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畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
四章  祖花の想い、幼芽の願い
21/39

2.葬悉教会


 ――外では、宵闇の中、めずらしく強い風が吹き荒れている。

 田園地区から庭都(ガーデン)中央部へと戻ったノアたち三人が、暴風をしのぎ、夜を過ごすために潜り込んだのは、竣工間際らしい新築の家屋だった。

 照明が使えないわけではなさそうだったが、目立つのを恐れ、ノアが使う掌携端末(ハンドコム)の明かりだけを光源としているこの薄暗い部屋からだと、外の景観――美しく整えられた、中世から近世をモチーフにした庭都の街並みは、より神秘的に映える。

 それは精巧緻密な――しかしそれゆえにか、温もりとは一線を画す、水晶細工の芸術品のようだとカインは感じていた。

 風の音と、それに逆らうような端末の操作音――そのリズムだけしか存在しない、がらんとした室内に、やおらノアの「よし」という一声が響く。

 それでようやく動きを思い出したように、窓際で外の様子をうかがっていたカインと、彼とノアのちょうど間に座り込んでいたナビアが、同時にそちらに首を向けた。

「そろそろ向こうも、色んな監視システムとかを使ってくるだろうから、情報操作して囮を作っておいた。これで俺たちが、本来向かうのとは別の方向に逃げてるように見えるはずだ」

 眼鏡を整えながら、誰にともなくそう言ってから、ノアはついと視線を振る。

 それが自分へと向けられることを、カインは確信に近い形で予測していた。

「……それであらためて、アンタに聞きたいことがある」

「私が、すでに死んでいると言ったことについて――か?」

「それと、ライラと顔見知りだったこともだ。グレンはアンタのこと殺し屋だって言ってた。そのこととも関係があるのか?」

 眼鏡の奥で、ノアの瞳は揺れていた。ともすれば、不審や疑いに染まってもおかしくないこの状況下にあって、そこにあるのは、あくまで戸惑いだ。

 カインの秘密を、欺まんを、あばき立てて糾弾しようというのではなく、ただ、自らが信じる相手をなおも信じたいという、優しい願いのあらわれ。

 二人の間で、小動物のように不安げに、ひょこひょこと互いを見比べるナビアもまた、微妙な考えの違いはあっても、その根差す気持ちは同じなのだろうと推察できる。

「……優しいな、お前たちは」

 それが、自然とカインの口をついて出た第一声だった。

「なんだよ……そんなんじゃないよ。俺はただ、事実が知りたいだけで……」

「分かっている。――と言っても、私もすべてを思い出したわけではない」

 その言葉通りに、カインの記憶はいまだ不鮮明だった。

 以前より霧は晴れているものの、記憶のカケラはそれぞれが飛び石のように離れていて、思考によって関連付けることはできても、本来の記憶としてあるべき繋がりは途絶えたままだ。

 その繋がりの役目を担うだろう、根幹にあるはずの記憶――それは、決して触れてはならない禁忌だとばかりに、いまだ深い霧の彼方にあったのだ。

「ただ、まずは謝らせてほしい。私は、自分がかつて暗殺者であったこと、そして――すでに死んだ身であることは、出会ったときから覚えていた。それでいて黙っていたのだ……すまなかった」

 カインは頭を下げる。

 兄妹は、双子らしく同じように、そんなことはいいと首を振った。

「よかれと思ってのことなんだろ? 実際、会ってすぐの頃にそんなこと言われても、それこそ不信感が増しただけだっただろうしさ……だから、それはもういいよ。

 それじゃあさ、ライラのことは……あのとき、やっと思い出したってことなのか?」

 ノアの問いに、カインは「そうだ」と目を伏せた。

「彼女は……私と同じ、葬悉(そうしつ)教会にいた暗殺者だ」

 ナビアばかりでなく、ノアですら聞いたことのないその名に、兄妹は顔を見合わせる。

「葬悉教会とは……お前たちの言う旧史の中でも古い時代、同じ宗教内での宗派争いに敗れて異端とされ、以降、地下に潜った宗教組織だ。

 本来ならそうしたものは力を失い、自然消滅するか根絶やしにされるか――いずれにせよ消えゆくものだが、葬悉教会の場合、その創立に携わった中心人物と、後押しをしていた出資者たちは、誰もが相当な資産を有する富豪だったらしくてな。

