ホクロ
真大 44歳 仕事は、ごく普通のサラリーマン
真大には同い年の妻、美紀と16歳になる娘、愛の三人家族で平凡な日々を送っている
真大は、ごく普通のサラリーマンと言ったが
会社では仕事が出来ない平社員として残業の日々を過ごす
もちろんサービス残業
年下の部下にも次々と成績を追い抜かされ
いつしか職場で真大を頼るものは誰一人として居ない
いわゆる窓際属
そんな真大の唯一の楽しみが家族との時間だ
夜、仕事から帰宅後、家族で食卓を囲みバラエティー番組を見ながらご飯を食べる
肩身の狭い職場では見せることのない真大の笑顔が、この食卓では当たり前のように溢れる
ご飯も、たいして高級なものではない
白ご飯に味噌汁、冷奴、それに、おかずが一品
一汁三菜というやつだ
おかずと言っても野菜炒めや唐揚げなど
牛肉なんて、いつから食べてないだろう
外食は月に一回、決まって近所のファミレスだ
美紀もパートはしているが愛の学費などにほとんど当てられる
真大の安月給に見合う食卓だ
それでも真大は幸せだった
この食卓を囲む幸せな、ひと時のために職場で
上司から何を言われたりしようと耐えることができた
それは美紀も同じだった
パートは工場の流れ作業
仕事中に他のパートと喋る機会のない作業場のため仲良しのパート仲間なども出来ない
出勤した時に、おはようございます。
退勤する時に、お疲れ様でした。と挨拶を交わす程度の間柄である
そんな美紀の一番の楽しみがパートが終わって寄るスーパーでの買い物
真大と愛に今日は晩御飯、何を作ろうかと考えながらスーパーの中をブラブラする
この時間が一番幸せな時間なのである
平凡な父、真大 平凡な母、美紀
そんな二人が最も胸をはれるのが子供の愛の存在である
愛は普通の高校に通う生徒ではあるが成績は学校だけではなく県内でもトップクラス
平凡な両親から生まれたとはとても思えないほどの秀才である
真大の収入が、もっと良ければ私立の進学校にも普通に入れるほどの秀才だ
しかし、そんな愛も両親と同じように学校では
親友と呼べるような友達は居なく話相手などは居ない
特に苛められているわけではない
理由は、いたって簡単なことだ
普通高校の中に一人だけ県内トップクラスの秀才
同じ学校の生徒たちとは全く話が合わないのだ
クラスの同級生が昨日見たドラマやバラエティー番組の話で盛り上がっている中
それを窓際の席から客観的に見ているだけ
決して、その枠に入って話すことなどはない
わざわざ話に入ってなくても愛が同級生たちの流行りに置いて行かれることはない
家に帰れば晩御飯の時
真大が好むバラエティー番組がついてるからだ
真大や美紀がお笑い番組を笑いながら見てる
そんな二人の様子を見てるひと時が愛にとっては心休まる瞬間である
愛はクスリとはするものの大笑いをすることはない
親である真大と美紀でさえ愛が大笑いをしているところを見たことがない
家族三人、それぞれが孤独と充実の中に生活を送っていた
今日も真大はサービス残業だ
仕事の出来ない真大へ上司からのパワハラは日々増している
次第に毎日、残業で帰宅が深夜になることばかり
美紀と愛は、すでに眠りについている
明るかった食卓には晩御飯の作り置き
この時間には好きなバラエティー番組は、もうしていない
深夜の通販番組を見ながら一人作り置きのご飯を食べるのであった
同じ、ご飯を食べているのに家族が居ると居ないで
こんなにも味の違いを感じるのかと思った
会社でも一人、家に帰っても一人の日々がしばらく続いた
ある日曜日の夜
真大は車を走らせていた
毎日、孤独感の中で生きている真大ではあったが家族のことを思う
ただそれだけでも幸せな気持ちになることができた
しかし心は前向きであったが真大の体は限界を通り越していた
毎日、深夜までの残業、パワハラにより寝る時間を取れない日もあった
その時、ほんの一瞬、眠気に勝てず目を閉じてしまった
運転中ということを忘れ
何時間、何日、何ヵ月がたっただろう
真大は目が覚めた
病院のベッドの上
しかし、この病院は
10年以上前に潰れて以来
立ち入り禁止のまま建物だけが残っている病院なのである
したがって院内は真っ暗、太陽の日差しだけが院内を照らしていた
もちろん先生や患者など人の姿は見当たらない
なぜ事故の後、自分がここに運ばれ、ここで目が覚めたのか真大には検討がつかない
そして何よりも一番、気になることがある
傷跡がない
事故の時と同じ服装をしているが服も汚れておらず
ケガの跡どころか、かすり傷すら見えない
