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畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
四章  祖花の想い、幼芽の願い
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3.母のもとへ


 統合生産地区――。

 それは、庭都(ガーデン)中央部より南――火口湖に手を加えて作られた人工湖に架かる橋を渡った先の区画だ。名の示す通り、ここには生活に必要な様々な物資を生産する工場類がまとめられている。

 主に芸術性にこだわり、情緒を重視する他地区の街並みに比べ、ここはその極めて合理的な発展経緯からか、景観も他とは一線を画していた。

 そして――マルタは、自宅のテラスから、そんな街並みを眺めるのがお気に入りだった。

 なだらかな山肌に沿って立ち並ぶ建造物は、そのほとんどが二十世紀後半から二十一世紀にかけての、いわば近代的で機能的なデザインだ。

 庭都の多くの人間が、嫌うというほどではないにしろ趣に欠けると、この地区の景観にはあまりいい顔をしない。

 事実、そうだろうとはマルタも思う。

 木材のあたたかみも、石材の味わいもここには皆無だ。無機質というわけではなく、もちろん緑地などもふんだんに設けられているが、それらもどこか理路整然とし過ぎていて、他地区にある庭園のような面白味はない。

 だが――極めて機能的だ。そしてそれこそが、マルタが最も良しとする価値観だった。

 どのようなものであれ、この世に存在するからには役割がある。それを果たすこと、追及すること。それこそが何より美しく、愛しい――と。

 しかし今日の街はなぜか、暗く沈んでいるように感じられた。本来あるべき機能を失って。

 二十代前半といった具合の、幼さも残す、丸みを帯びたその愛らしい顔を不快感に歪めながら、落ち着いた瑠璃色のワンピースをひるがえして、彼女は部屋の中に戻る。

 そして、飾り気のないテーブルにぽつんと置かれた掌携端末(ハンドコム)に目を遣り、一つため息をついた。

 昨日その端末を通じて伝えられた連絡を思い返すたび、出るのは物憂いため息ばかり。あるいは、街並みを眺めているとき、いつもと違う感覚にとらわれたのはそのせいだったのかも知れない……ソファに腰を下ろす彼女の脳裏をふと過ぎったのは、そんな考えだった。

 ――杞憂であればいいのだけど。

 胸に浮かんだ予感が、予感だけで終わることを願いつつ、彼女はまた一つため息をついた。




             *


「……あら、ウェスペルス」

 ウェスペルスの執務室へ向かい回廊を進んでいたライラは、予想外に当の本人とばったり出くわして立ち止まる。

 似てはいるものの普段の礼服ではなく、以前ライラが外出時に着ていた物に近い、動きやすさを重視した白い法衣をまとい、部下の枝裁鋏(シアーズ)隊員二人を引き連れたウェスペルスも、ここで彼女と会うことは意外だったのだろう。

 表情こそ動かさないが、部下に対してかけている言葉にほんの一瞬、本当にわずかな間空白が生まれたことを、ライラは見て取った。

 部下に先に行くよう指示を与えると、ウェスペルスもライラと向き合って足を止める。

 ライラは、枝裁鋏隊員が走り去っていくのを見届けてから、あらためてウェスペルスを振り返った。

「ケガは大丈夫なのかい、ライラ?」

「ええ……ありがとう。もう大丈夫よ、肋骨がいくらかやられた程度だったから。

 ……もっともあの子は、もっと休めって怒っていたけどね」

 子供のように口を尖らせて説教する春咲姫(フローラ)の姿を思い出し、苦笑するライラ。

 合わせて同じように笑いながら、ウェスペルスも肩をすくめた。

「それで、君がこっちへ来ているということは、僕に用でも?」

「ええ。私が名目上療養中だからといって、気を遣わず、何か事態に動きがあったら教えてくれるように、直談判しに行こうと思っていたところなのだけど……早速、その何かがあったみたいね?」

 ちらりと、先に隊員たちが走り去った方を見やってから、ライラは問う。

「ああ。情報網の監視で、ノアたちはどうやら北の新開発地区へ向かったらしい、という分析がなされてね」

「それで、あなたが直接指揮に出向くというわけ?……軽率じゃないかしら。これまで情報関係については巧妙に足跡を隠してきたノアが、そう簡単にミスをするとも思えないのだけど」

「もちろん、囮という可能性もあるけれど……手をこまねいていても仕方ないからね。君やグレンが後れを取ったという事実を踏まえた上で、僕自身が出向くことにしたわけさ」

 わずかな時間を逡巡にさいて、ライラは胸元で拳を握りつつ「それなら」と口を開いた。

「――私も同行させて。あなたまでが、とは思えないけれど……二人いれば、より確実でしょう?」

 ライラの提案に、ウェスペルスはその真意を見抜こうとでもするように彼女の瞳を見据えたまま、しばし無言で考えていたが……やがてゆっくりと首を横に振った。

「どうして? 数百年前、庭都黎明期のあの騒乱を教訓に結成された、私たちも含めての枝裁鋏は、その名の通り、この庭都という大樹にとって害をなす芽を切り落とす――それが役割でしょう?」

