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畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
四章  祖花の想い、幼芽の願い
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8.千年を経て


「船着き場の方へ行くんだよな? なら、最短ルートはこっちだ」

 ――カインと、彼によって古城の一室から解放された兄妹は、「子供の頃に来たとき、見取り図を頭に入れておいた」というノアの案内のもと、階下へ向かって古城内部を進んでいた。

「……それで、結局ボートを確保してくれている協力者って誰なんだ?」

 カインが見張りのいないことを確認した長い廊下を走りながら、ノアは尋ねる。しかし、

「行けば分かる。今はとにかく急ぐぞ」

 カインははっきりと答えようとはしなかった。

 何せ、グレンが兄妹に銃を突きつけ、脅しをかけたのはつい先日のことである。ヘタに今答えを明かすと、そこから来る不信感に、二人が足を止めかねない。

 それは、きちんと話をすれば解くことのできるものだろう。――だが、その時間すら惜しいというのが現実だ。

 そこで、だますようで悪いと思いながらも、とにかくボートまでたどりつければ何とかなると、カインは必要以上のことは語らないようにしたのだ。

 ノアも、カインのめずらしくもあるその態度から、今は聞かない方が良いと悟り、気持ちを切り替えたらしい。視線を前へ戻し、ナビゲートに戻る。

「次……途中にある階段を降りるんだ。そうすれば庭園に出られる」

「――庭園?」

「庭園の端っこは、そのまま湖の方にまでせり出してるんだ。後はそこから、岩場の斜面をなぞるようにして造られた散策道を下っていけば、船着き場のすぐそばに出られる」

「なるほど、分かった。――ナビア、身体は大丈夫か?」

「うん。ちょっとは寝たから、まだまだだいじょうぶだよ」

 廊下の脇に口を開けた、こじんまりとした階段へ飛び込み、ゆるいカーブを描くそれを、三人は庭園目指して下っていく。

 やがて階段は、ノアの言った通り、庭園の一辺に沿った回廊らしき場所に出た。

 そこから、湖に向かって大きく広がる庭園の中を、幾何学模様を描くように設置された花壇の間を縫って、石畳の道が続いている。さらに視線を上に向ければ、上階からも景観を楽しめるようにとの配慮だろう、虹を連想させる、優美な空中回廊も渡されていた。

 城内の方からはどこからともなく喧騒が響いてくるが、庭園の方にはまだ手が回っていないらしく、人の気配は感じられない。視覚と聴覚も総動員してそれを探ったカインは、兄妹をともない、今が好機と、月明かりに照らし出された庭園へと駆け込む。

