桜の花びらが落ちる前に
時は止まってはくれず、ついにこの日がやってきてしまった。
迎えてしまった中等部の卒業式。
高等部に上がれば、いよいよ『恋にほんの少しのスパイスを』がスタートする。私を殺そうとしている人物とは、既に出会っているのだろうか。ああ、怖い。考えるだけで鳥肌が立つ。どこだ、どこにいるんだ犯人。
「真莉亜お姉様! ご卒業おめでとうございます!」
式が終わると、女の子たちが私に真紅の薔薇のミニブーケをくれた。泣いていたのか目が赤い。
「まあ、素敵。ありがとう」
お姉様といっても私は彼女たちの姉ではない。『花ノ姫』の女子生徒たちは、親しみを込めてお姉様と呼んでくる人たちもいるのだ。もちろん〝様〟付けをする人もいるけれど。
少し変わっているのは〝お姉様〟と呼ぶには、本人に承諾を得なければいけない。『お姉様とお呼びしてもよろしいでしょうか』=『妹として可愛がっていただけますか』ということらしい。スミレの場合は、いつもの猫かぶりでこてんと首を傾げてはぐらかしていた。花ノ姫の中では、そういった関係が煩わしいと思う人もいるみたいだ。
周囲を見渡すと、瞳が女子生徒たちに囲まれている。号泣している人もいて、あれはガチ勢だよなぁ。瞳の場合は、憧れとかよりも本気で想いを寄せられていることも多々あるし。
スミレは相変わらずの天使のような無垢な微笑みを浮かべて、後輩ちゃんたちと会話をしている。……みんな知らないんだ。あの天使のような菫の君は『うわははは!』と笑いながら、駄菓子を貪って変顔を楽しんでいるなんて。夢は壊さない方がいいね。
うわあ……蒼もここぞとばかりに女子生徒達に話しかけられてる。ちょうどお父様とお母様は伯父様の元へ行っているし。さーて、私はどうするかなぁ。このままここにいると話しかけられて抜け出せなくなっちゃうし、とりあえずホールの外に出よう。
外に出ている生徒はまだいなかったようで、ホールの中とは違って外は静けさを帯びていた。
緩い風が吹き、私の黒髪をさらうとほんのりと赤みを含んだ白い花びらが舞い踊る。
春は好きだ。
過ごしやすいし、なんていっても桜が綺麗。蒼がホールから抜け出すまで、もう少し時間がかかるだろうから、学院内を散歩することにした。
穏やかな午後の陽気は私の心を踊らせる。普段は授業があるからこんな時間帯に散歩なんてできない。
歩いていると目に留まったのは大きな桜の木。ちょうど今が満開だ。鼻歌交じりに歩み寄り、はらはらと落ちてきた桜の花びらをキャッチしようと全身を使って追いかける。
前世では、桜の花びらが地面に落ちるまでにキャッチできたらいいことがあるって友達同士の間で広まっていて、小学生の頃は春になると桜キャッチが流行ってたんだよね。
おっと! よっと! ほらよっとっ! 懸命に追いかけて、滑り込むように手を伸ばして、しゃがむ。ようやくキャッチできたと思ったら、桜の幹の裏側に人がいることに今更ながら気付いてしまった。
反対側からやってきたとき、ちょうど隠れていて姿が見えなかったんだ。やばい、これは非常にやばい。だって、この人は……。
「いちごちゃん」
「ひっ!?」
あろうことか私を〝いちごちゃん〟と呼んできたのは、ミルクティブラウンの髪をした甘ったるい容姿の男ーーーー雨宮譲だった。
というか〝いちごちゃん〟ってあれだよね! 私のパンツがこんにちはしたときのことからきてるよね!
「抜け出してきたのー?」
そう聞いてきたのは雨宮だった。きっと彼もそうなのだろう。
このゆっるい感じの喋り方……そうだこういうキャラだったなぁ。
「ねえ……じっとしてて」
「へ?」
雨宮の手が私の前髪あたりへと伸びてくる。その行為に驚いて硬直していると、雨宮は「ついてたよ」と桜の花びらを見せてきた。
「……ありがとうございます」
「すごく綺麗な黒髪だよねー。サラサラで艶やか」
この人が何を考えているのかはわからない。漫画の中では女たらしだったよなぁ。可愛らしい容姿で甘い言葉吐いて、女子にきゃーきゃー言われてたはず。いますぐ距離をとって、この場を立ち去った方がいいかもしれない。
「あ……そうだ」
何かを思いついた様子の雨宮は辺りを見回すと、あるものを拾って見せてきた。
「落ちてたんだ」
それは、桜の枝。花がしっかりとついていて、風で散ったようには見えない。小鳥の仕業かな。
「うん、いちごちゃんに似合いそう」
雨宮は私の髪を耳にかけると、桜の枝を髪飾りのように耳の上に引っ掛けた。
さ、さすが女たらし!
「やっぱり、よく似合う」
「あの……」
「可愛いね」
ふわりと微笑みを浮かべると雨宮は「もう戻らないと」と言って立ち上がった。私もつられて立ち上げると、再び視線が合った。
あ……。
「じっとしていてください」
「ん?」
今度は私がミルクティブラウンの髪に手を伸ばして、桜の花びらをとった。そして、それを雨宮の手に乗せる。
「桜の花びらが地面に落ちる前に掴まえることができると良いことがあるそうですわよ」
僅かに目を見開いた雨宮が少しだけ寂しげに微笑むと、「そうだといいなー」と呟いた。その理由はよくわからないけれど、桜の花びらはきちんと胸ポケットに仕舞っていた。
「それじゃ、またね」
去っていく雨宮の後ろ姿を見送ってから、ずっと握り締めていた左手を開いた。
……悲しいことにキャッチした桜の花びらは私の手汗と体温でふやけていた。