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009.私の部屋

 窓に張り付くようにして、アレクシスは外の様子を眺めていた。

「なあ! あの塔はなんだ?」

「鳥人族が運営する風見櫓ですねー。緊急時、あの塔から人や物資を運ぶんですよ」

「じゃああれ! あれは!?」

 次に指さしたのは空を行く巨大な影だ。遠すぎて正確なサイズは測れないけれど、二十メートルは超えているだろう。

 骨と骨の間に皮膜が張られているだけの翼ではその重量を支え切れるはずもないのに、巨影は悠々と羽ばたいて空を縦断する。

「あれは……ああ、竜人族の方ですね。身体の下に荷車を吊るしてるの見えますか? 彼らはああやって都市間交易を担っているんです。生鮮品や貴重品が主な品目で……」

 質問と回答を繰り返すうちに、馬車は目的地へと到着したようだった。

 ぽんと手を打ってラァラは言葉を飲み込む。

「……っと、着いちゃいましたね。私は先生のお手伝いをしてますから、先に入口で待っててください」

 促されて、アレクシスはおとなしく馬車を降りた。

 敷地を囲む鉄柵越しに見えるのは、家というよりは屋敷と呼ぶ方が相応しい建物だ。ここまでの道のりで見かけた魔界の建物は立派なものばかりだが、目前にある屋敷より大きなものはそう多くない。

 とはいえ、その印象は決して華美でも絢爛でもなかった。

 木々に埋もれる、古びた白い箱。アレクシスにはそんな風に見える。

 古い漆喰塗りの壁は灰に覆われたように色がくすみ、所々に走るひび割れを繕うようにして蔦草が這っている。屋根を覆う瓦は度重なる補修と変色でモザイク模様を描き、ひさしの下には鳥の巣の跡がいくつも見受けられた。

 これだけ大きな屋敷を所有しているのなら、財産だってそれなりに持っていなければおかしいだろう。ここまで管理がおろそかになるはずがないのだ。

 気付いてみれば、違和感はそれだけではない。

 家、屋敷という物は非常に大きな財産だ。金額はもちろんの事、きちんと手入れすれば二百年、三百年と子々孫々に渡り住むことが出来る。だからこそ建築主は装飾や彫像、庭の木々の配置に至るまで様々な注文をする。

 貴族ならばその祖先や当主の功績をモデルにするだろう。また、流行や時代背景も重要なファクターだ。古い建物からは、当時の技術、流行はもちろん持ち主の人となりまで窺い知れる。

 アレクシスの目の前にある屋敷からは、そういった遊びが一切見受けられなかった。

 建物としての機能さえ果たせればよい、という設計思想。紋章、家紋の類すら存在しない。

 大きくて、頑丈ではあるけれど、ただただ使い潰すための建物。

 一種異様な屋敷の姿を、アレクシスはじっと見上げる。

 その間に、ラァラは小柄な体を滑らせて馬車を降りていた。もたついているノルトキリアスの腕を取り、担ぐように支える。

「はい。先生、掴まってください」

「ああ、ありがとうね」

 寿命の長い魔人族とはいえ、足腰にはガタがきているのだろう。ラァラの肩を掴み、用意された踏台をゆっくりと下りていく。

 馬車を降りたノルトキリアスに杖を手渡すと、ラァラは休むことなく御者の荷下ろしを手伝い始めた。野菜や保存食の詰まった木箱を次々と門の前に積み上げて、それが終われば御者に手間賃を払い、馬車を送り出す。

 ちいさな身体でよく働くものだ。

 感心して眺めていると、ラァラは木箱の一つを抱くように持ち上げてアレクシスのそばに近づいてくる。 

「そういえばアレクさん、身体は痛みませんか?」

「……え、あ、うん。大丈夫だけど……」

 一拍遅れて、名前を省略されたことに気付いた。

 同じように買われてきた子供たちも、団長や他の大人だって、勇者のことをアレクと呼んでいた。アレクシスという名前は少し長くて、格式張っているのだ。

 反応が遅れたアレクににっこりとほほ笑んで、ラァラは抱えていた荷物をこちらに差し出す。

「それじゃ、この箱を玄関までお願いします」

「なんだこの箱、結構重い……」

 蓋の空いた木箱に入っていたのは、アレクがこれまで使っていた麻袋と武具一式だった。

 意思を契約で縛った今、古ぼけた剣一つくれてやっても問題ない。そういうことだろう。武具一式とは言っても剣やナイフ、それらを固定する鞘や剣帯くらいのものだ。かさばる防具の類は元々持っていなかった。

 故郷に見捨てられ、魔族に逆らう気力も失くした今は無用の長物だ。

 売り払ったところで大した金にもならない――

 ――そう、考えて。

 愕然とした。

 その剣は、かつて誇らしく戴いた剣だ。魔物を狩った際に折れた剣の代わりとして団長から授けられた。剣帯や鞘だってアレクの為に新しく作り直してくれた。嬉しくて、抱いて眠るくらい大事で、けれど今はもう何の価値もない。

