3.強襲
体調を崩したナビアが寝ているのをそっとしておいて、何か夕食の準備でできることはないかと、ノアは一人、食堂のキッチンへとやって来ていた。
「んー……」
冷蔵庫の中をのぞいたり、器具の収められた棚を開けたりと落ち着きなく動き回るものの、そもそも料理をろくにしたことがないノアに、残っている食材を見て下ごしらえの計画を立てる、などという真似ができるわけもない。
そこでノアは、何か簡単な料理のレシピをデータベースで確認しようと、いつも上着のポケットに入れてある一枚の掌携端末を起動させ、そばの棚に置いた。
「まあ……いざとなったら野菜を適当に切って盛りつければ、サラダにはなる――よな」
楽観的に考えながら、とりあえず手軽にできそうなレシピから探そうとしたそのとき。
「……え?」
ノアは、浮かび上がった映像に、警告メッセージが表示されていることに気が付いた。一部改造してこの端末と連動させている、工場内の警備システムからのものだ。
しかもそれは、通常、侵入者があればシャッターなどで経路を塞いだ上、その情報が届くようになっているのだが、そうした措置を取ることすらできなかったとき――つまりは警備システムそのものを完全に沈黙させられたときにのみ届くようにしてあった、最悪の危機を告げるメッセージだった。
「う、ウソだろ……っ! いつの間に――!」
まさか、と一瞬頭の中が真っ白になる。
それに乗じて、信じられない、という思いが、現実を否定しそうにもなるが……天咲茎を出て以来、さまざまな出来事に遭遇するうち、彼自身知らぬ間に精神的にもたくましくなっていたのだろう。
ノアは動揺する心を必死に落ち着かせながら、すぐさま現状について思考を巡らせる。
だが……彼に、対策を練るだけの猶予は与えられなかった。
「よーし、そこまでだ! 余計なことは考えずに大人しくしろ、坊主」
低く重い声が、食堂内に響き渡ったかと思うと……一人の大柄な赤衣の男が、半開きになっていた入り口のドアを蹴り開けて、ゆっくりと中に入ってきたのだ。
警告メッセージを受けての一応の心構えがあり、さらに昼間に訓練したばかりだったこともあって、ノアは自分でも驚くほど反射的に、腰に下げていた銃を抜いて、男の方へと向ける。
そんなノアの動きに素直な驚きを見せる顔――古傷と髭が印象的な、どこか獣めいたその顔に、彼は見覚えがあった。
「グレン……! アンタか……!」
鉄壁とまでは言えないまでも、いざというとき逃げ出す時間を稼ぐぐらいには充分だと踏んでいた警備システムを、知られることなくあっさりと無効化したその手際に、ノアは舌を巻く思いだった。
花冠院筆頭であるウェスペルスが最も信頼する切り札――グレンを評してのその肩書きは、普段の素行からすればまるで想像がつかないが、ダテなどではなかったのだと。
「久しぶりだな、坊主。……悪いことは言わん、その危なっかしいオモチャは捨てて、大人しく投降しろ」
さすがにそう言われて、分かったと銃口を下げるわけにもいかない。
だが、だからといって、威嚇でも何でも発砲して一旦この場から逃げ出すという選択肢も、今のノアには選びようがなかった。――原因はただ一つ。
「お、お兄ちゃん……!」
部屋で寝ていたはずのナビアが、今まさに、グレンの腕の中に囚われていたのだ。
この状況で、妹一人を残して逃げることなどできるはずもない。しかし、狙いが牽制だろうと直接だろうと、ヘタに発砲して彼女に当たれば、取り返しのつかないことになってしまう。
グレンと違って、ナビアは――たった一発の銃弾で散りかねない、はかない命しかもっていないのだ。
後悔と、それに根を同じくする様々な感情と、ふがいない自らへの怒りが入り乱れ、これまでしたこともないほど強い力を込めて、ぎっと歯を噛むノア。
その様子に、ふむ、と小さく鼻を鳴らしたグレンは、興味深げに質問を投げかけた。
「良い機会だ、坊主。一つ聞こう。
