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日本仙妖譚 ― 現世と幽世のはざまで、かぐや姫と桃太郎の時代に仙人を目指す ―  作者: 紅連山


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第23話 天熊嶺の激戦:正雪VS神道巫女

【潮鳴と神鏡の狭間で】


 潮鳴法螺による音波の猛攻と、祀花の神楽鈴と御神鏡による神降ろし・反射の応酬は、凄まじい熱量を持って競技場全体を包み込んでいた。


 正雪の術は、まさしく「潮鎮術」の真髄。潮の奔流、水の渦潮、そして宝器の共鳴が、空間を支配し、霊気そのものを己の意のままに捻じ伏せようとする。彼の動きは、一見すると荒々しい波涛のようだが、その実、潮の満ち引きのような規則性と計算に裏打ちされていた。


 しかし、祀花は別格だった。


 潮の攻撃が向かうたび、彼女は一歩も動かず、ただ静かに舞う。その舞は、神楽の型に基づいた、厳格かつ優美な動作であり、彼女の周りに絶えず渦巻く白い霊符、すなわち《千紐結界》の術式に、新たな霊力を注ぎ込んでいた。


 「《神楽の御幣・招霊の儀》!」


 御幣が一閃。空中の潮の渦に、純粋な霊光が叩き付けられる。光は潮渦の核を正確に穿ち、その運動エネルギーを霧散させた。正雪が放った二つの巨大な水龍は、霊光を浴びた瞬間、まるで熱された水滴のように、一瞬で霊気の霧へと変貌した。


 「潮の霊力を、純粋な神気で分解した……!」


 正雪は驚愕を隠せなかった。彼の霊術は、霊脈から引き出した「水」の精妙な操作による。それを、概念そのものを否定するかのような神聖な力で打ち破られる。これは単なる霊力の差ではない。術の「格」が、彼の法流の限界を超えていた。


 「参ります、正雪様」


 祀花はなおも優雅に微笑んだまま、手に持った神楽鈴を天に向けて掲げた。鈴の音色は、もはやただの音ではなく、霊文を形成する楔となっていた。


 「――《神降りの舞・八紘霊縛》!」


 空中で、無数の霊光の紐が編み出される。それは祀花の千紐結界の霊符が変形したものであり、まるで天から降り注ぐ光の糸のように、正雪の周囲を縫い合わせた。


 正雪の視界が、光の網に覆われる。身体全体が、重力とは別の不可視の力に縛られる感覚。彼は慌てて霊力を最大限に練り上げた。


 「クルル!」


 正雪の霊鳥クルルが、彼の霊力に反応し、彼の衣の奥から飛び出した。クルルは朱色の霊光をまとい、その鋭いくちばしで霊縛の紐を突き破ろうと試みる。


 ピィィッ!


 クルルの放つ音波と朱光は、確かに祀花の術にヒビを入れた。しかし、結界はあまりにも緻密に編み込まれており、一瞬の亀裂はすぐに修復されてしまう。


 「霊鳥……。強力ですが、神道の八紘霊縛は、存在そのものを縛るものです。」


 祀花の言葉が、正雪の内心に突き刺さる。神道巫女の術は、この世の理そのものに干渉する。対して、正雪は自然霊力、特に「潮」と「水」の力を借りて展開する。この場所、すなわち天熊嶺の霊域では、祀花の術が圧倒的な優位性を持っていた。



【越えられない壁】


 正雪は、このままではジリ貧になると悟った。この霊域での防御戦は、彼にとっての敗北を意味する。


 「潮鳴法螺!全霊力を込めて、波動を打ち破る!」


 正雪は喉の奥が張り裂けんばかりに霊力を法螺に流し込んだ。潮鳴法螺が、それまでとは比較にならない、世界を砕くかのような轟音を上げた。


 ブゥゥゥォォォォォォォォォン!!!


 音波の津波が、結界に激突。霊縛の光の紐が、千切れる寸前の軋みを上げる。祀花の白装束が、風圧で激しく翻った。


 この一瞬、祀花の表情に初めて緊張の色が走った。 「《御神鏡・天奏返光!極光増幅!》」


 彼女は御神鏡を、正雪の放った波動の源に向かって突き付けた。鏡が放つ光は、もはや白い霊光ではなく、太陽の中心を思わせる純金色の光へと変貌した。


 正雪の放った全霊力の音波が、御神鏡に吸い込まれる。そして――次の瞬間、その倍以上の力を持った光波として、正雪へと反射された。


 キィィィィィン!!


