手厚い歓迎
目を覚ます。
透き通った空気の流れを感じる。朝のようだ。
俺は木製の一室の中に一つポツンと置いてあるベッドに寝ていた。
最近寝てばかりだ。もう一生分寝たんじゃあないだろうか。
体を起こし、ベッドの端に座る。
眼前にある窓の外には草原が広がっていて、草たちが風でなびいている。その窓からは日光が部屋の中に暖かく入り込んでいる。実にのどかだ。圧倒的平穏。
――ああそうか、ここが死後の世界って奴か。
そう安寧を味わっていると、後方から声が響いた。
「目を覚ましたみたいね」
「……誰だ?」
後ろを振り向くと、雪のように白い白髪を肩ほどまで伸ばしている、ツリ目の少女が立っていた。大人びた雰囲気を醸し出しているが、顔立ちからして年下のようだ。面識は確実にない。
「これを見れば分かる? 私が被っていたものよ」
彼女は俺に何か兜のようなものをどこからともなく取り出して見せた。見覚えがある。これは……ッ!
「お前、白野郎か!?」
それはあのときの処刑人のものだった。
「白野郎って、何なのその変な呼び方……。まあ理解したようで良かったわ」
女だったのか……。
それより何故ここに……? 俺は死んだはずじゃあ……。
「自分が死んだとでも思ってるんでしょうけど、あなたは死んでいないわ」
疑問を口に出してさえいないのに、こちらの考えを読んでいるのか、淡々と心中の疑問に答える。なんだか癪に障る。
しかしそんなことを告げられてもまだ俺の頭の中は?マークでいっぱいだ。
俺は死んでない……? なら俺を殺しに来たのか?
平和を噛みしめていた俺の中に緊張感が駆け抜ける。
「……どういうことだ?」
若干身構えながら問い掛ける。
そのとき、自身の左腕が健在であることに気づく。
左腕はこいつに切断されたはず……!
急に降りかかった様々な事態に慌てふためいていると、少女はやれやれとでも言わんばかりなため息をつき、呆れた声で口を開いた。
「落ち着きなさい」
くぅ~処刑の時からそうだったが人を馬鹿扱いするような上から目線でムカつくぜ。
だが、ここは奴の言う通り一端落ち着いて話を聞こう。
「はい……」
冷静になってベッドの上に正座する。
「じゃあまずそこらへんから説明しましょうか。質問があったら適宜して頂戴」
彼女はベッドの傍にどこからともなく木製の丸椅子を取り出して置き、そこに座って話し始める。
「とりあえずこの世界は地球ではない異世界な訳なんだけど、あなたは地球から来た人間。これは当たってるわね?」
「ああ」
「それが処刑を止めた要因。私の一身で地球から来た人間を保護してるの。ちなみに私も地球生まれ地球育ちよ」
「はぁ。だがどうして俺が地球人だと分かった?」
「それはあなたが何らかの"能力"を持っていたからよ。素手で人を爆殺したり、鎖や剣を切ったりなんてどう考えても常人ではないわ」
「能力を有していると地球人なのか?」
「ええそうよ。何故かは知らないけどこの世界に来た地球人は皆現世ではあり得ない進化を遂げるのよ」
「進化?」
「姿形は人間そのままだから進化、という言葉は不適切かもしれないけど、色々な超能力が使えるようになったり、寝るだけでどんな怪我でも再生できたりするのよ。まさに進化って感じでしょ?」
「成程。それで俺の腕も復活したってわけか」
「また、そういう能力を持った私たちみたいな人間は俗に"魔人"と呼ばれているわ」
「魔人、ね。で白野郎は――」
「その白野郎って呼び方やめてもらえる? なんかムカつくわ」
質問をしようとした途端、奴に噛みつかれる。
これは好機だ。
「じゃあお前のことは何て呼べばいい。……まだ名前も聞いてないんだが?」
皮肉混じりに告げる。
「あー……私としたことが忘れていたわ。自己紹介がまだだったわね」
ばつの悪そうな顔で奴は言う。やった。俺が一枚上手にいったぞ。
