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漆黒のハリケーン  冤罪ボクサー ルービン・カーターの復権

作者: 滝 城太郎

私がルービン・カーターのことを初めて知ったのは、高校時代にスポーツ雑誌のボクシング特集で「やらかしたボクサー」の一人として紹介されていた記事を読んだ時のことである。ボクサー時代の写真のカーターは見るからに凶悪そうで、殺人なんて朝飯前だろうなどと思ったものだが、その時の印象が強かったので、カーターが無罪になったことがニュースになった時は、すぐにあの強面のボクサーのことだと思いだした。

 ルービン・カーターは黒人差別の激しいニュージャージー州クリフトンに七人兄弟の四番目として生まれた。カーターは黒人であるがゆえに不遇の人生を強いられた人々の氷山の一角に過ぎないが、生まれながらにしてファイターだった彼は、その不条理な世界の中で十六ラウンドまで戦い、黒人たちにとって意義ある白星をもぎ取った。

 彼の人生最初のアンラッキーは十一歳の時に訪れた。自分と一緒にいた友人に悪戯をしようとした白人男性と喧嘩になり、思わず護身用のナイフでその男を刺してしまったのだ。実はその白人は少年愛好家の変質者として警察からも追われていた男だったのだが、黒人であるがゆえに正当防衛が認められず、少年院に収容されることになった。

 この判決に納得のゆかないカーターは、一九五四年に少年院を脱走し、アメリカ陸軍に入隊した。基礎訓練を受けた後、西ドイツに駐留したが、そこで学んだボクシングが彼の人生を大きく変えることになった。

 一九五六年三月、まだ任期を残しながら不適格者の烙印を押されて除隊となったカーターは、少年院を脱走したことが発覚して、残りの刑期を全うさせられた後、本格的にボクサーとして身を立ててゆくことを決意した。

 ルービン“ハリケーン”カーターのリングネームでデビューするや、一七三cmというミドル級にしては小柄な体にもかかわらず、左右の拳に凶器のようなパワーを秘めたカーターは、文字通りリングに“黒い旋風”を巻き起こした。前科者という過去に加えてスキンヘッドで人相も悪いためリングでは悪役そのものだったが、立ち塞がる相手は全て拳で粉砕してきた。

 デビュー二年で十二勝二敗(十KO)という高いKO率もさることながら、そのほとんどは二ラウンド以内に決着をつけており、殺気に満ちた戦いぶりは、様々な差別によって蓄積された怒りの捌け口を対戦相手に向けているかのように見えた。


 カーターの世界ランキング入りは早かった。一九六二年十月二十七日、世界五位のフローレンティノ・フェルナンデス(キューバ)から開始早々に右ショートでカウント2のダウンを奪うと、今度は右、左、右のコンビネーションでエプロンまで叩き出し、わずか六十九秒でナックアウト。ABCテレビで中継されたこの試合はカーターにとってのテレビ初登場であると同時に、翌月付けで世界ランキン

グ入りする初物づくしの試合となった。

 それにしてもデビューから一年数ヶ月、わずか十五戦のキャリアで激戦区であるミドル級で世界ランキング入りというのは当時としては異例の速さである。その後もホリー・ミムズ、ジョージ・ベントン、ジョーイ・アーチャーといった世界ランカー相手にほぼ互角の戦いを演じた(二勝一敗)カーターは、世界ランキング二位にまで進出。一九六三年の暮れには、一九六三年度エド・ネイル賞(年間最優秀選手賞)を獲得した世界ウェルター級チャンピオン、エミール・グリフィスとノンタイトルで激突することになった。


 後にミドル級も制し、世界タイトル獲得五度という偉大な記録を打ち立てることになるグリフィスは、『MSGの帝王』の異名を取る当代一の人気ボクサーである。半年前に三度目のウェルター級王座に就いたばかりだが、将来的にはミドル級進出を目指すグリフィスにとっては、そのテストマッチとも言うべき大事な試合だった。

 フットワークの良いグリフィスに足を使われると分が悪いカーターは、一ラウンドから“ハリケーンパンチ”をフル回転して人気王者に襲いかかった。一分四十秒過ぎ、至近距離での揉み合いからブレイクで分けられた瞬間、がら空きの顎に左フックを浴びたグリフィスはたまらず腰から崩れ落ちた。タフなグリフィスが早々とダウンしたことで呆気に取られている観客をよそに、カーターはグリフィスを一気にロープ際に押し込むと体ごと叩きつけるような左ショートでコーナーに沈め、レフェリーストップ。

