俺は碧を愛しているから 21
この白梅学園は基本的に受講する授業を選択できる。しかしそこに自由度はなく、一限はこの三択から選べ――や、この授業を選んだら、この曜日の三限は強制的にこの授業だ――など、見せかけの自主性を掲げている。
さらに同じ教科を選択しても、一組と一緒に受けられることはなく、原則として六組は四組の人間と五組の人間としか合同授業はない。二組と三組がセット。一組だけは独立している。
そして一組から六組の共通科目は、それぞれのクラスで行われるため、俺と真希が交わることはない。
階段を上る。
六組が使っている講義室は三階にある。二年生や三年生と関わることはほぼ無いが、上級生も同様にその講義室を使こともあるが、基本的に六組の教室と呼ばれることが多い。こんなに広い学園だ。教室の数は多い。それぞれのクラスでもそのような専用教室まがいが存在しているのだ。
ていうか、最近、怜を見かけてない。まあ二年生とか、三年生の教室とは離れている。仕方がないことだ。
「どうだ?一組は」
三階までだ。道は長い。弟の近況でも聞いておこう。
聞くと、さっきまの馬鹿話をしていた笑顔がどこかに消えて、悲しげに笑みを浮かべた。笑うしかないという感じだった。
「一組に入れたのはいいんだけどね、みんな頭がよくて、強い。追いつくので精一杯」
「嘘だ~。あの碧が?謙遜してるだけじゃねえの?」
「そんなことないよ。今、僕は、自分の実力不足を実感してる」
俺が見る限り、真希にはかなわないが、碧もかなりの神力の持ち主だ。巧にも茜にも負けていない。そして碧の戦闘スキルは、この俺が太鼓判を押すほどだ。ほら、今だって神技をこんなにもうまく使いこなしている。
「自信持てよ。いつも母さんと特訓してきたじゃねえか。それにググとも。ググなんて龍神だぞ、龍神。どんなに偉いのかは知らねえけど、碧は特別に修行つけてもらってただろ?」
「それでもだよ……勇者の学園のトップを張る人たちなんだ。ポッと出の僕が適うわけなかったんだ」
「いやいや、ちょっと待て。そんなナイーブになるほど、お前は弱くないって……どうした、急に」
「僕は弱くない。それは分かるんだけど、みんなが強いんだ。神力も大きいし、神技だって……僕みたいな、母さんのまねっことは違う」
おいおい、この一週間で何があったんだ?ぼこぼこにされたのか?一組に?
だって巧やら茜やらだぞ?そんな強くなさそうだったぞ?真希は強かったけど、それでも俺が本気を出せば勝てる相手だ。
「何かあったのか?」
「なにも無いんだ。劇的なことが何も。ただみんなすごいな~って思う日々で、それがあんまり面白くないんだ」
あんなに学園に行きたがっていた――あんなに勇者になりたがっていた碧がこんなに打ちのめされるとは……。なにも無いだけで、こんなになるはずがないけどな……何かあって――
ふと、自分の思考の言葉に引っ掛かりを感じた。
あんなに勇者になりたがっていた……か。
「ちょっと出るぞ」
俺は眼を赤くして、碧の壁をぶち破った。パリンッなんて効果音はなく、そこになにも無かったかのように俺の体は自由になる。
着地して、尻に着いた芝生の砂を軽く払う。誰かが掃除してくれるので、遠慮はしない。
「ちょっと姉さん!」
「仕方がないだろ。ちょっと体勢きつかったし」
「そうやってサボる気?」
「サボらねえよ。でも、お姉ちゃんとしてやることができたんでな」
俺は階段の途中――踊り場のすぐ傍で腰を下ろした。
「ほれほれ、隣座んなさいな」
碧は俺の誘いに口角を上げ、下げて、険しい顔をした後に、ため息をついて力を抜く。表情豊かでよろしい。
「わかったよ」
隣に座る。
「なあ、碧よ」
「なに、姉さん」
「お前が思っているよりもな、勇者つーのは高尚なものじゃない。例え、母さんがそこに所属していて、活躍していてもだ。憧れるのは分かる。でもな、勇者たちを外から見ているようなら、考え直せ。自分はもう勇者の輪の中――内側にいることを理解しろ」
まだ碧にとって、勇者はなるものではなく、なりたいものなのだ。だから、自分を外に置いて、俯瞰して勇者を見ようとする。自分も勇者の卵だと自覚していない。
でも仕方がない。
それは仕方がない事なのだ。
碧には勇者に対する強い憧れと共に、ひどい劣等感と引け目がある。それは俺たちが半魔だということ。碧に流れる僅か血が、自分を勇者たらしめることができないのだ。
「なあ、碧よ」
「……なに、姉さん」
「大丈夫だぞ。お前には俺がいるんだから。何かあったら、俺がお前を助けてやる。失敗したら、俺がトイレットペーパーになってやる」
「ケツを拭くって言ってよ」
碧は悲しそうに笑った。まだ整理がついていないのだろう。
一週間、ずっと心のもやもやを抱えていたのかもしれない。もしかしたら、姉さんと離れて寂しくなっちゃってかのかも!
