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畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
一章  全にして一なる花の咲く園
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5.ゆえに、落果は落果たる


 古代の神殿のごとき荘厳な部屋の中央で、ひざまずいたヨシュアはただただ深く頭を垂れるばかりだった。少なくとも彼には、他にできることなど思いつかなかった。

 その原因は、またもや兄妹を取り逃したというふがいない事実、そして――。

 そして結局、カインと戦ったことを誰にも知られずに済んだため、今回もまた、報告はしないと決めたがゆえに覚える、主への罪悪感だ。

 もちろん彼も、今回こそ報告するべきだ、と思わなかったわけではない。

 しかし時間が経つほどに、彼は心の内、カインによって刻みつけられた得体の知れない『恐怖』がくすぶるのを感じずにはいられなかった。見過ごせないほどに。

 そしてそれは、汚名に対する雪辱とは別に、自らカインを打ち倒すことで初めて取り除けるのだ、という直感めいた確信があった。

 いや、あるいはそれは、一種の強迫観念なのかも知れない。

 しかしそれでも、彼はそうしなければならないのだと信じていた。だからこそ、今回もライラへの報告をしぶったのだ。

 結果、ライラにもたらされたのは、包囲に気付いて逃げ出したらしく、踏み込んだときには兄妹の部屋はすでにもぬけの空だった――そんな報告だった。

 しかし彼女はそこに疑念を差し挟むでもなく、ご苦労でした、とヨシュアをいたわった。

 その気遣いにまた、ヨシュアは胸が締め付けられる思いで下を向いていたが、続けて主が持ち出した話に、弾かれたように顔を上げる。

「……次の機会も、また同じような事態になっては意味がありません。そこで、他の花冠院(ガーランド)の皆とも協議の上、まずは警備隊員だけにでも兄妹の情報を公開することになりました」

「それはつまり……警備隊も正式に兄妹の捜索に参加する、ということですか?」

 それは、自らの手でカインを倒さなければならないと信じているヨシュアにとって、聞き捨てならない話だった。

 本懐をとげるためには、他の者に先んじられないように――そして、これまで主ライラに伏せてきた反逆者、カインという男の存在を、文字通り闇に葬るために――より迅速に行動しなければならない、ということだ。

