後編 勝負
翌日の夜。
GF本部ビルの地下にある闘技場はいつも以上の熱気と興奮に包まれていた。
そのボルテージは上がる一方で、セミファイナルの試合が終了する頃には、今まで経験したことがない程になっていた。
……なんか凄いことになってる。勝てる見込みなんかないのに。
闘技場と壁一枚隔てた場所にある控室で出番を待ちながら、花蓮は異常な程に緊張していた。デビュー戦の直前も似たような感じだったような気がしたが、それとは比べものにならなかった。
朱音ちゃん、どうしてるのかな? わたしみたいに緊張してるの? それとも……。
正直、まったく分からなかった。控室で一緒になった事は何度かあったが、その時はいつもと同じように見えた。
やっぱりリングに上がると豹変するのかも。いつもはおっとりしたお嬢様だから信じられないけど……。
リングアナを兼ねる律Pが、名前をコールした。余計な思いを全て振り捨てて、可憐なウェイトレス風のリングコスチュームに身を包んだ少女は控室から出ると、小走りに円形のリングへと向かう。
対戦相手の朱音は既に反対側に立っていた。白いブラウスと濃青のドレス、膝下までの白いソックスといういつものお嬢様スタイルだったが、その瞳には激しい闘志が宿っているように見えた。
最初から全力でいく気みたいね。だったらこっちも本気でいくから!
相手の激しさに煽られるように、花蓮の心にも火が点いた。相手が親友の少女であるという事実が頭の中から消えていき、倒すべき相手として認識されるようになる。
朱音の引退がかかっているという点すらもどうでもよくなり、ただ勝ちたいという気持ちが激しく燃え上がる。
「さあ、始めるよ! 中村朱音選手の引退を賭けたガールズ
ファイト、レディ、ゴー!」
律Pがよく通る声で宣言するのと同時に、ゴングが鳴らされて試合が始まった。
円形のリングを取り囲む観客たちから一段と大きな歓声が上がり、花蓮はその空気に飲み込まれそうになる。
その隙を、朱音は見逃さなかった。
下ろしただけの長い髪を振り乱しながら、正面から飛びかかってきたからだった。
「あっ……!」
油断したと思った瞬間には遅かった。すらりとした手足で抑え込まれて、柔らかいマットで出来たリングの上に倒されていたからだった。
「油断大敵! なってないわね。このまま壊しあげる!」
いつもの姿からは想像もつかない程、激しい言葉が耳を打つ。慌てて振りほどこうとしたものの、逆に腕挫十字固めに移行されて、激痛が全身を貫く。
「痛い痛い痛い! 本気で壊す気!?」
「当たり前じゃない! まともな身体でリングから降りられ
るなんて思わないことね!」
照明のせいで半分逆光になった朱音の顔は、鬼神そのものだった。その恐ろしさに心を支配されるよりも早く、花蓮は破れかぶれのキックを喰らわせる。思った以上の手応えを感じるのと同時に、関節技が外れたのでそのまま脱出する。
スカートが半分捲れるのも構わずにリング上に片膝をつき、朱音を睨みつける。
「何か言いたいことがあるようね」
すかさず構えながら、朱音が問いかけてくる。
「幾らでもあるわよ。なんで引退なんかするの?」
「先週も言ったはずよ。もう嫌になったの。後は花蓮に任せ
るから」
「嘘。そんなはずない。朱音ちゃんは誰よりもリングの上で
闘うのが好きなんだから!」
朱音がわずかに怯んだように見えた。それを隙と見た花蓮はリングを蹴ると、姿勢を低くして相手の腰を両腕でしっかりとロックする。
「あっ……」
「油断大敵は朱音ちゃんの方! えーい!」
姿勢を整えると、精一杯の気合を込めてパックドロップの要領で投げ飛ばす……つもりだったが、腰から砕けて中途半端に投げ飛ばしただけで終わる。にわか仕込みで使える技ではなかった。
それでも、朱音がリングの上に転がったので、後先考えずにボディスラムを叩き込む。思った以上に大きな音が響き渡り、お嬢様風の少女の顔が歪む。
効いてる……? でも朱音ちゃん打たれ強いから油断したら駄目!
