Ⅱ エルトゥ
ハンギラン。
大陸エレストルを、南へ南へと行った所にある国。
だが、南だからといって気温が格別高いというわけでもない。そしてそれは、そこに住んでいる者にも見られる現象であった。
そこに住むものは大体においてが男は盗賊や人殺し、女は売春という職に就き、そして各々の街は麻薬などの薬物で溢れかえっている。
しかし、だからいって、ハンギランに住むものが全員そうという訳ではない。こんな荒れた国でも、常識を持った人間が数人はいるものだ。だがハンギランの者たちは大半が前者であるため、ここではその常識を持った者を『変人』と呼んでいた。
だが、その中にさらに奇妙なものを持ち合わせたものがまれにいる。人々はそれを『異人』と称するが、そんな彼らの中でも特に目立つ者がいた。
――エルトゥ。
エルトゥ・ティーヴァ・レヴェース。
ハンギランの言葉で『破壊』という意味のティーヴァという名を持つ彼女だが、なぜ目立つのか。それは、その姿を見れば一目でわかるだろう。
第一に、彼女の背だ。露出した背には、まるでカラスの羽を幾つも集めたような漆黒の翼が生えていた。そして第二に、そのうら若い豊満な身体を包む衣服。それはまるで夜の闇のような色で染め上げられている。
――そう、彼女は、『悪魔』だった。
古来から闇の象徴とされ、その力に魅せられた者を必ず死に至らしめる、絶望、死の神。
悪魔は戦いのために血が多く流れた地で産まれ、そしてその母となるものは、その子を産み落とすと同時に自らの命を失うことになるといわれているが、それはエルトゥも同じだとは思ってはいる。
しかし彼女は普通その種族なら持っていないはずのものを持っていた。
肉親。
悪魔とは父親がいなくても、血の多く流れたところに住んでいた女性がごくまれに妊娠する訳だから、彼女一人になってしまうはずだ。それに、もし仮に兄弟などがいたとしても、悪魔はそれらをすぐにその手で殺めてしまうという。
が、それにも関わらず、エルトゥには肉親がいる。――しかし、いるとは言っても彼女はそれを実際に見た訳ではない。ただ、風のうわさで『どこかに〈レヴェース〉という姓の者がいる』というのを聞いただけで、正直なところ彼女にも、その肉親というのが兄なのか、果たして妹なのか、それとも何なのかはさっぱり解っていなかった。
無論、それが誰か、どこにいるかなどのことは全くわからない。
――だが、彼女も本心のところ、その人に会ってみたいとは思っていた。そしてそのエレストル中ではまれにしか見られないという〈レヴェース〉の姓を持つ者の情報を得たとき、二十歳の誕生日を迎えた日にそれを探しに旅立とう、と心に誓ったのだ。
……今日は十二月十六日。明日で二十歳だ。エルトゥは翌日の出発に向け、部屋の荷物をまとめる事にした。
寝ていたベッドから飛び降りると、部屋の中の物から旅に必要そうなものとそうでない物を分けにかかる。
――作業をしている途中、ある思いがふと彼女の頭をよぎった。
その肉親とやらが、本当に自分の身内なのだろうか。それに、もし仮にそれが本当にそうだったとしても、あたしはその者に会って何をしたいのだろうか――?
……そんなことを考えながら、残ったものは無いかと辺りを見回したとき、小さなペンダントが目に入った。
細いチェーンに、小指の爪の大きさくらいの黒真珠がはめ込まれた質素なペンダント。
エルトゥはそれに吸い付けられるように手を伸ばす。チェーンの澄んだシャラッという音が、耳に心地よく響いた。……ふと彼女の口から言葉が漏れる。
「母さん――」
それっきりエルトゥは何も言わず、ペンダントを首に回した。冷えたチェーンが首を撫でるのと同時に小さな机へと顔を向ける。
その机には、一つの小さな写真立てが立っていた。その中には、優しい目をした一人の少年が写った写真が入っている。
彼女はそれをちらっと見やると、きびすを返して玄関へと向かった。
――ちょっと、散歩でもしてこよう。気が晴れるかもしれない。




