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007.回状

「あなたはもう、戦わなくてもいいんですよ」

「――――っあ」

 ようやく、絞り出した声がそれだった。

 それきり言葉を失って、アレクシスはただ、喘ぐように息をする。

「うーん。どこから説明しましょう?」

 ラァラは振り返ったけれど、背後のノルトキリアスは獣人相手に通訳を続けるだけで答えはない。任せるということなのだろう。

 信頼されてもなぁとため息をつきながら、ラァラは勇者へと向き直った。

「まず、この情報はそちらの橋頭保から頂いたものです。……非公式ですけどね」

「……っ馬鹿な! 魔に屈した者が我らの中にいるというのか!」

「魔に屈したって……」

 アレクシスの言いように困惑しながら言葉を続ける。

「こほん。レーリアは私たち――あなたが魔界と呼ぶこの国、オゥル・グランデとの戦争を望んでいない、ということです。もちろん、私たちも」

「貴様ら、魔族どもは神敵だ! 滅ぼさずになどいられるものか!」

「んー。見てもらった方が早いですかねー?」

 ノルトキリアスが止めないことを横目で確かめつつ、ラァラは書類の二枚目を差し出した。

「えーと、文字は読めますか?」

 ――読める。

 傭兵団の中には自分の名前を書くのがやっとの者も多かったけれど、アレクシスは簡単な読み書きを教えられていた。

 だから、読めてしまった。

 アレクシスの目の前に突きつけられていたのは一枚の回状だ。

 橋頭保に存在する騎士団と傭兵団が重要な情報を共有するために回覧し、署名を連ねる書状。その書面に、自分の名前があった。

 なんでも、アレクシスなる者は騎士の一人を襲撃して逃亡したらしい。金品を狙ったようだが撃退され、その後は橋頭保外に行方をくらましているのだという。

 ――誰の話だ、これは。

 偽りだ、偽造だと否定したかった。けれど、回状には見慣れたサインがいくつも書かれている。

 団長の使いとして実際に会ったことのある者のサインもあった。顔すら知らない選帝家の当主も、サインだけなら見分けることが出来る。

 何より、父親代わりに自分を育てたハルハーレイのサインを間違えることなどありえなかった。

 奪い取るようにして、アレクシスは回状を掴む。何度も何度も、目が乾き果てるまで読み返し読み返して一つの間違いも見つからない。

 固く握られた手が、羊皮紙に皺を寄せる。

「……自分の状況が、わかりますか?」

 分かって、しまった。

 分かりたくなどなかった。

 こんなことなら、あのとき、魔王城の門前で死ねばよかったのに。

 回状に署名がなされた以上、それは確かな法的拘束力を持つ。橋頭保に入り次第、アレクシスは捕まってしまうだろう。背教者として告発される。運が良ければ一生牢屋の中だ。

 アレクシスは、切り捨てられた。

 他ならぬ故郷に。

 勇者として、探索の任を負い、誇り高く出征したはずなのに。

「大丈夫です、落ち着いて」

 震えるアレクシスの手に、小さな子供のような手が触れる。

 ラァラの、人と何一つ変わらぬ、柔らかな手のひらが固く結ばれた手をほどいていった。

「さっき、目的を聞きましたよね? 私たちはあなたを保護するために来たんです」

「保護……?」

 意味が分からず、アレクシスはおうむ返しに呟く。

「あなたはこれから、この国で生きていくんです。普通に学校に行って、仕事をして、いつかは結婚したりして。私たちはあなたがそうやって生きられるよう、支援する団体なんです」

