2.咲花の覚悟
――天咲茎の中央会議室は、重苦しい空気に沈んでいた。
少なくともグレンの知る限りでは、これほどに沈鬱な空気は、数百年前の大規模な反乱事件以来のはずだった。
あのとき、庭都の安寧のためにと、周囲の進言を容れて、反乱扇動者たちの徹底排除を決断した春咲姫の、たとえようもないほどに悲痛な表情は今も忘れられずにいる。
だが、上座に落ち着く少女の表情は、場こそ似通った空気の中にありながら、かつてのものとはまるで違う色をたたえていた。
それは、どこか涼やかですらあった。
もともと、そうすべきときには気配からして凛としてみせる芯の強い少女だったが、今の彼女は、意識せず、自然とそうなっているように見受けられたのだ。
急に大人になったようだと、そんな風にグレンは感じた。
「――と、以上が、先日ワシとグレンがカイン本人と直接話した内容じゃが……」
そこで一旦言葉を切り、碩賢はこの場に集った一同をぐるりと見回す。
本来なら、この会議場は新史生まれの者も含めた、十人を超える花冠院のメンバーが意見を交換する場なのだが、現在長卓を囲んでいるのは、唯一春咲姫のそばに控えるサラを除けば、全員が旧史生まれ――それも、葬悉教会崩壊の頃より関わりのある古参の者ばかりだった。
碩賢は最後に視線を上座の春咲姫に戻して、着席しながら問いかける。
「……春咲姫。あらためて、お前さんの本心を聞きたい」
グレンや碩賢の独断行動については、ひとまず問題行為としての審議は先送りにすることがすでに決まっていた。が、たとえそうでなかったとしても、この場の誰もが、わざわざ今そのことを追及しようなどとは考えなかっただろう。
皆の意識は、上座の少女の真意――ただ、その一点に集約されていたからだ。
そしてそのことを承知の上で……しかしうろたえることなく、少女は口を開く。
「――父の、言った通りです」
春咲姫のきっぱりとした一言に、反射的にライラが身を乗り出して何かを言おうとするが、隣席のウェスペルスがすばやく腕を出してそれを制した。
春咲姫はそんな二人のやり取りをちらりとだけ見て、言葉を続ける。
「ノアたちが不老不死を否定して天咲茎を出たとき……わたしは確かに、父の墓前で願いました。あの子たちが何事もなく無事に保護されるよう護ってほしいと。
そして――もしもあの子たちこそが正しくて、わたしが間違っているのなら、どうか罰を――死を与えてほしい、と」
春咲姫自身の口から告げられた事実に、場の空気が、なおも張り詰めた。
グレンは思わず、娘サラの様子をうかがう。
不老不死の源であり庭都の平穏の象徴でもある春咲姫が、自らの死を願う――その事実は、新史生まれの人間には相当な衝撃ではないか――そう案じて。
だが意外にも、サラは驚きこそすれ、取り乱してはいないようだった。何かに納得しているような落ち着きさえあり……むしろ、反応の大きさではライラの方が激しいぐらいだった。
「オリビア、あなた……」
春咲姫という公式の場での呼び名を使うことさえ忘れて絶句するライラに、少女は一言「ごめんなさい、ライラ」と謝った。
「……でも。これは、一時の気の迷いで出た願いなんかじゃありません。ずっと……永い間。不死にしてもらった、そのときからずっと、わたしの心に刺さっていた小さなトゲ――本当にこれで正しかったんだろうか、っていう疑問。……そこから生まれた願いだから」
千年の間胸に秘してきた想いを、真摯に言葉にした春咲姫は、一同に向かい頭を下げる。
「……ごめんなさい。わたしはずっと、そうして不老不死への疑問を抱き続けていたにもかかわらず、それを秘して、庭都のみんなの命を巻き込んできました。
もちろん、そんなつもりはなかったけれど……そのことを、だましたと感じる人もいるかも知れません。でも……今言ったこと。それが、嘘偽りのない、わたしの本当の気持ちです」
春咲姫の言葉を受けて、その真意を考え理解しようとしてか、一同はしばし沈黙する。
グレンも同じく押し黙っていたが、それは、少女の心情に思いを馳せてのことだった。
彼にとって春咲姫の告白は意外ではあったものの、不思議ではなかった。旧史の標準的な倫理観の中で生まれ育った人間なら、それは抱いて当然といえるような疑問だったからだ。
