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畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
四章  祖花の想い、幼芽の願い
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9.どうか、わたしに


 船着き場に停泊していた船のうち、最も目的にかなう、小型で足の速いボートを確保したグレンは、エンジンを始動させ、いつでも出られるようにしてカインたちを待っていた。

 洞窟のように岩場をくりぬいて造られてある船着き場から、舵輪にもたれかかり、ゆらゆらと湯気の立つ湖面をながめながら今後について考えを巡らせていた彼は、端末が呼び出しをかけてきたことに気付くや、ようやくかと回線を開く。

『……グレン! ボートは!』

 映像のない、音声だけの通信。だがカインの切羽詰まった声と、混じり合う水音が、充分過ぎるほど充分に、向こうが非常事態にあることを告げていた。

「確保してある。そっちは」

『城の裏手、庭園がわの方へ急いで来てくれ! 頼む!』

「すぐ向かう、待ってろ」

 答えるが早いか、グレンは端末を舵輪のそばに放り出し、急加速でボートを発進させた。

 白波を蹴立てて湖に飛び出たボートは、転覆するのではないかというほどに船体を傾かせての急旋回で船首を目的地へ向け、さらに加速する。

 目的地へ着くのはあっと言う間だった。

 そこに、泳ぐとも言えないような速さで、沖へ向かってゆっくりと漂う人影を見出したグレンは、すぐさまボートをそばに付け、手を差し延べる。

「おい、いったい何があった……!」

 カインが立ち泳ぎをしながら必死に抱え上げていた兄妹を、まず真っ先にボートに引き上げて――そして左腕を切断されたノアの姿に、グレンは絶句する。

 自らボートをよじ上りながら、カインは言葉少なに、ライラの奇襲から彼をかばった結果であることを告げた。口調こそ淡々としていたが、固く歯を噛む姿に、グレンはカインの無念を見て取った。

 ひとまず岩壁から離れて沖に出るようボートを操作すると、グレンは船内の簡易ベッドからシーツを引きはがし、カインとともにノアに応急処置と止血を施す。

 かつて戦場に出ていたとき、仲間の兵士を、ろくにない物資を何とかやりくりして同じように手当てしていた記憶が、ふと彼の脳裏をよぎった――このままでは長くは保たないという、非情な経験則とともに。



 ……寒い。とにかく、どうしようもなく、寒い。

 それも、単なる寒さじゃない。身を凍えさせるどころか、かき消してしまいそうな寒さ。

 命という、人間の最大の熱を、根元から覆い、削り、奪っていく……本物の寒さだ。

 最初は、焼け付くような激しい痛みに気も狂いそうだった。

 けれどそれも今にして思えば、まだマシだったのだ。痛みという熱があるうちは、人はまだ生きているのだから。

 しかしそれが消え去れば、否応なく人は対面せざるをえない。身近に、はっきりと予感せざるをえない。

 かつて親鳩に、ヨシュアに見た、その影――『死』を。

 この旅の中で、少しずつでも覚悟を固めてきたつもりだった。そこに大切な意味があることを理解し、いずれ自分に降りかかることを納得し、受け入れたつもりだった。

 だが――それでもまだ、甘かったのだと思い知らされた。

(怖い……怖い……怖い)

 涙が止まらない。嗚咽が止まない。

 こんなに怖いなんて思わなかった。

 こんなに冷たいなんて知らなかった。

(怖い……イヤだ、死にたくない……死にたくない……っ!)

 これまで散々に大見得を切っておきながら何てみっともないと、冷静なときなら考えただろう。しかしそんな余裕すらなく、あふれる感情が、むき出しのまま口をついて出る。

「……それなら、不凋花(アマランス)を受け入れるか?」

 姿こそおぼろげながら、グレンの、その言葉だけははっきりと耳に届いた。

 死がこれほどに恐ろしいものと思い知らされた今、その恐怖から解放される不老不死という響きは、これまで否定していたことがバカバカしくなるほどに甘美だった。

 ――助けて……と。

 すがりつく思いで生まれたその一言は、しかし、喉の途中でかき消えた。

 自分に覆い被さって泣きじゃくる、妹のまっすぐな瞳が――反射的に思い止まらせた。



 ……ノアの唇は、確かに助けを求めようとしていた。

 しかし自らの意志で呑み込んだのか、それとも混濁する意識に力を奪われただけなのか、ともかく、それをはっきりと言葉にすることはしなかった。

 ノアのそばを離れ、操舵に戻ったグレンは、当初の予定とは逆の北へとボートの進路を向ける。

「……グレン、南に戻るのではなかったのか?」

 そのことに気付いたカインが視線を向けると、グレンは険しい表情を返す。

「南のエレベーターは、どうやらライラが、乗り込むとそのまま崩落するように部下に細工させたらしくてな。使うのは諦めるしかない。

 それに、今はともかくその小僧を助けるのが先決だろう。このままだと、洗礼で不凋花を受け入れるにしても、それまで命が保たん」

「アテが……あるのか?」

 すがるようなカインの問いに、否定も肯定もせず、グレンは舵輪そばの端末を取り上げた。

「……ええ、グレンです。夜分恐れ入りますが……大至急、あなたにお願いしたいことができまして。ええ、他の誰でもない……あなたにです。――碩賢(メイガス)