 茫然としたままのアレクシスに、ラァラが顔を寄せた。

 前髪と前髪が触れ合うような距離だ。子猫のように柔らかな手のひらでアレクシスの手を包み、そっとささやく。

「あなたはもう、勇者になんてならなくてもいいんですよ」

「……そんなことをして、貴様らに何の得がある」

「得って言われても……」

 慈しむようなラァラのまなざしとは対照的に、アレクシスの目はどろりとよどんで見えた。

 故郷に切り捨てられた挙句、敵であるはずの魔族はアレクシスを手厚く看護し、保護するとまで言い出したのだ。

 馬鹿馬鹿しすぎて笑う気にもなれない。故郷で聞けば信じることすらなかっただろう。あるいは怒り、そんな話を吹聴する輩を殴りつけていただろうか。

 けれど、それが勇者の目の前にある現実だった。

 自嘲の込められた目つきのまま、アレクシスは言葉を吐き捨てる。

「私に何を望む。情報か? 故郷を裏切れとでも? ふざけるな!」

 怒ろうとしたのだろう。けれど力はない。ラァラの手を振り払うのがやっとだった。

 剣を振るっていた姿の面影はもはやない。年相応の、子供が、駄々をこねるように。

「元より帰り得ぬ旅と知ってのこと! いまさらっ……故郷に捨てられたとて、神を裏切れるものか!」

「あ、信教の自由は保障されてるので、神様は裏切らなくても別に」

「貴様ら、魔族の軍門に下ることが神への裏切りだ!」

 ひとしきり言い切って、アレクシスは息を荒げる。対するラァラは、困ったように眉を顰めるだけだ。

「……だったら、聞きますけど。あなたの言う、魔族ってどんなのですか?」

「どんなのって……」

 言いよどむ。

 アレクシスにとって、魔族は魔族だった。それ以上でもそれ以下でもない。少し考えて、思い出して羅列していく。

「魔族は……神の敵で、邪悪で、神の力を奪い、レーリアを侵略して……獣や竜の血が混ざってて、角や鱗があったりして……」

 はたと、ラァラの背後に立つ獣人に気付いて指さす。

「ああいうのだ! ああいうの!」

 獣人の首から上は、まさに獣そのものだ。強いて言えば、人の髪のように頭頂から後頭部にかけて長い毛が生えていることが違いだろうか。

 人の形をして、人のように服を着ている。けれど、袖口からのぞく手は厚い毛皮に覆われ、指先には獣の如く、白く濁った爪が生えていた。

 橋頭保で教えられた通りの姿だ。勇者は我が意を得たりと気勢を上げる。

「あのような者が人だなどと……」

 けれど、ラァラが一つ、振り向いてお願いをするだけでそれも覆された。

「……な、あ……?」

 アレクシスの指の先で、獣人は姿を変容させていく。

 服のうちで張り裂けんばかりだった肉体は見る間に痩せてゆき、身の丈も徐々に小さく、人の範疇に収まっていく。爪も、牙も、毛皮すら、皮膚の下に消えていった。

 残るのは、獣耳や髭に面影を残しただけの、どこにでもいそうな中年男だ。

「とまあ、こんな感じで。魔族なんてどこにいます?」

「……っ人にそんな耳はないだろう!」

「あれは耳じゃなくて、発現器……うぅん、説明が難しいなぁ……」

 常識の全く違う相手に、どう説明すればいいかと目を伏せる。

「犬ってそちらでも飼ってましたよね? 犬種の違いで大きさや形、毛皮の模様が違います。でも、犬は犬なんです。犬種が違っても交配すれば子供が出来ます」

 ラァラの指先が、額の角に触れた。

「私たちとあなたたちの違い。こういう角とか、あちらのおにーさんに生えてる耳とか。こういうのは全部、毛皮の模様程度の違いなんです」

 噛み砕いた説明を、ゆっくりと、優し気な口調でラァラが語る。

 理解などしたくもないのに、アレクシスは理解してしまっていた。

 これまでの人生で積み上げてきた知識、経験、教義の全てが、その土台から崩れ去っていく。

「わかりますか? つまり――」

 言うな、と叫ぼうとしても声が出ない。

 ラァラの言葉が正しいとすれば、それは。

「私たちは、同じ人間なんです」

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