 口早に、力を込めて語るライラの、今にも掴みかかりそうな勢いにも動じることなくいたウェスペルスは、同意を求められたところで、ようやく重々しく口を開く。

「――ライラ。まさかとは思うけど、君の言う『害をなす芽』には……あの子たちも含まれているんじゃないだろうな?」

 ライラは眉をひそめた。

「どうなんだ?」

 重ねて問うウェスペルス。

 その真摯な瞳をしばらく見つめ返した後――唐突にライラは吹き出した。悪い冗談だと言わんばかりに。

 そうしてひとしきり笑ったあと、「もっとも――」と、ライラはそっと目を伏せる。

 ややあって、再びまぶたが開かれたとき、その表情からは笑みがすっかり抜け落ちていた。

「あの子たちが春咲姫に直接被害を与えるようなことを考えるなら、その限りではないけど」

 その答えを受けたウェスペルスは、小さく一つ息を吐く。

「君を連れて行かないのは、僕のアテにしている情報が囮と分かったとき、君が待機していてくれれば、別方面への迅速な対応を期待できるからだ。君を信頼しているからこそ、だ。

 だから――くれぐれも馬鹿げたことは考えないでくれ。……僕は、君と争うような真似はしたくない」

「――分かってる」

 言って、場の空気を和らげるように、ライラは表情をゆるめた。

「大丈夫よ。私だって、あなたと争うなんて御免だもの。

 ――心配しないで。ただ、あの子のためにと……そう思っているのは、私も同じなのだから」

 ウェスペルスは、また心中を探るように、ライラの瞳を真っ正面から見つめていたが、すぐさま小さくうなずいた。

「分かった。――なら、留守の間のこと、頼めるかい?」

「ええ、そういうことなら。こちらのことは任せておいて」

「ああ。それじゃあ――」

「ええ。あなたも気を付けて」

 挨拶を交わし、ライラと別れたウェスペルスは、足早に回廊を進みながら……やおら懐から掌携端末を取り出すと、回線を開いた。

「――グレン、聞こえるかい? すまないが……一つ、頼みたいことができたよ」




             *


「ね、お兄ちゃん、そろそろあそこじゃないかなあ?」

 ひそひそと話しかけてくるナビアに、ノアも声を潜めて「そうだな」と答える。

 ――彼らが乗り込んでいるのは、統合生産地区へと向かう路面電車だ。

 電車は、ちょうど大きな橋に差し掛かるところだった。その下に広がるのは、千年前までは活火山だったという頭一つ低い山、その火口の窪地を利用して作り上げられた人工湖だ。

 地熱を利用して、凍り付いたりしないよう水温が一定以上に保たれているその人工湖は、ゆらゆらと幻想的に湯気を立ち上らせるさまが美しい。

 そして、湖の中央付近には、橋から湖に向けてせり出すような形で延びる岩山の上に、荘厳かつ美麗な、中世西欧風の古城が築かれていた。

 もちろんその城が建てられたのは庭都建設後のことなのだが、それでも数百年の時間を経ているのである。建築材には石材に見えて、はるかに耐久性の高い特殊鋼が使われているので、歳月で朽ちることはないものの、その過ぎた時間の分、城は古城と呼ぶにふさわしい風格を備えて見えた。

