2、興味
私は暇を持て余していた。別に今この時だけの話ではない。ある程度以上強くなってからは狩りも楽になったし、周りに怯える必要もなくなった。そして何より、知能が発達した。その結果、私は日々に退屈を感じることが多くなっていた。
そんな時だ。傷付いた人間の男と、弱い犬の魔獣に出会ったのは。時間にしたら十分程度だったろうが、奇妙な奴らだったと思う。行動原理が、私には理解不能なものだった。苛立ちもした。
けれど、なんとなく惹かれるものがあったから。私は今、縄張りの森に足を踏み入れたあの時とはまた別の人間を、こっそり尾行している。あの魔物の犬に、普通ではありえない行動を取らせた人間という種に、興味が出てきたのだ。
その人間は一人だった。少しの魔法と、それなりの剣の心得があるらしい。大抵のランク2の魔物よりは強いようだ。というのも、さっき戦っているのを見ていたのだ。
人間は男で、この間の奴よりも背が高く、若い。茶色の髪を短く切り揃えている。こいつは何がしたいのか、先ほどから森の浅い所をふらふらと彷徨っては弱い魔獣に遭遇し、襲われては返り討ちにしている。
修行だろうかと思ったが、それにしても違和感がある。この人間、格下と出会っても自分から攻撃を仕掛けたりはせずに、相手に襲われて仕方なく戦っているようだ。去る者は追っていない。ランク3以上の魔物が出たら、魔法で怯ませて離脱することを優先している。……いや、怯ませる以上の魔法が使えないだけか? とにかく、あまりやる気はないようだ。ランク3の魔物とまともに戦っている所を見ていないので、この人間にとってランク3が格上なのか同格なのかは微妙なところだが、おそらく同格なのだろうと思う。ランク2の魔物は軽くあしらっているからだ。
その奇妙な行動をそれから一時間ほど続け、人間は町の方向へ帰っていった。私は、その間ずっと何となく尾行を続けてしまった。
それから三日後、覚えのある匂いを嗅ぎつけて様子を見に来ると、再びあの人間が来ていた。また同じように、弱い魔物を蹴散らしている。しかし相変わらず特に殺す気はないようで、不可抗力で殺してしまったもの以外は逃がしていた。森の奥には絶対に立ち入らず、森に入ってすぐの所をウロウロしている。木のうろなどを覗いているので植物の採取目的かと疑ったが、その割にはそこらの植物に興味を示さない。よっぽど珍しい植物を探しているのか? それもしっくりこない。私は、そろそろこの人間の目的を知りたくなっていた。
モヤモヤした気持ちのまま尾行を続けたが、今日もよくわからなかった。日も傾き始め、人間はもう帰るようだ。
帰りがけ、人間はため息をついて、ボソリと一人言を呟いた。小さな声だったが、高性能な私の耳はしっかりとそれを拾い上げた。この人間の声を聞くのはこれが初めてだ。
「はぁ……やっぱりそんなに都合良くいないよな……怪我した大人しい魔物なんて」
寝床に戻り、私は考えた。あの人間は、怪我をした大人しい魔物を探しているらしい。あの言い振りからして、特定の魔物を探しているのではなく、条件に当てはまる魔物なら何でもいいのではないだろうか。だとしたら、何故?
……ああ、そうか。わかったかもしれない。
数日後、三たび人間はやってきた。
待ち構えていた私は、頃合いを見て人間の前に姿を現すことにした。威嚇したりはしない。とんでもなく危険な存在だと悟らせないように、行儀良くお座りをして、じっと様子を窺う。
そんな私を見た人間は、怪訝な顔をしながらも剣を抜きはしなかった。いつでも抜ける体勢ではあるが。
「二尾狐……?」
種族を言い当てられたので、尻尾を軽く振っておいた。そう、私の今の姿は本来の九尾のものではない。ランク3のツヴァイテイルのものだ。ランク8の九尾のままでは圧倒的すぎて弊害が多いから、化けておいたのだ。これはランクが上がる前、私の過去の姿である。
この人間の目的。それは魔物を町に連れ帰ることだと、私は予想した。それも、無理やり捕獲するのではなく、それなりに友好的な魔物が欲しいのだろう。だからきっと、傷付いた大人しい魔物を連れて帰って手当して、懐かせようとしているのだ。
「お前、大人しいな……? ランク3なのに」
人間は警戒しながらも、私を驚かさないようにゆっくりと近づいて来る。私は動かず、ただじっと人間を見つめていた。
ランク3なのに大人しいことを、人間が意外そうにしているのにはわけがある。
魔物は、その身に持つ魔力が一定を超えると進化して、ランクが上がる。一気に強くなり、見た目も変わる。だから魔物は、本能的に進化を目指すようになっている。
では、自身の魔力を増やすにはどうしたらいいのか。ただ長く生き、魔力をほとんど含まないような餌を食べて眠るだけでも少しずつ魔力は溜まっていくが、それでは多くの時間がかかってしまう。手っ取り早いのは、魔力を多く含んだ生き物を殺し、その肉を食すことである。魔力を含んだ生き物が死ぬと、その含有魔力の何割かが放出されるため、近くにいればその一部を吸収できる。また、魔力の宿った肉を食べれば、もっと効率的に魔力を吸収できる。しかし、生き物が死ぬと魔力は空中に溶けて消えてしまうので、死んだ直後に魔力を吸収するのが望ましい。つまり、魔物は魔力を得るために他の生き物を襲い、殺して食べるということを本能レベルで行うのである。そして実は人間というのは、その強さのわりに得られる魔力が多い、割のいい獲物なのである。もっとも、人間にはランクというものがない代わりに個体差がとても大きいから、襲いかかって返り討ちにあう魔物も多いのだが。
今回の場合、ランク3の私なら、一人でいる人間にならすぐに襲いかかってもおかしくないのに、大人しくしているから不思議がられたのだ。ランク3ならほとんどの人間には勝てるし、特に賢い頭脳もないから、目の前の獲物の力量を正確に見極めることも難しい。普通は本能に引きずられ、すぐに襲いかかってしまうだろう。人間を襲うことの旨みを知らない魔物というのは珍しい。
だが、私は九尾だ。今更人間程度を一匹食ったからといって、得られる魔力は微々たるもの。この人間に餌としての価値は感じない。そんなことよりも、最近の退屈を紛らわせて欲しかった。だから私は、ただこの人間を見つめる。
人間は困っているようだったが、しばらくして私に動きがないのを確認すると、何を思ったか近くの石に座って、昼食を食べることにしたらしい。常に意識はこちらに向けたまま、持ってきた食料を取り出した。
「ん……ほれ、食うか?」
パンを千切って軽く放られた。
…………。そうくるか。
ふむ、どうしようか。少し迷った後、私はそれを食べることにした。パンは意外と美味しかった。
「きゅう!」
「わかったよ、ほら」
礼を込めて一声鳴いてやると、人間は苦笑しながらもう一欠けパンを投げてくれた。
……催促だと思われたらしい。
「きゅー」
せっかくなので頂いておこう。パンを食べる私を見て、何故か人間も嬉しそうだし。
パンを食べ終わると、人間はもう町に帰るらしい。私は付かず離れずに人間のあとを付いていき、森の出口まで見送ってやった。
別れ際、一緒に来るかと聞かれたが、人間は私の返事を聞かずに苦笑して背を向けてしまった。言葉は通じないと思われたのだろう。私も追ったりはせず、その背を見送る。
あの人間はきっとまた来るだろうと思った。




