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第五話 お茶会で突然に

 小学生の夏休み、私は一人、京都のこの家に預けられていた。おじいちゃんはまだ現役で仕事をしており、私の相手は主におばあちゃんがしてくれた。


 昔は会社の社員さんがお昼を食べに来ていたので、おばあちゃんと竹さん二人でそのまかないをつくっていた。


 まだ土間だった台所に立つおばあちゃんの背中に向かって、九九や百人一首の暗唱をしていた。手はせわしなく動いているのに、私が間違えるとすぐに訂正する。


 暇ができると、休むことなく商売道具の糸でかぎ針編みを教えてくれた。小学生にはすこし難しかったけど、面白くていっぱいいろんなものを編んだ。でも、中学にあがってやめた。


 昔をなつかしむように、最近またかぎ針を持つようになった。


                    *


 なんか、耳元で鳴っている……。


 今日は日曜日。非リアの私に予定があるわけもなく、目覚ましをセットした覚えもない。深夜まで、まだ提出期限が十分あるレポートを仕上げていた。


 もっと寝たい。でも、何かが鳴っている。

 枕元をゴソゴソと探ると、スマホが手にあたる。タップして耳元にもっていくと、


「雪深、まだ寝てんのかいな。はよ起きて下の奥の間にいってくれ。はよはよ!」


 とおじいちゃんの切羽詰まった声が、聞こえてくる。

「はよはよ」と連呼されても、私の思考は京ことばの連呼を理解できない。


 奥の間へというミッションだけ理解し、布団からのっそりと起き上がる。幅の狭い急な階段をもたつきながら降りている最中に、またおじいちゃんの声。


「奥の間のみずやの引き出しに、こにしはんの包みに入ったふくさがあるから、それ持ってきて」


 みずや? こにしはん? ふくさ? どこへ? 頭の中をあまたの疑問が駆け巡る。


「おじいちゃん、どこにいるの?」


「何寝ぼけてんねんな。今日は浄福寺でお茶会や言うてたやろ。袱紗ふくさ忘れたから、届けてくれ」


 ふくさはお茶道具の袱紗か……。


「誰かに、借りたらすむ話では」


 日頃世話になっているくせに、日曜午前八時半のお願い事はなかなか素直に聞けない。


「あかん。今日使おう思て、小西はんで新調したんや。絶対その袱紗しか嫌や」


 お気に入りのくまのぬいぐるみじゃないと眠れないの。そうだだをこねる子供といっしょだ。


 私は睡眠をあきらめ、這う這うの体で一階奥の間にたどり着き、ふすまをあける。奥には黒光りする仏壇。そして、おばあちゃんの遺影。


 おはよう、おばあちゃん。


 部屋を見回しはたと気づく。「みずや」って茶箪笥のことか。

 見当をつけ、ひきだしを開けた。その間もおじいちゃんは、新調した袱紗の自慢話を孫にえんえん垂れ流す。


 空色の包み紙に、「茶道具小西康」と書かれた箱をやっと探し出した。包みをはがし、中をあけると、金茶の西陣織の袱紗が入っていた。そう告げると、


「それそれ。浄福寺までお願いな。ほな」

 とここで、電話はあわただしく切られたのだった。


 京都人が多用する「ほな」。子供の頃不思議な呪文のように感じた言葉だ。標準語で言うところの「では」に近いのだろうか。しかし微妙にそのニュアンスは違う。


 私は「ほな」の呪文に操られ顔だけ洗い、身づくろいをはじめた。髪にアイロンをあてるどころか、化粧もせず目深にキャスケットをかぶり、自転車で浄福寺まで疾走した。


 家から歩いて五分ほどでつく浄福寺。自転車をかっとばし、浄福寺の赤門をぬける。


 境内で自転車をおり、塔頭が並ぶ土壁沿いを進む。きょろきょろと辺りを見回すと、石畳が続く奥からおじいちゃんは手を振りながらやって来た。


 紺鼠色こんねずいろの長着に縦縞の袴姿。どっからどうみても立派な京都の旦那衆ルックだ。さすがは食事には頓着しないが、着倒れの京都人。


「いやあ、かんにん、かんにん。おおきに、おおきに」


 まったりとした口調で、謝辞を連呼されるとささくれた心が、落ち着いてくるから不思議。京都人はこうやって、千年以上かけて処世術を熟成させてきたのだろう。


 早起きは三文の徳と心にきざみ、袱紗を渡しミッション終了。いそいそと帰ろうとする私に声がかかる。


「そうや、こないだ言うてたつまみ細工の人な今日来たはんで。ちょっと待ち」


 そういうとおじいちゃんは、立派な本堂の前にたむろする着物の集団に声をかけた。


「あるはーん。おるかあ!」


 あるはん? 何その銀色の玉を連想する呼称は。マダムの呼称にしては個性的すぎるんですけど。


 集団からはなれ、一人こちらへやって来た。遠目でも、マダムではないとわかる。その人は、濡れ羽色の長着に袴姿。男性だ。それだけでも意外性十分なのに、松並木の下だんだん近づいてくる人影に私は度肝をぬかれた。


「こちら、あるはん。あれ? 本名なんやったかいな」


 おじいちゃんはおちゃめな事を言い、その男性を見あげる。


「アルフォンソ・デ・トーレスです。またお会いしましたね、雪深さん」


 河原であった、命の恩人にしておじいちゃんが言うところの悪い虫が、淡い朝の光を受けそこに立っていた。


 つまみ細工作家さんが、外国人イケメン手芸男子とか、設定もりすぎ。

 私はとっさにキャスケットのひさしをずりさげ、人違いをよそおう。


「なんや、もうすでに知り合ってる感じ?」


 合コン幹事のようなことを言うおじいちゃん。というか、先日気をつけろって言ってた悪い虫を自ら紹介するってどうゆうこと。


 あっ、悪い虫って勝手に思っているけど、名前を聞いたのなんか社交辞令であって、このあるはんのお国ではナンパとかそんないかがわしい行為ではないのだきっと。


 こわごわ、ひさしと前髪の隙間からあるはんを盗み見る。

 着物を着こなす異国の王子は、朝日がまぶしいのかそのヘーゼルの瞳を細め、私を見おろしていた。


 あっだめだ。固まった。


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