5.父ならきっと
――すっかり人気のなくなった回廊を、サラは一人、下層目指して駆けていた。
天咲茎で働く非戦闘員は、天咲茎を離れるか、自室で待機するよう春咲姫から言いつけられていたが、彼女は黙って成り行きに任せるのを良しとせず、自室を飛び出したのだ。
もちろん彼女とて、自分が何かをできるなどとは思っていない。
ただせめて、起こっていることを見届けたかった。それが、人類そのものの生死にかかわるというなら、なおさらに。
途中、カインに倒された守備隊を見かけるたびに、言いようのない焦りを覚えながら、彼女が必死に足を動かして目指した場所――それは、一階層の中央広間。
彼女の父が、守っているはずの場所だった。
「……お父さん……っ!」
果たして――父は血にまみれた姿で、柱に寄りかかっていた。
当然と言えば当然だろう、ここより上階の守備隊が倒されているのだから、逃げたりしない限り、父の身が無事であるはずもないのだ。そして、父がそうした人物でないことは娘としてよく分かっている。
なら、目の前の光景は充分に予想できたものであるはずなのに……彼女は我を忘れて駆け寄り、父の身体にすがり付いていた。
死を正しく理解していないからか、あるいは、理解しているからこそなのか。
彼女は、哀しい、という感情がわかなかった。心は騒いでいるのに、それが感情に結びつかない。
ヨシュアの訃報を聞いたときの衝撃を思い出し、どうして――と自問する彼女は、突如響いた轟音に、はっと顔を上げる。
――それは爆発音だった。それも、ほど近い場所からの。
*
天咲茎の全体図と、各所のカメラの映像とを見比べながら、ノアは端末を操作していく。
カインが迷いなく最短距離で春咲姫のもとへたどり着けるよう、防災用のシャッター、ドアやゲートの電子ロックなどを遠隔操作してルートを限定し、さらには極力余計な戦闘を避けるため、守備隊の増援をさえぎる――それが、彼なりのサポートだった。
「あともうちょっとだ。ルートさえできてしまえば、あとは……!」
ノアは手を動かしながら、ちらりとモニターの一角に目をやる。
そこには少し前まで、ここ、データルーム前の映像が流れていたが、詰めかけてきていたライラたちによってカメラが破壊されたらしく、今では不気味に沈黙するばかりだ。
ただ、どんな手段であれ、ライラたちがドアを開いてなだれ込む気でいるのは間違いないことだった。そしてそれを許せば、逃げ場のない自分たちが窮地に立たされることも。
しかしそれを理解してなお、ノアは自分たちの身を守る手段を講じるよりも、カインのサポートを優先していた。それこそが、まさしく彼らの覚悟だったからだ。
あともう少し……そんなノアのつぶやきが、瞬間――耳をつんざく爆発音にかき消される。
何事かと振り返った二人は、分厚いドアが無残にひしゃげて転がっているのを見つけた。
さらにその向こう――漂う薄煙の中、ぽっかり口を開いた空間に仁王立ちする、人影の存在を。
「さんざん手を焼かせてくれましたが――あなたたちの負けです。ノア、ナビア」
威圧感とともに、ゆっくりと姿を現したのはライラだった。
合わせて彼女の部下が展開し、入り口を固める――ノアたちを袋のネズミとするために。
「俺たちの負け? それは違うよ、ライラ」
言って、ライラにも見えるようにしながら、ノアは大げさに一つのキーを叩いた。
「勝ったのは俺たちだ。これで――カインが春咲姫のもとへ行くためのルートは、完全に確立された。俺たちがどうなろうと、もうメインシステムでカインの邪魔をすることは不可能だ」
ライラは一瞬、眉をひそめる。
その間に、ノアはベルトから拳銃を抜くと、ナビアを守るように、構えながら一歩前に進み出た。
「……それで私をどうするつもりです? まさか、撃つとでも?」
銃口を向けられても、ライラは余裕しゃくしゃくと微笑み、両腕を広げて見せた。
「アンタが、俺たちを殺そうっていうつもりならな……」
一方ノアは、緊張感から声が震えたりしないよう必死に平静を保ちつつ、言い放つ。
対するライラの返答は、いかにも簡潔で――そして、ひたすらに冷徹だった。
「殺しますよ、もちろん」
これまで数え切れないほどの命を殺めた、本物の殺人者の殺気がノアを襲う。
実際に気温が下がったのではないかと錯覚するほどのその凄まじさにあてられ、ノアは思わずたじろいだ。
「それで、撃てますか、私が? ほら……震えていますよ。それで本当に撃てるのですか?」
ノアは必死に銃を構え続けるが、その腕も、そして足も――いや、全身が、ライラの言葉通りに震え始めていた。
その根源は、人を殺めるという行為への恐れだ。覚悟を決めていたはずの行為も、いざそのときを前にすると、最後の踏ん切りを付けきれずにいたのだ。
だが――それも、今この瞬間までだった。
「……撃てないでしょう? 撃てるはずがありません。ろくに死を知りもしないあなたが、人を撃つことなどできるはずがない。それだけの覚悟もないのだから」
「確かに……ずっと人の死に関わってきたアンタに比べれば、俺なんて、一回死にかけたぐらいでビビっちまう、臆病で何も知らない未熟者なんだろうさ。――でもな」
ノアは震えを噛み殺さんばかりに歯を食いしばり、下がりかけていた銃口を引き上げる。
「俺にだって、護らなきゃならないものがある。そのための覚悟なら――ある!」
今こそ――と引き金を引き絞るノア。
