25、頼み
人間を殺したことがあるか、否か。
「……どうして、そんなことを聞く?」
あったらダメなのか? エルに限ってまさかとは思うが……私のことを何か疑っている、のか?
目を細めて、殺気が漏れないように注意しながら聞くと、エルは慌てたように手と首を横に振った。
「悪い、言葉が足りなかったな。ミコトが何かしたって疑ってるわけじゃない。でもその、ミコトに手伝って欲しいことがあって……」
エルは目を泳がせた。
「でも、もしかしたらその結果、人間を殺してしまうことにもなりかねないから、今までに命を奪ったことがあまりないならこんなこと頼んでやらせるのは嫌だと、……思って……」
エルの声はどんどん小さくなっていく。
「悪い、突然変なこと聞いて」
しょぼん。そんな擬音が似合いそうな様子で俯いてしまったエルに、私は小さくため息をついた。
「……エル。私に何をしてほしい? 私にできることだから、こんなことを言い出したんだろう?」
「あー……えっと、ミコトはさ、自分の魔力を他に分け与える能力を持ってるだろ」
私は反射的に後ろを見たが、そこに尻尾はない。そうだった、人型なんだった。
「ああ、持ってる。供魔の尾だな」
「その能力を使って欲しいんだ。魔熱だが、あれは魔力がある人間には効かない。だから外から魔力を流し込んで、一時的にでも体内に魔力がある状態にしたら治るんじゃないかと予想されたんだが……さっき試したところによると、当たりだったらしい」
「へえ、元気になったのか?」
聞く限り、ものすごい荒療治だが。そもそも生き物の体は、外から魔力を流し込まれるようにはできていない。あの馬鹿みたいに頑丈なグレンですらも、気分の悪さを訴えていたくらいだ。まあ、あの時は生きるか死ぬかというレベルに弱っていたというのもあるが。だが、そうだとしても、グレンとそもそも魔力のない人間とでは色々と大違いだ。
「元気になったよ……五人目で、な」
「ふむ?」
「普段は魔石に魔力を注いだりしてる、他者に魔力を与えられる能力持ちが、自然治癒は絶望的なほど長く目覚めない患者に試した。四人は死んだよ。五人目で、やっと成功した」
「ふん……。元から魔力のない者に魔力を無理やり注ぐんだ。しかも衰弱死直前の状態だったなら、まあ妥当な数字だろうな。いや、むしろよくその数で上手くいったな」
まあ正直、どうでもいいが。だが話の流れから考えて、
「要はその魔力を注ぐ役を、私にやらせたいわけか」
「……そうだ。でももちろん、無理強いはしない。辛い役だからな」
いや別につらくないつらくない。死んでも痛くも痒くもないからな。
「わかった、エル。手伝おう。私に話を持ってきたということは、魔力を注げる人間はかなり限られているんだろう。そういえば、少なくとも私の知り合いの中にはいないものな」
自分が言い出した側のはずなのに、エルは渋い顔をした。
「ミコト、よく考えてくれていいんだぞ?」
「別に構わない。…………さっき、人を殺したことがあるかと聞いたな」
「え? あ、ああ」
「その答えは、ある、だ。それも、たくさんある。私だって魔物だからな。だから、気にしなくていい」
気にしなくていいというのは、本心である。というか人間くらい、村まるごとレベルでの殺戮もしたことがあるのだ。
「そうか、ありがとう……」
自分から質問し頼んできたというのに、エルは気落ちしているようで、肩を落としている。アンジェのとこ戻るか、と呟くように言ってゆっくりと私に背を向けた……ので、がしり。私より少し上にあるエルの後頭部を、片手で鷲掴みにしてやった。
「ぅえ⁉︎ ミコト⁉︎」
もちろん握り潰したりするつもりはない。が、無言で小刻みに揺さぶってみる。
「ちょ、ミコト酔う酔う酔う! 力つよっ⁉︎」
「ふん」
私の手を離させようとエルが後ろに腕を伸ばしてきたところで、ぱっと離してやった。エルは少しふらついてからこちらに向き直る。
「な、何すんだよ⁉︎」
「ふん。エルのばーか」
「なっ」
絶句するエルに舌を出してやった。
「エルも案外子供っぽいところがあるな」
「それ俺のセリフだよなミコト⁉︎」
「ふふん」
ニヤッと笑ってやると子犬のようにギャンギャンと吠えてきたので頭を撫でてやると、大人しくなった。口をパクパクさせているが知ったことではない。
「私がいいと言っているのだから、エルはありがたく私を使えばいいんだ。どうでもいいことで煩わされるのは愚かだぞ」
呆れた顔でそれだけ言って部屋を出ようとすると、今度はエルが私の腕を掴んできた。
「どうした?」
「それは違うぞ、ミコト。使うってのは、違う。……いや、頼んでることからしたらその表現も違わないのかもしれないけど、嫌だ」
「うん?」
「だからさ、家族だろ。……使うって言い方は嫌だ」
あーくそ、でも俺のやってることは使うのと同義か⁉︎ と一人でブツブツ悩み始めるエルを、私はきょとんと見返した。
「使われてもいいと言っているのだから、そんなことはどうでもいいだろうに」
「よくない」
「わかったわかった、じゃああれだ、お願いだな。これはエルから私へのお願いだ。目的は人助け、崇高だろう。人助け好きだもんな?」
「好きだもんなって……」
微妙な表情をするエルに、私は首を傾げた。
「あれ、違うのか? 人間というのは、同族同士で助け合うのが大好きなんじゃないのか。助け合いの精神とか言うと、みんな素晴らしいと喜んでるだろう」
エルは複雑な顔になる。
「……ああ、そうか、ひょっとして助け合いは義務か? 好きでやってるんじゃなくて、助け合わなければならないという風潮に迎合しないと爪弾きにされて人間の群れではやっていけな」
「ストップ。なんか人間の闇が垣間見えたからやめようミコト。議論しても仕方ないし」
「ふむ、まあいいか。そろそろアンジェが食事の用意を終えて待っているだろうしな。戻るぞ」
「え? あ、ああ」
なるべく自然にドアを開けて部屋を出ると、エルは普通についてきた。使う・使わない問題はとりあえず忘れられたようだ。あとで思い出したとしてもそこで混ぜっ返すほどの話題ではない気がするし、何よりこの話をわざわざ部屋でしたということは、アンジェに聞かせたくないはずだ。つまり面倒な話は終わった可能性が高い。扱いやすいな、エルよ。
食後、エルが私を見ては申し訳なさそうな顔をする。そのつもりで見ていなければ気付かない程度の違いだが、私は気付いたぞエルよ。
「エル」
「ん?」
「……悶えるがいいわ」
「は?」
私はツヴァイテイルになると、エルの元へトコトコと近寄った。そしてわざと自分の尻尾を追いかけ、クルクルとその場で回る。目が回ってきたのでそのままコテッと座ると、猫パンチならぬ狐パンチで尻尾を狙う。それから尻尾の先をかじかじと甘噛みしてみた。
チラリとエルの方を見ると何故かアンジェもやってきていて、二人で並んで私を見つめていた。エルは完全に表情が緩んでいるし、アンジェに至っては口元に手を当てて「かわっ……かわっ……かわいい……」と呟いている。ふふん、愛らしかろうさぞかし愛らしかろう。
もし二人が私の行動に興味を覚えなかったら私は羞恥心でどうにかなっていたと気付いたのは、少し経ってからのことだった。