だがだからこそ、あまたの人々の命を担う中心的存在として、永い年月を一人、その疑問と周囲の環境との折り合いをつけ続けてきた苦労は、決して軽いものではなかっただろう――と。
「では……春咲姫」
沈黙を破って口を開いたのは、少女に次ぐ上座に位置するウェスペルスだった。
「君の意志は、カイン――永朽花に、命を引き渡すこと……それでいいのかな?」
一瞬、場の空気にさざ波が立つが、ウェスペルスはまるで気にすることなく続ける。
「勘違いしないでほしい。僕はそれに反対しているわけでも、まして君を責めているわけでもない。僕はただ、君の好きなようにして欲しいと、そう背中を押してあげたいだけなんだ」
「ウェスペルス、あなた……! 何を言ってるか分かってるの?」
声を荒らげるライラに、対照的に静かな視線を向けて、ウェスペルスは「もちろん」とうなずく。
「春咲姫が死を迎え入れるということは、すなわち、彼女の不凋花によって生き永らえている末端組織の僕らもまた、例外なく命を落とすということ――それは分かっている。
だけどだからこそなおさら、僕は春咲姫の意志を尊重したい。
僕らの関係は、いわば創造主と被造物という形に近いだろう。そして、創造主だからといって被造物――それも意志持つ存在を好き勝手にできる道理なんてない。けれどこの庭都に生きる誰もが、すでに本来の人間の寿命を超越した永い時間を生きてきている。
なら……創造主が死を望むなら。これ以上生き続けることが苦しいと言うのなら――認めてあげるべきだと思う。許してあげるべきだと、思うんだ」
「……ボスの言うことにも一理あるな」
ウェスペルスが述べた思いのたけに、すかさずグレンが同意する。
「はるかな昔から、被造物の人間に救いの手を差し延べるどころか、さんざんに引っかき回す材料にしかならなかった本来の創造主サマに比べれば……だ。春咲姫はこうして悩み惑う人間の身でありながら、人々のためを思い、皆が幸せに生きていけるようにと、手を尽くしてきてくれた。そして実際、俺たちは永きに渡って満ち足りた生活を送ってきたはずだ。
もちろん俺も、それがこの先も続けばいいと思う。だがそれが、春咲姫一人の心に負担を強いて得られるものであるなら、素直に喜べるものじゃない。
だから、春咲姫が望むのなら……これまでの恩返しの意味も含めて、望み通りにさせてやるのが、道理ってものじゃないか?」
「ウェスペルス、グレン……二人とも、どうもありがとう」
柔らかな微笑みとともに、春咲姫は礼を告げる。
「おかげで、あらためてはっきりと、心を決めることができました」
「オリビア、あなたまさか本当に……!」
取り乱すライラに静かに首を振ってみせると、春咲姫はキッと――毅然とした表情に戻り、真っ直ぐに前を見据えた。
「わたしは――あらがいます。大人しく、死にひざまずくことはしません」
春咲姫の宣言に、その場のほとんどの者が驚きを隠さずに少女を見た。ただ一人、小さくうなずく老成した少年を除いては。
「わたしの心には、確かに死を望む心もあります。それは、こうして意志を固め、宣言した今も、そしてこれからも……小さくなり、隠れることはあっても、決して消えることはないでしょう。グレンが言ったように、わたしは神様なんかじゃなくて、迷い、惑う――ただの人間でしかないから。
でもわたしはやっぱり、この庭都を護りたい。ここで平和に暮らす、みんなの幸せを護りたい。たとえそれが世の理に反したものだとしても。歪んだ幸せなのだとしても。わたしは……今、ここにある命、ここにある笑顔を、失いたくない――」
そこで一度言葉を切り、春咲姫は小さく深呼吸した。誰もが固唾を呑んで、凛々しくまなじりを決した少女の言葉を待つ。
「だから――戦います。きっかけになったのはわたしの弱い心なのだから、こんなことを頼むのはおこがましいかも知れないけれど、どうか、みんなの力を貸して下さい。
願いを聞き届けてくれた父を、拒絶した上で、もう一度死に追いやる……ただのわがままではすまされない、そんな親不孝で不敬極まりない大罪を背負うことになろうとも。
わたしは――みんなとともに、この庭都とともに、生き続ける道を選びます……!」
*
「……そっか。碩賢のじーさんが太鼓判を、ね……」