 グリフィスの長いボクサー生活の中でKO負けは二度しかない。二度目の相手はミドル級歴代トップ3に入るカルロス・モンソンだが、最初の対戦で十四ラウンドにストップされた時は一度もダウンを奪われておらず、グリフィス自身もまだ余力が残っていたとコメントしているほどで、二度目の対戦も接戦の末の判定負けだった。あのモンソンの“ライフルストレート”をもってしてもダウンを奪えなかったグリフィスをかくも無残に打ち据えたのはカーターだけである。

 バージン諸島出身でハリケーンには慣れているはずのグリフィスを木っ端微塵に打ち砕いたカーターは、まさに規格外の超大型ハリケーンだった。


 二ヶ月後、後に世界ヘビー級チャンピオンとなるジミー・エリスにも圧勝したカーターは、そのピークパワーを維持したまま、ジョーイ・ジァルディロの持つ世界ミドル級タイトルに挑戦した(一九六四年十二月十四日)。

 序盤はカーターのものだった。左フックを警戒して左に左にと回りこむジァルディロを捉えたのは四ラウンドだった。左フックを顎に浴び、腰砕けになったジァルディロがなりふりかまわず逃げ回り始めると、カーターの黒い槍のような左右がうなりを生じて白い生贄を追撃する。

 もし、ここでジァルディロがグリフィスのようにバックステップだけでラッシュを凌ごうとしていれば、たちまちロープに詰められ、凶器のような左の洗礼を受けていたに違いない。しかし百戦以上のキャリアを持つジァルディロは無理にパンチの射程外に逃げようとせず、ヘッドスリップ、ダッキング、ウィービングを駆使して追撃弾を最小限に食い止めた。

 エリス戦の終盤でも、パンチの内側に入ってボディブローを突き上げるか、パンチの交換時に交差した腕をホールドすることで連打を食い止めるエリスを攻めあぐねているシーンが見られたが、それがカーター攻略のヒントになったのかもしれない。

 突進力は凄まじいものの、比較的攻撃が単調なカーターは一見押し気味に試合を進めているようで、パンチの的中率が悪く、次第にスタミナを消耗していった。

 九ラウンド以降はジァルディロのラウンドだった。中間距離からの左をヘッドスリップでかわしながら左ショートを合わせるジァルディロにカーターは次第に打つ手がなくなっていった。その後は大した盛り上がりもないまま試合は終わり、判定は三対〇でジァルディロに上がったが、新聞社の中にはカーターの勝利を支持するところもあり、この時のジャッジをめぐる議論はその後数十年にわたってしばしば蒸し返された。

 要は、カーターの威力はあっても命中率の低いパンチと、ジァルディロのディフェンス技術とパンチの正確さをそれぞれどう評価するかである。ジァルディロは派手な打ち合いが見せ場の一つでもある中量級のチャンピオンにしては、“魅せる”より“勝つこと”に重きを置きすぎたように思う。ジァルディロの勝利がコールされた時、歓喜の数と同じくらいブーイングが巻き起こったのは、相当数のファンが物足りなさを感じたからであろう。

 業界権威No1の『リング』誌も、「ジァルディロはフィラデルフィアを出てタイトルを賭ける気があるか?」とこきおろしているが、これは再三地元判定で救われてきたジァルディロが、試合後のインタビューで「俺は誰とでも戦う。ただしフィラデルフィアでだ」と何とも滑稽な大口を叩いたことに対するファンの声の代弁に他ならない。

 ジァルディロの目尻を切り裂き、前半はほぼ一方的にチャンピオンを攻め続けたカーターの評価はさらに高まり、敗北にもかかわらず、世界ランキングは二位から一位へと上昇した。


 勝負の年であるはずの翌一九六五年、カーターは五勝四敗(五KO)と急激に失速した。もしかすると単調な攻撃パターンが研究され尽くしたのかも知れない。格下相手には豪快なKOで快勝するものの、上位ランカー相手となると頼みの左が不発に終わり、ポイントアウトされることが多くなった。

 五月二十日にMSGで行われた前ミドル級チャンピオン、ディック・タイガーとの一戦は、そんなカーターの欠点がもろに露出した典型的な試合だった。

 体型といい左に強打を秘めたファイティングスタイルといい、一見よく似た両者だったが、カーターが左の一発に依存し過ぎるのに比べると、タイガーは強弱をつけたコンビネーションが中心でパンチの命中率が高い。序盤から両者は激しく打ち合ったが、カーターの大振りのパンチはほとんどが単発で、それをかわしざまタイガーが繰り出すボディブローと左フックを再三浴び、早くも劣勢に絶った。

