20、予想外
「あ、アン、ジェ?」
ようやく絞り出した呟きに、アンジェは頷いた。
「やっぱりミコトなんだね。本当に人間の姿になれるんだ。ミコトがベッドに運んでくれたんでしょ、ありがとう」
「え、あ……」
本当にアンジェなのか? いや、本物なのは見ればわかるけれど、こんな、どういうことだ?
疑問符を浮かべていると、こちらが質問する前にエドワードが口を開いた。
「言いたいことはあると思うが、その前に。ミコト、エルには会ったかい?」
疑問でいっぱいになりつつも、私の脳は最低限の仕事はしてくれた。正しい答えを返す。
「……会って、ない」
エドワードの表情が険しくなった。
「それはまずいな。エルが、ミコトを探して森の手前まで様子を見に行っている。早く行って連れ戻さないと」
「あ、ああ……」
「夜に町を出るのは危険だ。夜勤で門番をしている者についてきてくれるよう、ダメ元で頼むとは言っていたが、どうなったかわからない」
そういう経緯で脳筋も巻き込まれたのか。それは申し訳ないことをしたな。……だが、エドワードよ。
「どうして」
「ん?」
「どうして止めなかった、エドワード。危険なのはわかっていたんだろう、エルが死んでしまうかもしれないのに」
思わず責めるような口調で言ってしまうと、エドワードはすっと目を細めた。
「……わからないかい?」
静かに込められた怒気に、私は驚いた。エドワードがこんなに感情を露わにして怒るなんて初めてだったのだ。
「……深夜に出て行ったのは私の勝手だろう。それで何かあったって自業自得だ、危険を冒して探す必要なんてない。そもそも森に行ったという確証もないのに」
「そんなの、エルもわかっていたよ。それでも探すと言って聞かなかったんだ。……ミコトの様子がおかしいことに気付いていたのに、放置してしまったからね。エルも……僕も。ミコトがいないと気付いて、森に行ったかもしれないと予想して、僕たちがどんなに慌てたかわからないかな」
「……それは、悪かったが……」
謝ると、エドワードは気持ちを落ち着けるように一つ息を吐いた。
……今気付いたのだが、エドワードは、たまに一人称が『僕』になる。普段は『私』だったと思うのだが。おそらく『僕』が素のような気がするな。
「とにかく、エルが帰ってきてくれないとな……。何もなかったなら、そろそろ戻るはずなのに。門まで様子を見に行くか……」
顎に手をやって、ボソボソと呟くエドワード。
その時、カチャリ、と。玄関のドアが控えめに開けられる音を、私の耳は拾い上げた。
「エル!」
「え?」
「今、ドアが開いた音がした!」
そう伝えて慌てて玄関先まで来ると、そこにいたのはやはりエルだった。ジェイドとは既に別れたらしい。私を見て、エルはホッとしたような笑顔を浮かべた。
「やっぱり帰ってたんだな、ミコト」
「……ああ」
むう……。エルのこの安堵した表情のせいで、少し罪悪感が……。
私の後から遅れてやってきたエドワードが首を傾げる。
「……やっぱり、とは? 二人は会ってないんじゃなかったのかい?」
「ああ、ミコトとは会ってないんだが、実は……。いや、アンジェを一人にしておいてこんな長話はできないか。早く戻ってやらないと寂しがる」
その言葉に、私は目を瞬いた。
「アンジェが目覚めたこと、エルも知っていたのか」
「ああ。アンジェが目覚めて、もう大丈夫だってことをミコトに伝えに来たときに、ミコトがいないと気付いたんだ」
なるほど。やはり、出て行った時点ではばれていなかったのか。
……というか。
「まだ聞いていなかったな。アンジェの件、どういうことなんだ? 魔熱病は、治療法が確立していないんだろう。それを見つけないと、どうにもならないんじゃなかったのか?」
だから焦って、らしくもない行動までしかけたというのに。
