30、再挑戦
「それで、今日やった治療は、私は明日も別の人間にやりにいくのか?」
その夜。遅い時間にようやく帰ってきたエルが寝るころになって、私は質問した。私とエルは同じ部屋で寝ているため、二人で話しやすいのは寝る前だと思い、先に寝ずに待っていたのである。
「えっ」
というのに、エルは驚いた顔ですぐには答えない。
「……あれでも、一応治療行為のつもりだぞ? 実情は殺人であろうとも」
「いや、それはもちろんわかってるけど」
エルは言葉を選ぶような間をおいてから、口を開いた。
「ミコトはもうやりたくないだろうから、そう聞いてもらえるのは意外だった。でも無理矢理やらせたくないし、大丈夫だ。ありがとう」
「ん?」
どうしてそうなった?
「エル、別に嫌じゃないぞ? むしろどちらかというと、失敗したまま次がないというのは気分がよくない」
私は魔法のスペシャリストとでもいうべきランク8の魔法特化魔物、九尾である。その私が魔力の取り扱いに関する事柄で失敗したまま終わるというのはなんとなく面白くない。
「次はもう少しゆっくり、少しずつ、じんわりと魔力を送り込む。そうすれば上手くいくような気がするんだ」
というか、成功している人間もいるのに私にできないはずがない。話しているうちにますます再挑戦したくなってきた。
「……ミコト、本気か? 無理してないだろうな?」
「本気だ。ちょうど、私の誇りにかけてなんとしても成功させたくなってきたところだ」
「お、おう。やる気があって嬉しいよ。助けてくれようとしてくれて、ありがとう」
「……ああ」
助けてくれようと、ね。私のやる気は魔力を扱う技術に対するプライドからきているのだが、まあ、結果は同じことか。技術を磨く副産物としての行為だろうと人命救助のために死にもの狂いになっての行為だろうと、やることが同じなら結果も同じだ。やらなければ死ぬのだろうし、結果的に助かれば文句はないだろう。
「じゃあ、明日すぐってのはないが、明後日以降必要そうなら引き受けてくる。無理にやらせたくはないから、気が変わったら言ってくれ」
「わかった。お休み、エル」
申し訳なさそうな顔をするエルに逆に若干申し訳なくなりつつ、私は狐に戻って寝床で丸くなろうとした。しかしふと思い出したことがあり、再びエルに話しかける。
「なあ、エル」
「ん?」
「なんというか……暗部みたいなものは、この町では発達しているのか?」
「暗部?」
訝しげなエルに、私は頷いた。
「つまり、例えば暗殺者とかそういう、表に出てこないような奴は多いのか? 組織されてたりとかは?」
「うーん……? 小規模になら存在してるかもしれないけど、発達は確実にしていないな。そんな組織があったら、俺たちが全力で潰しにかかってるし」
エルは軽く苦笑した。
「ふむ。なら、少なくとも一般的な家族が気軽に後ろ暗い依頼をできるような環境ではないと」
確認のためにそう聞くと、苦笑していたエルは何かに気付いたように一気に表情を強張らせた。
「ミコト、もしかして昼の家族のことを気にしてんのか? あれは……正直、恨まれてないと言い切ることはできないけど……」
辛そうに言葉を探すエルに、私は首を振った。
「別に恨まれててもどうでもいいから気にしなくていい」
実害があったら消すだけだ。とりあえず、あの家族から殺し屋のようなものがけしかけられる可能性が高くないのはわかった。
「おやすみ、エル。また明日」
何かを言いたいけれど言葉が見つからない、といった様子のエルに一方的に挨拶をして、ツヴァイテイルに戻って丸くなった。
「……おやすみ、ミコト」
少し躊躇うような間が空いてから、エルもそう言って布団に潜り込んだ気配がした。
目を瞑りながら、私は考える。実は今日、ジェイドと別れた後の帰り道で、私は何者かからの視線を感じているのだ。ツヴァイテイルの身では出どころを探れなかったそれは、本当なら私に悟らせずに監視することもできるのに、わざと気配に気付かせたような印象すらも受けた。だとしたら、相手が人間であるかすらも疑うほどの手練れである。九尾に戻れば今よりは感覚も鋭いのでもしかしたら見つけられたのかもしれないが、街中で試せるはずもなかった。
