたが、礼節こそが他者とのコミュニケーションの基礎と言うスタンスなのだとか。
結局最後はどれだけ帝国民が付いてきてくれるか運試しだ、と彼は自虐的に笑う。
「そんなことはないですよ。少なくとも、私はあなたを信じてます。」
ありきたりな激励しか喉は通らなかったが、彼は満足してくれていた。
――――
ついに都市近郊まで帝国軍が到達し、決戦の時が迫る。
興奮冷めやらぬといった状態の伝令役が言伝を携え、駆け寄ってくる。
「報告します!帝国各地から我らの元へ終結する傭兵、その数軽く見積もっても5万人に達しております!
「どうやら賭けには勝てたようだな。」
軍税の生殺しが効いたか、武装解除で治安維持の職さえ失った失業者が溢れかえったか、とにかく傭兵戦力の増加は期待値以上の兵数に至りそうだ。18万対13万、攻略の方法は幾らでもある。
この戦いが済む頃にはこの街、ラヴェナルともおさらばだ。そう思うと心に靄がかかるような気分を感じる。この期に及んで未だリューナへの未練を引きずっているようだ。彼女は娼婦、俺は蛮族。互いに異なる世界に生きてる。それが交錯することはないのだ。
「従軍慰安婦として連れ歩くことも可能でしょうに、誠にこれで宜しいので?」
副官の声色はどこかこちらを憐れむような感情が混じっていた。俺はただ、神妙な面持ちでそれに答えるのみだ。
「最後に決めるのは彼女自身だ。今度はそれに賭けたんだ。なら、その結末を信じるしかないだろ?」
「賭け事は貴方には似つかわしくございませんよ。」
何と言われようと〝決心″はとっくについている。掲げられた長槍の穂先の煌めきに目を細め、軍馬の群れを見やる。後は号令を発し、進軍するのみだ。
――――
長いようで短かったアウカーン部族連合との付き合いもこれでおしまいだ。
街の外には、傭兵として戦地へ行く家族を見送る人、蛮族へ侮蔑とも恐怖ともとれる眼差しを向ける人、様々な顔ぶれがそろっていた。
私は客に本気で恋心を抱く娼婦など昔は見下していた。叶うはずもないのに、馬鹿だなぁ、と。だが今はその思いが、痛いほど分かってしまう。
何度も行き過がりの男たちとの行為を繰り返したりもした。身体を求められるのも嫌ではなかった。それこそが自分の存在証明に他ならないと感じたから。でも、彼のとは少し違った。身体だけじゃない、心も、精神も、言葉も、私の全てを彼が初めて求めてくれた。
でも、諦めなければならない。進軍を告げる喇叭の音は、私の嗚咽を漏らす心を容赦なく現実へ引き戻す。
彼の眼は遠くを見ている。遥か彼方を睨みつける激動の野望には私如きが寄り添う資格などないのだ。
「それでいいの?」
耳元を突く声に弾かれ、私は俯いた顔を上げる。見上げた先には娼館の女将が涙を堪えた様な面持ちで立っていた。
「これはあなたの人生よ。後悔しない選択肢が用意されているなら何も遠慮はいらないわ、その道を突き進みなさい。」
優しく語り掛けるように彼女は耳元へ囁く。それは、まるでかつての自分の果たせなかった生き方を選ぶ我が子への親の激励に似ていた。
瞬間私の体は前へ強く押し出されていた。
そうだ、本当はもうとっくに〝決心″はついていたんだ。
背中を押されるがままに私は走り出していた。身に纏う薄いボロ布が風にはためいているのが視界の隅にチラついている。
認めたくない、ここで終わりだなんて。資格なんて関係ない。彼と行きたい、これはそう願った私の選択だ。
すでに駆け出し始めた騎馬の大軍、それの巻き上げる土埃の中に懐かしい佇まいの影を見つける。
配下の進軍を背に、彼は一人私を待ち続けていた。
「ラヴェナルが娼婦、リューナ。汝に問う。我の目指す覇道、共に進む覚悟はあるか。」
「勿論、光栄の限りです。アウカーンが王、ヤガダイ様。」
改まった態度で交わされる会話。そうだ、ここから先は私たち2人で責任を抱える選択なのだ。いわばこれは契約ともいえるものだ。
馬上の彼に抱き上げられる。合図と共に馬は走り出し、私たちは後続の騎兵の一団の波に飲まれていった。
「ふふ、何ですか、さっきの口上?」
「大帝国の支配者を目指すなら威厳のある喋りも必要だろ。」
「ええ、確かにビシッと決まっていましたよ。」
かつてのような他愛ないやり取りをしながら、彼の温もりを今確かめる。
ほのかに香る土と草原の匂い、頬を撫でる一陣の風と涙、蛮族の王の鼓動、それら全てが生の実感を与えてくれる。馬上に揺られながら私の胸も高鳴っていた。
ここまでこの様な駄文にお付き合いいただき誠にありがとうございました。
感想、ご指摘お待ちしております。
ちなみに作中で述べていた行軍速度や連絡線の長さは実際のモンゴル帝国のデータを参考にしております。