「そうです。――もちろん、あなたたちを信用していないわけではありませんが、警備隊と正式に協力し合うことができれば、捜索の効率も飛躍的に上がるでしょうから。

 残念ながら、極力事を荒立てずに、という春咲姫(フローラ)の希望からは、若干外れてしまうことになりますが……」

「しかしそんな、ライラ様、そのようなことをなさらなくとも、我らが必ず……!」

 思わず、主の決定に異を唱えてしまうヨシュア。しかも、言いながら、二度も失敗した人間がどの口でこんなことを、とも思わずにいられない。

 一方ライラは、それについて怒ることも機嫌をそこねることもなかったものの、少しばかり事務的な口調で、すでにそれは決定事項であることを告げた。

「失敗したからこそ、何としても自分たちの手で事態を収束させたい……その気持ちも分からないではありませんが。昔からあなたは責任感が強かったですからね。

 ……いえ、それとも――」

 ライラは、ふっとその美しい切れ長の眼を伏せる。

 主のそんな仕草にヨシュアは一瞬、背筋に何か冷たいものが走るのを感じた。

「あなたがそこまで責任を主張するのは……他に理由があるから、かしら?」

 その一言に危うく反応しそうになったものの、ヨシュアはすんでのところで自制を効かせることができた。

「――まさか。そのようなこと、あるはずがございません。すべては、わたしが初手で失敗したことに尽きるのです。ですから――」

 気付けば自らの身勝手で、事実をねじ曲げた報告をしていたヨシュアだったが、これだけは嘘いつわりのない真実と、心からの決意の言葉を述べる。

「今度こそ、彼らを無事に保護いたします。最善をつくし、今度こそ、春咲姫ならびに花冠院の皆様のご心労を取り除くと、固くお約束いたします」

 ライラは、ヨシュアの決意のほどをうかがうように、しばらく無言で彼の真っ直ぐな視線を受け止めていたが……やがて、ゆっくりとうなずいた。

「期待していますよ。あなたならきっとやりとげてくれる、そう信じています」



「…………」

 ヨシュアが立ち去った後も、部屋の入り口を思案顔でしばらく見つめていたライラは、やがて、腰かける椅子の肘置きに、おもむろに手を伸ばした。

 いかにも古めかしい造りをしている椅子の、そこだけ機械的な光に彩られた箇所。それを、白く細い指を踊らせるように操作すると、若い女官の映像が宙に浮かび上がった。

「いかがなさいましたか、ライラ様?」

 ライラは唇に指をあててわずかに逡巡した後、一人の人間の名を告げた。

「少し尋ねたいことがあるので、時間が空きしだい、私のもとへ来るようにと」

 かしこまりました、と一礼し、女官の映像はかき消える。

 ライラは気怠げに小さく息を吐いたあと、もう一度部屋の入り口の方へ目をやった。




             *


 駅のホームを離れた列車は、ゴトゴトとどこか懐かしさを覚える揺れ方をしながら、のんびりとした速度で目的地へ向かって進んでいく。

 特に人気がない客車の一角を占有し、兄妹と向かい合う形で座席に腰かけたカインは、列車の揺れに身を任せつつ、庭都(ガーデン)に住まう人々のことを考えていた。

「しかし……これほどの高所に、これだけの街を築くぐらいだ。私の知る時代よりも、相当に技術も進歩しているだろうに、この列車を始め、庭都の人間は利便性を追求するどころか、わざと放棄している面があるように見えるのだが……どうしてだ? 言うなれば、あえて不便さを残しているような……」

 何気なく問うたカインに、真っ先に答えたのはナビアだった。

「それはね、何でも便利にしちゃうと、どんどんみんなダメになっちゃうからだってー」

「……便利が過ぎると、人は何も考える必要がなくなる。それはかえって危険だってことだ」

 ナビアに説明を任せると、あまりにもざっくりとしたものになると思ったのか、割り込むようにしてノアが口を開いた。

「人は……不老不死を得たから。何百年って長い時間を、便利なばかりで何も考える必要が無くて、精神的な刺激も少ない毎日に埋もれてしまうと、人間性が喪われるんじゃないかって結論になって。

 もちろん、それを防ぐのに娯楽って手段もあるわけだけど、でも娯楽だけにふけるのも、やっぱり人間としては良くないだろ? だから……結局、普段の日常生活にも、ある程度の不便さから生じる、リズムの起伏ってのが必要だ、ってことになってるんだ。

 それで、どうせ時代に逆行して利便性をある程度切り捨てるなら、精神への刺激って意味で有効な、芸術性の高い時代を再現したらどうかってことで、特に過去、中世から近世って呼ばれてた時代を模した建築物や調度品が多かったりもするんだ。――まあ、それについては、場所というか、地区によりけり、だけど」

「なるほど、な」

 ――もっとも、利便性の上にあぐらをかいて堕落するというのは、不老不死であるかどうかは関係なく、人本来の(さが)なのかも知れないが……。

 うなずきながらカインの目は自然と、下方に広がる、果てのない雲海へと向けられていた。

「それで……この列車が向かう先に、地上へ降りる道があるのか?」

 視線を戻したカインが尋ねると、ノアはまさか、と首を振る。

「別に俺たち、地上に逃げようとしてるんじゃないよ。そうじゃなくて、この先、田園地区ってトコに、ひとまず生活できる場所を確保しておいたんだよ。……天咲茎(ストーク)にいる間にさ」

「……天咲茎……」

 カインが繰り返すようにつぶやくのを見て、ナビアが窓の外、列車の後方を指差す。

「ほら、あれだよおじさん。あれが天咲茎」

 言われるまま、車窓から身を乗り出すようにして振り返ったカインは、美しく広がる庭都の街並みの中心に、ひときわ高く天をついてそびえる、大樹のごとき塔をあおぎ見る。ここまで来る間にも、視線を上げれば否応なく目に入ったものだ。

「春咲姫や花冠院の人たちが住んでるの。あたしたちも、あそこで育ったんだよ」

「天咲茎は、この庭都のすべての中心なんだ。――ちなみに、花冠院っていうのは、庭都の統治を担っている最高権力者の集まりだよ。基本的に庭都は、彼らの合議制で成り立ってる」