俺のように旧史から生きてる人間だと、一応理由は予想できるが……お前たち、どうして不老不死を否定して逃げ出した? その行為が、お前たちだけの問題では済まず、かつて人類の歴史ではありえなかったほどの調和を成し、平穏の内に安定しているこの庭都を、いたずらに刺激してしまうことは分かるだろうに。……なぜだ? お前の答えを話してみろ」
ノアはグレンの腕の中で苦しそうにしているナビアをちらりと一瞥した後、グレンをにらみ付けて、精一杯に声を張り上げる。
「そんな――そんなもの決まってる! 死なないなんておかしいからだ! 間違ってるからだ! 人であれ何であれ、生命はいつか死ぬ、だから生きてるって言えるんじゃないか! 俺たちはそんな当たり前の命を、当たり前に生きたい! だから、天咲茎を出たんだ!」
「……なるほど、な。そうだろう、とは思ったが……ガキがまあ、小生意気に知った風な口を利いてくれる」
ノアの剣幕も涼しい顔で受け流すグレン。
「だが、その是非を問答するのは俺の仕事ではない。俺の仕事は、そうした役目の人間の所へお前たちを連れ戻すことだけでな。
……もう一度言うぞ? そのオモチャを捨てて、こっちに来い」
死ぬことはないにしても、万が一にも急所に銃弾を受け、しばらく動けなくなることを警戒しているのだろう。グレンは不用意にノアに近付いたりせず、スキをうかがうように付かず離れずの距離を保つ。ノアがキッチン内にいるため、カウンターが間を仕切っているのも、ノアが強引に確保されることをまぬがれている要因だった。
そうして牽制を続けながら、何か現状を打破する手段を考えようとするノア。
しかしそれを見越したかのように、グレンは小さく首を横に振った。
「ムダだ。頼みの綱の協力者は不在のようだし、この工場の出口はすべて俺の部下がおさえているからな」
「……そんなの、ハッタリかも知れないだろ」
必死に空威張りするノア。
グレンの態度、そしてあっさり窮地に追い込まれた現状を顧みれば、仲間がいることに間違いはないだろうが、それでも彼は突っ張らずにはいられなかった。
しかしグレンは、意外にもノアの言葉を肯定するように「それはそうだ」と苦笑を漏らす。
そしてそのうえで、ノアが手品かと錯覚するほどの速さで拳銃を抜くと、その銃口を――何と、腕の中のナビアに向けた。
「だからな、万が一のためにもここから逃がすわけにはいかんのさ。どんな手を使ってもな」
瞬間、これまでどことなく気安げだったグレンの気配が、がらりと変わった。
まとう雰囲気が、獰猛な肉食獣のそれへと――素人のノアでもはっきりと分かるほど、劇的に。
「お、脅しのつもりか? 俺たちは殺すんじゃなく、生け捕りにしなきゃいけないんだろ?」
ノア自身は必死に虚勢を張っているつもりだったが……グレンに気圧され、その声は自分でも分かるほどに震えていた。
「フン……甘ったれるなよ、坊主。もちろん殺すわけにはいかん。だがな……完全に死にさえしなければ問題はないんだぞ? 不凋花の効用、知らないわけじゃないだろう?」
ノアは絶句する。
完全に死んでしまう前なら、不凋花によって、不老不死にできる――その瞬間まで生きてさえいるなら、虫の息となっても蘇生させられる。その生と死の境界線を見極められるのなら、限界まで痛めつけることも可能だと――グレンはそう言うのだ。
「そ、そんなこと……それこそハッタリだ! だいいち、春咲姫がそんなこと――」
「まずは脚からだ。痛いぞ」
有無を言わさず、銃口をナビアの太股に向けたと思うや否や、グレンは引き金を引いた。
部屋を揺るがすばかりに響き渡る銃声に、ナビアの悲鳴が絡み合う。
「ナビアッ!」
我が事のように、恐怖に駆られた叫声をほとばしらせるノア。
しかし――視界の中のナビアの足は、想像したような惨状をさらしてはいなかった。道で転んだだけのように、膝にわずかにできた傷から、血をにじませている程度だったのだ。
やっと呼吸を思い出したとばかりに、大きく、乱暴に安堵の息をつくノア。合わせて腰が抜けそうになるのを必死に堪え、あらためてグレンをにらみ付ける。
「また甘ったれたことをぬかすからだ。次は威嚇ではすまんぞ」