子供っぽいかもしれないが、自分が上だ、と思っている奴に一泡吹かせるのは至極愉悦だ。
「はぁ……。私に殺されそうになっておいて私を愚弄しようとするなんて、大した胆力ね」
「私はネズ。よろしく。あなたの名前は?」
「テツヤだ。こちらこそよろしく」
怒気や挑発の念が入り混じった握手を交わす。
「じゃあ改めて、ネズはどれくらいこの世界に居るんだ?」
「もう5、6年になるわね」
「ここから出る気はないのか」
「ない、と言ったら嘘になるけど、出る方法が分からないからここでの生活を享受するしかないわ。でもこの世界はいいところよ」
「そもそもこの世界って何なんだ?」
「簡単に言うと五つのそれぞれ独立した空間によって構成される世界よ」
「? どういうことだ?」
「これに関してはちょっと複雑だから追々説明するわ」
「物理法則とかは地球と同じ。また、この世界には様々な人が住んでいる。その人々は皆地球は知らないけれど外見的に言えば欧米人やアジア人やアフリカ人、みたいな色々な人がね。でもどこの人々も一律日本語だけを話し、書く」
「日本語だけ……? 日本語がリングワ何とかになってるってことか? 何故?」
「私にもよくわからない。この世界の歴史についての文献は残っていないのよ」
気になるところだが、まぁ外国語など一切合切話せない俺にとってはコミュニケーションに困らないのだから深く気にする必要はない、というより好都合なことか。
「じゃあ大まかな説明はこれで終わり。」
説明に疲れたのかネズは大きな背伸びをして立ちあがる。
「さて、じゃあこれからテツヤには兵団に所属して貰うから。」
「兵団ってのはなんだ?」
「保護した魔人たちには私がつくった兵団に籍を置いてもらっているの。この地域の治安維持や調査をやってもらっているわ。そういうことをやる意欲のない人たちにも形だけ所属してもらっているわ。階級制度とかは存在しないけど、一応指令役として私が兵長を務めているのよ」
「ふーん」
「まだ色々聞きたいことはあるだろうし、何よりこの世界で生き延びるには入っておいて損はないと思うわ」
「そうだな」
「一応制服もあるからそこで着替えてきてね」
ネズはどこからともなく制服を取り出し俺に手渡す。茶色を基調とした感じの服だ。
部屋の外には男用更衣室と女用更衣室と書かれている2つの部屋があった。
「へいへい」
「それじゃあ私も制服に着替えるから――あ、テツヤ、ちょっと待って」
早速制服を着るべく、男用の更衣室に入ろうとしていると、ネズに呼び止められた。
「私から質問一つ、いい?」
「? ああ」
「あなたは、地球で生きていたころの記憶はある?」
そんなもん、あるに決まって……、
「……」
「ない、か。大丈夫、気にすることはない。私もだから」
何も思い出せない。
地球で培ってきた知識は確かにある。
学校で学んだであろうことや何らかの経験で学んだこと、そして漫画やゲームの知識さえある。
しかし、
自分がどのように生きてきたか、
どうしてこの世界に来ることになったのか、
何もかもわからない。
「済まない……」
恐らく、ネズは俺がどうやってこの世界に来たかを知りたかったのだろう。それは元の世界に戻る唯一の手掛かりだから。
「本当に気にしなくていいから。他の魔人も皆そうだったし」
「そうか……」
数分程度経ち、俺たちは着替えを終えた。
「制服ってそれなのか……」
「まあね」
ネズは例の白装備を着込んでいた。
「それじゃあさっそく兵団の寮に行くわよ」
「ああ」
◇
俺は嘘をついた。
記憶が消失しているのは本当のことだが、一つ覚えている感覚があった。
それは、絶望。
底無しの絶望。止めどない絶望。
何に絶望を感じていたかはわからない、矛先不明の絶望。
このことをネズに伝えてはいけない。何故かそう俺の本能が告げていた。