 表舞台から排斥された彼らはむしろ、法の束縛を受けなくなった分、その財力を背景にしてあらゆる手を講じ……消え去るどころか、以前より大きな力を持つようになった。

 そしてそもそもが、表立って世界を操るべく、宗教という肩書きを利用するつもりでいた野心家の富豪たちだ。表舞台に立つ可能性を潰されても、世界を牛耳ろうという野望そのものを捨てることはなく――彼らは長い年月をかけて世界中に根を張り、誤った教えにより歪められた、世界を救うという名目のもと、あらゆる非合法な手段を用いて、歴史に介入し続ける闇組織となった――」

「そして、その活動を支えた手段の一つが……暗殺、ってことなのか」

「そうだ。――彼らは、世界中からさまざまな手段で幼い子供たちを集めては、自分たちの活動の道具にするべく、人を人とも思わぬ非道な訓練までして、あらゆる分野のスペシャリストを鍛え上げた。……暗殺者の育成はその最たるものだ。

 そうして、物心着く前より組織に縛り付けられ、自らの命を護るため、暗殺者として他者を殺めることを強いられ続けた子供たちの一人――。

 それが、『闇夜の天使』を意味するライラという名を与えられた、彼女だ」

 カインが告げた真実に、兄妹はしばし言葉を失う。

 それも当然だ、とカインは思った。

 この庭都が、いかに人間の――命の、本来あるべき姿からは逸脱していようと、歴史上、類を見ないほどに平和で、穏やかで、安定した世界であることは確かなのだ。

 そんな世界で生きてきた兄妹にとって、殺し、殺されるだけの世界など、たやすく理解できるものではないだろう。

 だが、だからといって、ノアもナビアも、それをただの物語だと笑って片付けることは到底できなかった。

 ヨシュアの死――本物の人の死というものを、経験してしまったからだ。

「死ぬって、あれだけ怖くて悲しいんだから、殺すなんてもっと怖くて悲しいはずだよね。

 なのに、小さい頃から、とか……どれだけつらいんだろう。つらいとか、そんな風にも思えなくされちゃってたのかな……」

 ぽつりと、ナビアがつぶやく。

 その姿に、カインはなぜか一瞬、懐かしさのようなものを感じたが……結局、正体を掴むにはいたらなかった。

「――ナビア。お前の言うように、他者を殺めるという行為は、途方もなく重く――つらく、苦しいものだ。

 だから、心が壊れてしまわないよう、多くの子供たちがそれより先に、感情や思考を――人としての自分を殺していた。そうしてなんとか、最低限の心を守っていたのだ。

 だが――それをしなかったり、できなかったりする子もいた。

 ライラは、そんな子らの一人だった。

 死ぬことを恐れ、殺すことを恐れ――暗殺という任務を果たすたびに泣き濡れていた……」

 カインの語尾は、そのあわれみの情を表すように小さく消えていく。

 だが実際にそうなったのは感情のためだけではなかった。記憶に霧がかかったからだ。

 涙を流す幼いライラの姿は思い出せても、その周囲が霧に包まれる。

 隠れたそこにこそ、最も大事なものがあると感じるのに、どうしてもそこまで手を伸ばすことができないのだ。

「……そんなの……かわいそう。ひどいよ……」

 眉をしかめてうつむくナビア。

 そんな妹を気遣いつつノアは、あらためてカインを見上げた。

「それで……アンタは? 同じように、小さい頃から組織で……」

「――私は」

 ノアの発言に被せて、カインは少し語気を強める。それは、彼の決意の表れだった。

「私はライラと違い、自らの意志で組織に身を置いていた。大切なもののため、そのためだけに、唾棄すべき罪であることを承知で、人を殺めていた。

 ――それだけのことをしていながら、その大切なものが何だったのか……それが思い出せないのも皮肉な話だが、な」

 カインは、かすかに笑った。彼にはめずらしく、自嘲気味に。

「……軽蔑したか?」

 兄妹は、沈痛な表情を一度、互いの意志を確認するように見合わせた後、頭を振る。

