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序章

 やすらかな夜のしじまにいつまでも身をゆだねていたくて、暁の光にそむき、私はあえかな夢を見る。すぐに忘れてしまう些末さまつな夢を。


 夢の中の私はきまっておさない男の子。遠い遠い何時の時代かわからない、大きなお屋敷に住んでいる。男の子にはやさしい兄がいて、いつも二人はいっしょ。

 遊ぶ時も馬に乗る時も、剣術の稽古の時も、学問をしに近くの寺へ行く時も。


                  *


「兄上、今日は山に遠出しませんか? 」


 手習いをしていた男の子は正座する足の指をもじもじとさせ、はしゃいだ声を少し押さえながら兄に言った。隣に座る兄がいなやと言わないことをわかっていて。


 案の定、微笑びしょうしながらうなずいた。兄は男の子より二つばかり年長だが、物腰柔らかで大人びた言動をとる。見目も麗しく、肌は白く切れ長の目は殊更、その聡さを強調していた。男の子にとって自慢の兄上だった。


 庭で遊んでいたまだ字が書けぬ弟が、縁先えんさきにかけてきて舌足らずな声で言う。


「我もいきたい。兄さまたちだけずるい」


 少女と見まごう容貌の弟に言われては、男の子の心はぐらりとゆれる。しかし意を決し強い口調で言った。


「おまえはだめだ。馬に乗れぬではないか」


 兄上を独り占めするには、この弟をおいて出かけるしかないのだ。

 縁先に出て、兄は弟の頭をなでてやる。


「そなたは、留守居るすいじゃ。ただの留守居ではないぞ。母上をおまもりする役目をつかわす」


 そういわれた弟は、ぴょんと縁側に上がり、母上の居室へかけていった。


 従者をつれた二人は、馬を走らせ紅葉がはじまる里山へ。馬を降り、手をつなぎ歩く二人の足元で、枯れた下草がカサカサと音をたてた。その音が気にいったのか、男の子は袴をはいた足を大きくふり上げ、力強く大地を踏みしめる。


 ふと見上げると、一本のもみじの木が赤いにしきをまとい、そのきらびやかな姿を二人に見せていた。


「兄上、燃えているように美しいです」


 男の子はつないだ手をひっぱり、同意を求めるように、その秋晴れの空を映した瞳を兄へと向けた。


坊丸ぼうまるは、風流がわかるのだね。では、この散った落ち葉は火の粉かな」


 そういうと、降り積もった赤い葉を兄はすくい上げ、坊丸の頭上にまき散らした。とたん、坊丸はキャーと甲高い声を上げ兄の周りを逃げ回る。お返しとばかりに小さな手のひらにたくさんのもみじの葉をつかみ、兄へと投げつけた。


「熱い,熱い。してやられた」


 兄はそう言って、坊丸から逃げ出した。二人は落ち葉を拾っては投げ、拾っては投げ、ひとしきりその遊びを繰り返す。空に舞い上がる無数のもみじは、二人の周りを赤く染めた。まさに、火の粉が降り注ぐがごとく。


「あのまだ落ちてない、もみじがほしい」


 青い空に浮き上がる赤い葉を指さし坊丸は、天を仰ぎ息を弾ませ兄に言う。あの一番きれいな葉を弟の土産にしようと思ったのだ。


 うつり気な坊丸に慣れている兄は袴についた枯葉をはたきながら、従者を呼んだ。


「私が自分で取りたい」


 兄は口の端を下げ、わがままを言う困った弟を、首をかしげかるく睨む。睨まれた坊丸は、怖がるどころかその兄の顔を見て心の内で喜んだ。兄は、弟をたしなめても、かならずわがままをきいてくれる。


 わがままを言い、受け入れてもらう。それだけの事だが、坊丸のすべてを兄に受け入れてもらったような気がして、胸の内がぽかぽかと暖かくなる。幼い坊丸は言葉にできぬこの気持ちを味わいたくて、わざと兄を困らすのだった。


 兄がかがみこみ、坊丸を肩に乗せ担ぎあげた。身の丈が倍に伸びた坊丸は兄の頭上で歓声を上げる。何時も見上げる兄の頭を今、見下ろしている。


 少しだけ兄に追いついた。普段見る事のない兄のつむじが愛おしくなり、つむじごと頭を抱え込む。


 少し傾いた日の光を背に受け、二人の姿が一塊ひとかたまりの影となり地面に落ちる。その影を見た坊丸は兄と一つになれたと思い、うれしくて楽しくて、誇らしくより強く兄の頭にしがみつく。


「坊丸、危ないではないか、前が見えぬ」


 兄はそう言って、ふらふらと足元がおぼつかなくなる。無理もない、兄と坊丸の年の差は少し。体格も兄が少し大きいだけなのだ。危ないといっているのに、坊丸は兄の頭を離そうとしない。とうとう兄はたまらず、坊丸ごと倒れこんでしまった。


 したたか背中を打った坊丸は火が付いたように泣き出した。あわてて従者が駆け寄るが、それより早く兄が坊丸の体を抱え込み、けががないかあちこちまさぐる。どこにもけががないことが分かると、兄は一つ大きく息を吐き、坊丸の泣き顔を睨みつけた。


「ばか! 頭を打てば死んでしまうのだぞ」


 兄の怒鳴り声に、坊丸の涙はすぐさまひっこんだ。そのかわり、兄の目から涙がとめどなく流れ落ちたのだ。よかったよかったと何度も言う。坊丸を抱きしめながら。


 兄の泣き顔なぞ見たことがなかった坊丸は、もう涙が出ていぬ目を丸くした。どんなに怒られても、剣術の稽古で痛い目をみても、兄は唇を一文字にひきむすび、一滴の涙もこぼしたことがない。


 それなのに、自分の愚かな行いが兄を泣かせてしまった。兄に抱きしめられ、汗のにおいと焚き染めたこうのにおいが鼻の奥へと流れ込み、ツンと熱くなる。申し訳なさと兄への思慕しぼが胸からせり上がり、再び涙となって流れ出した。


 坊丸の泣き声に兄は、赤子をあやすようにトントンと背をなでてくれる。その手の温みと心地よい律動がより坊丸を泣かせたのだった。


 従者が屋敷まで走り、その場に母をつれて来るまで、二人はひとつの岩のように抱き合っていた。


                  *


 すりガラスから差し込む光がまぶしくて、私は目を覚ます。

 今どこにいるのだろう。あのくれないに彩られた里山にいたはずなのに。さめていく夢が意識の端っこを握ったままはなさない。


 起き上がると、一滴の涙が頬をつたいぽとりと膝に落ちた。涙がパジャマの布にしみこみ、私の夢も胸の底へ消えていく。涙の訳もわからぬまま。


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