ぞっとするようなグレンの表情に変化はまるでない。
言葉通り、次は本気で撃つだろうとノアは実感させられた。
「お、お兄ちゃん……! あ、あたし――あたしは、だいじょうぶだから……!」
ただでさえ体調が悪いところに、こんな状況に放り込まれては、つらいどころの話ではないだろう。
だがナビアは、その愛らしい顔を涙や鼻水でグシャグシャにしながらも――そして訴える声は震えていながらも、ノアに向ける瞳は、ただ真っ直ぐで気丈だった。
「さて――妹はこう言っているが。どうするんだ?」
ノアは唇を噛む。
正直に言って、ノアの心は折れる寸前だった。
死ぬことはないにしても、ナビアを傷つけると言われて、なお貫けるほどの信念も覚悟も、今のノアは持ち合わせてなどいなかった。
「そう言やグレン、アンタは旧史生まれで……昔は軍人だったんだっけな。こういうことには慣れてるってことかよ……?」
せめてもの抵抗とばかりにノアは悪態をつく。
するとグレンはわずかに片頬を吊り上げた。髭で分かり難いが、どうも笑ったらしい。
「否定はせんよ。特殊部隊の任務ともなると、汚れ仕事も少なくなかったからな。
だがそれなら、お前たちの仲間の男はどうだろうな? カインを名乗るからには、およそ真っ白ではあるまい?」
グレンの発言に、ノアは一瞬今の状況を忘れて目を見開いた。
「! アンタ……カインのこと、知ってるのか?」
「そう返すということはつまり、お前は何も知らないわけか。ならば、俺から話すことは何もない、と言いたいところだが……お前たちが頼みとする協力者がどれだけ危険か知れば、考えも変わるかも知れんしな。一つだけ教えてやろう」
油断なくナビアに銃口を向けたまま、グレンは続ける。
「カイン――それは、その『原初の殺人者』という名が示す通り、旧史の時代……裏社会で最強の暗殺者と畏怖された男の通り名だ。お前たちの協力者は、あえて、そんなものを名乗る人間なんだよ。真っ当かどうかぐらい……考えれば分かるだろう?」
「――貴様の言う通りだな。私は、およそ真っ当ではない」
場に割り込んできた第三者の声に、全員がそちらを振り向く。
食堂の入り口に、ゆらりと立つ黒い人影。
それは両の手を鮮血に赤く染めた――当のカインその人だった。
「! おいおい、まさか……外を固めていた連中が全員、俺に連絡するヒマもなくやられたってことか? あげく、俺が今の今までまるで気付かなかっただと?
まったく――何とも悪い冗談じゃないか」
つい今まで、この場を完全に圧していたはずのグレンの気配が揺らぐ。その苦々しげな表情を見れば、彼が心底驚いているのは明らかだった。
「カイン!」「おじさん!」
「すまない、二人とも。遅くなったな」
兄妹の歓声に、カインは普段と同じような調子ながら……しかしどことなく申し訳なさそうな声色で応える。
そして、あらためてグレンを見据えた。
「護る、という約束なのでな。――その子を、離してもらうぞ」
宣言するや否や、ゆらりと、カインの身体がかしいだ。
瞬間――グレンはナビアをあっさりと突き放し、まばたきの暇すらなく間合いを詰めてきたカインの手刀と蹴りを、手の中の銃も盾にしてさばき、防いで、後方に跳んで距離を開く。
その一瞬の攻防に、見惚れたように呆けるノア。
彼には知るよしもなかったが、グレンがナビアをためらいなく解放したのも、彼女を捕らえたままでは勝負にならないという――相手の力量を瞬間的に見極めた、歴戦の勇士ならではの本能的な判断だった。
事実、カインとしても、人質に固執してくれれば今の攻撃で決められると踏んでいたのだ。それだけに、グレンの見事な反応には彼も内心驚いていた。
一拍の間を置いて、カインの蹴りを防いだことで破壊された、グレンの銃の残骸が地面に落ちる。それに合わせて、カインはグレンを牽制したまま鋭くノアに指示を飛ばした。
「ノア! ナビアを!」
我に返ったノアは、自分もグレンに銃口を向けて警戒したまま、カウンターを乗り越えて尻もちをついているナビアに近付き、肩を貸して立ち上がらせると、カインの方へと移動する。
