〈後章〉
Ⅲ
――妙な命令だ、とは思った。
だが、そもそも私に拒否する権利などなく……さらに言えば、命じる彼らのその異様なまでの熱の入れようは、たとえ他に選択肢があったとしても、有無を言わせぬほどのものだった。
『花を一輪、手に入れてこい――』
その命令に従い私が向かったのは、砂漠の真っただ中、砂に埋もれるようにして人知れずひっそりとたたずむ、小さな遺跡だった。
その遺跡の地下の空洞――そこは、天窓のように開いた穴から、悠久の時を刻むかのごとく物静かに流れ落ちる砂の滝と、細やかな砂粒を宝石さながらにきらめかせる陽光が織りなす、幻想的な美しさを備えた秘境だ。
そして同時に、その美しさは、生命という存在に汚されていないからだと言わんばかりに――あらゆる生命を拒絶する不毛の地でもあった。
「……呪われよ……禁忌を望む者……罪深き者よ……」
足下の石床で血の海に沈む、全身に入れ墨を施した男が、私を見上げて呪詛を吐く。
彼と、他はわずか数人からなるその一族は、遥か太古より永劫の時を、私が求めてきた花を――たった一輪の花を、略奪者から守護するそのためだけに、この地で細々と生きてきたのだという。
彼らのような『守護者』がいるからこそ、組織は、私をこの地へつかわしたのだ。実力をもって、かの花を奪い取るために。
「……くっ……」
気を抜けば、今にも膝から崩れそうになる。
……血の海にいるのは私も同じだった。一番重いのは腹部の傷だが、出血はあらゆる場所に及んでいる。
こんな場所に隠棲し、ただただ守護者としての役目をまっとうしてきただけあって、彼らの戦闘能力は常軌を逸していた。かろうじてとは言え、私がまだ生きているのが不思議なほどに。
――いや……このままでは私も、いつまで保つか分からない。一刻も早く目的の物を手に入れて脱出する必要がある……。
満足に動かない身体に鞭打ち、足を引きずって、私は空洞の奥を目指した。
「呪われよ……罪深き……者……」
恐らくは長なのだろう、一族を束ねていた入れ墨の男は、その一言を最後に事切れた。
本来なら、こちらの勝手な理由で命を奪った彼らを、手厚く葬るのが礼儀なのだろうが……今の私にはその余裕すらなかった。
わずかな間、黙祷だけを捧げて、私は再び足を踏み出す。
「分かっているとも……罪深いということぐらいは……」
そう、言われるまでもない。私は己の願いのためだけに他者の命を奪い続けてきた咎人だ。あらためて呪われるまでもなく、死した後は、地獄で永遠の業火に焼かれ続けることだろう。
だが――それでも。
それでもなお、私にはやらなければならないことがある。
たった一つの命のために――その命が、自らの生の中に、生きたという証を見つけられるように。その時間をほんのわずかでも引き延ばし、つむぎ出すために……。
「……あれ……か」
空洞の最奥。祭壇か、あるいは――墳墓のごとく、小高く積もった砂の山の上、射し込む一条の光の中に、その花は咲いていた。
この不毛の空間にあって、その可憐な一輪の白い花は、まさしくただ一つの生命だった。
それは、限りなく神々しく……そしてそれゆえに、どこかしら恐ろしくもあった。
守護者の一族が、永い時を、あれほどに自らを鍛え上げてまで護り続けてきた花――そこには想像もつかない尋常ならざる理由があるのだろう。いかに知識のない私とて、この花がただの花でないことぐらいは分かる。
だが――私に、引き返すという選択肢はないのだ。
出血のせいでかすむ目を必死に見開き、私は白い花に近付き、手を伸ばす。
そうして指が、まさに花に触れるその瞬間――。
「――――!」
私は、ほんの一瞬のことながら、これまで人を殺めることで感じていたものとは別種の……空恐ろしい罪悪感を、唐突に感じた。
それが、触れてはいけないものに触れてしまったという禁忌への本能的な恐怖なのか、あるいは多量の出血で朦朧とし始めた意識が見せた幻なのか……。