 ナビアに続き、ノアが天咲茎について説明する。

 すでに彼らは、カインが庭都について――そしてこの時代について、何も知らないのだと決めてかかることにしたらしかった。

 席に座り直したカインは、さらに質問を重ねる。

「ならば、春咲姫とは? 今までの話からすれば、その上にいる存在のようだが」

「春咲姫は――本人の意向らしいけど、基本的に統治には関わってない。もちろん、一番の発言力を持ってはいるけれど、実際、王とか君主とかそういうんじゃないんだ。

 言うなれば、そう、『母』……かな。庭都の住民すべての。それか、アンタでも分かりやすいように言うなら……神、っていうのが近いかも知れない」

「母であり、神……か」

「不老不死の源なんだよ。春咲姫の身体は、一輪の花と共生していて……その花が、人を不老不死にしているんだ。

 だけど、花は一輪しかなく、しかも共生に適合しているのは春咲姫しかいない。

 そこで、共生するその花の細胞と一つに溶け合った春咲姫の血を取り入れることで、適性のない普通の人間でも、間接的に、春咲姫を通して不老不死を手に入れられるって仕組みなんだ」

「……花……永遠の花……『不凋花(アマランス)』――か?」

 眉間に皺を寄せたカインは、しぼり出すようにその名を口にする。

 いや、現に彼はしぼり出したのだ――ノアの解説によって、脳内でふっと輝いた、記憶の断片を……見失わないうちに言葉にしようと。

 しかし、今の彼にできたのはそこまでだった。花の名は引き出せても、そこから先が繋がらない。なぜ知っているのかさえ、形にすることができなかった。

「何だよ、知ってたのか? いや、思い出した?」

「ああ、いや……その名前だけを、な」

 記憶として形にならなくとも、それに付随して湧き起こり、なぜか心をかき乱す、もやもやとした感情――。それを抑え込もうと、カインは深呼吸しながら、背もたれに身を預ける。

「そういえば……私の話をしたいと言っていたな?――正直なところ、この記憶の欠落のせいで、何者かと問われても満足に答えられないと思うが……」

「……ん? お兄ちゃん、まだおじさんのこと悪く思ってるの?」

 顔で抗議するように、頬をふくらませたナビアが兄を見る。

 ノアは顔をしかめて、あきらめたようにため息をついた。

「さすがにもう思ってない。お前の見立て通りだな、味方っていうのは信じるよ。ただ分からないことも多いから、納得しきれないんだ。

 確か……誰か女の人に頼まれて……それで、どうしても引き受けなきゃいけないと思ったから、俺たちを護ってくれてる……そうだよな?」

 そうだ、と静かにうなずくカイン。

 続けて意見を発したのはナビアだった。

「あの、お兄ちゃん。あたし、おじさんウソついてないと思うよ。それにね――」

 口に出すことで、これは言わなければならないことだと感じたのか。兄の顔色をうかがうように上目遣いだった視線が、凛々しく持ち上げられる。

「理由なんかよりも先に、まず心の奥で、これが正しいんだって思ったってことなら……あたしたちだって同じようなものだよ?」

「ん……。そりゃ、まあ……そうだけど……」

 普段滅多に見せることのない、妹の力のこもった視線に思わずたじろいだノアは、まるで救いを求めるようにカインを見ていた。

 カインは一旦目を伏せると、ふむ、と小さくうなずく。

「では、逆に問おう。今さらだが、お前たちはどうして――そして、何から逃げている?」

「――何から? そりゃ……『不老不死』からだよ。俺も、ナビアも」

「永遠の命など欲しくはない――と?」

「……アンタのために、改めて説明するとさ」

 ノアは目一杯に両手を広げてみせる。

「地球上に現存している人間は、もうこの庭都の住民約十万人しかいないって言われてる。そして、アンタも実感しただろうけど、その十万人すべてが――不老不死なんだ。だからアンタの中の常識はどうあれ、ここじゃ人は死なないのが当たり前なんだよ。――だけど……」

 ノアとナビアは、ちらりと目を合わせた。互いの意志をもう一度確認するように。

「俺たちは、それが納得できなかった」

 これまで他者に聞かせることなどなかっただろう思いを語るノアに、カインは余計な口を挟んだりはせず、ただ無言で先をうながす。

「こんな時代に生まれた俺たちだ、死ぬっていうのがどういうことか、まだまだ理解しきれていないと思う。でも、それでも……命は、いつか死ぬからこそ生きられる、本当の意味で生きているって言えるんじゃないか、って……そんな風に思ったんだ。