 二ラウンド、タイガーの左で二度ダウンを奪われたカーターは四ラウンドにもダウンを追加され、あわやKO負けのピンチだったが、ここからは打ち合いを避けて足を使い始める。しかし悲しいかな、カーターのアップライトからのジャブは単調かつ単発で、ダッキングを交えながら上下にジャブを散らすタイガーの左リードとは雲泥の差があった。タフなカーターを倒すことは出来ないまでも、内容的に圧勝したタイガーは、次戦で早速ジァルディロからミドル級タイトルを奪回すると、さらにはライトヘビー級まで制し、『アフリカの虎』の名を満天下に知らしめることになるが、世界ミドル級チャンピオンの最有力候補だったカーターはこの試合で大きく評価を下げ、世界へのチャレンジの機会も再び訪れることはなかった。

 

 一九六六年三月を最後に世界ランキングからも滑り落ちた失意のカーターに、追い討ちをかけるような事件が起こった。 

 一九六六年六月十七日の深夜、カーターの自宅近くのバーに二人の男が押し入り、バーテンダーを含む男性三名と女性一名を射殺するという事件が起きた。運悪く周辺を車で通りかかったカーターとファンの男性は職質を受け、後日、強盗殺人事件の容疑者として逮捕されることとなった。

 裁判ではカーターの無罪を主張は受け入れられず、目撃者の偽証や差別的偏見に満ちた十二人の白人陪審員たちの策謀によって終身刑を言い渡された。再審請求がなかなか通らなかったのも、カーターの前科や好戦的な性格、刑務所内での刑務官に対する暴力などが司法当局の心象を悪くしていたからに違いない。


 黒人差別を禁止する公民権法が公布されてから八年後の一九七五年、カーターは檻の中から一冊の本を上梓する。『Sixteenth Round(第十六ラウンド)』のタイトルがついたこの本は、カーターがこれまで受けてきた差別と無罪の主張が綴られた自伝小説だった。この自伝の出版はカーターを支援するムハマド・アリやボブ・ディラン(カーターをテーマにした楽曲『ハリケーン』をリリースした)らの再審運動と結びついて、黒人街での抗議デモにまで発展したが、控訴審でも有罪は変わらず、やがてカーターの事件は人々の記憶から消えていった。自暴自棄に陥ったカーターは全ての人々との連絡を絶ち、絶望に身を任せた日々を送るようになった。


 ところが、『第十六ラウンド』に感銘を受けた一人の少年がカーターの人生を変えた。アルコール依存症の両親の元で虐待を受け、カナダ人夫婦に救われたレズラ・マーティンという黒人少年は、冤罪によって人生を奪われながらも気高さを失わないカーターを自らの境遇に重ね合わせ、励ましの手紙を送るようになった。

 やがて二人の文通が始まると、互いに励ましあうようにカーターは無罪放免に向けて活動を再開し、レズラはカーターのように冤罪によって服役している人々を救うために弁護士を目指して猛勉強を始めた。読み書きもろくに出来なかったレズラは、やがてカナダ最大の名門トロント大学に合格。修士課程修了後に弁護士となり、カーターと共に冤罪事件に取り組んだ。

 一九八五年に晴れて無罪放免となったカーターは、カナダで冤罪救援団体の責任者として活動を始め、同じく元ボクサーで強盗殺人の容疑で収監中の袴田巌にも励ましの手紙を送ったという。袴田も後に死刑判決が破棄されて釈放となったが、事件が起こったのは奇しくもカーターと同じ一九六六年六月のことだった。


 一九九九年、デンゼル・ワシントン主演の映画『ハリケーン』の大ヒットによって再びカーターがスポットライトを浴びたことは、冤罪で苦しんでいる人々やその家族にとって大きな励みとなったことだろう。

 リングネームの由来は、ハリケーンのごとく現れ、対戦相手を次から次へと倒し、その様に観客がハリケーンのように熱狂したことに加えて、本人の「ハリケーンは美しい」という思いから付けられたと言われているが、復活したハリケーン“カーター”は無実の人々に降りかかった冤罪を粉々に粉砕する大暴風となった。


カーターの無罪が証明されたことで「ああ、よかった」では済まされない。本当の強盗殺人犯はまだどこかでぬくぬくと暮らしているかもしれないからだ。あるいは犯罪がばれなかったことで調子にのって同じようなことを繰り返した可能性もある。そういう意味では袴田事件でも、警察幹部が誤認逮捕したことを謝罪するだけでは足りないのだ。真犯人をみすみす逃した当時の捜査員たちは、退職金と年金の一部を冤罪を支援する団体に献金すべきだろう。

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