夢なのかと疑った
ありきたりではあるが頬っぺたをつねってみた
間違いない
間違いなく現実の世界で生きている
なにが、どうなっているのかも、わからず病院を出た
そこには事故の前と同じ、ありふれた日常が繰り広げられていた
営業回りに汗を流すサラリーマン
ティッシュ配りのアルバイト
人気の店のランチタイムの行列に並ぶ主婦たち
恋愛に青春をささげる学生
おもちゃを買ってもらえず泣き叫ぶ子ども
事故自体が夢だったんだ
真大は、そう確信した
とにかく一度、家に帰ろう
美紀と愛に早く会いたい
もう、これ以上に深く考えるのは辞めよう
そう思った瞬間、強い空腹感に襲われた
当然ではあるがベッドで寝ている間、何も食べれてない
とりあえず目に入ったスーパーに入ることにした
ちょうど昼食も終わったころの時間帯のためか
スーパーには客が、ほとんど居ない
オニギリやお茶など惣菜をカゴに入れてレジへ向かう
レジの台にカゴを置く
カバンの中から財布を取りだしお金を払う用意をしたところで真大は気付く
レジの店員が仕事をしようとしない
真大がカゴを置いてることに気が付いてないのか気持ちが上の空なのか
真っ直ぐに一点を見つめている
全く気が付く気配のない店員に、わざわざ声をかけるのもと思い横のレジへと移り変わった
同様にカゴを台に置き財布からお金を取りだそうとした時
今度は気配だけで真大はすぐにわかった
さっきと同じ感覚だ
視線を財布から店員に向けると、やはり先程と同様に店員が仕事をしようとしていない
このスーパーは、なんなんだと苛立ちを覚えた次の瞬間
他の客が最初に並んだレジに商品を持ち込む
いらっしゃいませ。
普通に愛想良く接客を始めた
真大は自分の存在感のなさに思わず笑みをこぼした
そして今、並んでいるレジの店員にも気づいてもらうために声をかけることにした
すいません。
すいません。
すいま、、、 いらっしゃいませ。
やっと気づいてもらえた
そう思い改めて財布から、お金を出したときに気付く
トレーの上にすでに真大のではないお金が置いてある
少し戸惑ったが顔をあげると、その、お金は次に来た客が出したものだった
鈍感な真大にでも、ようやく全てがわかった
誰一人、真大のことが見えてない
真大だけではなく真大が手にしたカゴやカゴの中の商品すら店員には見えてないようだ
普段、他人と会話などすることのない真大だから今まで気が付かなかったが
病院で目が覚めてからスーパーに来るまでの間、誰一人として目が合っていない
ティッシュ配りのアルバイトからさえティッシュを渡されることはなかった
今、真大の身に置きている現実に再び恐怖とは、また違う動揺に近い怖さを感じ
レジに置いたカゴをそのままに店を飛び出した
さっきまでの空腹感は一瞬で消えた
外に飛び出し歩き回るも誰一人として視線が合うことがない
立ち止まって一人の通行人を凝視したり
目の前を歩いたりしてみるも誰もが真大の存在を感じていない
挙動不審に辺りを見回す真大の動き
普通に居れば怪しさと怖さから回りから注目を浴びるような動き
だが今の真大は誰からも見向きもされない
その時だった
後ろを振り向いた瞬間に自転車で猛スピードに走る学生が目に
危ない、ぶつかってしまう
もう避けきることの出来ない距離まで迫ってくる学生
自転車だし大丈夫かと覚悟を決めた瞬間
真大の体を自転車に乗った学生が通り抜けた
真大は確信した
自分は幽霊になったんだと
全てに説明がついた
誰からも気がつかれない
事故で急死したから成仏できずに幽霊になってしまったんだと
夢なんかじゃなかった
幽霊なんて映画やドラマで見る世界だけの話だと思っていた
しかし思いの外、真大は冷静だった
あれほどの事故を起こしたにも、かかわらず無傷な自分
決して夢なんかでもない
成仏できずに幽霊となった
そう説明することに一番、納得がいった
自分に起こった全ての現実を受け入れた真大
喜怒哀楽
生き返った喜び
誰からも気づいてもらえない怒り
自分の意思を伝えることのできない哀しみ
そして
それでも前を向いて歩いてみようという楽しみ
そう
真大の心は、まだ死んではいなかった
自分に起きている出来事、全てを理解した上で今、一番叶えたい希望
美紀と愛に会いたい
二人に気づいてもらうことが出来なくてもいい
それでも二人に会いたかった
真大は家に行ってみることにした
二人は元気で、やっているのだろうか
もしかして自分が死んだことにすら気づいてないのだろうか
そもそも自分の存在自体、二人の中では最初から、なかったことに
