11、魔熱
昨日は予約投稿するのを忘れてしまいました、すみません。
そろそろストックが危ない…
家に戻ってきたが、アンジェはまだ目覚めてはいなかった。私が出てきたときのまま、ベッドで眠っている。高熱のせいか、少し魘されているようにも見えた。エドワードに言われたとおり、タオルを持ってきて汗を拭ってやるが起きる気配はなかった。
「アンジェ……」
脆いな、人間は。熱があるというのは苦しいんだろうか。私は生まれてこのかた熱を出したことなんてないから、わからない。この状況は、どれくらい深刻なんだろうか。明日にはけろっと治るものなのか、それとも死につながるようなものなのか。ああくそ、わからない。
汗を拭うしかすることがないというのは、手持ちぶさただった。熱があるということは冷やしてやった方がいいのだろうか、それとも暖かくした方がいいのだろうか。指示をもらえればそのとおりにするというのに。
ただアンジェを眺めてとても長い時間が経った……と、感じただけかもしれないが……頃に、ガチャリと鍵のあく音がして、私は玄関に飛んでいった。
そこには見慣れない荷物を持ったエルと、初老の女性が立っていた。
「……ミコト?」
どうしても驚きを隠しきれないといった表情で、エルは人型の私を上から下まで観察している。私が頷くと、エルは女性に配慮してか、そうか、とだけ呟いた。エドワードは、私のことについてもしっかりエルに伝えてくれていたらしい。
「アンジェは?」
「ベッドにいる。意識は戻っていない」
「そうか……。先生、お願いします。こっちです」
エルが、女性をアンジェのところまで案内する。やはりこの女性が医者だったらしい。エルの持つ見慣れない荷物は、女性の診察道具のようだ。彼女は聴診器? やらなんやらよくわからないが、色々とアンジェを調べてくれた。エルが何も言わずに任せ切っているので、信頼してアンジェを調べさせていいのだと思い、私もおとなしく見ていた。
「……おそらく魔熱病、ですね。症状と倒れた時の状況から、ほぼ間違いないかと」
診察を終え、医者は目を伏せてアンジェの状態を口にした。
マネツ、というものを私は知らないが、あまり良くないものであろうことは、エルと女性の表情から理解できた。マネツではないかと疑いながらもそうでなければいいと思っていて、けれど蓋を開けてみたらやはりマネツだった、というような……そんな顔をしていた。
「魔熱病は、主に魔力の低い者がかかる病です。魔法を使える程度に魔力がある者はかかりません。唐突な意識障害と高熱が特徴です。感染経路は不明、治療法も……確立していません」
……この医者は今、何と言った? 治療法が確立していない?
「……なら、どうすればいい?」
「とりあえずは安静にしておいてもらう他ありません」
「そうすれば治るのか?」
「それは……」
医者が口ごもる。治らないのか⁉︎
さらに詰め寄ろうとした私を、ずっと黙っていたエルが手で制した。
「魔熱は今、町で流行し始めててな、問題になってる。騎士団でも治療法を探るために尽力するってのが決まったばかりだ。お上も取り組んでくれてる。多分、治療法が見つかるのも時間の問題だ」
最後の一言を迷いなく言い切るだけの演技力は、エルにはなかったらしい。時間の問題、という言葉は、エル自身に言い聞かせるような響きも含んでいた。
「あの……」
押し黙る私に、医者が困ったように話しかけてきた。
「なんだ?」
「あなたは、魔力はありますか? 私は魔力はありますが、他の方のそれを感じ取れるほどではないので」
「ん? ああ、あるが」
人間よりは、かなり。
「そうですか、ならいいのです。魔力がないと、魔熱病が感染する可能性があるので、患者に近付いてはいけないんですよ」
「なるほど」
その心配はないだろう。魔熱病に限らず、私が病に倒れるような状況なら人間などとっくに全滅しているはず。