「湖がわの岩壁の方へ抜ければ、城からは死角になって、そうは見つからないはずだよ」

 荒い息の下、芝生を必死に踏みしめながら、ノアはそう口にした。逆を言えば、ろくな遮蔽物もなく、まるで身を隠す余地のないここが、文字通りの正念場ということだ。

 カインもそれが分かっているからこそ、兄妹に速度を合わせて走りながら、万一の見落としもあってはならないと視線を上げて上階の様子も探る。

 そして――

「――!」

 あろうことか……彼はただ一人、その足を止めた。



 ……春咲姫(フローラ)が空中回廊を訪れたことに、特に明確な理由はなかった。

 胸騒ぎ――そんな、妙な予感めいた衝動に突き動かされてはいたものの、それがはっきりとした場所を指し示すわけでもない。

 むしろ、部屋を出てから少し冷静になった彼女は、見晴らしが良く、風も心地よいこの場所で、頭を冷やそうと足を止めていただけだったのだ。

 夜空には、月が煌々と輝いていた。

 何とはなしに、月光の降り注ぐ先を追いかけるぐらいのつもりで、手すりから少し身を乗り出し、庭園を見下ろした彼女は、そこを駆ける三つの人影を見つけた。

 そして――息を呑んだ。

 いや、いっそ止まったかとすら思った。

「そん、な……そんな――!」

 三人のうちの二人がノアたち兄妹であることはすぐに分かった。だが残る一人については、すぐには誰と分からなかった。

 いや……そうではない。

 むしろ彼女は兄妹よりも早く、その一人が誰かを判別していた。ただ、そうしていながら、受け入れるのに時間がかかっただけだったのだ。

 彼女の気配に気付いたのか、頭上を見上げたその人物も、そのまま足を止める。

 ――まさか、こうしてまた会えるなんて……千年の間、夢にも思わなかったから。

 言葉よりも先に、涙があふれ出た。

 しかも、永らく使っていなかった呼び名は、かすれて、なかなか形になってくれなかった。

 けれども、彼女は何とかそれを口にした。

 こみ上げる様々な想いを、そのまま乗せるように――文字通りの、万感の想いを込めて。



「おいカイン、どうしたんだよ!」

 突然立ち止まったカインに引きずられるようにして足を止めたノアとナビア。

 彼らは、頭上の一点を見つめたまま石のようになっているカインの、その大きく見開かれた目の行き着く先を首をそらしてたどり、そこに見知った人物を見出す。

「春咲姫……? やばい、見つかっ――」

「……オリ、ビア……?」

 急ごうと、黒衣の裾を引こうとしたノアは、カインがこぼした言葉に、思わず手を止める。

「オリビア――っ!」

 今度こそはっきりと、その名を呼ぶカイン。

 そしてそれに応えて、春咲姫もまた、かすれた涙声を喉の奥から絞り出していた。

「……パパぁーっ!」

 ノアとナビアは思わず顔を見合わせる。

 自分たちの置かれている状況を一瞬とはいえ完全に忘れ去ってしまうほどに、彼らもまた驚愕していた。

「そうか――オリビア。そう、だったのか……」

 続けて独り言のようにつぶやくカインの一言に、ノアは、とうとうカインが記憶を取り戻したのではないかと察する。

 しかし、それを確認するか、それともとにかく逃げるのを優先するかを悩んだそのとき――彼は一瞬、月に影が射すのを見た。

 彼だけが、その影を見た。

 そして、彼だけが――その影の目的を、悟った。

「カインッ!」

 とっさの判断――いや、判断という言葉すら適切かどうか分からない、それはほとんど本能に任せた反射的な行動だった。彼はただ力いっぱいに、カインを突き飛ばしていた。

 しょせん彼の力では、カインはたたらを踏んでよろけるだけだった――が、その程度で充分だった。

 飛びかかる影――頭上から不意を突いて襲ってきた凶刃から、彼の身を守るには。

「なにを――」

 月光に銀色に輝く刃が、カインを傷つけることはなかった。

 しかし、それにもかかわらず、一瞬の間を置いて、宙に鮮血が飛び散るのを、ノアは奇妙に感じていた。

「ノアっ!」

 誰が発したとも知れないその叫びで、ノアはようやく、その血が自分のものであることに気が付いた。

 同時に……自分の左腕の肘から下が、綺麗に無くなっていることにも。

「え……? あ――あああっ……?」

 まるで冗談のようだと思いながら、右手で左手を掴もうとする。

 しかし何度繰り返してもそこに左手の感触は無く――そうして彼が自覚するのを待っていたかのように、左腕の切断面から生じた、焼け付きそうなほどの激しい熱が、彼の身体の中で暴れ始めた。

「ぅああああーッ!」

 獣のような絶叫が、喉からほとばしる。

 未だ体験したこともない衝撃は、どこがどう痛いのかも分からないほどの激しさで、喪失感に混乱する彼の頭を、さらにムチャクチャにかき乱した。

 思わず背を丸めてうずくまる兄に、ナビアが必死に覆い被さる。

「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ! しっかりしてっ!」

「なんて愚かなことを……! あなたをヘタに苦しめるつもりなどなかったのに……!」

 階上から奇襲をかけてきたライラは、予想外の、彼女とて望まぬ結果に顔をしかめつつも、せめてこれ以上は苦しまないようにと、ノアにとどめをさすべく、血にぬれた大振りのナイフを振りかざす。

 だがそれが振り下ろされるより早く、カインがそのナイフを蹴り飛ばした。

 さらに、勢いを殺すことなく遠心力に転化した肘をライラの腹部に打ち込み、反撃を許さず一撃の下に動きを止める。

「ノア、ナビア、そのまま動くな!」

 うずくまるノアと、覆い被さるようにして名を呼び続けるナビア。そんな兄妹二人をまとめて抱き上げると、カインは全力で湖へ向かって駆ける。

 そして、崖沿いの手すりを踏み越えると、ちらりと一度だけ空中回廊を――そこに立ちすくむ春咲姫を振り返り――その後、優に三十メートルは高さのある眼下の湖面へと、ためらいなく身を投げ出した。




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