なっているのではないだろうか
どんな結果になろうと受け入れる覚悟で走った
そしてたどり着いた
中には人の気配を感じることができた
換気扇の排気口から、いつもの、味噌汁の香りがしてきたからだ
気持ちを落ち着かせようと大きく深呼吸
玄関の鍵をあけ中に入る
台所から美紀の鼻歌が聞こえてきた
再び深呼吸をした
そして、ついに台所に入った
そこには美紀の後ろ姿があった
味噌汁を混ぜているようだ
良かった
美紀は元気にしている
自分なんて居なくても変わらない美紀の姿がそこにはあった
思わず満面の笑みがこぼれた
もしかして、これで、ちゃんと成仏できるのかなと思った次の瞬間
振り返った美紀が
あら、あなた、お帰りなさい
いつから、そこに居たの
帰って来てたなら言ってよね。
もうすぐ夕飯の用意できますからね。
なにも言葉が出なかった
そして今度は後ろから
お父さんお帰り。と愛の声
あ、あ~。としか返事をすることができなかった
二人には自分が見えているようだ
全く理解が出来なかった
だが真大は二人に対して自分が見えているのかなんて
バカな質問をすることが出来なかった
食卓には、いつも食べてきた晩御飯が並べられた
真大の戸惑った様子に美紀から体調でも悪いのかと心配もされた
真大は戸惑いながらも出来る限り平静を装った
三人が食卓を囲むなんて何日ぶりなんだろう。
それなのに二人には久しぶりの感覚などではないのだろうか
これが毎日の光景かのように二人の日常会話が繰り広げられている
今、目の前の現実を一旦全て受け入れよう
そう考えると久しぶりに食べる美紀のご飯は本当に美味しかった
飛び交う会話
家族団らんの時間
今この家の中だけは外の世界と何一つ変わらない時間が流れている
そう感じた
ご飯も食べ終わりバラエティー番組も見終わり寝る用意を始めた
全く眠ることができない
美紀と愛は眠りについたようだ
明日、朝起きたら自分がどうなっているのか
そう考えると眠りにつくことができなかった
朝起きたとして自分は何をすればいいのか
今までであれば美紀に出社を見送られるが
見送られたところで外の世界では気付かれない
会社には自分の席は残っているのだろうか
自分が居なくなったことには気付いているのだろうか
一人の時間になると再び不安な気持ちに襲われた
それでも横で寝る美紀の寝顔を見ると少しホッとした
美紀とは25の時にお見合いで知り合った
お互いに恋愛経験はなかったので最初は沈黙が続いたが
二人とも右目の下にホクロがあるという共通点をきっかけに話が盛り上がり
その後、恋愛期間を経て結婚
そして、しばらくして愛が産まれた
遺伝なのだろう
愛の右目の下にもホクロがある
今まで旅行など贅沢なことをしたことはない
ごくごく平凡な暮らしの中にある幸せで満足だった
そんな二人のことを思いながら
いつの間にか自然と眠りについたようだ
朝、目が覚めた
目覚まし時計をかけてるわけではないが長年の間、起床時間が同じだったため
その時間になると自然に目が覚める
今日も同じ時間である
美紀と愛も、ほぼ同じ時間に起きてくるが今日は二人とも先に起きていた
朝はパンや目玉焼きなど簡単なもので済ませることが多い
朝は三人とも会社、パート、学校と準備に慌ただしく食卓に集まることはない
最初に愛が学校へと登校する
そして次に自分が美紀に見送られ仕事へ出社するのだが今日はどうしたらいいだろうか
外の世界に出る決心がつかない
美紀にだけは真実を話しておこうと思った
美紀に話かけようとすると
今日は少し早く出勤しないといけないからもう出るね。
行ってきます。
あなたも仕事、今日も頑張ってね。
あ、あ~。行ってらっしゃい。
言えなかった
この後どうしようか
そう思って一時間が経過し
とうに出社時刻は過ぎている
だが会社から連絡があるわけではない
やはり外の世界では自分は存在してないんだ
家から出ることに抵抗はあったが、もしかしたら外の世界にも、この家と同様に
普通の日常の時間が繰り広げられているかもしれないという期待感もあった
ここに居ても前には進まない
会社に行ってみることにした
一応、仕事着に着替えてから外に出た
外の世界は今日も当たり前の日常が流れている
誰も自分が見えていないことを除けば
自分が誰からも見えてないことに自分が気付いてなければ何一つ、不自然など
感じないだろう
しかし気付いた上で歩いていると、やはりおかしいと不自然さを感じてしまう
これだけの人間が行き交う世界で自分の存在だけがなかったことにされている
