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006.勇者、目覚める

 ――これは、彼らが信じる歴史の話。


 ある船から、物語は始まる。

 船の名はサント・ラァナ。

 いと尊き始祖王ルァクの母の名を冠したその船は、新たなる風に帆を張らせ、歓声とともに父なる大陸、レーリアから旅立った。

 飢え、乾き、未知の病。荒れ狂う海原に翻弄され、豪雨と雷をもたらす暗雲をも堪え凌ぎ、それでも人は新たな大地を望んだのだ。

 信ずるには足りない伝説を縁に、航海は三月を過ぎて、多くの輩を失った。

 十を数えた僚船はもはや姿もなく、サント・ラァナはただ一人、海原を漂う。

 光明を齎したのは、たった一羽の渡り鳥。

「鳥だ! 渡り鳥がいるぞ!」

 名もなき水夫が枯れた喉で言う。

 サント・ラァナは鳥を追い、航路の果てに大地を見た。

 歓声が上がる。

 ラァナ・スィーア――新たな大陸はそう呼ばれた。未知への興奮と、賭けた命をもって余りある富を前に、誰もが駆り立てられていく。

 その邂逅がもたらす、混沌と破滅を知らずに。




 ――満たされた、眠りだった。

 身体の沈み込むようなマットレスと清潔なシーツ。

 掛け布団は軽く暖かで、寝返りのたびにきめ細やかな布地が剥き出しの肌を撫ぜる。

 生まれて初めて経験する、心地よい眠り。

 ああ、なるほど。

 神に抱かれるというのはこんな心地なのだろう。死んだ甲斐があるというものだ――

 そんな風に考えてようやく、勇者は自分と言うものを思い出した。

「…………!」

 思わず跳ね起きそうになった身体を必死に抑えたのは、すぐそばに誰かの気配を感じたからだ。

 ベッドの脇で、何者かが会話している。魔族らの言語などさっぱり分からないが、一人ここまで魔界を旅してきたのだ。判別くらいはできる。

 寝たふりを続けつつ、勇者は周囲の気配を確かめた 

 敵の数は?

 ――不明だが、少なくとも声の種類は四つ以上。子供と女性の声もある。

 武器はあるか?

 ――ない。屈辱的なことに、武器はおろか衣服すら奪われたようだ。裸ではないが、似たような恰好だ。

 勝てるのか?

