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畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
三章  万花の園に朽花一輪
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5.その『死』に意味を


「ふう……何とか見つからずにすんだ、よな?」

 ゆっくりと動き始めた列車の窓から、ちらりと外をうかがって、ノアは小さなため息をついた。

 いまだに彼らが逃亡しているという事実は一般には伏せられているので、列車の乗客のチェックなどは行われていなかったが、さすがに正面からは危険だと判断した彼らは、塀を乗り越え、車庫を横切って、人気の無い貨物車両にこっそりと乗り込んだのだ。

 一週間近い時間を過ごした、この田園地区を離れるために。

「……ナビア、身体は大丈夫か?」

 カインの問いかけに、ちょこんと壁際に座るナビアは、大きく首を縦に振った。

「うん、だいじょうぶ。すごくすっきりしてるよ。昨日あんなにだるかったのが嘘みたい」

「そっか。ルイーザさんのおかげだな」

 言って、ノアはナビアの袖口に付いていた土ぼこりを払ってやる。彼女が着ているのは、そのルイーザが用意してくれた服だ。

「――うん。ホントだね。あたし、もっともっとお礼が言いたかったなあ……」

 列車が速度を上げるに従って徐々に離れていく、山肌の田園風景を見ながら、ナビアはぽそりとつぶやいた。

「……このあと、どうするの?」

「そうだな……向こうに着いたら、やっぱり正面から出ずに、車庫から整備棟を抜けて……」

「あ、そうじゃないの。……ううん、それもあるけど……それだけじゃなくて……」

「ああ……中央部に戻ったらどうするか、か?」

 ノアが言い直すと、ナビアはこくんと首を縦に振った。

「……いくら庭都(ガーデン)を出て地上に降りるって言っても、さすがに、この高所から、何の訓練も装備も無い俺たちが、普通に歩いて下山するのは無茶だ。だから、山の中を通って地上――麓へ繋がる、庭都建設時に作られたエレベーターを使おうと思ってる」

「えっと……でもそのエレベーターって、確か天咲茎(ストーク)の中にあるんじゃなかったっけ……?」

 差し挟まれたナビアの疑問に、ノアはうなずくものの、「けど」と話を続ける。

「もう一つあるんだよ。そっちが使えなくなったりしたときのことを考慮して作られた予備の一基が、南の統合生産地区に。だから、そこを目指す。そして――」

 ノアは一旦そこで言葉を切った。そして一度、気恥ずかしさをまぎらわすように、わざとらしい咳払いを挟んだ。

「そのついでに、今の住所は近くのはずだから……その、母さんを……訪ねようと、思う」

「えっ……。お母さんに会いに行くのっ?」

 ノアが「ああ」とややぶっきらぼうに返すと、ナビアはさも嬉しそうにはしゃいだ。

 彼女にしてみれば、母親に会えるという事実もそうだが、何より、母を嫌っていたはずの兄が、自分から母に歩み寄るようなことを言い出したのが嬉しいのだろう。

 そんな妹の反応に、ノアも少し嬉しくなりながら、ではカインはどうだろうとその顔色をちらりとうかがうと、カインも穏やかな表情でうなずいていた。それがいい、とばかりに。