会社に行くまでの間、昨日、目が覚めた病院の前を通った
いつになったら取り壊されるのだろうか
そんなことを考えながらいつも前を通ってた
病院の前を通り越すとき一人の男性とすれ違った
気のせいだとは思うが目が合った気がした
異変に気付きすぐに振り返り声をかけた
すいません。 あのすいません。
男性は全く反応せずに歩いていった
やはり気のせいだった
そして会社についた
いつも怒られていた上司も自分のことが見えてないようだ
やはり最初から自分の存在自体が皆の中にはないんだ
そう感じた次の瞬間、目に飛び込んできた
自分がいつも座っていたテーブル
綺麗に整頓はされているが自分が使っていたペンやノート、やりかけの書類など
あきらかに他の人の者ではない
真大の私物が残されていた
自分は、この会社に存在してたんだ
そう確信することができたがもっと詳しく確かめる方法がない
自分が居た時に比べて変わったことを探そう
そう思い会社の中を動き回るが何も変わったことはない
少し寂しい気持ちになった
そんな中で仕事とは関係がないが変わったことを見つけた
いつも自分を叱っていた上司が禁酒を始めて1ヶ月がたったらしい
何も自分とは関係のないことだがふと思い出した
真大が事故に合う二日前の仕事終わり
上司が他の社員に対して飲みの誘いの話をしていた
その日は必ず飲んだに違いない
ということは事故から約一ヶ月は眠りについていたということなのか
事故前後の記憶が曖昧で自分が何月何日に事故に合ったのかを思い出すことができない
ただ日曜日の仕事終わりの帰り道ということだけである
日曜日にまで仕事、その日は残業でも片付かずサービス出社だったのだろう
結局なにも手がかりを見つけることができず会社を後にした
しばらく会社に来ることはないだろう
少し公園で時間を潰してから、いつもの帰り時間に合わせて家についた
お帰りなさい。
仕事お疲れ様。
あ、あ~ ただいま。
戻ってきた
この家の中だけでは自分は生きている
真大は自分に今、起こっている状況を家族に話さないことにした
心配をかけて悲しまれるより
美紀と愛、二人の笑顔が絶えない時間を大切にしたかった
ほどなくして愛も帰宅
一番楽しみな晩御飯の時間だ
三人、食卓を囲み話に花が咲いた
今日は自分からも積極的に話題を持ちかけた
テレビの話
愛の好きな芸能人の話
美紀のパートの話
色んな話をしたが自分の話をすることは、できなかった
いつもなら仕事の愚痴をこぼしてしまうこともあったが今日一日仕事をしてない
自分は自分の話題を切り出すことが出来なかった
会話を続かせるために嘘をつくくらいなら何も話さない時間のほうがマシだと思った
いつまで、この日々が続くのだろうか
明日終わるかもしれなければこのまま老後まで存在をするのだろうか
全く検討がつかなかった
今日も、また目が覚めた
今日は何をしよう
思えば、この十年以上、家と会社の往復だけの人生だった
今日は今まで出来なかったことをしてみよう
お金を払わずに乗ることに少しだけ躊躇はしたが電車に乗った
20分程、乗って繁華街のある隣街に来た
電車で、たったの20分の距離だが
最後に来たのはいつだったか思い出せないくらい昔のことだ
記憶の中にある隣街とは街並みもずいぶん変わっていた
当たり前のことだ
繁華街をブラブラと歩いてみた
平日の昼間に、こんな自由な時間を過ごしたのは初めてだ
興味本位からパチンコ屋に入ってみた
想像はしていたが想像以上の騒音に耐えることができずに10分もたたないうちに出た
自分には一生、縁のない場所と知ることができた
小腹が空いたが店に入ることはできなかった
注文をしたところで店員が気が付くことはない
結局この日は何をするわけでもなくブラブラして帰ってきた
距離を歩いたせいか少し体が疲れた
お帰りなさい。
仕事お疲れ様。
あ~ただいま。
仕事をして帰ってきたかのような表情でただいまということに罪悪感を感じた
それでも今さら真実を話そうとは思わなかった
いただきます。
一番好きな時間がやってきた
お昼を食べることができない分、食がよく進む
この美味しい晩御飯も、あと何回食べることができるのだろうか
一品一品を噛み締めながら食べた
次の日、その次の日も同じサイクルの時間を過ごした
自分の暮らしの中で関わることのなかった場所の人々の行動に目を傾けた
誰を見ても人間一人一人が自分の決められた時間の中で振り回されている
そう感じた
まだ家に帰るには少し早い