どうして自分が、不凋花に死を与えることができるのか――。
カインが碩賢に言われた通り、目を覚ましたノアに問いかけると、ノアは感覚を慣れさせようと何度も義肢の左拳を握り直しながら、カプセルの中で上体を起こした。
丸一日近く、特別製の医療用カプセルで休息したためだろう、ノアの顔色は、生死の境をさまよっていたとは思えないほどに良くなっている。
「じーさんが不凋花について書いた論文の中に、永朽花ってものについての記述があるんだ。世の中、ありとあらゆる存在に裏表があるんだから、不凋花もまた例外じゃないはずで、絶対の死を司る存在があってもおかしくはないって仮定してるんだけど」
「永朽花……か。つまりは……それが私だと?」
「そう。多分、じーさんもその論文を書いたときには、世の摂理に沿った仮定をしたっていう程度で、本気でそんなものがあるなんて信じてなかったと思う。
でも……その仮定は間違ってなかった。
確かに、まさに奇跡そのものの不凋花の対極の存在となると、突然前触れもなくぽっと世に現れるとは思えないし、しかも実際それについての伝説なんてまるで無いんだから、存在そのものに否定的になるのは当然だ。
けど……それが不凋花から分化するものだとしたらどうだろう。まさに表裏であるように、不凋花の別の一面でしかないとしたら……?」
「生の象徴たる不凋花の、死の一面が永朽花――ということか? しかし私は、その不凋花がオリビアに移植される前に死んでいるのだが」
「だからこそ、だよ」
ノアは少しぎこちない動きで左手の人差し指を立ててみせる。
「カイン。アンタは……死んだ後に、不凋花を受け入れたんじゃないかな」
「死んだ後に……?」
「そう。アンタが甦ったというのも、一度完全に腐敗して土に還ったのが、超常的な力でこうして元の姿形に復元されたと考えるよりは、もともと、死んだときのままだった――と考えた方が納得できるだろう? それが、不凋花による作用だったんじゃないかな。
生き返らせることはできなくても、遺体をそのままの状態で完全に保存する――つまり、死者を不老不死にしていたんだと思う。もっとも……その効果は、副次的なものに過ぎないんだろうけど」
そこまで言って、ノアはわずかに目を伏せた。
「……昔はさ、それこそ不老不死だって奇跡だったんだろ。だからアンタを喪ったと知ったとき、春咲姫はその奇跡の生命力に再生を願ったんじゃないかな。わらにもすがる思いで。
俺だって、同じ立場なら……そうしていたと思うしさ」
ノアはついと、隣室に通じるドアの方に視線を向ける。
その先にある備え付けの簡易キッチンでは、ナビアが食事の準備をしているところだった。
「しかし、私は甦ることなく……ただその姿形だけが保たれた、ということか」
「ああ。それで、この千年で少しずつ変化していったのか、それとも春咲姫の死を望む強い気持ちが引き金になって突然変異したのか、そこまでは分からないけど、アンタの中で永朽花と成った不凋花は、アンタにもう一度、死者としての仮初めの命を与えたんだ。だから――」
「私は不凋花に死を与えることができる、か。そのためだけに目覚めた死者であるがゆえに」
自らに宿る何かを確かめようとしてか、カインは手の平にしばし目を凝らす。
ノアも何を言うでもなく、その姿を見守っていた。
やがて……自分なりに納得したのか、一つうなずいたカインは、「それで」と、ノアに次の話の矛先を向けた。
「お前たちがこれからどうするか、だが……」
「まさか、決着がつくまでどこかに隠れてろ、なんてことは言わないよな?」
胸を反らせたノアはふん、と力強く鼻を鳴らした。
「どのみち俺たちが地上へ降りるためには、天咲茎の敷地内にあるエレベーターを使うしかないんだぜ。しかも、アンタは確かに強いけど、いざ天咲茎に乗り込んだとして、ゲートのロックを外したりとかはできないだろ? サポートする人間が必要じゃないか?」
「それはそうだが……」
「それにさ、言っただろ? 俺たちは見届けるのが役目だって。そりゃ、ずっとアンタにつきっきりってわけにはいかないだろうけど、人の歴史の幕引きを頼んだ俺たちが、最後の時を安全な場所で隠れてるなんて、そんなの……そんなの、無責任じゃないか」