 ――そんな弱音は見ないふりをして。

 勇者は必死に思考を回転させる。

 自分は先ほどまで魔王城の門前に居たはずだ。あの小憎たらしい少年にナイフを突き刺そうとして、そこから記憶が途切れている。

 敗北した――の、だろう。

 何をされたのかは分からないが、全身に鈍い痛みが残っていた。強大な魔族を相手にして、四肢が無事なのは幸運だ。

 不可解なことに、拘束はされていない。

 縄、錠、あるいは五感を封じる鉄仮面なども、何一つされてはいなかった。武器を奪ったことで安心しているのだろうか。 そうだとしたら、お笑い種だ。

 理解出来ない魔族の会話から、アレクシスの耳は剣帯の音を聞き分けていた。

 硬質な金属の響き。武器か、そうでなくとも凶器として流用可能な金属の塊。

 加えて、すぐそばには子供がいるようだ。女の方でもいい。武器を奪ってどちらかを人質にとればここから脱出出来るかもしれない。

 脱出出来たのなら、故郷に帰り、魔王の死を皆に伝えて――

「もしもーし。アレクシスさん、起きてますかー?」

 唐突に自分の名前を呼ばれて、勇者――アレクシスはびくりと肩を震わせた。

「あ、先生! 起きてるみたいですよー!」

 少女の声色で、魔族は流暢にレーリア語を操っている。それどころか、魔界では誰も知らない勇者の本名を言い当てたのだ。

 気付かれてしまっては不意打ちもできない。

 勇者はベッドから身を起こして、レーリア語を使う魔族と目を合わせる。

「おはようございます! ……えぇと、挨拶はこれで合ってますか?」

「…………」

 睨みつけるアレクシスとは対称的に、少女は笑みを絶やさなかった。

 そう、少女だ。

 歳は十に辛うじて手が届くくらい。華奢な肩に触れる髪は炭のように黒く、肌の色は人並み外れて薄い。それでも、手足の形や目鼻立ちは人間とそう変わらなかった。

 前髪の際からのぞく対の小角さえなければ、愛らしい少女にしか見えないだろう。

 諸肌を晒すような衣服は、アレクシスの価値観で言えば破廉恥極まりない。それを恥じらう様子もないのは、子供だからか、あるいはそういう文化だからか。

 少女の周りには何人もの大人が立ち、そろって横たわるアレクシスを見下ろしている。獣人二人と初老の魔人、髪に羽が混じる女は鳥人だろう。

 敵意に満ちた眼差しを魔族共から外さずに、勇者は周囲を観察する。 

 アレクシスが運び込まれたこの部屋は、すくなくとも牢獄ではないようだった。

 窓はなく、今の時間も分からない。代わりに壁際にはいくつものロウソクが吊るされて、薄い影が重なり合いながら揺れている。

 家具はアレクシスの眠るベッドと、小さなテーブルに椅子が二つ。牢獄というよりは、質素だが品のある客室のように思えた。

 観察を終えて、アレクシスはひとまず、言葉の通じる魔人の少女へと視線を向ける。

「そうそう、自己紹介ですよね! あたしラァラって言います! ラァラ・トートリア!」

「……何が目的だ」

「さて、どこから話したものかな」

 問いに応えたのは、ラァラの傍らに座る初老の魔人だ。

 杖を突いて椅子から立ち上がると、慈しむようなまなざしで勇者を見下ろす。

「初めまして。私はノルトキリアス・トートリアという」

 魔族という名には到底相応しくない、柔らかな口調。

 魔人や竜人は悠久の時を生きるという。ノルトキリアスと名乗った初老の魔人は、その見た目以上に齢を重ねているのだろう。魔人の象徴たる二対の角は丸く摩耗し、顔には深いしわが幾重にも刻まれている。

 足も悪いのか、ラァラはその身体を支えるように寄り添った。

 慈しむような笑みを絶やさない、魔族らしからぬ態度をアレクシスは訝しむ。

「……ふむ。ラァラ、君が話してみなさい」

「あたしがです?」

「そう。何を話せばいいかはわかるね?」

 言葉と共に、ノルトキリアスは持っていた書類をラァラへと手渡した。

 サイズも素材も違う十数枚の紙の束から一枚を抜き出して、隅から隅まで目を通したあと。

「アレクシスさん。姓は無し。ハルハーレイ傭兵団所属。幼少の頃――人身売買によって傭兵団の一員に。それ以前の来歴、年齢は不明。推定十四歳。戦歴は――」

 つらつらと。

 目を伏せて、詩の暗唱でもするかのように、アレクシスの人生を語る。

「――本年度の探索者公募により、橋頭保外へと旅立つ。橋頭保を出てからは複数の軽犯罪を犯しながら王都グランディティへ。白冬宮門前にて――もう、いいかな?」

 アレクシスすら把握していなかったこと、覚えていなかったことまで、つらつらと語りあげてラァラは申し訳なさそうに視線を上げた。

 眼差しの先にはアレクシスがいる。言葉はない。ただ、驚愕に両目を見開いていた。

「さっき、目的を聞いたよね? だから、答えます」

 この言葉がアレクシスに届いているか、不安に思いながら、ラァラは言う。

「私たちの目的は、あなたの保護なんです」

 言葉は酷く優し気に。

「あなたはもう、戦わなくてもいいんですよ」

 傷に薬を塗り込むような手つきで、アレクシスの人生を否定した。

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