私の質問に、二人は驚いたような顔をした。エドワードが申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「これは……ごめん、僕の説明不足だったかな」
「ん?」
「魔熱病は治療法が確立していない。そんな状況にあっても、魔熱病の致死率は五十パーセントくらいだよ。つまり、半分は助かるってことだ」
「……つまり?」
「何もしなくても助かる者は助かる」
……今世紀最大の間抜け面だったかもしれない。
「…………」
「魔熱病で死ぬってつまり、意識がないのと高熱で栄養を摂れなくて衰弱死するってことだから……とりあえず熱がだいぶ下がって意識もはっきりしたアンジェはもう峠は越えたというか、あとはおそらく降りるだけというか」
「つまり、何もしなくても助かった……?」
「結果的には、ね。……ミコトの採ってきた果物を食べさせたら美味しいって喜んでたよ」
ああ、うん。それはよかったな、うん。
というか、そういえば、アンジェはこのままでは助からないと途中から思い込んでいたが……そんなことは言われていないな、確かに。五割ほどの確率で助からないとは言われたが……。嬉しい、嬉しいのだが、複雑な気分だ。ううむ。
小さく唸っていると、家に入るエルにすれ違いざまに軽く頭を撫でられた。人型の私は女性とはいえ長身なので、エルと身長はそこまで変わらないのだが。
「ほら、アンジェのとこ行くぞ、ミコト」
「……ああ」
撫でられたところを自分でも触ってみる。体温があるから手が暖かいというのは同じはずなのに、エルに撫でられた時の方がずっと暖かかったような気がした。
「兄さん! 無事だったんだね」
部屋に入ると、アンジェが嬉しそうに迎えてくれた。まだ歩くとふらつくので、ベッドから降りるに降りられないらしい。
「ああ、心配かけたな、アンジェ」
エルがアンジェを撫でる。ツヴァイテイルになって一緒に撫でられにいこうかと一瞬思ったが、さすがに自重した。この後話すこともあるだろうし、な。
「そういえば、アンジェはどこまで知っているんだ? 自分が倒れてからのこと」
私の疑問に答えたのは、アンジェではなくエドワードだった。
「僕が知っていることは一通り伝えてあるよ。魔熱病で倒れたことも、ミコトが人間になれることも、森のオーガロードのことも、ミコトがいなくなったことも、ミコトをエルが探しに行ってたことも。どうせ伝えざるを得ないことだからね」
「そうか」
頷きながら欠伸をかみ殺す。さりげなくやったつもりなのだが、エドワードは苦笑した。
「……眠そうだね、ミコト」
「悪いな」
なんせ、今夜はまだ寝ていないのだ。グレンとの戦闘で魔力も使ったし負傷もしたため、私は睡眠を求めている。まあ、もうしばらくはなんとかなるが。ここ最近で骨の髄まで染み込んだ怠け癖がなければまだピンピンしている気もするし。
ふと、アンジェと目が合った。どうしたの、とばかりに首を傾げてくる。……よし、自重やめた。そもそも自重とか、私らしくない単語だ。うん。
私はツヴァイテイルになると、トコトコとアンジェのベッドまで歩いて行き、ベッドの上に顎を乗せた。よし撫でろアンジェ。
「……え、えええ! ほんとに一瞬で変身できるんだねミコト! すごいすごい可愛い! というか可愛い! 顎なんて乗せちゃってもう! 欠伸したからって涙目でもう!」
わしゃわしゃわしゃわしゃ。いつも通り騒ぎながら、アンジェはすぐに撫でてくれた。やはり、撫でるのはアンジェが一番うまくて気持ちいい。元々の謎の才能に加え、単純に撫でている時間が一番長いから、技術も比例したんだろう。私がツヴァイテイルに化けてからアンジェに撫でくりまわされるまで、その間ほんの三秒。さすがアンジェだ、よく躾けられている。
「……こほん。なあ、話があるんだが」
ポカンとしていたエルが一つ咳払いをしてから、真剣な声音で切り出した。……ああ、しまった、忘れていた。