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008.オゥル・グランディティ

「私たちは、同じ人間なんです」

「そんなっ……」

 馬鹿な、と言おうとして喉がつかえる。

 言葉を続けようにも、ラァラを否定する材料が見つからなかった。

 騙すにしてもその意味がない。回状すら手に入るのなら、アレクシスの持つ情報などとっくに入手しているだろう。

 何より。

 魔族と人に大した違いがないことなど、自身が良く知っていた。

「ひとまず、あなたは私たちと一緒に暮らしてもらいます。これはあなたが成人するまでの措置で、成人後は……」

 アレクシスが噛みついてこないのを不思議に思ったのだろう。少女が小首をかしげ、うつむくアレクシスの顔を覗き込む。

 その表情は、もう、勇者とは呼べないだろう。

 奥歯を噛みしめ、今にも泣き出しそうなその顔は。

 全てに裏切られた、哀れな一人の子供だった。




 馬車というものは実に合理的だ。

 世界に馬がいて、木材があり、車輪さえ作ることが出来ればいずれ文明はそこに辿り着き、また通り過ぎるだろう。前提として、馬が人よりも優秀な動力装置であり、また馬が人よりも安価な動力装置である必要があるのだろうけれど。

 ここ――ラァラの言う、オゥル・グランデにおいても、アレクシスの生まれた橋頭保、あるいはレーリアにおいても、馬車の使いみちはそう変わらないようだった。

 けれど、その造りは随分違う。

 橋頭保において、馬車といえばおおむね二種類だ。荷運びの為の粗雑な馬車と、騎士階級が使う装飾華美な馬車。後者はともかく、前者ならよく知っていた。

 荷馬車のほとんどは一頭立てで、子どもなんかは遊びで乗ってみるものだが、乗り心地は酷く悪い。

 一方、多頭立ての――つまり複数の馬を一つの馬車に使えるような金持ちの馬車は、大層乗り心地が良いものだと聞く。当然、アレクシスのような傭兵にとっては高嶺の花だ。町中で見かけたこともあるけれど、触ることすらおそれおおい。

 アレクシスが乗せられている馬車はその中間に位置するような代物だった。

 精悍な葦毛の馬が二頭、革張りの客車をひいている。車内は三人掛けのシートが向かい合わせに並んでいて、少し窮屈だけど乗り心地は上等だ。荷馬車と比べれば、まるで地面を滑っているようだった。

 故郷にいた頃のアレクシスなら、きっと無邪気に楽しめていただろう。

 けれど今、アレクシスは窓の外に流れていく景色にも目をくれず、自分の手のひらをじっと見つめていた。

「……何か気になることでも?」

「いや……」

 あれから。

 失意のまま、アレクシスはラァラの保護を受け入れた。

 抵抗する気力がなんて、もう底をついていたのだ。

 その後は女医に体を診察されたり風呂に入れられたり、慣れない服を着せられたりと色々あったのだがそれは割愛して。

 ようやく人心地ついてみれば、魔族から受けた『措置』が気になった。

「……本当に、私を外に出してよかったのか?」

「試してみます?」

 対面に座るラァラがどうぞとばかりに頬を差し出す。

 殴ってみろ、ということらしい。

「さ、思いっきりどうぞ」

 無抵抗な子供を殴ることには抵抗があったけれど、意を決して拳を振り上げる。

 けれど、その拳を振り下ろすことはできなかった。

「……ぬ」

 もう一度試すが、やはりラァラを殴ることが出来ない。

 出来ないというよりは、殴る気が起きない、と言った方が正確だろうか。身体には異常を感じない。肩を回し、何回か拳を握ってみるが問題はなかった。

 ただ、ラァラを殴ろうとすると、ラァラを殴ろうと思えなくなる。

「これが契約魔法です。……しばらくの間、我慢してくださいね。危険がないと判断されれば解除してもらえますから」

 申し訳なさげにラァラは言う。

 アレクシスの受けた『措置』がこの契約だ。

 故郷でも聞いたことはある。曰く、上級魔族の一つ、魔人族は魔法と言葉で人を弄ぶのだという。術中にかかれば、精神を支配され、解除するには死を選ぶしかない――

 そう教えられていたが、事実は似て非なるもののようだ。

「……魔人族なら、誰でもこんな魔法が使えるのか」

「んー。誰でも使えるけど誰も使えない、ってところでしょうか」

 ラァラが身を乗り出し、指をぴんと立てて説明を始めた。

「魔人族が使う本来の契約魔法は、文字通り人を意のままに操ることが出来るそうです。記憶の改竄から命令の強要まで。最初の魔人……この国の最初の王様は、人を他氏族に変えることすら出来たという記録もありますね。ま、これは眉唾ですけど」

