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日本仙妖譚 ― 現世と幽世のはざまで、かぐや姫と桃太郎の時代に仙人を目指す ―  作者: 紅連山


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第8話 赤穂火塩

【仙蛙の取引と霊塩の知識】


 正雪は、霧獣法流へ向かう山道を歩いていた。彼の腰には師の印籠、そしてその傍らには、河童の壺が揺れている。壺の中には、図らずも彼の囚人となった潮音女、梨花がいた。


 旅の道中、正雪は満月ごとに襲いかかる胸の痛みの原因について、梨花に尋ねた。


 「梨花さん、満月の日の胸の痛みを直す方法は知っているか」


 「教えたら、何かあげるか」


 正雪が梨花からの返事を待つより早く、蛙の翠夏が、壺の中から口を挟んだ。


 「何か欲しいものがあるか」


 正雪は、この抜け目のない「西瓜ちゃん」の介入に慣れたのか、怒ることもなく、真摯に梨花に問いかけた。


 「壺から出たいわ。でも、出してくれないだろう」


 梨花は皮肉に言った。


 「それはできないが、他のものはないか」


 正雪は真面目に聞いた。


 翠夏は再び口を挟んだ。

 「正雪よ。お前、梨花のために良いことをしろ。壺の中には、ほとんど淡水であり、塩分は少ないんだ。梨花が生活しやすいために、塩の霊材を探してくれれば、梨花は喜ぶはずだ」


 「それは何?」


 正雪と梨花が、初めて利害が一致し、口を揃えて聞いた。


 「三大霊塩さんだいれいえんって聞いたことがないか。赤穂火塩あこうひえん雪見月塩ゆきみづきえん鳴門潮塩なるとうしおえんだ。それを使って、壺の中の一層の水を海水に変えることができる。そうすると、本体が阿古屋貝である梨花の霊力を養うことができる」


 梨花は、その提案に耳を傾けた。確かに、淡水の中に閉じ込められているのは、彼女にとって霊力を枯渇させる行為だった。


 「どのように入手すれば、良いか。それと、海水になってしまうと、翠ちゃんは生活しにくくない?」


 正雪が翠夏を気遣うと、蛙は胸を張った。


 「大丈夫。壺の中には、何層も空間があって、一層だけを海水に変えれば良いのじゃ。塩を探す場所はもちろん、海だ。水避け術を教えるから、海に潜りなさい」


 「代わりに、何かあげないといけないだろう」


 正雪は、翠夏の考えをすべて見通したように言った。翠夏はにやりと笑う。


 「いいえ。正雪からもらうじゃなくて、梨花からもらうのだ。皆に取って良いことだろう」


 そして翠夏は、こっそりと梨花に耳打ちした。梨花は、しばらく黙考した後、ゆっくりと返事をした。


 「分かった。わたくしは正雪に胸の痛みの解決方法を教えてあげる。正雪は、霊塩をくれる。公平な取引よ」



【水避けの術と火塩採集の道】


 正雪は、翠夏から水避け術を学んだ。それは、全身の霊力を薄い膜のように皮膚表面から放出することで、周囲の水を押し退け、水中でも呼吸を可能にする、蛙の技の一つだ。


 正雪はすぐに術を習得し、海へ向かうことにした。三大霊塩のうち、鳴門潮塩と雪見月塩は遠いが、赤穂火塩がこの地の海岸に近い場所で採れるという。


 海辺へ着いた正雪は、水避け術で海に潜った。霊力で編まれた透明な空気の膜が彼を包み、海底へと降りていく。


 翠夏によると、赤穂火塩は、海底深くに自生する火霊珊瑚の表面にくっついて結晶化している。海虫を使って採集するのは便利だが、火霊珊瑚は名前の通り、霊火の力を宿しているため、普通の海虫は近づけない。