自分を応援する大歓声を背中で受け止めながら、すかさずお返しの関節技に移行する。あまり得意ではなかったが、今まで散々喰らってきたのでお返しだった。
「くっ……。少しはやるじゃない」
「どう!? これでも引退するつもり!?」
「馬鹿なことを言わないで! 私は引退するんだから!」
「馬鹿は朱音ちゃんの方じゃない!」
「引退すると言ったら引退するの!」
「朱音ちゃんの馬鹿! 馬鹿! 世界一の大馬鹿!」
強情な親友に、ついに花蓮も切れた。今まで以上に力を込めて関節を極めたからだった。効いているのか、朱音は悲鳴を噛み殺しながら、リングを空いている方の手で叩く。
「ギブ? ギブ?」
「しないわよ馬鹿! 引っ込んでて!」
期待半分声をかけてきたレフリーのキャット美咲を払いのけた瞬間、朱音が逆襲に転じた。関節技を力だけで振り払うと、リングに座り込んだままの花蓮の両足を鷲掴みにしたからだった。
「あっ……」
「よくも馬鹿呼ばわりしてくれたわね! お仕置き!」
足を掴む手を離なすことなく立ち上がる。花蓮の短いスカートが盛大に捲れ上がり、下に履いていた縞柄のパンツ……見せパンが丸見えになる。観客が興奮に満ちたどよめきを上げ、花蓮は羞恥心のあまり力が抜けてしまう。
その隙を朱音は見逃さなかった。まるで見世物のように、力だけで花蓮を引っ張り回したからだった。まさかの羞恥プレイに花蓮は焦りが一段と深くなる。
「ちょっと朱音ちゃん! 止めて止めて!」
「何泣き言いってるのよ! 私がいなくなったら花蓮が看板
を背負わないと駄目なの!」
「引退なんかしないで!」
「だったら勝つしかないわね。縞パンのウェイトレス……」
朱音の言葉は最後まで発せられなかった。すっと目を細めた花蓮が、掴まれていた両足を自由にしたからだった。ついでとばかりにパンツ丸見えのままキックを食らわせて怯ませると、ようやく立ち上がる。試合開始からあまり時間は経っていなかったが、息が切れそうだった。関節技を極められた腕が激しく痛み、涙がこぼれそうになったが、力を込めて睨みつける。
「勝ってやるわよ。勝てばいいでしょう!?」
相手の返事を待たずに正面からショルダータックルを仕掛ける。手応えを感じた瞬間、すかさず伸びてきた両腕に身体を掴まれそうになったが、辛うじて振りほどき、抱え込むように投げ飛ばす。背中からマットに落ちた上に、花蓮の体重を受け止めて、朱音が苦しそうな声を上げる。
「いい加減にして! 引退なんて絶対に許さない!」
全身で相手の身体を押さえ込みながら、花蓮は叫んだ。
「朱音ちゃんがいなくなったらわたし……GF続けたくな
い! わたしも引退してやるんだから!」
「何言ってるのよ! 闘う理由も知らないくせに!」
「闘う……理由?」
「もう気づいてるでしょう!? なんでこんなになるまで闘っ
ているのか!」
「えっ……」
予想もしていなかった反論に、花蓮の闘志が一気に萎えた。その隙を見逃す朱音ではなかった。
力だけで<闘うウェイトレス>な少女を引きはがすと、そのまま無理やり立ち上がらせて、ベアバックを仕掛けてきたからだった。
細腕からは想像もつかないほどの力に、花蓮は思わず大声で悲鳴を上げる。
「痛いかしら? 痛いでしょう? 闘うウェイトレスさん」
「朱音ちゃんの馬鹿! 何言ってるのよ!」
「答えなさい!」
「痛い痛い痛い! 本気にならないで! 壊れる壊れる!」
「まだお仕置きが足りないようね。こうなったら……」
ようやくベアバックがほどかれた。と思った瞬間、スカートを派手に翻したキックが飛んできた。とっさに腕でガードしたものの、さっきの関節技のダメージが残っていたこともあって、骨が折れるような激痛が全身を走って、その場にへたり込む。
意識が遠くなり、自分を応援する大歓声が遠くから聞こえてくるようになる。
駄目……。立たないと。このままだと朱音ちゃんが引退してしまうから……。わたし、まだ朱音ちゃんに勝ってないのに。……負けたくない。……負けたくない!