私には、どちらとも判別のしようがなかった。
Ⅳ
砂漠の遺跡で『花』を手に入れた私は、組織の回収班によって、かろうじて絶命前に施設へ運ばれ……目覚めた際そばにいたライラの話によれば、一ヶ月近くもの間、昏睡状態にあったとのことだった。
しかし――今の私に、自分の身体を心配している暇などなかった。
呼び止めるライラを振り払うようにして病室を飛び出すと、一路、娘の――オリビアの病室へ向かっていた。
現況を教えてくれたライラの話は、にわかには信じがたいものだったが……しかし理性よりももっと奥深い感覚が、彼女の話はすべて、嘘偽りのない真実だと訴えていたからだ。
『――カイン、オリビアは助かるの。決して死ぬことのない、不老不死の命になって……!』
ライラが目を輝かせて告げた言葉が、頭の中で悪夢のように反響する。
彼女によれば、私が手に入れてきた花は『不凋花』と呼ばれる、不老不死の因子となる花なのだという。
古代より様々な伝説の内に語られ、多くの権力者が探し求めた、幻の花。
その不凋花の実在も視野に入れた上で、独自の手法で不老不死を研究していた碩賢を、葬悉教会が強引にでも手元に引き込んだのは、不凋花の隠された場所に見当を付けたためだったのだ。
そして実際に私を使って花を手に入れた組織は、碩賢に、その花で不老不死の研究を完成させるよう強要したという。
その技術が組織に渡ったりすれば、ゆがんだ目的に使われるのは間違いない。しかし、逆らいようがない組織の強要であろうと、碩賢にとっては、苦しむ人々を救いたいと、長年に渡って続けてきた研究でもあるのだ。
実際彼は、私が昏睡状態にあるこの一月の間、精力的に研究を行い……そしてついに、不凋花を用いて人が不老不死を得る術を見出したという。
だが、それは――。
「……カイン……」
オリビアの病室へ向かうため中庭へと飛び出した私を、強まる嵐の中待ち受けていたのは、オリビアを最も慕い――そしてオリビアに最も慕われる少年、ウェスペルスだった。
「……そこをどいてくれ、ウェスペルス。私は、あの子を……オリビアを、不老不死などにさせるわけにはいかないのだ」
そう……そのまま摂取したのでは、拒絶反応により人体にとってむしろ猛毒となる不凋花、その細胞を安全に、かつ確実に人体に定着させる方法――。
それは、あまたの人間の生体サンプルの中から、たった一人だけ拒絶反応なく不凋花との共生に成功した人物――その人物の体内に不凋花そのものを移植し、血液と結合して人体への適合力が高まった不凋花の細胞を、あらためて他の人物に投与するというものだった。そして、そのたった一人の適合者は――これこそが私への神罰だとでも言うのか。他ならない、娘のオリビアだったのだ。
「ウェスペルス、お前が、不老不死の秘術の完成をエサに、組織の幹部をおびき寄せ、一網打尽にしようとしているという反乱の計画は、ライラから聞いた。そのための根回しもすでに済ませてあることも、そして私に協力を求めていることも。
組織の壊滅に力を貸すことに、もちろん異存などない。だが……オリビアの件は別だ」
「……どうして? オリビアの状態も聞いただろう? わずかの間に急激に体調が悪化した彼女は、今まさに生きるか死ぬかの危険な状態だ。他の方法なんて探っている暇はない、不凋花を移植して、その無限の生命力に頼るしか、彼女を救う道はないんだ!」
オリビアがまさに危篤状態にあり、一刻の猶予もないことは当然知っていた。そしてそれを思えば、心が揺れた。
誰が好き好んで、娘の命を手放したいなどと思うものか。そもそもが私は、ただあの子の命可愛さに殺人者への道を選んだのだ。悪魔の誘うまま、魂の堕落を選んだのだ。
叶うのなら、オリビアを助けてやりたい。元気になったあの子に思うがままの、自由な人生を歩ませてやりたい。
だが――だからこそ。あの子を想えばこそ……!