 だから――俺たちは逃げ出した。人を不老不死にするための『洗礼』を受ける、その直前に」

「その洗礼というのが……春咲姫の血を通して不凋花の細胞を受け入れること、なのか」

「そう。一応人の身体にとっては異物だから、あまり幼いうちにそれをしようとすると、拒絶反応みたいなものが出て危険らしい。だから、ある程度の年齢まで成長したところで、改めて施術するんだ。

 そして、俺たちはその施術前に逃げ出したから、不死じゃないってことなんだ」

「――つまりは、だ。お前たちを追っている連中は、お前たちを殺すどころか、むしろ助けようとしているわけだな? いつ果てるとも知れぬはかない命を、不老不死にすることで」

 それは、カインとしても薄々気付いていたことだった。しかし彼はそれを知って、あえてもう一度ノアたちに確認を取る。

「それは……そうなんだけど」

 ややばつが悪そうに、ノアは首を縦に振る。ナビアもすぐに後に続いたが、こちらはもっとすっきりとした動きで、だった。

 ただ、どちらにせよ――二人とも、相手が善意で差し向けているだけの手を、自分たちはそれと理解した上で払い除けていると認めたのだ。

「――そうか」

 カインは何か、かすかに残る記憶に思いをはせているのか――列車の天井を見上げる。

 そこには、花弁を模した造形の照明が、こうこうと輝いていた。

「人は、死を拒む。逃れたいと願う。それは人との、世界との――あらゆる繋がりを失い死の闇に沈む、その絶対の孤独を恐れるからだろう。

 だが同時に人は、自分ただ一人が永遠に生きることも忌避する。それもまた、あらゆる繋がりから置き去りにされる絶対の孤独だからだ。

 ――お前たちが、他のすべての人間と等しく不老不死を与えられるということは、そのどちらからも逃れられるということだ。この楽園のような街に、永遠に安住できるということだ」

 視線を戻し、カインは改めて、ノアの瞳を真っ向から見据えた。

「それが分かってなお、いずれ死ぬ運命を生きるために、永遠の命を否定するのか?」

 心の奥底まで見透かされそうな鋭い眼光に、ノアはたじろぐ。とっさに言葉が出てこない。

「うん……そうだよ」

 代わりに口を開いたのはナビアだった。

「うまく言えないけど……あたしはその方が大事だって思ったから。それに、お兄ちゃんもそうだって言ってくれたから」

「一過性の反抗心などによるものでなく……か?」

「……そういう面も、ある……それはそうだと思う。意地張ってるっていうかさ。けど……」

 念を押して確認するカインに、次に答えたのはノアだ。

「やっぱり、納得できないって思いがあるんだ。心の隅っこに……でも、確かに。俺なんか特に、ナビアと違っていちいち損得勘定しちまうから、不老不死を捨てるとかバカなことなんじゃないかって、考えたりもするけど……それでも捨てられない思いが。間違いなくあるんだ」

 カインは、兄と同じように自分へ真摯な眼を向けるナビアにも、改めて視線を移す。

「……うん。死ぬって、怖いよ? おんなじ人じゃなくて、病気のハトさんでも……それでもすっごく怖かったから。あたし身体弱くて、何回も寝込んだことあるから、そのぶん身近に感じて、よけいに怖かったのかも知れないけど……。

 でもね、怖いのも一緒にして、大事なんだって思った。なくしちゃダメって思ったんだ」

 兄妹の答えを聞いたカインは、そうか、と一見そっけなくうなずく。

「なら、私がお前たちを助ける理由が、もう一つできたな」

「…………?」

「私も、お前たちと同じ考えだ。――人は、死を知り、死を受け入れるからこそ、生を知り、生を輝かせる。

 だから、お前たちが人としての生を、人として(まっと)うしたいと願う限り――その身を、意志を。私は護り続けると約束しよう」

 カインの宣言に、ノアとナビアは思わず顔を見合わせる。しかし、

「これなら納得できるか?」

 カインがそう問い直すと、二人して顔をほころばせ、大きく強くうなずいた。

 その姿に、カインもかすかに表情をやわらげ――また視線を窓の外の雲海へと向ける。

 そして彼は、名も知らぬ女性から兄妹のことと同時に託された、もう一つの――。

 細部まではどうしても思い出すことのできない、しかし間違いなく受け取った、もう一つの『願い』について、思索にふけるのだった。




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