「でも、ナビア。母さんに会うのが嬉しいのは分かるけど、俺たちは帰るわけじゃない。むしろ……さよならを言うために会うんだ。――分かるよな?」

 せっかく喜んでいるところに水を差すような気がして、ためらいはしたものの、しかし事実としてはっきりしておかなければならないと、ノアはそうナビアに告げる。

 だがナビアは、悲しんだりすることなく、笑顔のままだった。

「分かってる。でもやっぱり、ずっと会えないでいるより、ちゃんと会ってさよならが言える……それだけで充分、嬉しいよ」

「……そっか」

 曇りのない笑顔を突き合わせる兄妹。

 その様子をいつものようにかたわらで見守っていたカインは、やおら、別車両との連結部の方へ顔を向けると、鋭い声で呼びかけた。

「――聞いたな? この子たちは少しずつでも前に進もうとしている。これでもまだ、邪魔をすると言うのか?」

 何事かと目をまたたかせ、一斉に兄妹は連結部の方へ視線を向ける。

 それに合わせるように、連結部の引き戸を開けてこちらへ移ってきたのは――一瞬、別人かと見まがうほどに鬼気迫る形相をした、ヨシュアだった。

「……気付いていましたか」

「それで、どうなのだ? やはり、二人を連れ戻そうという考えに変わりはないのか?」

「そうですね……正直、もうこの二人がどうしようと、どうでもいいのかも知れません……」

 兄妹を一瞥し、どこか投げやりにそう言うと、ヨシュアはナイフを取り出し――カインを血走った眼でにらみ付けた。

「そう、カイン――お前さえこの手で倒せるなら! この悪夢から解放されるのなら!」

 くすぶる怒りをそのまま叩き付けるかのようなヨシュアの咆哮。

 だがそれはカインには、身を苛む苦痛からの解放を求める、哀しい叫びに聞こえていた。

「ならば私は、もう一度お前を殺そう。今度こそ、穏やかな死を迎えられるよう願ってな」

 言って、カインはヨシュアの前に悠然と立つ。構えもなく、ただ悠然と。

 対するヨシュアもまた、構えらしい構えはない。

 だが、その身体は小刻みに震え……ノアたちの目にも、堂々としていたこれまでと違い、ただ恐怖に突き動かされるままであることがはっきりと見て取れた。この二人の間では、もはや勝負など成立しないと確信できるほどに。

 だがノアは、カインが勝つという結果だけでなく、別の何かを予感していた。それは、胸の奥をぎゅっと絞られるような息苦しさを伴う、空恐ろしいものだった。

 思わず、カインを呼んでそのことを伝えようとするノアだったが、それをさえぎるように、ヨシュアが雄叫びを上げてカインに突っ込んだ。――真正面から、ただ愚直に。

 カインを、死の影をかき消したいという願いだけが先に立った、技も何もない、無様なまでの突撃――。

 カインはその姿に、ただ一度、わずかに目を伏せる。

 そして、そうかと思うと半身になってヨシュアの突撃をかわしざま――無防備な腹部に、渾身の手刀を突き出した。

 防具となるスーツを着ていてさえ致命傷を負わせるカインの手刀にとって、そのスーツすら着ていないヨシュアの身体は何ら堅牢なものではなく……血をまとった手刀は、布を裂くようにたやすく腹部を貫き、その背から顔をのぞかせた。

 一拍遅れて、ヨシュアは床に血溜まりを吐き出す。合わせてカインが手刀を抜くと、彼は一歩、二歩と後ずさり……そのまま仰向けに倒れた。

 それは、これまでも何度か見てきた光景のはずだった。だがノアは、息苦しい予感が、ますます強まるのを感じていた。

 そしてそれはナビアも同様なのか、不安の色が差した表情で、ぎゅっとノアにしがみつく。

 これはあのときに感じたものだ、とノアは理解した。

 何年も前、地上からまぎれ込んできた鳩がまさに力尽きようとしていた、そのときに感じたものだと。

「どう、して……。どうして、こん……な……!」

 苦悶の表情を浮かべて、何とか身を起こそうとするヨシュア。

 しかし力が入らないのか、彼は手を滑らせてまた自らの血溜まりの中に落ちる。

 その場にいる中ではただ一人、物静かにその姿を見下ろしながらカインは「やはりか」と納得したようにつぶやく。

 そして、いまだナイフを握り締めて離さないヨシュアのかたわらに無防備にひざまずくと、そっとその頭を抱き起こしてやった。

「いたい……つらい……。どうして、こん……な……」

 いつしか、ヨシュアの表情は苦悶の果て――帰る場所を探して泣き濡れる、幼い迷子のそれへと立ち戻っていた。

「いかに不凋花(アマランス)でも……心が否定するなら、身体を再生することなどできはしないのだな」

 カインのその言葉に、あらためてノアは自分が予感したものの正体を悟った。

 ――『死』だ。

 いずれ再生され、甦ることが約束されたまがい物の死ではない、正真正銘本物の、命絶え、大地へと還る最後の瞬間。

 命は死ぬものだと大見得を切っておきながら、それも、一度は実際の死を目の当たりにしておきながら――そのうえで、こんな体たらくが許されるものかと心を奮い立たせようとするノアだったが、それでも、全身には震えが走っていた。

 むしろ、本物の死を見知っているがゆえにか、刻々と近付くその気配を察し、息はますます締め付けられ、背筋に冷たいものが伝う。

 しかも今回は自分たちと同じ『人』なのだ。押し寄せる衝撃は以前の比ではなく、ついには堪えきれなくなり、視線をそらしそうになったその瞬間――これまで聞いたこともない、カインの怒声が彼の耳を打った。