かつて一度は誘惑に屈した、自らの弱い心まで、まとめて握り潰さんと――私は血がにじむほどに拳を固く握り締めた。
――あの子を想えばこそ、私は……認めるわけにはいかないのだ。
「……それでもだ、ウェスペルス」
「どうして! 彼女を助けるためにこそ、あなたは今までその手を血に染めてきたんじゃないのか! 人殺しの罪を背負い続けてきたんじゃないのか!」
ウェスペルスの喉から、彼の激情そのものの言葉があふれ出る。それを体現するように、私たちを包み込む嵐は、一段とその強さを増した。
「その通りだ。だが……私が求めていたのは、永遠の命などではない。いや、あるいはあの子のためにと、暗殺者になる決意をしたとき――あのときの私なら、どんな形であれ生きていてくれるならと、受け入れたかも知れない。
だが……今なら分かる。真に大切なのは、いざ死を迎えたとき、あの子が自分は生きたと思えるかどうかだ。自分の人生に生きた証を見出せるかどうかなのだ。私は、あの子が少しでも多くその機会に触れられるよう、たとえわずかでもその命を長らえさせてやりたかった。
――そのためにこそ、私は他者の命を犠牲にしていたのだ」
「そんなの……そんなのはあなたの勝手な理屈じゃないか! オリビアは生きるべきだ。生きなきゃダメなんだ! 僕だけじゃない、多くの仲間の魂を救ってきた彼女が、このまま死ぬなんて間違ってる! 彼女のような人こそ、この先も生き続けなきゃいけないんだ!」
「……そうだ。私が言っていることは、所詮私の勝手なエゴでしかない。だがそれなら……どうやってでも生きて欲しいと願うのも、またエゴではないのか?」
私の反論に、ウェスペルスの整った眉が、わずかに引きつったように見えた。しかしあるいはそれは、この嵐と夜の闇による錯覚だったのかも知れない。
「そんなことはない……! 僕らは、オリビア自身の口からはっきりと聞かされたんだ、彼女の意志を! 『死にたくない』という言葉を!」
「そうか――オリビアがそう言ったのか」
死に瀕したとき、なりふり構わず生にしがみつこうとするのは生物として当然のことだ。そうすることなく、素直に死を受け入れるのはたやすいことではない。まして幼いオリビアには、それを可能とするだけの経験も、時間も、まるで足りていないのだから。
もちろん、それが娘の心からの願いだという可能性もある。だが、追い詰められた本能から出た反射的な望みかも知れないということも、ウェスペルスは理解しているのだろう。
そして――私の願いはきっと、その先……本当に死を迎えるその瞬間、しかも当の本人にしか分からないものなのだ。
「だが、ならばなおさら……。なおさら私は、認めるわけにはいかない」
「……なぜ。オリビア自身の望みだっていうのに……!」
「――ウェスペルス。生は、死があるからこそ尊いのだ。古き花はやがて散り、しかしそれによって新たな花が咲くことができる。その摂理を破り、不可分であるはずの死を捨てた先に、本当の生があると思うのか? 限られた時間だからこそ、精一杯に輝こうとする命の本分を奪って、本当の生と言えると思うのか?