しかし、それよりもライラの動きが一瞬早かった。袖口から出した小型ナイフを、手首のスナップのみの最小の動作で投げつける。
果たして――銃声よりも先に響き渡ったのは、澄み渡った金属音だった。
ライラのナイフによってノアの手から弾き出され、宙を舞った拳銃は、そのまま彼の背後に転がり落ちる。
「前言は撤回しましょう、ノア。確かにあなたには覚悟があった。でも……それだけです」
ライラは悠然と、ベルトから別の投げナイフを抜く。
「あなたは結局、庭都の平穏を乱しただけ。そして、護るべき者も危険にさらしただけ。
終わりです――ノア。せめて、苦しまないように殺してあげましょう。安らかに、眠りなさい――」
優雅とすら言える動きで、ライラはノアの額に狙いを付けてナイフを振りかぶる。
思わず目をつむりそうになるノア。
――その瞬間。
来るべき結果に向けて、凍り付いたかのようだった空間に、轟く銃声が割って入った。
「え……」
信じられない、とばかりに大きく目を見開き――のけぞったライラが、そのままゆっくりと仰向けに倒れる。
その額には、血の花が大輪を咲かせていた。
一瞬、何が起こったのかとあ然とするノアだったが、すぐに思い至り、振り返る。
「ハァッ、ハァッ……!」
……果たしてそこには、いまだ硝煙を立ち上らせる拳銃を両手でしっかと握ったまま、小さな肩を上下させて激しく息をつく――信じられないほど険しい顔をしたナビアがいた。
「あたしだって……あたしだって、お兄ちゃんに護られるばっかりじゃない……! これ以上お兄ちゃんに、痛い思いもつらい思いもさせたりしない……!」
「……ナビア、お前……」
予想外の事態に、ライラの部下たちの間にも動揺が広がる。あらためて、ヨシュアの死を想起した者もいただろう。
しかしカインであればともかく、さすがに相手が子供二人、それも武器が拳銃一丁となれば、このまま手をこまねいているわけにもいかないと心を決めたのか。やがて彼らは距離を詰めようと慎重に動き始める。
すると、ナビアは素速く反応し、ノアの前に出て銃を構え直した。
「――近寄るなぁっ!」
華奢な少女のものとは思えない鋭い一喝に、ライラの部下は思わずその動きを止める。
「お兄ちゃんに危害を加えるつもりなら……! 許さない、絶対に許さない……ッ!」
さながら、追い詰められた手負いの獣のごとく、ナビアは敵意をむき出しに、銃の狙いをライラの部下たちの間でさまよわせた。
そのあまりの気迫に、さしもの枝裁鋏隊員もたじろぐが、それでも優位は揺るがないと判断したのか。あるいは――むしろ少女の鬼気に恐怖を感じたがゆえか。彼らは行動を再開する。
しかしその矢先――今度は別の声が、彼らを押し止めた。
「――お待ち下さい」
優しげながら、凛とした響きのある声に、隊員たちはあわてて振り返る。
戸口にいたのは、毅然としたたたずまいのサラだった。
「出過ぎたことを、とおっしゃられるかも知れませんが……今皆様が優先すべきは、その子たちの相手をすることではないのではありませんか?」
サラは春咲姫付きの女官という地位にあり、天咲茎の中では名の知れた人物だが、花冠院直属の枝裁鋏に指示を出せるような権限はない。
つまりは隊員たちに彼女の言葉に耳を貸す理由などないのだが……あるいはその一言一句の内に、彼女の父グレンの覇気を垣間見たからか。彼らはサラを無視できずにいた。
「まだ、皆様ご理解いただけていないようですので、繰り返しますが。
ここを取り戻そうとも、その間に春咲姫がお倒れになっては本末転倒というもの。――違いますか?」
隊員たちを見回し、物静かだが有無を言わせぬ調子でサラは告げる。
隊員たちも、今となってはこの場で兄妹を排除することにさして意味がないことは理解しているのだろう。迷うように一度、倒れたライラをちらりと見た後、彼らはサラの意見を受け容れることを決める。
そしてそうと決まれば、彼らが場を立ち去るのは早かった。
「……助かった……の?」
隊員たちが完全にその姿を消すと、ナビアはさっきまでの気迫が嘘のように、呆然と銃を下ろした。
その無骨な金属の固まりを華奢な手からそっと取り上げ、ノアはうなずく。
「ああ……そうだ。ありがとう、お前のおかげだよ」
緊張の糸が切れたのだろう。すとんと力なく座り込んだナビアは、激情の反動からか、幼子のように、ぼろぼろと涙をこぼして嗚咽を漏らし始めた。
そんな妹を、兄は何を言うでもなく、ただただしっかりと抱きしめてやる。
サラはその兄妹の姿をしばらく見守っていたが、やがて、おもむろにきびすを返した。
それに気付いたノアが、慌てて一言呼び止める。
「サラ、その……ありがとう。助けてくれて」
「私には……不老不死を否定するという、あなたたちの考えが理解できません。共感もできません。だから……私が助けたくて助けたわけじゃない。ただ――」
戸口で立ち止まるも、サラは決して振り返ろうとはしなかった。
「父なら。あの人なら、きっとこうしたと思うから。ただ……それだけのことです」
それでもと、もう一度繰り返されるノアの礼の言葉を背に、その場から立ち去るサラは、いつしか自分の頬に一筋、涙が伝い落ちているのに気が付く。
――ああ、そうか……。
父ならばと、その想いをなかば無意識に代行し、そして彼女はようやく理解したのだった。
――お父さんは、もう……いないんだ。