私の心配はどうでもいい。それよりも、私には一つ、とても気になっていることがあった。聞きたくないが、医者が帰る前に聞いておかなくては後悔するかもしれない。
「なあ、一つ、いいか?」
「はい」
ああ、聞きたくない。できれば笑い飛ばしてくれ。そんなことはあり得ない、と。
「魔熱で死ぬ可能性、というのはあるのか?」
「…………」
とっさに答えずに目を泳がせて言葉を探すこの沈黙が、何よりも雄弁な答えだった。
「……倒れる前の初期段階に対応できたケースを除いた魔熱病の致死率は……五割ほどと言われております。もちろん、正確な数字は誰にもわかりませんが」
「……」
五割。それはつまり、例えば二人の人間が発病したとしたら、どちらかは死ぬということか。冗談じゃない。私は唇を噛み締めた。
魔熱病には効果のある薬すらもないらしく、一般的な高熱への対処……もし目覚めたら水分を摂らせるように、とか、汗を拭いてやれ、とか……だけを告げて、医者は帰って行った。私とエルの間に重い空気が流れる。
「あー……ミコト?」
「……悪かったな、人型になれるのを隠していて」
「いや。隠してたのに、アンジェのためにその姿になってくれたんだろ。むしろ嬉しいよ」
それはまあ、必死だったからな。アンジェのことは私も好きだから、そこを嬉しがられるのは変な感じだ。
「さて、と。アンジェがいつ起きてもいいように病人食でも作るか。果物も欲しいな。ミコト、手伝ってくれるか?」
「分かった。料理はしたことがないが、果物なら用意できるから、そっちは任せてくれていい」
「……買い物したことあるのか?」
意外そうな顔で聞いてくるエルの発言が意外だ。
「わざわざ買わなくても、森で採ってくればいいだろう。そちらの方が新鮮だ」
「……いや、まあそうだけど」
「大丈夫だ。私の足なら、そう時間はかからない。この家は立地的に、森に近いしな。行ってくる」
「無理はするなよ? お前にとっちゃ森は家みたいなもんなのかもしれないが、お前よりも強い魔物もたくさんいるだろ。怪我なんてしたら怒るからな。怪我するくらいなら、店で買った方がずっとましだからな」
私よりも強い魔物なんていないがな。私があの森の主だ。だが、心配されるというのは悪い気分ではない。
「ああ、気を付ける。ありがとう」
門を通った方がいいのか迷ったが、面倒だし、人型の私はこの町に入った記録もつけられていないので、町の周りの柵を越えることにした。一メートルと少しの高さしかない柵など、ないも同然だ。軽く飛び越した。
わざと街道は通らず、町から少し離れた巨木の陰で九尾に戻る。ツヴァイテイルでも人型でも力が制限されていたので、本来の姿というのは気分が良かった。思いきり伸びをしてから、私が寝床にしていた森の奥までダッシュする。景色が飛ぶように過ぎていく。ああ、気持ちいいな。
あっという間に森の最奥近くまで着いたので、アンジェの果物を探すことにした。すべきことがあるというのは素晴らしい。たとえ、それが直接にアンジェの回復に繋がるわけではないとしても。
この森はかなり広く、ランク8の私を筆頭にランク5以上の魔物が複数存在している。森の奥に潜れば潜るほどそれらの寝床が増え、遭遇率も上がるので、人間はせいぜい森の浅いところまでしか入らない。それが、私が森の奥まで一気に駆け抜けてきた理由である。人間が入らないから、人間が欲しがるような果物が多く残っているのだ。
エルに借り、口に咥えて持ってきた袋に果物を入れていく。九尾の私の尻尾は自由に動く上に伸縮自在だが、果物のように柔らかく潰れやすいものを採るのはさすがに難しかったので、人型になって一つ一つもいでいった。どれが人間にとって価値あるものかは、アンジェの買い物についていったときに八百屋で見ていたので分かっている。あの時売られていたものを思い出して採っていくだけだ。まあ、多少間違えていても食べる前にエルが気付いてくれるだろうしな。
にしても、この私が人間のために果物採集とは、人生というのはわからないものだ。