4、アンジェ
「エル、お前……⁉︎ マジで成功したのか! どう誑かしたその狐!」
「黙れジェイド人聞きが悪いぞ。誑かしてねぇよ。変な印象を与えるんじゃねぇよ」
町に着いたら、突然門番らしき大きな男が飛び出してきた。人間と会話をしているのを見るに、どうやら彼らは知り合いらしい。
「あー、ツヴァイテイル? 変に思うなよ、俺は別にお前を誑かしてなんかいないからな。こいつは頭と口の悪い、俺の同期のジェイ……」
誑かしたかどうかで言ったら、誑かされたような気もするが。
そんなことより、門番を紹介しかけて何やら考え込んだ人間が気になる。
「おい、エル? どうしたんだよ」
「……なあツヴァイテイル、名乗ってなかったな。俺はエルバート。仲間内ではエル、と呼ばれている。宜しくな」
ああ、名か。そういえば聞いていなかったな。エル、ね。門番が不思議そうに首を傾げる。
「エル。ひょっとしてそいつ、言葉分かってんのか? ツヴァイテイルだろ?」
「らしい。完璧に理解しているかはわからないが、かなり分かっていると思う。……だから余計な口をきくな頼むから」
「おう、誑かしたとか狐とか言って悪かったな」
「ああ、黙って記録でも付けておいてくれ」
記録? 首を傾げると、エル……ではなく、門番が教えてくれた。
「人間の町ではな、出たり入ったりする時に記録をつけるんだよ。こんな地方の町じゃ、厳密なもんじゃねぇけどな!」
「なあ、もういいから黙ってくれないか、ジェイド」
「ああ、俺はこいつの同期のジェイドってんだ! いかつくて悪いな。エルをよろしくな、ツヴァイテイル!」
清々しい無視だ。エルに軽く蹴られているジェイドを無視して、私は周りを見渡した。一メートルと少しくらいの柵が、町の周りに張り巡らされている。この近くには四足の魔物が多いから、よほど大型だったり強かったりしない魔物に対しては、これは有効だろう。ちなみに、例外の最たる例はこの私である。これくらい一足で飛び越えられる。そして私たちが今いるここは、柵が途切れていて門番がいる。要は、町の出入り口らしい。
「ツヴァイテイル、おいで」
エルに呼ばれたので、大人しくとてとてと付いていく。町に入るのは簡単だった。門番のジェイドと同期ということは、エルも門番なのだろうか? 少し気になったが、ランク3の私が念話など使うわけにはいかないので黙っておいた。
「……なあ、ツヴァイテイル」
呼ばれたので見上げると、少し困ったような顔をしたエルと目があった。
「抱き上げても暴れないか?」
は?
「暴れないでくれな?」
そう言って、エルが中腰になり、私の前足の後ろ側に手を差し入れ……ってちょっと待て!
後ずさると、エルは今度こそ困ったように私を見た。
「……頼む。さすがに、このまま歩かせるのはちょっと目立つ。俺の家まで抱いていかせてほしい」
抱き抱えても目立つだろう! というか、今の私でもそれなりにはあるぞ? 重いだろう!