「もしかしたら、するかも知れない。でも、今はできない。その大切なものがなんなのか、それが分からない限りは。

 ……だけど、俺たちはアンタが、その組織を支配してた奴らみたいに、私利私欲だけで人を殺したりするような人間じゃないって理解してる。

 アンタのやったことは悪いことで、アンタは確かに罪人なんだろうけど、でも、罪と分かっていながらそうしなきゃならないだけの理由があったんだって……そう信じてる」

 カインに向けられる二対の幼い瞳は、澄んだ輝きを秘めていた。

 ……暖かく、力強く。

「じゃあさ――あのときの……すでに死んでるって、どういう意味なんだよ?

 不凋花(アマランス)は人を死なないようにするだけだ。死んだ人間を甦らせるわけじゃない。その方法だけはない、それだけはできないって、碩賢(メイガス)も言ってたんだ。……まさか、ただの比喩ってわけでもないんだろう?」

 ノアの問いかけに対しもう一度、自ら確かめるようにカインは胸に手を当てる。

「比喩どころか、言葉通りの意味だ。……私は、この身体は、すでに死んでいるのだ」

「な……何言ってるんだよ。そんな……そんなバカなこと、あるわけないだろ?」

 ノアは眉をしかめる。

 冗談のような話であるし、冗談だと片付けてしまいたいのが本音なのだろうが、それをさせない気配が、カインの語調に表れていた。

「……正直なところ、私自身、なぜ今こうして動いていられるのかは分からない。

 ただ、私がかつて死んだということ、そして――今もまだ、この身に命は無いということ。それだけは、間違いなく事実なのだ」

「じゃ、じゃあっ、ホントに……?」

「そうだ。不凋花による不老不死ではない。蘇生を受けたわけでもない。

 ――ノア、以前お前が、私が休んでいるところを見ていないと言ったが、それも当然だ。私は眠る必要がなければ食う必要もない――正真正銘の、死人なのだから」

 ノアとナビアの二人は、カインの告白に、どちらからともなく色を失った顔を見合わせる。

 驚き、恐れるのも無理のないことだとカインは思う。それを承知で事実を告げたのだ。

 だがその後、ナビアの取った行動は彼の予想外のものだった。

 黒衣の袖をぎゅっと掴んだ少女は、カインの顔を見上げ、次に戸惑う兄を見、声を張った。

「そんなの――そんなの関係ないよ! びっくりしたけど、でも、おじさんはおじさんだよ。――ねえ、そうでしょ、お兄ちゃん……!」

 それは問いかけではあったが、どこかすがるような響きもあった。

 そして、それを受けたノアは……一瞬、呆然としたかと思うと、すぐさま、頬をゆるめて苦笑をもらした。

「……まったく……お前ってやつは」

「……え?」

「お前の言う通りだよ。正直、ちょっと混乱はするけど……死人だなんだって、まだよく分からないんだしさ……だったら結局、カインはカインだって、そこに落ち着けばいいんだよな」

 ノアはナビアのそばに寄ると、その頭を優しくなでた。

「――やっぱりそうだった。今、あらためて感じたよ。お前の方が、俺よりもよっぽど物事の本質を見てる。よっぽど、芯の通った確かな信念があるんだよ。

 だから……信念にひっぱられていたのは――それを頼りにしていたのは、やっぱり俺の方だったんだ」

「お兄ちゃん……?」

「俺はさ……結局、余計なことまで考えて、そのせいで迷いも捨てきれない、ダメなヤツなんだ。

 それに比べてお前は、不老不死を否定して本当の命を生きるって意味を、その本質を、正直に、真っ正面から見据えてた。その上で、俺なんかよりずっと固い覚悟を決めてたんだ。

 そんなお前に寄り添ってたから――だから俺は、ここまであきらめずにいられたんだ。

 今さらこんなこと言うのもなんだけど……ありがとな」

「……それは違うよ、お兄ちゃん」

 ナビアは優しく微笑みながら、頭をなでてくれた兄の手を取る。

「お兄ちゃんが、あたしの思いを認めてくれたから。同じだって言ってくれたから。だからあたしも、自分の思いを信じられるんだよ?