「目を背けるな!」

 思わずびくりとすくみ上がりながらも、ノアは恐れに負けてそらしかけていた視線を戻す。するとカインは、一転して穏やかな声で……ノアをさとすように言葉をつむいだ。

「これが、お前たちが受け入れると誓った、人の死だ。今胸の奥で渦巻いているだろう、嫌悪も、恐怖も、悲しみも――すべてをありのままに受け止めろ。そうしてお前たちが、お前たちなりに『生』へと続く何かを感じ取ること……それが、死に行く者への礼儀だ。『死』に意味を与えるはなむけだ。

 だから、目を背けるな。つらくても、逃げることだけは……してやるな」

「あ……」

 ふとノアがナビアの方を見ると、妹はすでにそのことを承知していたのか、泣き顔のまま、それでも必死にヨシュアの姿を見守り続けていた。

 ノアも、そのことを知っていたはずだった。かつての鳩の死に、大切な何かを受け取ったと感じたように。それが死の意味の一つであり、同時に生にも意味を持たせるものなんじゃないかと、そう思っていたはずだった。

 だからカインにさとされ、恐れのあまり一番大事なそのことすら見失いそうになっていた自分を恥じ、ノアはあらためて、一つの死を見届ける覚悟を固めた。

 それでいい、とうなずいて、カインは腕の中のヨシュアに目を落とす。

 虫の息となったヨシュアは、虚ろな目を見開いたまま、何事かをつぶやき続けていた。

「もういい、ヨシュア。もうお前は苦しむ必要も、恐れる必要もない。お前はこれまで存在したあまたの命と同様に、ただ……生まれ出たこの世界へ、還っていくだけなのだから」

 カインは静かに、そして穏やかに……ヨシュアの苦痛をやわらげるよう言葉をつむぐ。

 そうしているうちに、力のなかったヨシュアの動きはさらに弱々しくなり――やがて、その動きを止めた。

 瞬間、からんと、最後まで彼の意地を表すかのように握られていたナイフが、乾いた音を立てて床に転がった。

「――眠れ。ただ、安らかに」

 カインは手をかざし、ヨシュアのまぶたをそっと閉じてやる。

 ノアもナビアも、その様子に、やはり何も言えずにいた。渦巻く感情をどんな言葉に乗せればいいのか分からなかったし、何より、そんなことはするべきではないと感じていた。

 その代わり、彼ら自身さえ意識しないうちに、涙が止めどなくあふれ、こぼれ落ちていた。

 ……何よりも雄弁に、彼らの心を物語るように。



 ヨシュアの襲来以降、中央部へと戻る列車の旅は、何の障害もない平穏なものだった。

 ただ、その間カインたち三人の間に、会話らしい会話はまるでなかった。

 初めて目の当たりにした、自分たちと同じ『人』の死について、兄妹がそれぞれに考え、思いを巡らすのを、カインはただ黙って見守っていたからだ。

 明るい雰囲気でないのはもちろんのことながら、しかし重苦しいわけでもない、清廉とした空気の中の静謐な時間。線路に揺れる列車のリズムですら、どこかしら柔らかく響く。

 そんな時間に終わりを告げたのは、列車の進行方向を見やっていたカインの一言だった。

「……そろそろ、駅に着くぞ」

 一見すると、まるで人の言葉など聞こえそうもないほど物思いに沈んでいるように見えた兄妹だったが、その反応はむしろ早く、うなずいて応えるや、すっくと立ち上がった。

 その表情からは、いまだ彼らが感情と思考を整理し切れていないことがうかがえる。しかしそれでも、当初あったはずのおびえはいくらか和らいでいた。恐れは消えなくても、それを受け止めることができたからだろうか。

「すぐにでも動けるように準備しておけ」

 余計なことは言わず、それだけを二人に告げると、カインは何をする気なのか、周囲に積まれてある貨物の一つ、小さな木箱を開けて中に手を入れる。

 そして、その中に詰められていたのだろう小さな白い花を一輪、取り出した。

「それ……弔いに?」

 そうだ、とカインは、穏やかな表情で横たわるヨシュアの亡骸に近付き、胸の前で組まれたその手の中に、そっと白い花を差し入れる。

 そして、わずかな間、頭を垂れていた。――別れを告げるように。

 兄妹も、また――そうするよう言われたわけでもないが、自然に。

 カインにならって、ささやかな祈りを捧げていた。




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