……いや、わかっている。私が暴れたりしたら困るから、最初は町をそのまま歩かせたくないのだろう。
ふむ、まあ……いいか。抱き上げられたことなんてないからさっきは拒否してしまったが、正直少し興味が……ないわけではない。自分より大きいものに抱き抱えられる。いわゆる抱っこ。ちょっと楽しそうだ。
一歩エルに近付いてきゅう、と鳴いてやると、エルはそっと私を抱き上げた。人間の赤子よりは多少重いだろうに、エルは力んでいるそぶりも見せない。どうやら腕力は一般的な人間よりもあるらしい。腕の中は安定していた。……悪くないな。
「サンキュ、ツヴァイテイル」
「きゅー」
いや、悪くないどころか、むしろ今後もやらせよう。これはいい。
エルが通りを歩いていくのを、私はその腕の中でのんびりと眺めていた。人々に寄り添う魔物は、たまにいるがあまり数は多くないようだ。しかも見かけた中では一番強いものでもランク2。雑魚しかいない。
私を抱えたエルは、やはりそれなりに目立っていたが声をかけられるほどではなかった。知り合いに出会うこともなかったらしく、五分ほど歩いて一軒の家の前に着いた。
「ここだ」
エルは私を一旦下ろすと、ゴソゴソとポーチを探って鍵を取り出した。
「ただいま! アンジェ、親父、いるか?」
「いるよー、お帰り兄さん。……って……」
エルと同じ、茶髪に茶色い目の女が家の中から現れる。年の頃なら十五くらいだろうか。女は私を見て固まった。
「こいつが、話してたツヴァイテイルだよ。付いてきてくれた」
「な……なにこれ」
ん? 何だかわなわなと震えていないか。大丈夫かこいつ。
「何これ超可愛い! 金色フサフサ! もふもふ! 兄さんグッジョブ! グレートジョブ!」
「お、おう。あんまり騒ぐなよ? そして無闇に触るなよ? 嫌われるぞ」
最後の一言に、エル妹はピタリと動きを止めた。恐る恐るこちらをうかがう。
……ふむ。
「きゅう?」
軽く見上げて、わざとらしく首をかしげてやった。
「か、かわいい……!」
女は悶えていた。楽しい、ちょっと首をかしげただけなのに。優越感だ。
そんな私たちを見て、エルが少しだけ体の力を抜いたのがわかった。私も一応魔物だから、妹に対してどう出るか警戒していたのだろう。
「アンジェ。可愛かろうが、こいつも魔物だ。もし俺や親父のいないところで牙を剥かれたら、お前は怪我じゃ済まない。幸い言葉はかなりわかってるようだから、嫌がることはしないようにして仲良くなってくれると嬉しい。しばらくは、お前とこいつを二人きりにはしないようにするから」
「うん、なる! なるよ、ツヴァイテイルちゃん! この子大人しそうだし大丈夫!」
この会話には根本的な間違いがあるな。たとえエルがいたとしても、私が牙を剥くようなことがあればそれで終わりなのだ。まあ、今のところはそんなつもりはないが。
「とりあえずあがりなよ……っと、何か布持ってくるからちょっと待ってて」
エル妹は家の中に引っ込むと、すぐに布切れをもって戻ってきた。私に足を拭いてほしいらしいので、その布に足をすりつけておいた。エルも靴についた土を軽く払ってから中に入っていた。
中に入ると、長椅子や机があった。長椅子はソファというらしい。エルとエル妹が向かいあってソファに座ったので、私はエルの隣に座ることにした。エルが恐る恐る手を伸ばしてきたので、背中をなでさせてやった。エル妹が羨ましそうにこちらを見ている。
「アンジェ、親父は?」
「仕事。遅番ではないらしいから、多分そろそろ帰ってくるよ。……改めましてツヴァイテイルちゃん、私はアンジェ。エル兄さんの妹だよ、よろしくね! ……でさ、私もちょっとだけ触りたいなぁ……なんて……」
アンジェから見て、私はよほど魅力的らしい。気分がいいので少しくらいサービスしてやってもいいかもしれない。
私はソファから降りると、対面のアンジェの足元に行き、くるりと背を向けて座った。
「背中ならいいとさ。頭と尻尾は俺もまだ触ってないからやめとけ。特に尻尾は、前に嫌がられたからな」
「わかった!ありがと、ツヴァイテイルちゃん!」
アンジェの手が、私の背中を優しくなでる。これは中々に気持ちいいな。というかエルより撫で方が上手いぞ。見習えエル。
「ふわぁぁ、柔らかー!」
楽しそうなアンジェと、気持ち良くて目を細める私を、エルは穏やかな目で見ていた。