 これが、アレクの現状だ。

 目的も価値も失くしたガラクタ。

「どうかしましたか?」

「……いや。なんでも、ない」

 木箱を受け取って、アレクは縋りつくようにそれを抱きしめる。

 アレクが何を感じて、何を考えようとも、日常はくるくると回り続けていた。

 保護した勇者の胸中にも気づくことなく、ラァラは木箱の一つを抱き上げて屋敷の玄関へと歩いていく。

「それじゃ、私はアレクさんをお部屋に案内してきますねー!」

「ああ。頼んだよ、ラァラ」

 答えたのは、背後で二人を見守っていたノルトキリアスだ。杖を突きつつ、ゆっくりとした足取りでアレク達に背を向ける。

「あとでお茶持っていきますからー!」

「いらないよ。夕食まで、少し休ませてもらうから」

 そう言うと、老人は屋敷を迂回するように歩き始めた。

 初対面ではそれなりに毅然として見えたものだが、歩き去るその背中はどこにでもいるような老人だ。声にも張りがなく、疲労と眠気がにじみ出ている。

「あいつはここに住んでいないんだな」

「すぐそこに離れがあって、先生はそちらに住んでるんですよ。こっちには私たちだけです」

「ふぅん……」

 こんな広い屋敷に、二人きり。

 それは随分寂しいことだろう。傭兵団にいたころには到底望めないような贅沢だけど、そんな孤独はここに来るまでの道のりで飽きるほど経験してきた。

 これから過ぎていくであろう静かで退屈な日々を想像して、嫌気がさす。

 その沈黙を、ラァラは勘違いしたらしい。申し訳なさそうにアレクシスの横顔を覗き込み、軽く頭を下げた。

「……その、先生のこと、怒らないでくださいね。いつもはあんな感じじゃないんです。今日はちょっと、本当に疲れてて……」

「何かあったのか?」

「えっと。先生……私もですけど、昨日から寝てなくってですね……。式典のあと、あなたが……レーリアの勇者が捕まったって聞いて。身元を調べたり、釈放の為の書類を用意したり……」

 この国は法治国家だとラァラは言っていた。アレクシスの身元を確かめ、釈放し保護するための書類を用意し、契約措置の認可を取り付けるにはそれなりの労苦があったらしい。

 けれど、アレクシスがそれを理解するのはずっと後のことだ。口を突いて出たのは別の疑問だった。

「……式典?」

「はい。アレクさんが魔王城に入ろうとしていた時、私たちは城門の向こう側、式典会場にいたんです」

 さらりと言いながら、ラァラが抱えていた木箱を下ろす。

 鍵のかかっていない扉を開くと、一転して明るく、アレクを屋敷へと迎え入れた。

「さて! まずはお部屋にご案内です! ついてきてくださいねー」

「あ、ああ……」

 ラァラの勢いに押されて、アレクは言われるがまま足を踏み入れる。

 扉を抜けた先、玄関ホールは吹き抜けになっていた。飾り気のない柱や壁を、採光窓からの陽光が浮き彫りにする。そこここに残る傷や補修跡は、この屋敷が過ごしてきた年月を物語っていた。

 これから、アレクはこの屋敷で暮らしていくことになる。

 きっと、これまでの住人と同じように、いくつもの傷を残していくのだろう。

 先を歩くラァラは正面から伸びる階段に足をかけていた。小走りに、アレクは少女の背中を追う。

「あなたのお部屋は西館の二階です。となりは私ですから、いつでも遊びに来てくださいねー」

「……自分の部屋がもらえるのか?」

「ええ、もちろん! 随分使ってなかった部屋ですから、お掃除しなきゃいけないんですけどね。明日は足りないものを買いに行って……うん、しばらくは忙しくなりますよー!」

 交差した階段を右から左に登って、その先はまっすぐに伸びる廊下だ。等間隔で八つ、無個性な扉が並んでいる。ほとんどが空き部屋なのだろう、ナンバープレートが飾られているのは手前から一番目と三番目だけだった。

 ちょうどその中間、二番目の扉の前で、ラァラはくるりと振り返る。

「ここが、アレクさんのお部屋です。となりは私の部屋ですから、好きな時に遊びに来てくださいねー」

「……こっち側の部屋は?」

「そっちは別の子の。また後で紹介しますから」

 木箱を抱えたまま、ラァラは器用に扉を開けた。

 殺風景な――部屋だ。

 何しろ物がない。机一つと椅子一つ、マットもないベッドの隣には空っぽの棚が置かれている。

 それだけだ。故郷の子供たちなら十人二十人は暮らせそうなスペースには他に何もなく、板張りの床が木目をさらしていた。

 寂しくて、寒々しい。そんな部屋だ。誰の匂いもしない。

 誰かが――となりに住んでいる住人だろうか――掃除してくれたのだろう。床がわずかに湿っていて、午後の日差しが差し込む窓辺には埃が舞って光を反射していた。

「この部屋……私一人で?」

「もちろん! 好きなように使っていいんですよ!」

 そんなつもりで、聞いた訳ではなかったけれど。

 ラァラの好意を否定する気にもなれず、アレクはただ頷いて見せた。

「それじゃアレクさん、次はご飯です! 今から食堂に行きますけど、何か食べられないものとかあります?」

 部屋の片隅に木箱を置いて、ラァラが扉に手を掛ける。

 案内とはいえ、次々と忙しないことだ。不平一つ漏らさず、アレクは荷物を置いてラァラの後ろを追いかけた。

 ――どのみち。

 故郷に捨てられ、敵だったはずの魔族に保護されているアレクにとって、落ち着ける場所などどこにもなくて。

 どこに行ったって同じだ。

 そんな風に諦めて、振り返りもせずに、アレクは与えられた自分の部屋を後にした。

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