あの子が受けようとしている永遠の命が、あの子一人のものではなく、多くの人々に広まっていくものである以上、あの子が孤独にさいなまれることはないのかも知れん。だが――あの子と不凋花の下、いずれすべての人が不死になるとするならば……それはすなわち、人間そのものが生きるということを捨て去るのと同義ではないのか。そしてそれは、原罪など及びもつかない大罪ではないのか。
娘が、それほどの罪を背負うのを――私は親として、黙って見てはいられない」
「罪……? ただ生きたいと願い、そして生きることが、罪であるはずがない……! ましてやそれは、同じく死におびえる人々を救う道でもあるというのに!」
私たちの主張はどうしようもないほどに、平行線をたどるのみだった。
お互いに、ただ大切な一人の人間を想ってのことだというのに――いや、あるいは想うがゆえにか、決して譲歩のしようのない私たちの望みは、決して結びつこうとはしなかった。
「……分かってはもらえないのか――ウェスペルス」
「それは僕の台詞だ、カイン。あくまでも罪と断じ、邪魔をするというのなら――」
刹那――ウェスペルスの放つ気配が変わった。
薄ら寒くなるほどに強烈な殺気がにじむ。
「あなたとは戦いたくなんてない。……だけど、あなたとの約束でもある。たとえあなた自身が相手でも、僕は――オリビアを護るために、戦う」
――私も同じだった。常にオリビアを見守り、オリビアから慕われ……そして、生きるために人を殺め続けるという似た境遇にいる彼を、私は息子か弟のようにすら感じていたのだ。戦いたいはずがない。
だが――譲れないのもまた、同じだった。オリビアの手術が始まり、取り返しのつかないことになる前に……私はそれを、止めなければならないのだ。
私たちは互いの目の奥にその意志をあらためて確かめ……示し合わせたように身構える。
私もウェスペルスも、己の身体こそを何ものにも勝る武器として鍛え、極限まで研ぎ澄ましてきた者同士。徒手空拳こそが、最大の武器であり――そして、必殺の意志の具現でもある。
殺すか、殺されるしかない空間――お互い、嫌と言うほど慣れているはずのその空気はしかし、少なくとも今回私には、まるで別物と感じられた。
――私のうちに潜むわずかなためらいが、抑えようとも抑えられず、伝播しているかのように。
……顔を激しく打つ雨粒の中に、気付けば暖かな雫が混じっていた。
この感触がなければ、私の意識はもう少し早く、闇に沈んでいたかも知れない。
かすれる視界に映る者に、何とか言葉を投げかけようとするも――弱々しく力無いそれは、喉の奥から次から次へとあふれ出る血に押し流され、泡となって消えていく。
ウェスペルスの渾身の一撃は、寸分違わず私の心臓を貫いていた。あらためて検分するまでもない、見事なまでの致命傷。
私の死は――確実だった。
今さら、死が恐ろしいなどとは言わない。その先、地獄で待つ永劫の責め苦も、自らの罪過の報いと、甘んじて受ける覚悟はある。
ただ……オリビアのことだけが気がかりだった。
結局私は、娘が自然の摂理に背くことになるのを、止めることができなかったのだ。ならばせめて、その永遠の時間が少しでも、心安らかなものであるように――。
私は最後の力を振り絞り、私を間近で見下ろすウェスペルスに、オリビアを頼むと……言葉になっているかも定かでない言葉で、何度も繰り返した。
「……カイン……!」
ぼんやりかすむ視界の中でのことだ、それはただの錯覚かも知れない。
だが私には、ウェスペルスがその美しい顔を、これまで見せたことのないような形に歪めているように見えた。
――どうしてお前がそんな顔をする? 私が死ねば、オリビアはお前が望む通り助かり、永遠の命を得ると言うのに。どうして……そんな顔をする?
それは――それではまるで、泣いているようではないか。
私を喪うことまで……哀しんでいるようではないか。
「僕はずっと彼女を護り続けるから。憎まれようと、うとまれようと、見守り続けるから。だからもしこれが罪なのだとしても、彼女だけに背負わせることはしないから、だから――!」
唸りを上げて吹きすさぶ風の中にあっても――私の意識が、もうどうしようもなく薄れていても。
ウェスペルスの必死の声は……私の下へと、届いてくれた。
雨粒の中には、また一つ――暖かな雫が、混じっていた。




