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畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
五章  そして、万花は楽園に還りゆく
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4.黒衣の死神


「――っ!」

 ――攻めかかっているのは自分のはずだった。

 それにもかかわらず、ほんの一瞬、スキだと自覚することすら困難なほんの一瞬のスキにねじ込まれてきた手刀は、寸分たがわず急所を狙っていた。

 それを、なかば勘頼みの反射的な動きでかろうじてかわし、グレンは一旦距離を取る。

 カインもかわされたことは予想外だったらしく、深追いはせず、仕切り直しに合わせた。

「……どうしてだ」

 息を整えながら、グレンは言葉を投げかけた。喉の奥から絞り出すようにして――言葉を。

 そもそもは問答などするつもりはなかった。

 だが、激しい戦いの高ぶりは、闘争本能以外の自制心まで、彼自身、そうと自覚する間もなく融解させていた。

 そうして一言形にしてしまえば、わずかな隙間から堤防が決壊するように、次から次へと言葉があふれ出た。

 その思いのたけが、胸の奥に湧き出るままに。

「どうしてこうまでして、娘を殺そうとする。娘を思いやるがゆえと言うが、死によって得られる幸福など、ありはしないだろうに! どうしてだ……!」

「……確かに、死は安らぎをもたらそうとも、その先の幸福まではもたらさないかも知れん。

 だが……死は次代の糧であり、歴史を刻むために欠かせぬもののはずだ。死によって受け継がれていくものが、次の、新しい世界を創り上げていくのだから」

「よく言う。そうして――」

 言うや否や、グレンは一気に距離をつめてナイフを突き出す。

 虚をつかれながらも、危なげなく身をかわし反撃するカインだが、グレンもそれを避ける。

「そうして創り上げられた世界とやらは――歴史とやらはどうだった! 大半の人間は、下らん無為な争いに明け暮れるか、怠惰と堕落を平和と崇めて腐り果てるかの、どちらかでしかなかっただろうが! 挙げ句が――」

 ナイフでの斬撃、さらに拳、蹴りと、必殺の意志を込めた連撃がカインを襲う。

「世界から、あらゆる生命を一掃しかねない、あの戦禍だ! ならば、アンタの言う歴史とやらを刻むことに、一体どれほどの意味がある……っ!」

 連撃をさばいたところに、さらに突き出されたナイフを、カインは握る右手ごと掴まえる。

 あるいは引き剥がそうと、あるいは引き込もうとする――二人の力が拮抗し、膠着を生む。

「そうして見限った人の歴史が、この星そのものに比べてどれほどの長さだったと思う。いかに文化技術の進歩がめざましかろうとも、たかだか数千年程度だ。

 まだまだ若く幼く、それゆえに過ちを重ねようとも、それを省み、正すときは必ず来る――いや……」

 一瞬、力の押し引きの妙を制したカインが、すばやくグレンの腕を引き込み、そのまま投げ飛ばした。

 しかしグレンもとっさに、受け身を取りつつ掴まえられていた腕を外して逃れる。

「……来たはずだったのだ。人がこうして、人としての歴史を放棄しなければ」

 体勢を崩したグレンに追い打ちをかけることはせず、立ち上がるのを待つカイン。

「――人は、愚かだ。だが、だからこそ学ぶのだ。学び、正していかなければならなかったのだ。人として在るべき形を捨てることなく、その限りある命の積み重ねの中で」

「だから、俺たちは滅びなければならないと言うのか。死の恩恵を忘れた俺たちに、もう人としての歴史を刻む資格は無いと……!」

 立ち上がるグレン。

 その熾火のごとき眼差しを受け止めるカインは、冷徹に首肯した。

「――そうだ。お前たちは歴史を安定させたのではない。ただ、停滞させただけだ。そして、時の輪から外れ、永遠ゆえに時を刻むことを忘れたお前たちに、それをもう一度前へ押し進める力は無い。

 ……誰よりもお前たち自身が、そのことを理解しているのではないのか?」

「たとえアンタの言う通りだとしても……俺は、その時間の中に、救いを授かったんだ。一度は喪ったはずの光を……幸福を! それを、もう一度手放すのが正道だと言うのなら――」