よろめきながらも、花蓮は立ち上がった。明るい色の瞳に闘志を燃やして睨みつける。それに気づいたのだろうか。朱音がわずかに口元に笑みを浮かべる。
「大したものね。普通ならギブなのに。さすが<将来の>看
板選手!」
その言葉にわずかな違和感を覚えるのと同時に、再びローキックが飛んできて、花蓮は再びリングに崩れ落ちた。リングを照らし出す天井の照明がいつもより明るく見えた。
駄目……朱音ちゃん強過ぎ。勝てるわけないじゃない……。でもせめて引退する前に……勝ちたかった……。
続いて腹部を狙ったボディスラムを叩き込まれ、花蓮は一気に意識が遠くなった。反撃しようとしたものの、もはや力は出なかった。
これで引退だね、朱音ちゃん……。最後に闘えてよかった。わたし、もっともっと強くなってみせるから。苦しくて痛いけど、リングの上で闘ってると生きている感じがする……。
朱音のトレードマークである青いドレスが覆いかぶさってきた。フォールと分かっていたが、抵抗する気力も残っていなかった。
キャット美咲の宣言する自分に対する3カウントを、花蓮はどこか他人事のように聞いていた。
屋上に通じる扉を開くと、新宿新都心の雄大な夜景が広がっていた。全身の痛みを誤魔化しながらその景色を目に焼き付けると、花蓮は視線をすぐ横に向ける。
朱音はお嬢様風のリングコスチューム姿のままで、塔屋の壁に寄りかかっていた。親友の少女の姿に気づくと、いつものように微笑んでみせたが、すぐに剣呑な雰囲気に気づいたのか、捨てられた子犬のような表情を浮かべる。
「朱音ちゃん。話があるんだけど、いい?」
「あら、なにかしら? 藤田花蓮さん♪」
「誤魔化さないで! なんで引退するなんて大嘘ついたの!?」
「……。あ、ほら、試合の後撤回したから嘘じゃないわ。み
んなやっぱりって顔してたじゃない。だからノーカンって
ことで今回は見逃して欲しいなーって……」
怒りを全身から撒き散らしながら、花蓮は朱音と向かい合うように立った。無言のまま両肩を掴むと力を込める。
「痛い痛い痛い! ギブギブ!」
「朱音ちゃんの馬鹿! わたしがどれだけ心配したと思って
るの!? 朱音ちゃんが引退したらわたし……」
「ごめん。本当にごめん……。最初から引退するつもりなん
か無かったのよ。ただ花蓮を一段と立派にしたかったのよ。
信じて……」
「わたしを? 立派に?」
「花蓮は成長著しいけど、もうひと押しが足りなかったのよ
ね~。だから律Pの許可を取ってアングルを仕掛けたの。
初めてにしては上出来だったでしょう♪」
ようやく花蓮は両手の力を抜いた。問いかけるような視線と共に言葉の続きを待つ。
「今日の対戦、今までの中で一番熱かったわ。ほんと、私が
圧されてしまうぐらい。今までそんなことなかったのに」
「本当に?」
「お客さんもそうだったみたいね。後でエゴサしてみたら?
絶対みんな花蓮のこと褒めてるから」
全ての言葉が心に染み込んだ瞬間。花蓮は思い切り目の前の少女を抱きしめていた。華奢に見えて優美な曲線を描く胸元に顔を埋めて、その感覚を思い切り楽しむ。
「ち、ちょっと花蓮……」
「やっぱり朱音ちゃんの身体が一番♪ 闘ってる時もたまに
感じてたの。細身なのにいい身体してるなって……」
「もう。ただのセクハラじゃない」
「それにこうやってると朱音ちゃんの温かさを感じるから好
き。リングの上ではとっても怖いのに、本当は誰よりも優
しくて綺麗なお嬢様なんだから。最高♪」
戸惑ったような表情を浮かべていた朱音だったが、やがて微笑するとそっと花蓮を抱き寄せた。
「不思議な感じがするわね。リングの上ではあんなに激しく
闘ってるのに」
「だからいいの。闘うってことは正面からぶつかり合うこと
なんだから。そうじゃないと分からないこともあるし」
「だから花蓮は闘ってるの?」
「ん、それもあると思うけど、やっぱり生きてるって感じが
するからだと思う。大歓声を受けて興奮したり、技を受け
て痛みを感じるたび思うの。わたし、生きてるっなって」
「それが花蓮の闘う理由なのね。私みたいに単に好きだから
リングに上がってるわけじゃないのね」
「……本当は闘うのが好き♪ 朱音ちゃんと同じ」
照れたように笑いながら、花蓮はゆっくりと離れた。改めて、朱音と正面から向かい合う。
自分も目の前の少女も、いつかリングから降りる時が来るだろうが、その時までは全力で戦い続けるつもりだった。
「これからもよろしくね、朱音ちゃん」
「こちらこそ」
お互いの気持ちを確かると、再び抱き合う。
リングの上でも外でも、ふたりで身体を合わせている時が一番幸せだった。