「おいおい、まったく、なんて技のキレしてやがる……。そりゃ、新史生まれの小僧じゃ相手にならんわけだな……」
悪態をつくグレン。
しかし、その表情は――依然として気迫に満ちてはいるものの、先程までと比べてどこか愉しげだと、ノアは感じた。
「貴様もな。どうやら、ただ本物の死を知っている、という程度ではないらしい」
「フン、似た者同士ってことなのかも――な!」
言うや否や、グレンはさっと腕を素早くひるがえす。
その手に、いつの間にかナイフがきらめいていることをノアが見て取ったそのときには――すでに銀色の凶刃は宙に放たれていた。
一直線に――事態を理解しきれていないノアの眉間目がけて。
「――え」
迫る刃は、ゆっくりと宙を泳いでいるように感じられた。
しかしまるでその速さにノア自身が合わせているかのように、身体はどうしても動こうとしない。ただじっくりと――飛来する刃に貫かれるその瞬間を、想像することしかできない。
だがその呪縛を、脇から差し延べられた大きな手が打ち破った。
カインが、寸前まで迫ってきていたナイフを叩き落としたのだ。勢いのまま床で跳ねた刃の閃きが、見開かれたままのノアの瞳に照り返す。
ようやく元の流れを取り戻したと感じる時間の中、気付けば、これまでの落差を埋めるかのようにグレンが急速に近付いていた。
ノアを救うため、なり振りかまわず無防備に伸ばされたカインの腕、そこに狙いを絞っていたグレンの腕が、鞭のようにしなって絡みつこうとする。腕を固め、逃れようのないところへ必殺の一撃を叩き込むべく。
しかし、それを――カインはかわした。いや、より正確に言えば、グレンの機先を制して反撃するように、彼の方へと腕を突き出していたのだ。
見切られたことに驚くも、間合いと反応からしてギリギリで致命傷はまぬがれると読み、身をよじらせて、首を狙った一撃から逃れようとするグレン。
だが、それすら嘲笑うように、カインの袖口からは銀色の光が飛び出していた。
「貴様の仲間の物だ――返すぞ」
無機質な声でそうささやくカインの声に、その光がナイフだとグレンが理解したときには、すでに遅く――一瞬で手刀の射程を引き延ばした肉厚の刃は、彼の喉を深く貫いていた。
グレンはその勢いのままよたよたと後ずさったが、まだ余力があるのか喉に突き立ったナイフを自ら引き抜く。
そして、苦笑めいた表情を浮かべながら、血の泡混じりに何事かをつぶやいたかと思うと、喉からあふれ出た血溜まりの中に崩れ落ちた。
「二人とも大丈夫か? よく頑張ったな」
グレンが動きを止めるのを見届けたカインは、緊張のためか、まだ構えたままのノアの銃にそっと手を添えて下げてやると、力が入らない様子のナビアを抱き上げる。
ノアは、その高ぶった気を静めようと、何度か深呼吸を繰り返す。のんびりとしていられる状況ではなかったが、カインはそれを黙って見守っていた。
やがて幾分落ち着いたノアは、カインに急いでここを出ようと提案する。
「……前に話しておいた出口、覚えてるよな? あれを使おう」
「分かった。あまり時間がないが、荷物はどうするんだ?」
「ナビアが先に捕まったことからすると、部屋の方はもうおさえられてるか、それでなくても侵入口として固められてると思う。ヘタに姿を見られたくないし、諦めるしかない」
答えて、ノアは置きっぱなしになっていた掌携端末をひったくり、ポケットに押し込んだ。
「これ一つだけでも残ったのが不幸中の幸いだよ。――行こう」
*
「……大丈夫ですか、隊長?」
ノアたちが食堂を出てから三十分ほどが過ぎた頃――。
駆けつけた部下の手当てもあって、グレンはようやく意識を取り戻した。
ただの人間であれば即死はまぬがれない傷も、生々しい血糊以外の痕跡はまったく残っていない。しかし気分的なものだろう、何となく違和感を覚えてグレンは首をなでつける。
「すまん、情けない姿をさらしたな。……それで、坊主どもの足取りはどうなってる? 包囲を突破されたにしても、追えないってことはないだろう?」
