14、ウンディーネ
深夜。
エルもエドワードも眠ったであろう頃を見計らって、私は起き上がった。ここはいつも寝ているエルの部屋だが、今日はエルがアンジェの部屋で寝ているので私一人だ。
私は人型をとり、施錠されている窓を開いた。静かに外に出ると、窓を閉める。心地よい風が吹き抜けていった。空はとてもよく晴れているが、都合のいいことに今日は新月だった。人間は夜目が利かないから、星明かりしかないこんな夜は見つかりにくいだろう。
私は駆け出した。行き先はもちろん、森だ。目的は一つしかない。大鬼酋長の首である。
オーガロードの率いる群れが森にいて危険だから、明日から騎士団が厳戒態勢を敷く。そのせいでエルもエドワードも忙しくなる。アンジェの側にいられない。アンジェの治療法も探せない。オーガロードとその群れがどの程度のランクなのかは知らないが、もし強ければ、もしぶつかるようなことがあれば、アンジェの前にエルたちが死んでしまうことだってあるかもしれない。さっきの会話でこれは話題に出なかったが、十分にあり得る事態だ。人間が魔物と戦うというのは、そういうことである。人間は多くの場合格下であり、事前準備や罠、作戦、数の優位で魔物に勝つのだ。犠牲はつきものである。
だから、そうなる前に、明日が来る前に、私が終わらせておく。門の前、分かりやすいところに、オーガロードが死んだという証拠を置いておけばいいのだ。
つまり、首である。
それを見つければ一時的に見回り人数を増やすことはあっても、すぐに元に戻すはずだ。そうすれば、エルたちが戦う必要はない。アンジェが助かる確率も上がる。
私がオーガロードに勝てなければ話にならないが、それはおそらくないだろう。もしあったら、その場合は騎士団やアンジェだけでなく、町全体が詰むだけだ。ランク8以上の力を持った魔物が町を襲えば、防衛など出来やしない。
一般的に、強い魔物が積極的にそれをしないのは、やったところで旨味がないからだ。少なくとも私レベルまで強くなってしまえば、人間を大量に殺そうがただ食っちゃ寝して過ごそうが、一日の獲得魔力はそう変わらないのである。ただ生きているだけでも、少しずつ魔力は溜まって行くものなのだから。まあ、特別危険種指定されているような強者の気まぐれで滅びた町は幾つもあるわけだが。
だが、件のオーガロードは事情が違う。奴は群れを率いているらしい。ならば、群れの連中を強くするために、人間の町はとてもとても都合がいい餌場だ。すでに村を一つ襲っているのならとっくに味を占めているだろう。もしかしたら、それを目的にこの森まで移動してきたのかもしれない。それを分かっているから、エドワードはオーガロードをあんなにも危険視していたのだ。
……ああ、消さなくては。早く、早く消さないと。夜が明ける前に。アンジェが手遅れになる前に。
私は九尾の姿で夜の森を駆ける。ここ最近この森を空けていた私にはオーガたちがどこにいるかなど分からないので、森の中心部にある泉へとひた走った。
いつ見ても透き通っている泉に辿り着き、その縁に立って念話を飛ばす。
『水精! 出てこい!』
そう、この泉にはウンディーネが住んでいる。その実力は、ランク8の私に次ぐランク7である。森全体の中でも私の次に保有魔力量は多い……はずだ。ただし、元々水から生まれたということもあってか、獣系の私などとは違って争いごとを毛嫌いするという魔物らしからぬ性質を持つ。そのため、ウンディーネの戦闘能力は私も把握していない。
『ウンディーネ! いるんだろう!』
『いるわよ~ぅ。いるけど~、こんな深夜に呼ぶことないじゃないの~』
泉の水面が盛り上がり、人間の女のような姿を取った。
『深夜徘徊はお肌に悪いのよ~?』
『お前は肌どころか、髪から臓器まで全てが水だろうが』
ウンディーネは私の姿を見るとにっこりと笑った。
『あら~、ミコっちじゃない。お久しぶり~。全然来てくれないんだもん、寂しかったわぁ~』
『そうか、それは悪かったな。で、本題だが……』
『や~んミコっちってばつれない~。世間話しましょ~よ~』
『悪いが、今そんな余裕はない』
その返答に、ウンディーネが少しだけ真剣な雰囲気になった。
『あらら~、ミコっちが余裕ないなんて珍しいこともあるものだわ~。いいわ~、何が知りたいの~?』
水面から椅子のような形の水がせり出してきて、ウンディーネはそれに腰掛けて足を組んだ。スタイルのいい女の姿は、人間であればさぞかし妖艶であることだろう。残念ながら水だがな。
『最近、この森にオーガの群れが入りこんだだろう。高ランクのリーダーに率いられているやつだ。それの居場所が知りたい』
『ああ、あれね~。ついさっき東の小川で見たから、まだその辺のはずよ~ぅ。ほら、東のおっきいグレープメロンの樹わかるでしょ~? あの辺り~』
『わかった、感謝する』
水の椅子が消え、立ち上がったウンディーネは水面でクルクルと回った。
『うふふ、ミコっちに感謝されちゃった~。いいのよ~、でも代わりに、今度遊びに来てね~? 退屈なの~』
『わかった』
『あら』
ウンディーネはピタリと動きを止め、私を見つめる。
『変わったわね~、ミコっち』
『そうでもないさ』
『いいえ、少し変わったわ~。最近人間についていって、森にいなかったのと関係があるのかしら~?』
『さあな』
私はくるりと踵を返し、東を向いた。あっちか。
『ま、いいわ~。あなたが変わった理由、聞かせてくれるの楽しみにしてるからね~』
『ふん……』
またね~、という間延びした声を背に受けながら、私は再び駆け出した。
ウンディーネは、あの泉を中心としたこの森の水辺に繋がっている。あれは、森に張り巡らされている細かい小川の一つひとつから、まるでそこに目があるかのように情報を得ることができるのだ。しかもそれを無意識レベルで常時行っている節がある。どんな情報量だ。前に理屈を聞いたら、
『地下から川へ、川から泉へ、泉から川へ、川から地下へ、地下から泉へ。そして、泉は私なの~。この森の水は全て繋がっていて、みんな私なのよ~ぅ』
と言われたので、細かい理解は諦めた。とにかく繋がっているらしい。一応、泉から近い水場ほど情報を得やすく、遠いほど得にくくはなるそうだが……。
何にしてもありがたいことだ。情報収集は、私の得手とするところではないのだから。