正しいと信じての行いでも、人の死――しかも十万を超える人間の最期に関わるとなれば、その重責は計り知れないものだろう。
できれば、兄妹にはその重荷を背負わせたくはないカインだったが、ノアの提案に、長くは迷わず同意する。
「……分かった。力を貸してくれ」
それはノアの言い分に納得したからでもあるし……同時に、彼らの決意、その固さを再認識したからでもあった。
自分がそうであるように、彼らもまた覚悟を決めたのだ――と。
「ああ。当たり前だろ」
ノアとて当然、自分たちがやろうとしていることの重さは充分に理解している。決してそれが、正義などという綺麗な言葉で便利に片付けてしまえるようなものでないことも。
だがその上であえて、彼は自らを鼓舞するように、明るく、強気に振る舞ってみせる。
「そうと決まれば、まずは腹ごしらえだよな。……薬液だけじゃ、腹が減って仕方なくてさ」
「それこそが、お前が生きている証拠だな」
そう微笑んでカインは、簡易キッチンに続くドアに目をやる。
すると、ノアの訴えが届いたとばかりに、ドアを開けて、大きなトレイを両手で捧げ持ったナビアが姿を現した。
「おっ、いいタイミング!」
期待に輝く目で、手近な大きい箱形の機械をテーブル代わりに、ナビアが置いたトレイを目で追うノア。
トレイを飾るのは、様々な具材とともに炊き込んだらしい大鍋の米料理だった。
「保存食ぐらいしかなかったから、適当に組み合わせてお料理してみたんだけど……」
「これだけできれば充分過ぎるほどだ。――そうだろう、ノア?」
料理を取り分けるナビアを尻目に、カインはノアに話を振る。
素直に褒めるのが気恥ずかしいのか、わずかにためらいはしたものの、結局ノアはカインの言うがままに大きくうなずいた。
「――そうだ、ナビア。以前作ってくれたシチューだが……」
「あ、ゴメンねおじさん、あれは……ちゃんとした食材がないと作れなくって」
「いや、そうじゃない。……お前にあれを教えたのは、春咲姫だな?」
「うん、そうだよ。あれだけは、他のお料理に比べて、春咲姫がもうすっごい細かいところまで気にするから、覚えるの大変だったんだ。――って、どうしておじさん……」
そこまで言って、自分なりに思い至ったらしいナビア。
カインはカインで、それだけ聞ければ充分だったのだろう――穏やかに微笑みつつ、「そうか」と静かにうなずいていた。
*
――その日は朝早くから、サラは春咲姫の身支度を手伝っていた。
他にも身の回りの世話をする女官はいるのだが、今日ばかりは彼女自身と春咲姫の希望により、彼女一人でゆっくりと長い時間をかけて、磨き上げるように少女の身なりを整えていく。
しかし特別な装いを手がけているわけではない。肌や髪の手入れから服装に至るまで、普段の正装とほとんど変わりはない。ただその普段の身支度を、細部までいつも以上に気を遣い、ひたすら丁寧に、心を込めて行っているのだった。
普段と同じ、質素ながら穏やかで優美な、淡い色合いのドレスを選ぶのも、それが最も少女を引き立てるからに他ならない。
温室に育つ高貴な麗花でも、大樹に咲き誇る佳花でもなく、野に秘めやかに咲く、可憐で純朴な愛花――それが、春咲姫と呼ばれる少女だからだ。
今日という日は、庭都にとって、春咲姫にとって、そして人間にとって。節目とでも言うべき、特別な一日になるのだろう――。
そんな思いを噛みしめながらサラは、まるで嫁ぐ娘に母親が最後の愛情をかけるように……ゆっくりそっと、ザクロ石を思わせる、つややかに赤みを帯びた素直な髪をすいていく。
昨日の会議に出席したサラは、これが、ともすれば少女の死化粧となるかも知れないことも承知している。承知しているが、意識はしていない。
彼女はただ、今日の春咲姫がこれまでで最も美しく、愛らしくなるようにと、それだけに心を砕いていた。
サラの動きに合わせて、春咲姫が小さく鼻を鳴らす。
気持ちよさそうに目を細め、されるがままになっている姿は、日だまりで昼寝する子猫のようで、サラも思わず頬をゆるめていた。
春咲姫が死を迎えるということは、自らもまた、死ぬということ――彼女はその事実も理解していたが、彼女自身不思議なほど、心は穏やかに落ち着いていた。