 「採集するには、火霊海虫の手伝いが必要だ」


 翠夏は壺の中で指示を出した。


 「まず、深い海底にいる海胆うにを割って、火霊海虫を集める。海胆は火霊海虫にとって最高の餌だ」


 正雪は海底の岩場を探し、巨大な海胆を見つけると、霊力を凝縮させた指先で殻を割った。濃厚な匂いが青い水流に乗って、周囲の暗闇から、無数の小さな光点が集まり始めた。それが、火霊海虫だ。


 海胆を貪り食う火霊海虫の群れを、正雪は霊力で編んだ籠の中に誘導した。そして、その群れを赤い光を放つ火霊珊瑚へと導く。


 「海胆を食べた後の火霊海虫は、火霊珊瑚を舐める習慣がある。その際に、体内で精製された火塩の結晶を分泌する。玉子の大きさの結晶を一万個集めれば良い」


 正雪は、その途方もない作業に、思わず乾いた笑いを漏らした。だが、自らの因果を断ち切るため、黙々と作業を続けた。火霊海虫が珊瑚を舐めては排泄する、玉子ほどの赤い結晶を、一つ一つ霊力の袋に集めていく。



【波のリズムと潮音珠の呼吸】


 正雪は、半月を海辺の修行に費やした。夜は海底で採集、昼は水避け術の維持と疲労回復。その甲斐あって、ついに一万個の火塩の結晶を集めた。


 「みどりちゃん、梨花さん。赤穂火塩の結晶だ。一万個、集めてきたぞ」


 正雪は草庵に戻り、一万個の火塩の結晶を壺の口から静かに流し込んだ。壺の奥で、強い霊力の波動が走る。


 翠夏はすぐに壺の中の第二層の空間に霊力を集中させ、水を海水へと改造した。彼自身は第一層の淡水に留まった。


 第一層の静かな池と異なって、第二層は海の音が、壺の内部から響く。青く、さざ波の光を反射する小さな海となった。


 海の妖であり、本体が貝殻である少女・潮音女・梨花が、この生活する層について、「非常に満足よ」と喜びの声を上げた。 


 「外には出られないが、中の塩の濃度加減は完璧だわ。赤穂火塩に含まれている火の霊力も心地いい」


 正雪も、約束を終えた安堵から、丁寧に小魚や海草を採ってきて、壺の第二層に入れてやった。天性楽観的な彼女は、すぐに現状に溶け込んだようだ。


 「ありがとう、正雪。これで当分は問題ないわ」


 梨花は、約束通り、潮音珠の扱う仕方を正雪に教え始めた。


 「あなたの胸の痛みは、潮音珠の霊力が、外の大潮と共鳴することで起こる。それを鎮めるには、海と同じように呼吸することよ」


 「海と同じように?」


 「そう。分かりやすく言えば、波のリズムと同じように、呼吸することだわ」


 正雪は目を閉じた。吸い込む霊気を大潮とし、吐き出す霊気を引き潮とする。体内の潮音珠の霊力を、外の世界の無限の霊力と調和させるように、ゆっくりと、深く、呼吸した。


 その瞬間、体内の潮音珠が、激痛ではなく、静かな、波打つような波動を返し始めた。これは、道斎が教えた「万物と共に在る道」の、具体的な実現方法だった。


 「だが」と梨花が続ける。


 「潮音珠は力と同時に――運命を変える宝。今までは痛みだけで済んだ。だが次の満月では、もっと大きな変化が起きるかもしれぬ」


 「変化……?」


 「それはまだ読めぬ。ただ一つ言えることは――」


 彼女の瞳が深海のような冷たい輝きを宿した。


 「潮音珠を持つ者は、ただの人間ではなくなる。」


 正雪の心臓がひとつ鼓動を打つ。


 波が岩を砕くように、胸の奥で霊珠がかすかに鳴った。


 翠夏が跳ねた。


 「よし!飯だ。飯!修行は腹が減る!」


 正雪は、新たな力と因果と共に、霧獣法流への旅路を再開した。


 「ありがとう、西瓜ちゃん。ありがとう、梨花さん」

 彼の心には、確かな希望が灯っていた。


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