第十九話 覚醒
両手を広げ背中からベッドへ倒れこむ。高級マットレスは私をやさしく受け止めてくれた。
「あの時私、死んだはずなのに。何で今ここにいるんだろう」
「雪深は死んでない!」
アルの怒った声がする。おかしいな。これってはずい黒歴史で、今笑うとこなんだけど。
「やっぱり怖かったのかな。気が付いたら、ベランダで倒れてた。空を飛びそこねちゃった」
見上げた視界に、彼の手が伸びてきて、私の手をつなぎ引き起こす。
腰かける私の前に、膝を折る冷たさを感じるほど整いすぎた顔。
まいったなあ、イケメンは今も昔もこりごりなんだけど。
私を見つめるその金の瞳から、透明な液体が盛り上がり、涙袋の堤防をこえていく。真珠のようにうつくしい涙がこぼれはじめた。
ちょ、まっまって……普通ここで泣くの私でしょ。
混乱する私は息もできないほど抱きしめられ、あっという間に彼の体温に包まれる。
「よかった。今ここに雪深がいて。ほんとによかった」
おーい、反則だ。こんな心のガードをワンパンする行為、キュン死にさせる気か!
せっかく気持ちよく酔っぱらってたのに、今のセリフで素面になった。
別に、どおってことない話じゃない。勘違い中学生のいたい恋バナしただけなのに。それで不登校になっちゃうばかみたいな話なのに……。
笑ってよ。ばかな私を笑ってよ。
それなのに、生きてるだけで私の存在全肯定。
こんなの、こんなの……泣くなって言う方がおかしいだろ。
なんなんだいったい。この耳元でおいおい泣く人を心底愛しいと思う感情は。
いったい誰のもの? 勘十郎? それとも雪深? もうわけわかんない。
私の平たい顔からとめどなく涙があふれだした。その涙に呼応してよしよしと、背中をやさしくトントンされる。
二人の溶け合う体温とそのリズムが、私の内に閉じ込め鍵をかけ、忘れていたものを呼び覚ます。
自分が何者であったか。目の前の愛しい人が誰だったか。
脳内に鮮やかによみがえる、懐かしくも悲しい四百五十年前の記憶。
真っ赤なもみじに手を伸ばした秋晴れの空。
駆け回りはしゃいだ声。つないだ兄上の手のぬくみ。焚き染めた香の匂い。
すべて、私の過去におこったこと。忘却の彼方から、戻って来た私の記憶。
そうだ、いま思い出した。私は織田信長の弟、勘十郎信行だった。
こんなに、大事なことを忘れてたなんて。やっぱり私はとろいなあ。
こわごわ広い背中に手を伸ばす。手のひらに彼の変わらないぬくみを感じ、愛しさから手に力が入った。ふと、リズムを刻んでいた彼の手がとまる。
やだ、やめないで。
「ねえ、もっとして」
なんちゅう甘えた声だ。自分の声に鳥肌がたつ。でも、まっいいか。勘十郎は兄上が大好きで、甘えただったもんなあ。私が甘えても許されるよね。
それなのに私の言葉に反して、彼はぱっと体をはなした。タワーを臨む窓まで歩いていき、ガラスにおでこをくっつける。
私に向かって手のひらでストップのジェスチャー。
なんで? 私そんな変な事言ったかな。
「ちょっと、理性が崩壊しそうなんで、そういう事言うのほんとやめて」
兄上はまじめだねえ。白いシャツの背中がぶれている。
「今日は、いけないことするって言ったよね私」
ふいに額をガラスからはなし、彼は私をみつめる。雄のフェロモンだだもれの顔をして。
その顔の上にだぶってみえるもう一つの顔。面長の美しい顔。織田家は美形の家系だった。
墨でかいたような弧をかく眉。切れ長の意志の強さがにじむ双眸。高すぎる鼻梁。記憶の中の兄上の顔。
ちょっとそういうの隠してほしいな。ますます泣けてくる。
ゆっくりゆっくり、アル(おおかみ)が近づいてくる。これは、くわれるな。ごくりと唾をのみこんだ。
大きな手が私の頬にふれ、あごのラインをなぞる。お尻から脳天にかけ、一気に何かが駆け上がった。
「本気で言ってる?」
身を震わす衝動に従い、私はすなおにこくんとうなずいた。
うなずいた途端、鳥の羽がふわりと落ちるようにベッドに押し倒されていた。
秒ですか……なんて女のあつかいに慣れてらっしゃるんだ。いやこの人は前世で男のあつかいにも慣れてたな。
ベッドに二人分の重みが加わり、彼の体重と体温が、はらはらと体へつたわってくる。
こつん……おでことおでこがくっついた。ヘーゼルの瞳の奥に、もう一つの瞳が私を見ている。
ちっちゃい頃、こうやって、おでこくっつけて遊んだね。そしてにらめっこをはじめるのがお決まり。絶対私が勝った。おかしな顔をする私に、兄上はどんぐりみたいに目を丸くして笑ったね。全部覚えてる。
大好きだった兄上。
なんで私を殺したの?