今日は電車ではなくバスに乗って帰ってみよう
バスに乗るのも学生の時以来だった
バスから見える海沿いの景色を眺めながら
睡魔に襲われようとしていた
その時、海岸沿いに目を疑うものが飛び込んできて一瞬にして目が覚めた
愛だ
全然、学校とは違う場所
なぜ、こんな所に愛が
遠くて、はっきり見えたわけではないが泣いてるように見えた
一瞬の出来事で何をすることもできないままバスは走り続け愛の姿は見えなくなった
学校で何かあったのだろうか
それとも泣いていたのは見間違いだったのか
それにしても、なぜこんな場所に
色々考えてるうちにバスは病院の前で信号待ち
信号が青になりバスが走り始めた時
おもむろに外の景色を眺めた
その瞬間、視線の先に居た一人の男と目が合った
すぐに気が付いた
数日前にも目が合った男だ
しかも、その時も同じ病院の前だった
今度は勘違いなんかじゃないと思いバスが次のバス停に到着したら、
すぐに降り走って病院に引き返した
なにか今の状況になった答えを見つけることができる
そう思って戻ってきたが、すでに男の姿はどこにも見当たらない
全く見覚えのない男
なぜ、あの男には自分が見えているのだろうか
明日もう一度あの病院に行ってみよう
そう考えながら家にたどり着いた
今日も美紀は晩御飯の支度をしている
しばらくして愛が帰宅した
いつも家で見る元気な愛の姿である
あの海沿いで見かけた悲しそうな愛の雰囲気は全く感じなかった
親には言えない何か隠し事でもあるのだろうか
思春期の女の子だし男の自分が無理に踏み入れたりするのは、やめよう
愛が話たいと思えば愛から話してくるだろう
そう思った真大は、いつも以上に笑顔で愛に、おかえり。と声をかけた
愛も本心なのか気丈に振る舞っているのか
元気よく、ただいま。と声にした
この家の中だけは常に明るく楽しい時間にしようと思った
美紀や愛が笑顔で安らぎを感じることのできる場所
早く帰ってきたいと思える場所にしよう
今日も変わらず同じ時間に目が覚めた
病院に行ってみよう
何か前に進むことへの怖さもあったが居ても立っても居られなかった
特に他に予定はなかったので昼を過ぎてから病院に向かった
病院の前に着いた
あの男の姿はない
しばらく病院の回りをウロウロしてみたが
男に会うこともできなければ何か新しい発見をすることもできなかった
今日は、もう家に帰ろう
そう思い歩き出した時、反対車線に目をやると
いつも怒られていた上司の姿があった
もちろん真大に気が付くことはないが後をつけてみた
小さなスナックに入っていった
近くの席に座り様子を伺った
今日もウーロン茶にしますかとホステスが聞く
どうやら、まだ禁酒を続けているみたいだ
いや今日はお酒を飲むよ。
ビールから始まり焼酎、ブランデーと禁酒していた時間を
取り戻すかのように上司は飲んでいる
カラオケを唄い終わった上司が突如泣き出した
お酒を飲むと泣き上戸になる人なんだと思った
他の客の目も気にくれず泣き続ける上司
困り果てたホステス
もう、この場を離れようと思って立ち上がった瞬間、
上司の口から思いもよらぬ言葉が聞こえてきた
アイツが死んだのはオレのせいなんだ。
オレがアイツを追い詰め過ぎてしまった。
心の底から優しいアイツはオレの命令を全部受け入れてくれた。
だからオレは、ついつい調子に乗ってアイツに色んなことを押し付けてしまった。
オレはアイツを一番に頼ってたんだ。
真大、本当にすまない。
真大の目からも大粒の涙が溢れた
誰も自分など頼ってないと思ってた
それと同時に外の世界にいる上司の記憶の中に自分は、
ちゃんと存在してることを知れた
店の中で二人は泣き続けた
しばらくして店を後にした
店からの帰り道しばらく歩いていると後ろから救急車の音がした
音がする方向へ行ってみると事故現場に遭遇した
車と自転車がぶつかったらしい
しかも自転車に乗っていた人は即死だったらしい
自転車の人は可哀想で残念だが自分も同じ状況だと思うと、
ちゃんと、あの人は成仏できるのかなと思った
そんなことを思っていた時、背後に気配を感じた
間違いないと思い振り返ると
事故現場の野次馬の中に、あの男を見つけた
男とも目が合っている
自転車の男性を乗せた救急車が走り出し一瞬、視線を救急車に向けてしまった
すぐに男へと視線を戻したが、もう男は居なかった
野次馬の中を探し回ったが結局、見つけることはできなかった
少し遅く家に帰ってきた
美紀と愛から、ただいま。の声
二人ともご飯は先に食べ終わっていた