「……無茶苦茶だ。狂っている」

「ですから、魔人族は自らに誓約を課すことにしたんです。この魔法は社会的にとても強力な力ですけど、同時に他紙族にとっては脅威でした。争いを回避する為には避けられないことでした。誓約の具体的な内容は、えっと、さっきも説明したんですけど……」

 と、ラァラはアレクシスの反応をうかがう。

 思い出してみると、確かに何事か説明していた気もした。けれど、その時は自失していたのだ。使う言葉も難しすぎて、頭の中に入ってこない。

 そんなアレクシスに、ラァラはなるべく分かりやすく説明しようと試みる。

「えぇっと。現在、契約魔法を使うには魔人族の契約官が一人、契約魔法の使える魔人族が一人必要になります。これは解除の際も同様ですね。さらに被契約者が同意しなければ契約を交わすことが出来ません。被契約者がサインした契約書を用いることでようやく契約魔法が発動し、使用した契約書は複写した上で各地の――あの、聞いてます?」

「なんとか……」

 調子よく喋るラァラに気圧されて、頷くことしか出来なかった。

 言葉も常識も違う国からやってきたのだ。そもそも、前提となる知識がアレクシスにはない。法律やお役所によくある小難しい手続きなんて、聞かされたところで分かる訳がなかった。

