はじまり
日本は、国家ではなくなっていた。
東京国を管理する巨大AI〈Mother〉。
完璧な制御社会の裏側で、
記録されない侵入が始まる。
通常ログには残らない領域。
0.3秒後に削除される痕跡。
静かに広がっていく“侵食”。
それは、
戦争ではない。
気付いた時には、
すでに国家そのものが書き換えられている。
これは、
東京国崩壊までの記録。
時代は、正にAI時代。
現在の日本は、
「大阪国」と「東京国」という二大国家に分断されていた。
各道府県は、
どちらのAIに支配されたかによって従属し、
独裁的な地方国家として存在している。
⸻
東京国・防衛管制室
「きっ……来た!」
次の瞬間——
ファーン! ファーン! ファーン!
甲高い警報音が、室内に鳴り響く。
同時に、天井の赤色灯が激しく点滅した。
赤、赤、赤——
断続的に染まる視界。
空気が一気に張り詰める。
「栃木が攻めてきた! かなり強いぞ!」
「早い! もうエリアAを突破された!」
キーボードを叩く音が、警報にかき消されそうになりながらも鳴り続ける。
カタカタカタカタ——
「防ぎきれない……!」
「……えっ!? もうエリアBも……?」
一瞬、誰かの手が止まった。
「やばい……駄目だ……」
赤い点滅の中、全員の顔が強張る。
⸻
「誰か! 澤田さんを呼んでくれ!」
「はい!」
永田は弾かれたように走り出した。
廊下に飛び出す。
「澤田さーん!!」
警報音が、どこまでも追いかけてくる。
⸻
奥の事務所。
場違いなほど、静かだった。
「な〜に? 呼んだ?」
のんびりとした声。
「いた……!」
永田は駆け寄る。
「澤田さん! 栃木から侵入です!
もうエリアBまで突破されてます!
このままだと、母体システムが——」
「栃木?」
澤田は、わずかに首を傾げた。
「……なんで?」
緊迫感の欠片もない反応。
「まぁ、いいか。貸して」
⸻
澤田は椅子に座る。
軽く指を鳴らした。
パキパキ。
「あー……さてと」
ゆっくりと、キーボードに手を置く。
カタカタカタカタ——
警報音が鳴り続ける中、
そのタイピングだけがやけに静かに聞こえる。
——数十秒。
誰も、何も言わない。
ただ、見ている。
⸻
カタカタ……カタ。
——ピタッ。
その瞬間。
ファーン……
…………
警報音が、止まった。
赤く点滅していた警告灯も、静かに消える。
室内に残ったのは、
不自然なほどの静寂だけだった。
⸻
「終わったよ。もう大丈夫」
あまりにも軽い声。
——本当に、今ので?
永田は、すぐに理解できなかった。
(えっ……?)
ゆっくりと、モニターに目を向ける。
そこにあったはずの侵入ログが——
ない。
さっきまで、あれほど暴れていた痕跡が、
まるで最初から存在しなかったかのように、消えている。
「……嘘だろ」
喉が、ひくりと動く。
気づけば、息を止めていた。
——ゴクリ。
唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた。
(なんだ……これ)
(どうやってるんだ……?)
理解が追いつかない。
だが、ひとつだけ分かる。
——この人は、別格だ。
背筋に、ぞくりとした感覚が走る。
その瞬間。
永田の中に、確かな感情が生まれた。
(すごい……)
(俺も、いつか——)
目が、離せなかった。
⸻
この時代の戦争は、軍事力ではない。
内部戦争。
いかに相手のシステムへ侵入し、
いかにAIを掌握するか。
それが、すべてだった。
⸻
正午
「あー、お腹空いた」
さっきまでの緊張が、嘘のようにほどける。
「永田くん、ご飯行こー」
「あ、はい!」
(……さっきの人と同一人物か?)
「澤田さん、何食べたいですか?」
「うーん……今日はねぇ」
少し考えて——
「天ぷらと、チョコバナナ!」
「……え?」
(その組み合わせ、あり?)
思考が一瞬止まる。
⸻
「昨日オープンした定食屋があるんですけど……」
「天ぷらはあるの?」
「あります」
「チョコバナナは?」
「……ないと思います」
「じゃあダメだな〜」
「えぇ……」
⸻
「じゃあ食後に喫茶店で——」
「移動めんどい」
カタカタカタカタ……
「見つけた」
「天ぷらもチョコバナナもある店」
「ここ行こう」
「……早っ」
(だったら最初から……)
言葉を飲み込み、少し笑う。
⸻
定食屋
「いらっしゃい!」
二人はカウンターに並ぶ。
「天ぷら定食と、チョコバナナ二つ!」
「はいよ!」
⸻
翌日・正午。
「澤田さーん! 今日もチョコバナナ行きません?」
「えー、今日はあんみつ気分」
「また変わった……」
⸻
店にて。
「ところで澤田さん」
「どうやってあんな事できるようになったんですか?」
「ん? あぁ、あれ?」
「小さい頃からPC好きでさ。全部独学」
「独学だからこそ、変な発想できるのかもね」
「いろんなことに興味を持って気になることはすぐ調べる」
「それが一番だよ」
「……なるほど」
⸻
永田はスマホを取り出す。
(澤田……)
検索。
表示されたプロフィール。
⸻
澤田 拓巳
25歳/栃木県宇都宮市出身
小6でプログラミング大会優勝。
その後、数々のウイルス対策ソフトを開発。
代表作「ウィルスマスター」は
世界大会で金賞を受賞。
⸻
(やっぱり……すごい人だ)
「何見てるの?」
「あっ」
「それ俺じゃん」
「気になること、すぐ調べてみました!」
「そこ調べるんだ、普通」
くすっと笑う澤田。
⸻
こんな穏やかな時間の裏側で——
誰にも知られない領域。
東京国・Motherコンピュータ深部。
《Phase 1 : Complete》
その表示は、0.3秒後に消えた。
記録には残らない。
誰も気づかない。
それでも——
もう、始まっている。