「はっ、それが――実は、どの出入り口にも姿を見せず……」
部下の困惑しきりといった報告に、思い切り顔をしかめるグレン。
「チッ……あの坊主め。ここの建設記録の見取り図を書き換えて、いざというときの脱出用の出口を隠してたってところか……」
グレンはヘッドセット型の通信機で、工場の外を固めている他の部下に指示を飛ばす。
「全員、聞こえるな! ここはもういい、チームごとに街の方へ追跡を始めろ! 急げ!」
「……間に合うでしょうか」
そばの部下のつぶやきに、グレンは髭をさすりながらほんの少し考えた後、冷静に答えた。
「可能性は低くないだろう。妹の方が体調を崩しているようだったからな。抱えて行くにも、あれではどうしても状態を気遣って、休憩を取る必要が出てくる。そう速くは逃げられまい」
そうして、自らも追跡に加わろうとしたところで、部下の方から彼に通信が入った。
まさかもう見つかったのかと、拍子抜けのような気分を味わいながら回線を繋げる。しかし相手は、別任務のために若干名割いていた部下の方だった。
「……なに?――分かった、とにかく後で俺も顔を出す。それまで引き続き拘束しておけ」
「どうしました?」
けげんそうな部下に、グレンはつい先刻自分の喉を貫いたナイフを拾い上げながら答える。
「ヨシュアが見つかった。宿泊先は見つけたものの、尾行をまかれたと報告を受けていたんだが……先程、街でぶっ倒れていたところを確保したらしい。
……あのカインを名乗る男、出かけているにしても妙に現れるのが遅いと思ったが……期せずして、ヨシュアが足止めになっていたということか」
カインが『仲間の物』と言ったナイフは、よく見れば枝裁鋏の隊長だけが持つものだった。
その事実から事情を察したグレンは、ナイフを懐に収めると、もうここには用はないとばかりに出口へ向かう。
そんなグレンの背に、部下は遠慮がちに質問を投げかけた。
「――隊長。自分は通信で、ここでのやり取りをある程度聞いていましたが……隊長ならば、あの男が戻ってくる前に兄妹を確保することもたやすかったのではないかと思うのですが……どうしてあんな……脅しをかけるようなことを?」
グレンは足を止めると、困ったように笑った。
「そりゃお前、俺のことを買い被り過ぎだ。――それとも何か? 俺がわざと、奴らが逃げられるように取り計らってやったとでも? 言葉通りに死ぬほど痛い思いまでして?」
グレンの射抜くような視線を受けた部下は、大あわてで手をぶんぶん振る。
「い、いえ、決して! ただ、効率の面からも、どうしても気になったものですから……」
「冗談だ。――何と言うかあれは、イタズラが過ぎたことへの、俺なりのお仕置きのつもりだったんだがな」
部下は首をかしげる。するとグレンは、もうこの話は終わりだと大きく手を打った。
「そら、お前も仕事に戻れ。あの坊主どもが使っていた部屋を調べて、手掛かりになりそうなものを片っ端から回収するんだ、いいな!」
「は、はっ! 了解しました!」
駆け足で食堂を出ていく部下。
それを見送った後、グレンはあらためて食堂内を振り返った。
――部下への言葉は嘘ではない。
実際には兄妹を傷付けるつもりなど毛頭ないにもかかわらず、ああして脅しをかけたのは、彼なりの戒めのためだった。多くの人間に迷惑をかけたことを自覚させ、その上で、『死』がいかに恐ろしいものかを、あらためてその身に教え込むための。
自分は嫌われるかも知れないが、そもそも好かれるような人間でもなし、引き換えに彼らが不死のありがたみを感じてくれるなら、やるだけの価値はあると思っての芝居だったのだ。
「……しかし、まあ……」
グレンの脳裏に浮かぶのは、我が身が危険にさらされながら、それでも決して助けを乞いはしなかった妹と――妹の危機を前にして心が揺れながらも、最後まで、安易に銃口を下げようとしなかった兄の姿だった。
「子供じみた一過性のワガママとは違う、ということなのか……」
グレンは、彼にはめずらしいもの静かな表情で、そっと髭をなでつけた。