 お兄ちゃんがいなきゃ……あたしだってダメなんだよ?」

「……ナビア……」

 ナビアが口にしたその思いはよほど予想外だったのか、言葉を失うノア。

 笑顔でうなずき返すナビア。

 そんな兄妹二人の頭に、今度はカインの大きな手が置かれた。

「カイン……」「おじさん」

 そして、その大きな手は優しく、ゆっくりと二人の頭をなでる。

 それが死人であるということなのか、その手にぬくもりはなかったが――しかし確かなあたたかさを、二人は感じていた。

 二人のあるがまま、そのありようを――それでいいのだと、優しく認められているようだった。

「ノア、ナビア。……お前たちに出会い、こうして守護を担えるようになったことは、私にとってはまさしく幸運だったな」

「……おじさん……」

「だが――」

 顔をほころばせる兄妹に対し、カインは自らのそれを引き締める。

「私が、不老不死とはまた違う形ではあるが、しかし命の在り方として間違った存在であるのは確かなのだ。

 だから――今後、私の力がもう必要ないと、お前たちが判断するときが来たなら。そのときは、ためらわずに私を切り捨ててほしい」

「そ、そんなことしないよ! だって、ずっといっしょにって――」

 馬鹿げていると言わんばかりに目尻を上げるナビア。

 そんな、勢い込んでカインの言葉を否定しようとする妹をさえぎり、ノアは力強く「分かったよ」と請け負った。

「お兄ちゃんっ?」

「でも、アンタ自身が今言ったように、アンタが必要なくなったかどうか、判断するのは俺たちだ。アンタが勝手に決めることは、絶対に許さない。――それでいいよな?」

 真剣な眼差しで、自分をじっと見上げてくるノアに、カインはゆっくりと同意した。

「ああ、もちろんだ」




             *


 その執務室の色彩を一言で表すなら、よく晴れた夜空、というのがふさわしいだろう。

 全体的に暗色で統一されながら、しかし陰うつなイメージも閉塞感もなく、むしろ身が清められるような、透き通った開放感がある。

 しかし何より、この部屋の雰囲気を決定付けているのが、その主であることは疑いようがない。

 それは、夜空に秘めやかに、しかし他を圧する美しさをもって輝く明星だからだ。

「――それで、グレン。君の印象はどうだったんだ?」

 その主である明星、ウェスペルスの問いに、グレンは未だ鮮明な記憶を引き出しながら答える。

「正直なところ、俺は直接の面識がないからな……あれがカイン本人だったのかと問われても断言はできん。そもそも容姿なんざ、いくらでも手を加えられるものだしな。だが――」

 グレンの脳裏に浮かぶのは、工場の食堂で対峙した黒衣の影、その言葉、動き、そして――身にまとっていた尋常ならざる気配だ。

「世界最高峰の戦士か、と問われたなら、ためらいなくうなずける。

 あれは――強い。技量も、身体能力ももちろんだが……魂と言うか、覚悟と言うか。そうしたものの存在感に圧倒されたよ」

 それもグレンの正直な感想であることは間違いない。しかし実際のところ彼は、もっと踏み込んで、あの黒衣の男こそカイン本人だろうと、なかば確信していた。

 そもそも不老不死さえ、旧史の常識からすれば夢物語のようなものなのだ。死者が甦ることもありえない話ではないだろう――と。

「覚悟……か」

 唄い上げるように繰り返しながら、ウェスペルスはゆっくりと執務机の前に回る。

「グレン、君も知っての通り、僕らのように人を殺めることが生業になった者は大抵、その重さから自分の心を護るために、意識的にであれ無意識のうちにであれ、様々な手段を講じるものだ。