 姿勢を下げた状態から、グレンは床を蹴る。

 あまりに鋭く、それゆえに防御を考えていないことが明確なその挙動に、カインはそれが決死の意を込めた渾身の一撃であることを悟った。

「そんなものは、クソ喰らえだ!」

 己の意志すらも刃に乗せるかのごときそれは、これまでのどの一撃よりも速く――刹那の交錯に、肉を切らせて骨を断つことも辞さない、正真正銘の捨て身の一撃だった。

 ――だが。

 それも、死を告げるためだけに在る、死そのものたる死神には無力だった。

 少なくとも手応えは確信していたはずのグレン自身が、そこにある黒衣が残像に過ぎないと悟った瞬間――。

 その左胸を、研ぎ澄まされた圧倒的なまでの衝撃が、文字通りに撃ち抜いた。

「――それでも。外れてはならないからこその、正道だろう」

 グレンの突撃の勢いを利用し、さらにカイン自身も渾身の力を込めて放った貫手は、まさしく槍のごとく、肘まで深々とグレンを刺し貫いていた。

「ちっ……。やっぱりアンタにゃ……かなわん、か」

 グレンの手から滑り落ちたナイフが、床で乾いた音を立てる。

 次いで、腕を引き抜くのに合わせて、力無く崩れ落ちようとするグレンの身体を、カインは受け止めた。

「しかし、あるいは私も……立場が違えば、お前と同じ道を選んだかも知れんな」

 グレンを手近な柱にもたれかけさせてやりながら、カインは静かな声でそう告げた。

「それは……お互いさま、だろうよ……」

 血を吐き出しながらも、グレンは微苦笑さえ浮かべてまた、ふんと鼻を鳴らす。

「くそ、まったく……情けねえ……。どのツラ下げて……家族に会えばいいんだか……な」

 そうして、柱にこつんと頭を打ちつけ――グレンはゆっくり目を閉じた。




             *


 ――データルームの中央に鎮座する、無機質に黒光りする大きな機械を見てナビアは最初、金属で作った大樹のオブジェかと思った。

 幾つもの高機能コンピューターを繋ぎ合わせて築かれているそのメインシステムは、根のように幾重にも延びるケーブルや、硬質な樹皮のような外枠といった見た目をしていたからだ。

 そして実際にそれは、庭都(ガーデン)の中心たる天咲茎(ストーク)という大樹同様に、庭都のあらゆる情報網の中心と言う意味で、やはりもう一つの大樹だった。

 その大樹の前に用意されていた、整備用らしい大きな端末に、さらに自前の掌携端末(ハンドコム)三枚も接続して……ノアは今まさに、激戦の真っただ中にいた。

 まだ違和感が残るとぼやいていた義手すらもたくみに操り、どう動かしているのか目で追うことすら困難な速さで、総計四つに及ぶ端末の、キーやら、モニターやら、宙に浮かぶ映像そのものの間に、わずか十しかない指をこれでもかと踊らせる。

 やがて――。

「よし……勝ったっ!」

 額に浮かぶ汗をぬぐうのはもちろん、まばたきすら忘れているのではないかというほどに端末の操作に没頭していたノアが、そう叫んで顔を上げる。

 いつの間にか、さっきまで目まぐるしく移り変わっていたはずの四つの端末の映像はすべて、まったく同じものになっていた。

「勝った、って?」

碩賢(メイガス)のじーさんにだよ。別の場所――多分自分の部屋から、このメインシステムが俺に乗っ取られないように邪魔してたんだ。でも、もうシステムは俺が完全に押さえたから大丈夫だ」

 得意気にまくし立てる兄にナビアは、曖昧にうなずくことしかできない。

 彼女の知識では、どう説明を受けても、喜びを完全に分かち合うことは不可能なようだった。

 ただ、カインのサポートをするという一番の目的に近付いたことぐらいは理解できる。あらためてそのことを尋ねると、ノアは任せろとばかりに胸を叩き、早速新たな作業に入った。

「あたしは……」

 何か自分でも手伝えることはと、周囲を見渡してナビアは、ノアが向かい合っているものとは別のモニターに気になる映像を見つけ、慌てて兄を呼ぶ。

「お、お兄ちゃん、あれ!」

「ん? この部屋の前の映像か?……って、あれは――!」

 監視カメラのようなものなのか、データルーム前らしい映像の中に映っていたのは、ドアの前に押し寄せて来る、ライラとその部下らしい枝裁鋏(シアーズ)の集団だった。

「どうしよう、今入ってこられたら……!」

「ドアは真っ先にロックしたから、そう簡単に突破されやしないよ。大丈夫……大丈夫だ」

 大丈夫と繰り返しながらも、打って変わって緊張した面持ちで、ノアは作業を再開する。

「今はとにかく、カインの前に、春咲姫(フローラ)のところへたどり着く道をつくることに集中しないとな……!」



「……まったく、やってくれるわい……」

 肺に溜まっていた空気を根こそぎ外に出すかのように、碩賢は大きな息を吐き出した。

 メインシステムのコントロールを巡る攻防は、彼の完全敗北だった。

 まだ不慣れな義手というハンデを抱えているはずの少年は、全身全霊を傾けて相対した彼を上回ったのだ。

 今さらながら、ノアの才覚、そして――モニターを通して伝わってくる気迫に、彼は舌を巻くしかなかった。

「本当に、まったく……子供というのは、あっと言う間に成長するものじゃな」

 戦跡と化した端末を前に、そんな想いをつぶやく碩賢は、どこか満足げですらあった。

 もはやモニターは何を映すこともないが、碩賢はその先に、カインの――そして自分たちの信念のためにと奮闘する兄妹の姿を思い描き、研究者らしい思索に意識を移す。

 果たして人間の、生への飽くなき執着は、彼らを――人の都合だけでなく、世界との調和を考慮するがゆえに人をいさめようとする彼らを――超えることができるのだろうか、と。