いつもは先に風呂に入るが二人が起きている時間に同じ空間
ご飯を食べたかったので仕事の格好のまま、ご飯を食べた
その後、二人が寝てから、ゆっくり湯船に浸かった
今日は本当に色んなことがあった
上司のことを思いだし、また目頭が熱くなった
それから二週間が過ぎた
この二週間は特に何も起こることなく毎日、時間だけが過ぎていった
ある日の晩御飯
晩御飯を食べる前に、お風呂に入ろうとしたが愛の口から、お父さんに話があるから今日は
先にご飯食べてもらっていいかと聞かれ話とは、なんだと思いながら了承をした
ご飯は、もちろん美味しかった
だが愛の様子が気になり気持ちは上の空だった
いつか見かけた海沿いでの愛の様子を思い出した。
いったい何を話されるのだろうか検討がつかないまま晩御飯を食べ終わった
よきタイミングを見て愛に声をかけた
話って、なにかあったのか。
いや本当、全然対した話じゃないから、やっぱり言うのやめようかなと思ってたんだけど。
お父さん今日は私が背中を流すよ。
全く予想もしてない言葉に返す言葉が見つからなかったが、すぐに笑いをこぼした
年頃の女子高生に背中を流してもらうなんてお父さんが恥ずかしいからいいよと断ったが
美紀が、愛から、そんなこと言ってくれるなんて人生最後かもよと言われたので
渋々愛のお願いを受け入れた
愛と一緒に風呂に入るなんて愛が小学校低学年のころまでだから、もう何年も前の話だ
さすがに親子でも恥ずかしい
せっかく二人きりだし海沿いで見たことを伝えようかと悩んだが結局何も言えなかった
背中を流してくれてる間、愛も無言で特に会話などはしなかったが
言葉では表せない幸せな気持ちになった
背中を流し終わり愛に、お礼を言おうとしたら、それより先に愛の口から
お父さん本当にありがとう。
尊敬してるし感謝しています。
そう言い残して真大が返事をする前に愛は風呂から出ていった
風呂から上がるとリビングに愛の姿はなかった
美紀に聞くと、もう寝室に上がったらしい
美紀に娘に背中洗ってもらって興奮なんかしてないでしょうねと、からかわれた
風呂上がり食卓の上にはワイングラスが二つ用意されていた
たまには二人で若い時を思い出して乾杯しましょ。
明日もパートだし早く寝たほうがと言ったが少しだけと言われ乾杯をした
いつも愛を中心に囲んでいた食卓
二人きりで向き合うと変に緊張をした
お酒も少し入り美紀にいつも言えない気持ちを口にした
帰ってきたら当たり前のように用意されているご飯のことへの感謝
当たり前のように幸せな時間を過ごすことが出来ているのは美紀のおかげ
そう伝えると美紀の目に、うっすらと涙が
その涙を無理やり振り払うかのように美紀は笑顔で
ありがとうございます。
私もあなたと結婚して本当に良かったです。
美紀の強さを感じた
朝起きると美紀がもう台所に立っていたが愛の姿がなかった
今日は授業前に集会があるみたいで早く登校したらしい
そして自分も用意をして美紀に
行ってきます。と声をかけた
いつもなら、行ってらっしゃい。とだけ声が返ってくるのだが、この日は
あなた今日の晩御飯、何がいいかな。
あなたが一番食べたいものを作るわ。と
昨日、感謝の気持ちを伝えたことが利いたのかなと思い美紀の言葉に甘えることにした
食べたいものを伝え改めて
行ってきます。
行ってらっしゃい。と言葉を交わした
外出はしたものの、ここ数日は何も新しい発見に出会うことがない
毎日、病院の前を通ってみたりもしてるが、あの男に会うこともできない
そして今日も何をするわけでもなく1日が終わり家の前に到着した
家の前に到着した瞬間すぐに異変に気がついた
家の中に美紀の気配を感じない
慌てて鍵をあけ中に飛び込んだ
やはり家の中は真っ暗で美紀の姿はない
リビング、風呂場、寝室と全ての部屋を見て回ったがどこにも居なかった
リビングに戻ってきて電気をつけるとある光景が目に飛び込んだ
食卓の上に料理の作り置きがある
朝、美紀に食べたいと言った料理だ
料理と共にメモ書きが置いてある
冷蔵庫の中にも、たくさん作り置きをしているので、いつでも自由に食べてください
目の前が真っ白になり家を飛び出し辺りを走り回ったが美紀は、どこにも居なかった
状況を全く読み込むことができなかった
愛が帰ってると思い家に帰ってみることにした
息を切らし家の前についたが、さっきと同じで中には誰も居ないことは外からでもわかった
中に入ったが、やはり誰も居なかった
作り置きされた、ご飯を前に椅子に腰掛けた
