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畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
四章  祖花の想い、幼芽の願い
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 西暦20XX年 某所  ~ある老医の追憶~


 ……まだ日が落ちるには早い時間だというのに、気付けば、窓の外は真っ暗になっていた。

 ガラス越しに見上げれば、分厚い黒雲が、大蛇のように大きく激しく、空いっぱいにとぐろを巻いているのが分かる。

 どうやら、夜にかけて嵐になるという予報は、間違いではなさそうだった。

 皮肉なほどにふさわしい天気だ、と思う。

 間違いなく今宵、私たちは嵐の渦中に身を投じることになるからだ――ともすれば何もかも吹き消されてしまうであろう、激しい嵐に。

 視線を病室内に移せば、子供には大きいベッドに、沈み込むように横たわる少女の姿が否応なく目に入る。

 施設内の散歩すらままならなくなったこの子が、あのお気に入りの場所、庭と呼ぶのもおこがましい、いわゆる猫の額ほどの小さな庭にも出られなくなって、どれほどになるだろう。

 難病という一言で片付けるにはあまりに過酷な難病に侵され、それでも今日まで必死に繋いできたこの子の命は……今ではもう、いつ消えてもおかしくないような、はかなくかすかな蛍火でしかない。

 ――しかしそれも、あくまで今日までのことだ。

 ようやく――ようやく私は、この子を救うことができる。

 組織の子供たち――物心がつく以前より人を殺し続けることを組織に強いられ、人としての魂すら失いかけていた、そんな多くの子供たちを癒し、救ってきた……誰より心優しいこの子自身を、ようやく。

 いや、この子だけではない。

 この子が救われることで、今も広がり続ける戦火に、そして病魔に苦しむ、多くの罪無き人々をも救うことができるだろう。

 しかしそのためには、あの少年たちの――私たちの――蜂起を、是が非でも成功させなければならない。

 組織を牛耳る、ひたすらに独善的で傲慢な、我欲に凝り固まった醜悪な愚者ども――。

 あの連中を一掃し、組織を崩壊させなければ、たとえ命が助かろうとも、不凋花(アマランス)との共生に唯一適合反応が出たこの子は、間違いなく未来永劫、そんな愚者どもの私利私欲のために、不老不死をもたらすだけの道具として隷従させられるだろう。

 そしてそれが、このまま静かに死を迎えるより、はるかに残酷な運命であることは疑いようもない。何としても、それだけは回避しなければならないのだ。

 老いさらばえた、しかも武器を取ることもできないこの身では、不甲斐なくも、戦うことは若者たちに委ねる他ない。だがそんな私にも、この計画の中で私にしかできない役割がある。

 それは、手術によってこの少女の体内に不凋花を移植し……無事、共生させることだ。

 第一には予断を許さない状態にあるこの子の命を救うためだが、これが成功すれば、ついに長年の宿願――永遠の命――が叶うときが来たと、組織の幹部はこぞってこの子を見に、ここを訪れることだろう。

 生によって得られる快楽をむさぼり尽くす、そのためだけに死を恐れ、それゆえ普段は身を守るために、決してその堅牢極まりない巣穴から顔も出そうとしない連中が、不老不死という至高のエサに釣られて、無防備に、一堂に会するのだ。

 そのときこそ、彼らと、彼らの祖先が永きに渡っていびつに積み上げてきた、この醜く愚かな組織の終焉のとき――重ねた罪過の報いを受けるときなのだと、知りもせずに。

 私も歳を取ったせいか、もしも計画が失敗したら、という恐れがないわけではない。

 だが――。

『……大丈夫です、先生。僕らはきっと……ずっとこのときを待っていたのだから』

 私に計画を持ちかけたあの少年の、穏やかながら、しかし決意と自信に満ちた覚悟の表情を思い出すと……臆病さはしぼみ、年長者として為すべきことを為さなければ、という活力が沸き起こる。

 そう――嵐を抜けた先には、必ず、あの抜けるように美しい青空が待つのだから。

「……ん……。せん、せい……?」

 ふと気が付くと、ベッドの少女がうっすらと目を開けて、ぼんやりと私を見ていた。

「おや……起こしてしまったかの。眠っていていいんじゃよ、オリビア」

 少女を不安がらせないようにと、目一杯に愛想良く笑いかける。

 こういうとき、自慢の髭は口もとの微妙な動きを覆い隠してくれるので、実に便利だ。

「いっぱい眠って、次に起きたときには……お前さんは今までで一番、元気になっているんじゃからな。それを楽しみに、良い夢を見なさい」

「わたし……ホントに元気になれるの? もう怖い思い、しなくて済むの……?」

 まっすぐにこちらを見てくる少女の青い瞳越しに、つい先日、彼女が危篤におちいったときの光景を思い出す。

 普段から年齢のわりに気丈で、自分より他者を気に掛けてばかりいた彼女が、か細く弱々しいながら――同時にひたすらに堅く鋭い声で、必死に「死にたくない」と繰り返していたときのことを。

 それはまさに魂の叫びだった。小さなわがまま以外、何かを求めたりすることのなかった少女の心からの願い。

 死を前に、その恐怖に触れた小さな命の、むき出しになった切なる願い。

 そして私は――いや、私やあの少年は、その願いを叶えることを決意したのだ。どんなことをしてでもこの命を救うと、覚悟を決めたのだ。しかし――

「――そうじゃ。もう二度と、怖い思いはしなくて済む。もう二度と」

 少女に眠るようなだめる私の中には、一握りの後ろめたさもあった。

 不老不死というものには、とても一言では言い表せない、さまざまに重い意味がある。

 確かに『生きたい』というのは彼女の切なる願いであり、私たちは本人の言質を取った形になる。

 だが……追い詰められ、死に瀕した人間としてそれは当然出てくる願望であり、しかも彼女は、いかに聡明とは言え、不老不死の意味を真に理解するにはやはり幼い。

 それゆえ、私は卑怯な手段で自らの行為を正当化しようとしているのではないかと、そんな罪悪感を覚えずにはいられないのだ――たとえその根底にあるのが、この子を救いたいという願いであるとしても。

 ――そう。私は確かに、この子を救いたいと願っている。それは間違いない。

 だが同時に、研究者として、研究の成功を見届けたいという……そんな願いもまた、同居しているのだ。

 果たして、彼女が永遠の命を得てまで生きたくはないと望んでいたなら……私は、それを受け入れることができただろうか。研究の結果を見たいという、単純で、それゆえ強い好奇心にあらがうことができただろうか……。

 私の心中など知るよしもなく、言われるまま、静かに目を閉じる少女。

 すると、少女を揺り起こそうとでもするように――私の言葉を聞き入れてはならないと抗議するように、強く吹き付けた風が、窓をガタガタと大きく揺らした。

 ――もしも、神ならぬ人の身で、不老不死を願うことが罪だと言うならば……。

 真に罪深いのは、欲望のままに不凋花を探し当てた連中でも、ただ大切な者のためにと花を奪ってきた彼でも、ましてや運命の悪戯によってその源泉となるこの少女でもなく――。

 その許されない願いを形にする――せずにはいられない、この私ではないのか。


 最後の罪、『畢罪(ひつざい)』を犯すのは――私ではないのだろうか。


 気付けばいつの間にか降り出したつぶてのような雨粒が、暴威を振るう風に吠え立てられるまま、銃撃さながらに窓を叩き始めていた。


 嵐が――訪れていた。




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