その理由は、そもそも彼女たちの勝利を信じているということもあるが、何より、春咲姫と命が繋がっている事実があるからだった。彼女にとっては、母のようでも姉のようでもあり、同時に、妹のようでも娘のようでもある、実の両親と同じぐらいに敬愛する春咲姫。
そんな彼女とともに死を迎えられるのなら――死してのちもともにいられるなら、それは一人取り残されるよりも、よほど慈悲深いことだと思えるからだ。
「……ごめんね、サラ」
何の前置きもなく、唐突に謝罪を口にした春咲姫に、サラは髪をすく手を止めることなく、ゆったりとした口調で「どうしました?」と問い直す。
「うん……。不老不死に疑問を抱いたこととか、それをずっと黙っていたこととか」
前方の姿見を見据えたまま、凛とした調子で答える春咲姫に、思わず笑みをこぼすサラ。
「……存じ上げておりましたよ」
その返事はよほど予想外だったのだろう、少女は目を丸くして勢い良く振り返った。
それを、せっかく整えた御髪が乱れますよ、と笑顔でたしなめてから、サラは続ける。
「あれほどまでに思い悩んでいらっしゃるとは思いませんでしたけど。それでも、ずっと何かを気にかけていらっしゃることには気付いておりました。そう……もう、ずっと以前から」
春咲姫は小さくため息をついた。
「すごいね、サラ。誰にも気付かれないようにしていたつもりなのに」
賞賛の言葉に、サラは姿見越しに首を横に振ってみせる。
「いいえ。結局、その内容までお察しできませんでしたし、たとえ打ち明けていただいていたとしても、新史生まれの私では、満足されるほどの答えは差し上げられなかったでしょう。ですから、私の方こそ、お力になれなかったこと、おわびさせていただきたいぐらいです」
そんなこと、と言いかけて、このままでは不毛な水掛け論になることに気付いたのだろう。春咲姫は気を抜くように一つ息をついて、表情を和らげた。
「それじゃあ……ありがとう。そうして、いつもわたしのことを気にかけてくれて」
謝るのではなくお礼に切り替えたことに、サラも笑顔で応じる。
「こちらこそ。お仕えさせていただき、ありがとうございます」
部屋のドアがノックされたのはそんなときだった。
春咲姫が応じると、ドアの向こうから、広場の方の準備は整いました、という返事が返ってくる。
「分かりました。こちらも準備が済み次第、向かいます」
ドア向こうの気配は、かしこまりました、と答えて遠ざかっていった。
「……さて、いよいよですね」
いたわるようにサラは春咲姫の細い肩にそっと手を置く。
庭都全域には無理でも、せめて天咲茎を――そして自分を護って戦ってくれる人たちには、最低限の礼儀として自分の口から、自分の言葉で、事の経緯を説明したい――。
そんな本人のたっての願いにより、春咲姫はこれから演説を行うことになっていた。先程の連絡からすると、すでに会場となる庭園の広場には、警備隊や枝裁鋏を中心とした多くの人間が集まっていることだろう。
「うん。……さすがにちょっと、緊張するね」
聴衆にとって、決していい報せではない事実を語るのだ。非難を受ける可能性も考えれば、緊張して当然だろうとサラは思う。
だから、少しでもそれを和らげられればと彼女は、二度、三度と深呼吸する少女の肩を優しくさすりながら、自らの考えを告げる。
「……春咲姫。あなたのお父様が懸念されているように、もしかしたら、不老不死というのは世界にとって、理を歪める罪深いことなのかも知れません。ですが……私は、それがあったからこそ、こうして世に生を受けることが出来たのです。ですから、これが過ちで、実態のない夢のようなものだとしても――今、私が幸せであること。それは、確かなのです。
そして、もう一つ。
もし……もし仮に、今日を最後にこの身が滅びることになっても。私はあなたを、決して恨んだりはしません。昨日、父グレンが申しましたように……私たちのことを想い、幸せを願い、そしてそれを実践し続けてくれたあなたに寄せるのは、どのような結果になろうとも、ただ、感謝の心のみです。
どうか、そのこと……お心に留め置いて下さい」
「うん……ありがとう、サラ」
感謝の言葉とともに、春咲姫は自分の肩に置かれたサラの手に、そっと自分の手を重ねた。