死んだはずの自分だけが、いつか消えてしまう覚悟はあった
だが逆に自分だけが残されるなんて想像すらしていなかった
ショックで、塞ぎ混んだまま気がついたら日付が変わっていた
朝から何も食べてないが食欲は全くなかった
しかし朝の事を思い出した
美紀が、わざわざ自分に食べたいものを聞いてくれて用意してくれた晩御飯
食べることにした
ゆっくり味わいながら食べた
凄く美味しい料理を涙を流しながら食べた
気がつけば朝になっていた
いつの間にか食卓で寝てしまったようだ
今日も自分は消えることなく生きている
だが家の中には静けさが漂っている
二人とも帰ってきていないようだ
早朝から外に飛び出し二人を探した
二人ともが自分に黙って家を出ていくことに納得が行かなかったし
出ていく理由も見つからなかった
だがしかし今になって思い返せば二人からの合図はあった
愛に背中を流してもらったり
美紀と飲まない時間帯にワインを乾杯したり
食べたい料理を聞かれたり
色々と変わったことがあったことには
気が付いたが、それが二人が居なくなる理由と結びつけることはできなかった
あてもなく探し続けた
次の日も、また、その次の日も
二人が居なくなってから明日で一週間になる
冷蔵庫の作り置きも、ほとんど残っていない
こうなることを見越して、たくさんご飯の作り置きをしてくれていた美紀には
本当に頭が上がらないと思った
ご飯を食べ終わり、ふと外に出た
今日は満月だ
そのため少し明るく感じる
月を見てると少し気持ちが落ち着いた
その時である
月から強いシャッターのような光を感じ目の前が一瞬、真っ白になった
すぐに元に戻ったが辺りがさっきよりも静かに感じた
家の中に戻ろうと振り返ると
玄関の下に封筒が挟まれて置いてある
さっき出た時は気がつかなかった
封筒を拾い上げ家の中に入った
食卓に座り封筒の中身を取り出した
一言だけパソコン入力されたメッセージが印刷されている
お時間になりました。
明日、正午、正装にてお待ちください。
意味がわからなかったが他に信用するものもない
とりあえず寝ようと寝室に横になった
この一週間、いつも寝るとき横に居た美紀の姿はないが
今日は布団の中に入った瞬間暖かさを感じた
そして、その暖かさに身を包まれながら、すぐに眠りに付くことができた
朝になり目が覚めた
朝ごはんを食べた所で冷蔵庫の作り置きは全てなくなった
洗い物や洗濯や掃除など、この一週間で今までゴミ出ししかしてこなかった
僕は家事の苦労にも気付かされた
美紀の支えがあったからこそ一家の大黒柱になれていたんだと思った
家事も一段落し、服を着替えた
出来る限りの正装をした
正午になった
玄関をノックする音が
恐る恐るドアをあけ真大の目に飛び込んできたものは、あの男だった
お疲れ様でした。
男から、そう言われ男に問いただした
あなたは一体。
それは後程ゆっくりと説明を致します。
それでは行きましょう。
そう言い放つと男は振り返りゆっくり歩き出した
仕方がなく男の後を歩いた
なんとなくではあるが行き先には想像がついた
病院についた
やっぱりこの場所か
そう思っていると男は病院の中へ
見覚えのある部屋まで案内された
最初に目を覚ましたベッドがある部屋だ
部屋に入ると男が自分のほうに振り向いた
そして話を始めた
まず真大様、この度は人間としての人生、大変お疲れ様でした。
あなたは今、ご自身が、お亡くなりになられたことにお気付きになっていますね。
は、はい。
では、あなたは、いつ、どこで何をしている時にお亡くなりになられましたか。
えっと。 仕事帰りに車で家に帰る途中居眠り運転による事故によって。
あ~。そうですか。
それでは、お時間も近づいておりますので私の自己紹介をしておきたいと思います。
私は死の世界の番人。
この世で成仏できなかった魂に少しの自由時間を与え、その後、
あの世へと無事に届けることが私の役目となっております。
そうですか。
あまり驚かれないですね。
まぁこの一週間の生活を振り返ると納得がいくというか。
あの、この後、僕は成仏するってことなんですよね。
そうなりますね。
成仏したらどうなりますか。
やっぱり天国が地獄に行くのでしょうか。
いいえ。
天国や地獄というものは人間が生み出した空想上のもので、
そのような場所は存在致しません。
そうですか。
これは特に死者に教える義務はありませんので聞かれない限りは私も話すことはないのですが聞かれたからには、お答え致します。
成仏した魂は、少しの時間を置いてまた新しく生まれ変わります。