             *


「どういうこと? どういうことなの、ライラ! 答えて!」

 ――月明かりの降り注ぐ庭園に、春咲姫(フローラ)の悲鳴にも似た大声が響き渡る。

 つい今まで、大怪我を負ったノアのためにと、行方を追う前に治療設備を用意するよう冷静に周囲の人間に指示していた彼女が、ライラを前にするや一転して、その肩を揺さぶってまで必死に問い詰めるのは、ただ一つ――カインの存在についてだった。

「どうして――どうしてパパがいるの? あなたたちは知ってたの? ねえ、答えて!」

「……ええ。知っていたわ」

 力無く揺さぶられるがままだったライラは、静かにそう言って、ゆっくりと顔を上げた。

「黙っていたことは謝るわ。でもそれも、あなたの心を不必要に騒がせないために、みんなで決めたことだったの。

 それにね、あの男はカインの名をかたっているだけの偽者で――」

 ライラの弁明に、春咲姫は激しく頭を横に振った。

「違う、違うよ! 偽者なんかじゃない! あれは――パパだよ、本当の!」

「それは……あなたはそう思いたいでしょうけど……」

「――春咲姫の言う通りだ。彼は……正真正銘、本物のカインなんだよ、ライラ」

 横合いから差し込まれた声に、二人は揃ってそちらを向く。

 影になっている回廊の奥から、ゆっくりと歩いてくるのは――ウェスペルスだった。

「ウェスペルス……? あなた、どうしてここに……!」

「サラから、春咲姫が天咲茎(ストーク)を飛び出したと連絡を受けてね。どうも帰りが遅いということだったから……寄り道するならここだろうと、大急ぎでやって来たんだ」

 口調こそ穏やかにそう答え、しかしウェスペルスは一瞬、ライラに射抜くような視線を向ける。君の考えは分かっていると言わんばかりのその視線に、さしものライラもたじろいだ。

「それでウェスペルス、やっぱりあれは……本当のパパなんだよね?」

「ああ、そうだ」

「ダメよウェスペルス、証拠もなく憶測で決めつけては――」

「もちろん、証拠ならある」

 きっぱりと断言するウェスペルスに、ライラは反論を途中で呑み込まざるをえない。

「……僕は、『霊廟』をこの目で確かめてきたから……ね」

 ライラも、そして春咲姫も……言葉を失って、ただただウェスペルスを見る。

 ウェスペルスは平静とした様子で――しかしどこか強い口調で、二の句を告げた。

「あそこは、僕ら一握りの人間以外、立ち入るどころか近付くことすらできない聖域だ。だけど……中から出ていくだけなら、話は別なんだよ」

「何が……言いたいの」

 かすれた声でさらに問うライラ。すべてを理解しながら、しかし否定したい、否定してほしいと……そう願うように。

 だが、ウェスペルスの答えは、そんな望みを無慈悲に切って捨てた。

「生前と変わらない姿のまま安置されていたはずの、カインの亡骸は……消えていたんだ」

「で、でも――! 不凋花の力でも息を吹き返すことはなかった、彼は亡くなった。それは間違いないことでしょう? なのに、その死者が甦ったと言うの? そんなバカなことが――」

「もう、ありえるかどうかの話じゃない。――それが現実なんだよ」

 すがり付く人間を突き放すようにそう言って、ウェスペルスは春咲姫に向き直る。

 ウェスペルスの話を聞くうちに、先程までの興奮も治まり、そして――何か思うところでもあったのか。

 少女は、はかなさと強さが同居した、いつもの凛とした表情に立ち戻り……祈るように、目を伏せていた。

「そっか……分かったよ、ウェスペルス」

 青い瞳をゆっくりと湖の方へ向けて――春咲姫は穏やかな、しっかりとした口調で告げた。

「パパが……パパこそがきっと、『永朽花(アスフォデル)』なんだね――」



 人工湖北岸を目指して、ボートはひた走っていた。

 北岸の港の一つから上陸した先にある、個人の研究施設――それが、グレンから連絡を受けた碩賢が彼らに、合流地点として指定した場所だった。

「……ねえ、おじさん……」

 兄の頭を膝に抱き、手を握り、つい今まで弱々しい声で呼びかけ続けていたナビアは、涙に濡れたままの瞳を上げて、カインに尋ねる。

「春咲姫と会って、何か……思い出せたの?」

 まずはナビアを。そしてノアを。二人の顔を順に見やり、カインは大きくうなずいた。

「ああ……思い出した」

 続けて、こうしている間にもどんどん小さくなっていく古城を振り返り、その先――さらに遠くを見据えようとするように、目を細める。

 かつて彼に、この兄妹を護ってあげて欲しいと願った者。

 そして――『もう一つ』と、さらなる願いを託した者。

「オリビア……お前だったのだな」

 彼が目覚める前、無限の闇の中に身を横たえていたとき。

 そこに射す一条の光のように届けられた、暖かく、懐かしい声――。

 それがもう一度、今度こそ完全な形で……彼の心に繰り返されていた。



 ――お願い……パパ。

 どうかあの子たちを……ノアとナビアを、護ってあげて。

 そして、そして、どうか……あの子たちの道こそが正しいのなら。

 わたしが、過ちを犯してしまっているのなら。

 人の命を、ゆがめてしまったのなら。

 どうか、わたしに……罰を。

 自らを罰することもできないわたしに、罰を――。


 ……わたしに――すこやかなる、死を。与えてください――。





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