 光波は、正雪の霊核を直接打ち抜くかのような衝撃を伴い、彼を襲った。正雪は本能的に両腕を交差させ、全身の霊力を防御に回した。


 「《定海印》!」


 彼の周囲に、霊水の壁が幾重にも立ち上がる。しかし、鏡の光波は、その霊水の壁を紙切れのように引き裂き、正雪の肉体を強打した。


 「ぐっ……がああああ!」


 正雪は血を吐き、激しく後退した。防御を貫かれた衝撃が、彼の内臓と霊脈を激しく揺さぶった。霊魂はかろうじて無事だったが、霊力の流れが完全に乱され、全身の骨が悲鳴を上げている。


 彼の宝器である潮鳴法螺が、光波の衝撃で手から弾け飛び、地に落ちて鈍い音を立てた。



【終曲:潮は還る】


 正雪は、膝から崩れ落ちそうになるのを堪え、泥のように重い身体で立ち上がった。彼の霊力はほとんど枯渇している。手元には、クルルを護衛として残すのみ。


 一方、祀花は、白装束に一片の乱れもない。神楽鈴を静かに振り、彼女の瞳は、静謐な菫色の輝きを増していた。


 「正雪様。もう、十分です。あなたは、弐階の強者だ。しかし――」


 祀花は言葉を区切り、御幣を再び構えた。


 「――神道の道は、理の道。あなたの法流は、この霊域を支配することはできません。」


 次の瞬間、祀花は静かに目を閉じ、しかしその瞳を再び開いたときには、すでにこの世のものとは思えぬ霊光が宿っていた。


 「《神降りの舞・天岩戸開あまのいわとびらき》!」


 術の名を唱えた刹那、天熊嶺一帯の霊気が轟音もなく反転し、奔流となって祀花の身へ集束した。背後の天空に、巨大な”光の扉”が開かれたかのような幻影が映る。それは、霊域そのものの力を借りた、絶対的な霊圧だった。


 天岩戸開の霊圧は、雷霆のごとく正雪へと注ぎ込んだ。霊魂を直に押し潰す霊威。霊脈が一本ずつ軋み、断たれていく。


 もはや抵抗しようにも、正雪の肉体は限界という境地すら超え、破綻寸前だった。


 (……ここで、終わるのか?)


 正雪は震える指で、懐から河童の霊壺をつかんだ。だが、胸を刺すような直感が走る。


 ——ここで全てを晒すな。

 ——勝つことより、実力を隠すべきだ。


 理由も、根拠もない。それでも、霊魂の奥底が警鐘を鳴らしていた。正雪は、取りかけた霊壺をそっと仕舞い込んだ。


 正雪の掌に、かすかな流光が集まりはじめる。青潮の霊が螺旋を描き、ひとつの“潮刃”を形づくる。それは、彼が今出せる、最後の、渾身の潮の力だった。


 《潮鎮術の第四式ーー破潮刃》


 彼は、震える手でそれを祀花に向かって放った。


 だが、その霊力の刃が祀花の身体に到達する前に、天岩戸開の神威が、彼の肉体へ最終の圧を叩き込む。破潮刃は術形を保てず、空中で激しく歪んだ。水滴へと砕け、ぽたり、と地へ落ちる。


 「……ッ!」


 正雪の身体から力が抜け落ち、霊脈の悲鳴を最後に、完全に硬直した。地面へ崩れ落ちる音だけが、場に重く響く。


 護衛霊獣・クルルは、主人の敗北を感じ取り、痛切な鳴き声とともに彼の胸もとへ駆け寄った。


 祀花は御幣を静かに収め、深く息を吐いた。その瞳には、勝者としての気負いではなく、ひとつの戦いを終えた者の清澄な静けさがあった。


 「……勝者、伊世花大社、祀花。」


 審判の力強い声が、競技場全体に響き渡った。観客席からは、歓声と、惜しむ声が上がった。


 正雪は、倒れたまま、薄く目を閉じていた。


 (やはり、破潮刃はーーまだ”刃”として完成していないのか。)

 その言葉を胸に沈めたまま、彼の意識は闇へ落ちていった。


 最高位の観客席。熊野彩弥香は、並び立つ各競技場を見下ろしながら、その紅い唇に、ほとんど消えるほどの——しかし冷ややかで、美しい微笑を浮かべていた。


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