 人でなく機械になろうとしたり、殺人そのものを快楽としたり、受け流して慣れることに徹したり、ひたすら忘却につとめたり。

 ……だけど、彼は違った。

 人を殺すことをためらいも迷いもせず、しかしその死から目を背けることも逃げることもせず……罪として自覚した上で、すべてを背負っていた。

 それは想像を絶する重苦だろうに、そんなことはおくびにも出さず、僕らを思いやる人としての心を保ったまま、その覚悟を貫き続けた――」

 机に腰掛けたウェスペルスは、昔を思い出しているのか、すっと目線を上げる。

 もともと、グレンに比べればその半分程度の外見年齢でしかないウェスペルスだが、そのときの表情は、まさしく子供のそれだとグレンは感じていた。

 大人に、羨望と期待の入り混じった、無垢な眼差しを向ける子供と同じだ――と。

「……それが、カインという人間だった」

 ウェスペルスはまぶたを閉じる。

 そうして、思い出を飲み下したのだろうか。あらためてグレンを見据えるその表情は、真摯なものへ立ち返っていた。

「君が感じた覚悟というのがまさしくそれであるなら、その男は本当にカインかも知れない。いや……君やライラですら敗れたのだから、むしろそう考える方が自然なぐらいだ。

 だけど、それだけは――それだけは、ありえない」

 目の高さまで持ち上げた右手を、ウェスペルスはそっと、しかし力強く握り込む。

「誰よりも敬愛する彼を殺したのは、ほかでもない――この、僕自身なのだから」

 言葉こそきっぱりと否定の意志を示しているウェスペルスだったが、グレンはそこに、感情の揺らぎを垣間見ていた。

 立場上否定はするが、どういうわけかカイン本人が甦ったのだという、非現実的な考えを一番信じているのは、誰よりも彼なのかも知れないと――そう感じられた。

「……すまない、少し感傷にふけってしまったけれど……ともかく、僕の用件はこれで済んだので、次の命令だ。

 グレン、君はこの後、春咲姫(フローラ)の書斎に向かうように」

 苦笑混じりのウェスペルスが向けた話に、グレンは小さく首をかしげた。

「書斎に? 俺が役に立つことなんて、せいぜい力仕事、本棚の移動ぐらいだと思うが……」

「サラに無事な姿を見せてあげるんだ。仕事の処理を優先して、まだ会っていないだろう?」

「……いい年して子離れできないのかと、説教されそうなんだが」

「あながち間違いでもないからいいんじゃないか?……それにヨシュアのことを聞いて、サラが心配していたのは事実だからね。

 ――いいかい? もう一度言うが、これは命令だ」

 命令と言われれば、グレンは従うしかない。彼は弱り顔で、降参とばかりに両手を挙げる。

「やれやれ、何を言われるやら。……春咲姫の嬢ちゃんが、間に入ってくれりゃあマシなんだが……」

 言いながら、かの少女の性格を考えれば、親子水入らずを邪魔したくないと、早々に席を外すのは目に見えていた。

 娘がくれるのが小言だけならいいが、ヨシュアの死を踏まえて心配していたとなると、最悪泣かれる可能性もある。

 ――そればっかりは本当に厄介だな、とグレンは口の中でうなっていた。

「そうだね……いかにサラでも、今回は涙を見せるかも知れない。本当に心配していたから」

 頭の中をのぞいたかのようなウェスペルスの発言に、グレンは盛大にため息をつく。

「ボスは知らんだろうが……女の涙ってやつは、男にとって本当に扱いが困る厄介なものなんだぞ?」

 八つ当たり気味にそんな言葉を向けると、ウェスペルスはおだやかに目を伏せて答えた。

「……知ってるよ。イヤと言うほど、骨身に染みているさ――本当に、ね」

 そんなウェスペルスの態度に毒気を抜かれたように、グレンは小さく肩をすくめた。

「……まあ、どのみち、遅かれ早かれ顔は合わせることだし……俺はこれで失礼するか。ここでグズグズしてると覚悟がにぶりそうだ」

 正直な心境をそのままに吐露し、振り返るグレン。

 その手がドアにかかったところで、後方からもう一度ウェスペルスの声が飛ぶ。

「この先――」

 それは、つい今しがたまでの気安いものではなく――多分に緊張感を伴った、公人としてのものだった。グレンも足を止める。

「なにかと、君の力を借りる機会が増えると思うが……どうか、よろしく頼む」

「ボス、前にも言っただろう? アンタが手を差し延べてくれたから、俺たち夫婦は希望を見出せたんだ――」

 グレンは肩越しに振り返った。

「何でも、とまで安請け合いはしないが。アンタの頼みなら、できるだけのことはするさ」

「……ありがとう。頼りにしているよ」




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