この町に来てからの私の行動で、何らかの調査や監視の標的にされる原因として真っ先に思い浮かんだのは先ほどの娘が死んだ件だ。だが、死んで数時間後にはもう動きがあるというのもいささか早すぎる気がする。なら、騎士団関係だろうか。それもなんとなくしっくりこないのだが。……嫌な予感がするが、はずれるといい。そんなことを考えながら、私は眠りに沈んでいった。
「ミコト、おつかれさま」
「ああ……」
労わるような顔をするエルに、つい気の無い返事を返す。娘を死なせ、ククリたちと食事をし、誰かからの視線を受けたあの日から数日経って、今は夜。寝るところだ。人型でごろーんとエルのベッドを占領したらエルは顔を引き攣らせ、何故か椅子に腰掛けている。
あれから例の治療を三回ほど試行したのだが、私は失敗を続けていた。ゆっくりやればうまくいくような気がしたのだが、そんな簡単なものではなかったのだ。もとから魔力のない人間、注がれる魔力に耐性が無さすぎるぞ。みんな死ぬじゃないか。
「というかそもそも、衰弱死寸前になってから藁にもすがる思いで魔力を注ぐのを試そうとする方が悪い。藁を掴める体力があるうちに試せ」
技術自体はいい線にいっていると思うのだ。むくれる私に、エルは困ったような顔をした。
「どうしても、やらなくても自然と目覚める可能性を考えちゃうからなぁ……。荒療治をしようって決心がつくのは手遅れになりかけの頃なんだよな」
「むう。……そういえば、あの脳筋はなんだったんだろうな。やけに真剣に見ていたが」
そう、今日はエルだけではなく、ジェイドも付き添いで来ていた。……まあ患者は見事に殺したわけであるが。せっかくなら成功したかったな。
「いつも俺の都合がつくわけじゃないから、そういう時は付き添いを自分が代われるようにって来てくれたんだろ?」
「まあそう言ってはいたが、それにしては私のする治療をいやに真剣に見ていたような?」
「うーん、まあ人命がかかってることだしな」
「ふむ、そういうものだろうか」
私には信用がない。身元は全力で定かでないというか魔物と定かにしたら事態は悪化しかしないし、治療を成功させた実績もない。つまり、私に頼んで試そうとするのは本当に末期の者の家族だけだ。そうでなければ絶対そろそろうまくいっていると思う。限りなく微量かつ繊細な魔力コントロールは褒められていいレベルではなかろうか。
不満げにエルのベッドでごろごろと寝返りを打つと、エルはさっと視線を逸らした。
「どうしたエル?」
「……いやあの、胸元がほら」
「胸元?」
視線を下に落とすと、転がったせいではだけかけているいつものミコフクが目に入った。
「ほれ」
声をかけてやるとエルはこちらに視線を戻す。そして、その三倍ほどのスピードでグリンと頭を回して再び顔を背けた。
「なん、なんでだ!」
なにやら慌てるエル。
「なにがだ」
「いやなんで直すどころか更にはだけさせてんだお前は!」
私は首を傾げた。
「……見たいのかと」
「ぶっ! い、いや、見たくないとは言わな、じゃなくて、見ちゃダメなんだ、わかる?」
「私の胸なんてエルはいつも触っているだろう」
「ばっ、おま、…………意味が違う!」
赤くなるエルはまるで照れているかのようだが、お前いつもわしゃわしゃと私の首や胸や腹を撫でくりまわして嬉しそうにしているだろう。
「まあいいや、寝るぞエル。おいで」
ベッドの空いたスペースをポンポンと叩いて呼んでやると、エルは眉間にシワを寄せながら、なぜか大きく深呼吸をした。まるで自分を落ち着かせるかのようにゆっくりと息を吐き、眉間をほぐす。
「なにしてるんだ」
「精神統一。ミコト、その姿だと、狭いから、そこで一緒に寝たいなら狐にしよう」
「えー。アンジェは人型でいいと言ってくれたぞ。狭いだろうと聞いたのに」
「ほら、アンジェより俺のが図体でかいからさ? な? 狭いから、ほら」
ベッドのサイズもアンジェのものより多少大きいから狭さは変わらない気もするのだが。エルが何やら必死なので、ツヴァイテイルになってやったらいそいそとベッドにやってきた。そもそもエルの寝床なんだけどな。
翌朝、抱き枕にされたまま試しに人型になっておいたら、寝起きにパニックになったエルが見られた。いや、どうしたんだエル。よくわからんが落ち着け。