 ぼんやりと、そう簡単には使えないことだけ理解しておくことにする。

 ラァラも、そんなアレクシスの様子に説明をあきらめて、単刀直入に本題を切りだした。 

「あなたの契約は『この国の人に危害を与えることが出来ない』です。暴力や詐欺はもちろん、間接的な悪意――罠を作ったり悪意のある嘘をついたりも出来ません。でも……」

 走り続ける馬車の中で、ラァラは器用にアレクシスの隣へと移る。

「こう、肘を上げて、窓の外を見てください」

 言われた通り視線をやるが、平凡な街並みが見えるだけだ。

 意味が分からず首を傾げていると、背後のラァラがもう一度指示を出した。 

「じゃ、そのままこっち向いて?」

「こうか」

 肘を上げたまま振りいたので、身を乗り出していたラァラの額にその先端がぶち当たる。

 割と痛そうな音がした。

「……何してるんだお前」

「あいたた……ええと、今度は危害を加えることが出来ましたよね?」

「うん?l

 言われてみれば、確かに。

 ぶつけて赤くなった額をさするラァラの目にはうっすらと涙がにじんでいる。これは間違いなく暴力に含まれるだろう。

 さっきは出来なかったことが今出来た。その違いは明白だ。

「――考えなければ、攻撃出来るのか」

「縛られているのはあくまで意識のみですから。また、あなたが身の危険を感たときも一時的に解除されます」

「……穴だらけじゃないか? 私が言うのもおかしいが、もっとやりようはあるだろう」

 大体、意思を縛ると言うのなら、それこそ従順な奴隷にしてしまえばいいのだ。罪人相手に遠慮することもない。命があるだけマシというものだろう。

 アレクシスはそう思うけれど、対するラァラは表情を曇らせて言葉をにごす。 

「ああ、えっと……本当なら、契約措置は逃亡の恐れがある重罪人にのみ課せられる処置です。レーリアの、特に若年の方は受け入れ施設がなくてですね、その」

 何故だか、申し訳なさそうに。

 察するに、契約魔法を使ってしまったことが棘になっているのだろう。半ば強要するような形で、と言ってもいい。

 その思考こそ、アレクシスには理解出来なかった。

 力の行使に何を迷うことがある。それが敵なら当たり前のことだろうに。

 そこでふと、思い直した。

 敵ではないのだ。少なくとも、ここにいる少女は。

 アレクシスの隣で、ラァラは気まずそうに小さくなっていた。元より子供のような体格がさらに小さく見える。居心地悪そうに、赤くなった額をさすっていた。

 育ちのいい子供、というのがラァラに対するアレクシスの印象だ。

 聞けば、このなりでアレクシスより二つ年上なのだという。魔人族や竜族は随分長生きするというから、まあそれはいい。理解できないなりに鵜呑みしておく。

 鵜呑みにしても、やはり印象は育ちのいい子供でしかなかった。

 手を見れば分かる。

 額をさすり終えて、剥き出しのふとももに添えられた揃いの手のひら。

 小さいなりに、指が細く長い女の手だ。たおやかで、艶やかな。爪の先は薄く肉の色が透け、肌には荒れもなく、手遊びなのかくるくると指を回している。

 きっと、ささくれだらけのロープを使う井戸の水汲みも、一振り一振り、岩を砕くような開墾も知らない手のひら。

 愛されて、守られてきた子供はこんな風に育つのだろうか。

 自身がどうしようもなくみすぼらしい生き物に思えて、アレクシスは視線を外へと逃がす。

 布で補強された革張りの窓からは首都、グランディティの街並みが見えていた。

 建物の作り、様式は橋頭保のそれと少し似ている。ただ、その豊かさは段違いだ。

 出窓には草花が飾られ、魔族――いや、人だったか。往来する人の賑わいは比べるべくもない。

 空気と呼ぶべきだろうか。人々の表情や仕草、露店に並ぶ物品の華々しさには目も眩みそうだ。

 そんな景色が、どれだけ馬車を走らせても尽きることなく続いていく。

「……ここは、ずっとこうなのか」

 つい漏らしてしまった言葉に、ラァラがはたと顔を上げる。

「今日は特別なんです。魔王様が亡くなられて一か月、今日は喪が明けたお祝いで」

「ふぅん……」

 言われれば、そんな風にも見えた。

 初夏の日差しの下、若葉色のワンピースを着た娘たちが駆けていく。丹念に櫛づかれた髪には花が飾られ、大事そうに抱えた小さな包みは思い人からのプレゼントだろうか。子供たちは露天商に並んだ何とも知れぬガラクタを興味深げに眺め、その後ろを赤子を抱いた夫婦が歩いていく。

 この世のものとすら思えない、平和で豊かな世界。

「……獣人が多いんだな」

 素直な感想を口にするのがしゃくで、アレクシスはつい、そんな言葉を逃げ道にした。

 気だるげな口調でも、話題が変わったことがうれしかったのだろう。ラァラが指を立てて再び説明を始める。

「この国の大多数、およそ四割ほどが獣人だと言われてますねー。次にあなたと同じ人族、海人族と続いて、鳥人族、魔人族、精霊族、竜人族の順番だと言われてます。この辺りは、資料によっても上下しますけど」

 確かに、耳も角も鱗もない、人にしか見えない姿の者も街を歩いている。

 魔族――だと、アレクシスが考えていたこの国の人々は、遠目からではその違いを判別出来なかった。あの刑事らのように獣面をしていればともかく、異化を行っていなければ耳や角で判別するしかない。その程度の違いなら帽子やフード程度で難なく隠すすることが出来るだろう。

 故郷では『魔族の体には、神の力を喰らった罪科を示す印がある』などと教えられていた。『橋頭保の外には魔族しかいない』という大雑把すぎた説明もだ。

 一方、明らかに人からかけ離れた風貌の者もいるようで、

「……おい、あれ、犬が服着て歩いてるが」

 言葉通り。

 チョッキと短パンを着た犬が、杖を突き道を歩いていた。ご丁寧に片眼鏡をかけて、とてとてと。

 あまつさえ、通りすがりの獣人にお辞儀をされていたりする。

「犬とか言ったら失礼ですよー。あの方は精霊族ですね。精霊族っていうのは、えっと、魔力によって知性を得た存在の総称でして……」

 説明は続き、疑問は流れていく景色の数だけ。

 アレクシスにとって、この国は悍ましき魔族の巣窟、滅ぼし、神の教えをもたらすべき場所だった。

 故郷に捨てられたとて、すぐさま手のひらを返せるものでもない。疑いの目は常に付きまとう。

 ただ、アレクシスの肩越しに窓の外を覗き込んで、あれこれと説明する少女だけは信じていいかもしれない。

 そう、思えた。

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