             *


「これ以上先に進ませるな! 食い止めるんだ!」

 回廊の先に黒衣の人影が見えるや、列を成しバリケードとなっていた警備隊員たちは一斉に、構えていた拳銃を発砲する。

 有効射程距離から言えば早過ぎるタイミングだったが、とにかく牽制して近付かせないようにしたいという思いが念頭にある彼らの心情からすれば、姿が見えている時点ですでに遅いぐらいだった。

 ……実際のところ彼らは、死を恐れてはいたが、その源を止めるのは決して難しいことではないと、誰もが心のどこかで高をくくっているところがあった。

 それも当然だろう、なにせ相手はいかに強くとも一人、対してこちらは、グレンのような強者を始め、総勢百人を超える戦士が集っているのだから。

 だが、正門前を突破されたのをきっかけに、要所を守っていた守備隊の壊滅の報せが次々に届けられるにつれ、彼らの戦意のうちに、徐々に剥き出しの恐怖が幅を利かせ始める。

 データルームのコントロールが乗っ取られたということで、機器による通信が途絶してしまい、原始的な人伝での情報しか入ってこなくなっているところが――相手を正確に捕捉できていないというところが、また不安を煽る一要素だった。

 そしてその恐怖は、実際に黒衣の死神が視界に入ると、頂点に達した。

 訓練を実践して戦うという意気などもはや無いに等しく、ただただ、泣き喚く幼子のように、恐怖の対象を遠ざけるべく、手にした武器を闇雲に振るうのみ。

 あるいは、死を持つ普通の人間ならば、ここまで追い込まれれば逆に開き直り、実力を上回る底力と気迫で、それこそ命を賭けて戦おうとしたことだろう。そしてそうなれば、いかにカインとて苦戦は免れなかったかもしれない。

 だが皮肉にも、彼らは死から解放され、死を知らないがゆえに――命の本来の形を知らないがゆえに、命の使い方をも知らなかった。

 人が人として生をなす上で、己の命は必ずしも第一には成り得ず、ときとして、より大切なもののために、なげうたなければならないということを――そしてそれこそが、困難を打ち砕く、最も強い力であるということを。

 それでも、銃なら、逃げ場の無い狭い回廊内という地の利も加わって、カインを止めるのに充分な力を持つはずだった。そしてその程度でも勝算があったからこそ、彼らは逃げ出したりせずにいられたのだ。

 しかし――その勝算すら、カインを相手にするには甘すぎる算段だった。

 遠間では絶えず身体を左右に振って狙いを外していたカインは、ある程度の距離まで近付くと、勢いを付けて壁へと飛ぶ。

 そして、壁に彫り込まれた彫刻の僅かな凹凸を足場に一気に天井近くまで駆け上がると、自ら天井を蹴って自由落下に角度と勢いをつけ、一瞬のうちに距離を詰めて、バリケードの眼前に着地する。

 人は往々にして、左右に比べて上下の動きへの対応が弱い。ましてや、正常な精神状態でないとなればなおさらで、ただ直進する相手を追い払うつもりでいた守備隊たちは、回廊を立体的に使ってのカインの動きに、まるで反応が追い付かずにいた。

 そして――状況を理解したときには、すでに何もかもが遅すぎた。

 思考など吹き飛び、ただ本能の命じるままがむしゃらに、銃を、軍刀(サーベル)を向けるも――その向けた相手から、黒衣の死神は命を刈り取っていく。

 黒衣がひるがえるたび、その闇の中に命が取り込まれていくように、一人、また一人と。

 ……回廊を塞ぐほどだった人数の守備隊が、倒され、逃げ、最後の一人となるのにそれほど時間はかからなかった。

 残った一人は、軍刀を抜くことも銃を構えることも、逃げることすら忘れ、腰を抜かして、返り血すら浴びていないかのような死神を見上げ、その大鎌が自らに振り下ろされる時を待つばかりだった。――少なくとも、彼自身はそう思っていた。

 しかし、結局その時は訪れなかった。

 戦意どころか敵意すら失った彼に、カインが立ち去る前に向けたのはただ、一瞥だけだった――殺意ではなく、憐れみに満ちた眼差しの。




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