ただし生まれ変わるものが必ずしも人間とは限りません。
人間以外の動物になることもあれば草木や花として生まれ変わることもございます。
もちろん新しく生まれ変わった魂はリセットされ前世の感情などは、なくなります。
返す言葉が見つからなかった
他に、ご質問はありますか。もう、あまり時間が残されておりませんので。
一番、気になっていたことを聞いた
美紀と愛が、どこに居るのかわかりますか。
はい。知っています。
全てを知りたいですか。
内気な真大だが、この時ばかりは早い決断だった
はい。教えてください。
全部、教えてください。
そう言うと男は一冊の辞書を取り出した
これは人生記録辞書です。
人間には一人一冊この辞書が与えられ誕生してから死ぬまでに起こった
全ての出来事が、この辞書に記録されています。
ここに、あなたの人生の全てが記録されています。
そう言って男は真大の足元に辞書を投げた
真大が腰を落とし辞書を拾い、腰を上げ顔をあげた
顔を上げた先に男の姿は消えていた
もう時間が残されてないんだ
そう思い手に取った辞書を広げた
そこには男の言った通り真大の人生が書かれている
産まれた場所
初めて出来た友達のこと
通った学校であった出来事
就職が決まった時の喜び
そして美紀との出会い
愛の誕生
本当に全ての出来事が記されていた
そして最後のページ
辞書は白紙を残して途中で終わりを迎えていた
ここで死んだんだ
そう思った
最後の一行に目を通した
涙が溢れ止まらなかった
日曜日の夜
家族でファミレスに行った帰り事故により死亡
真大は、ずっと記憶違いをしていたことに気付かされた
仕事帰りに一人で事故に合ったんじゃなかったんだ
家族を巻き込んでしまっていたんだ
そもそも、どれだけ厳しい上司でも日曜日にまで出社させるなんてなかった
今まで起きた全ての出来事が繋がった
外の世界の人間には気付かれないのに家の中にいる美紀と愛には自分が見えた
外の世界も家の中も関係などなかった
美紀も愛も死んでいたからお互いを見ることができたんだ
三人でファミレスに行った帰り事故により三人ともが即死だった
即死のため三人とも成仏することができず一ヶ月の自由時間が与えられた
まず最初に目を覚ましたのは愛だった
愛も最初は何が起きているのか、わからなかったが病院から出た後、
外の状況から自分に起きたことをすぐに受け入れた
そして次の日に目を覚ましたのが美紀だった
美紀も最初は混乱を隠せなかったが家に帰り愛と再会
愛と二人の時間を過ごすうちに全てを受け入れ冷静になれた
それから一週間後に真大が目を覚ますことになるのだが、
それまでの間に愛から美紀に一つの提案を持ちかけた
この先、いつか父親も目覚めて、この家に帰ってくることを確信していた
そこで家に帰ってきた真大に対して二人は生きてることにしよう
そうすることで事故を起こしてしまったことへの罪悪感や心の負担を少しでも和らげよう
愛が美紀に、そう持ちかけた
頭のいい愛だからこそ、ひらめいた意見だった
美紀も、その意見に賛成をし残り少ない自由時間全てを真大のために費やそうと決めた
美紀も愛も辛かった
美紀はパート、愛は学校へ毎日、行ったふりを真大にしないと行けない
真大と同じように毎日、夕方になるまで様々な場所を徘徊した
学校へ行くと嘘を付き続けていることに
悲しくなり隣街の海沿いで、思い切り泣いたこともあった
どんなに辛くても一番辛いのは父親の真大だ
そう考えると我慢することが出来た
美紀も毎朝、真大を見送り、真大が帰ってくるまでの間、一人、家で過ごした
最初は外に出て街中を歩いたりもしたものの誰にも気付いてもらえない
悲しみで外出をしなくなった
計り知れない辛さはあったが美紀も愛と同じように
どんなに辛くても一番辛いのは真大なんだ
そう考えると同じように我慢することが出来た
美紀と愛の行動の意味を理解した真大の涙は止まらなかった
だが、あることを思い出した
美紀は最後の夜、涙を振り払ってでも笑顔を見せてくれた
美紀と愛は自分が最後まで笑顔で過ごすための時間を作ってくれた
そう考え笑顔で成仏してやろうと思った
美紀
結婚して自分にいつも笑顔でついてきてくれてありがとう
愛
こんな父親のもとに産まれて来てくれてありがとう
二人とも愛してます
僕の最高の宝物、本当に本当にありがとう
最高の笑顔のまま真大の魂は成仏をした
数日後
ある田舎の街の病院で三つ子の赤ちゃんが誕生した
三人そろって右目の下にホクロをつけた赤ちゃんが
終