「前に来たのは、もう何年前になるかな」

 窓の外、そのどっしりとした威容そのままに、ゆっくり姿を現した古城を指差して、あれだあれだと明るい声を出すナビアに、ノアはぼんやりとうなずいた。

 古城は主に、各種展覧会やパーティーの会場など、多目的に使用されているが、そのうちの一つに、春咲姫が他地区への視察など行幸へ出た際の宿泊所としての役割もある。

 ノアたちはもっと幼い頃、それに付き添って遊びに来たことがあるのだった。

「あんまり天咲茎(ストーク)から外に出ることってなかったから、楽しかったよね」

「ああ……そうだな」

 気のない返事ばかりしているな、と自覚しながら、ノアは車内の方へちらりと視線を戻す。

 その先には、目立たないようにと、少し離れた座席に一人で座るカインがいた。

 父親のようだとも感じたその姿を見るとノアは、今まさに、自らの心を騒がせている――ナビアではない、もう一人の『肉親』への感情を否応なく直視してしまう。

 すうっと背筋を駆け上がる、喜びと恐れの入り混じったその緊張感に急かされるように、ノアは口を開いた。

「……もうすぐ、母さんと会うんだな」

 ノアの口調は堅かったが、「楽しみだね」と応じるナビアの表情はほころんでいた。

「お前、緊張とかしないのか? 帰れ、ってそっけなく追い返されたりするかも知れないんだぞ?」

 能天気だと非難されたように感じたのか、ナビアは一瞬不満そうに頬を膨らませるものの、すぐにまた笑顔に戻った。

「それぐらい分かってるよ。でもね、それでも……会える。それだけで、嬉しいんだ」

 屈託のない妹の言葉に、そっか、と返し、ノアはまた通り過ぎていく古城を見やった。




             *


 天咲茎の敷地内でも離れた場所にひっそりと造られた、限られた人間以外は決して立ち入ることのない、小さな庭園。

 庭と呼ぶのもおこがましい、その猫の額ほどに狭く――しかし丹念に手入れがされた純朴に美しい庭には、こじんまりとした聖堂のような、白い建物が建っている。

 この場所を知る者からは、ただ『霊廟』と呼ばれるそこを、ウェスペルスは北の地区へおもむく前にと、たった一人で訪れていた。

 あたたかな日射しに包まれたそこは、そっと頬をなでていく風も優しく――思い出そのものだといわんばかりに、世界から切り取られたかのような独特の静寂に満ちていた。

 ――この庭は、あの頃からずっと、世界から切り離されていたのかも知れない――。

 大きく空を見上げて、ウェスペルスは目を細める。

 かつては、他を圧する高い壁に囲まれて。

 そして今は、時間の流れに取り残されて。

 しかし――その小さな世界にあったのは、よどむ闇などではなかった。息苦しいほどの悪意の土壌にあって、そこに芽吹いたのは素朴な花だった。

 素朴な――しかし何より大切な、何者にも増して美しい花。腐り、枯れ果てるのみだったものたちに命を気付かせ、心を与えた、母なる慈愛に満ちた花――。

 こうして優しい思い出に浸り、清浄な空気を感じれば、心が安らかにもなる。だが、今日ここへ来たのは、そのためではなかった。

 ウェスペルスは意を決して、小さな白い建物に向かう。

 遠目に目立つものではないが、近寄ればそこは、周囲の花壇の花をそのまま壁面に移したかのような、細緻な彫刻に彩られているのがよく分かる。

 それは、ウェスペルス自身が永い時をかけて彫ったものだった。この霊廟で眠る者への鎮魂と、贖罪の意志を込めて。

 ――安息の場所を、みだりに騒がすな。

 先日、碩賢(メイガス)から受けた忠告が、正面の両開きの扉に手を掛けたウェスペルスの脳裏に甦る。

 それが手の動きを止めたのもわずか一瞬。勢いよく彼は扉を押し開く。

 そもそも鍵など付けられていないその扉は、ウェスペルスには拍子抜けするほど軽い。それは、この扉が、主だって訪れる少女の腕力を考えた上で設計されているからだが、彼はその軽さがかえって、彼自身の自制を促しているようにすら感じられた。

 しかし、彼はためらうことなく足を踏み入れる。

 それに合わせてぼうっと発光した、ぐるりと壁沿いに並ぶ自然光を利用した淡い照明が照らし出すのは、床にぽっかりと空いた縦穴と、その穴に沿って下へ降りていくための螺旋階段だ。

 気温そのものは外の方が低いはずだったが、入り口の扉が閉まるや否や、彼は全身が冷気で引き締まる感触を覚える。

 その峻厳な空気は、ここが死者の眠る墓所であることを、あらためて意識させた。

 岩盤をくりぬいて作られた縦穴は、底まで二十メートル程度しかない。ともすれば彼なら、一息に飛び下りることも不可能ではなかったが、足音を立てることすら禁忌であるとばかりに、静かにゆっくりと、一段一段を踏みしめて螺旋階段を下っていく。

 穴の底からは、洞窟に掘られた短い参道のように、白い石材が奥へ向かって敷き詰められている。

 その先――地上の庭と同程度の規模にひらけたドーム状の空間こそが、本当の意味での『霊廟』だ。

 一面に咲き乱れる白い花と、天井の亀裂から射し込む一条の陽光とに抱かれて、空間の中央に鎮座する石棺――。

 取り立てて飾り立てられているわけでもない、だが自然が作り上げた、神々しくも慎ましやかなその光景に見入って、しばし足を止めるウェスペルス。

 ――すまない。どうしても、確かめなければならないことなんだ。

 目を閉じ、まぶたに浮かぶ人々に一言謝ってから、あらためて石棺へ近付く。

 彼は、自分自身、そうそう感情が揺れ動いたりしないことは自覚している。生来の性格というのもあるかも知れないが、何より幼い頃、そうあるように徹底的に鍛えられたからだ。

 だがそんな彼でも、石棺の蓋に手をかけた瞬間、自らの内でうねる感情を、完全に御すことはできなかった。あまつさえ、複雑に入り乱れたそれがどういう感情なのか、把握することさえできなかった。

 つうっ……と、一筋の汗が頬を伝う。

 それをぬぐう代わりに、彼はもう一度謝罪の言葉を心の内で述べてから、蓋にかけた手に一気に力を込めた。




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