……あり得る話だ。
さっきから碧の様子は少し変だった。俺と話しているとやけに楽しそうだったし、わざと歩くスピードを落としていたし、さっきも座れって言ったら嬉しそうだったし。
もしかしたら、授業を抜けてきたのも、俺に会いに来るためだったのかもしれない。もしそうだとしたら、可愛い弟だ。
碧は近くにある窓をから空を見ている。センチメンタルになってるな~。
もっと姉さんと一緒にいたいよ~。
もっと姉さんと話していたいよ~。
姉さんのいない教室に帰りたくないよ~。
多分そう思ってる。こんな情けない感じではないかもしれないが、そんな類のことは思っているに違いない。姉弟だからな、それくらい分かる。
俺が碧と一週間ぶりに話して、郷愁を感じていたように、碧も実家に帰ったかのような気分になっていたのかもしれない。そのくらい俺たちは一緒にいることが当たり前だった。
「安心しろ」
「姉さん」
「俺もすぐにそっちへ行くよ」
パチクリ、パチクリと大きく瞬きをする碧。
別にこれは伝えなくてもいいことで、本当はサプラーイズ!したかったのだが、弟がこんな調子では仕方がない。
「どういうこと?」
「俺も一組を目指すって言ってんだ」
「え―――」
ちょっと恥ずかしい。
頑張らなくてもいいって豪語していたのに、一週間でこの変わり様だ。この心境の変化の内訳とか聞かれたら、真希のこととかでちょっと怒られる気がするし。これも数分経てば、撤回したくなるだろうし。
うーん、今、言わない方がよかったかもな~
「本当に!姉さん!」
そんな考えは一瞬にして吹き飛んだ。
弟のこんな笑顔を見てしまえば。
「やる気になってくれたんだね!やった!やった!やったー!」
碧は立ち上がって、ステップを踏みながらガッツポーズをして喜ぶ。そんなに嬉しそうにするなら、お姉ちゃん冥利に尽きるね~。俺の心中穏やかではないのだけど。
「姉さんも勇者になりたいって思ってくれたんだ!」
「それはまた別の理由だけども……」
ちょっと気まずい。
「いやいや!それでもいいよ、姉さんと同じクラスになれるなら!」
ズキンと心が痛む。
一組を目指すことは本心だ。嘘じゃない。
じゃあ何に罪悪感を覚えたのか。それは「姉さんと同じクラスになれるなら!」の言葉。裏庭からの一連のやり取りの中でも、見受けられた碧のシスコン度合い。俺もブラコンだけど、碧のは……少し頂けないな、と思った。
「どうしたの姉さん?」
「あ?いや、ちょっとお前、声でかいぞ」
「あ!ごめんなさい……!」
両手で口を塞ぐ碧。可愛いじゃねえか、うちの弟。こりゃ、女が寄ってくるぜ?
「それじゃあ、約束だからね……!絶対だよ……!」
「はいはい、分かった分かった。んじゃ、さっさと授業へ戻れ戻れ」
「うん……!それじゃあね」
喜びを隠しきれないまま、スキップするように、碧は階段を駆けて行った。
真希に一組に来いと呼ばれたあの日、正直面倒くさいと思っていた。学園は好きじゃないし、魔人の力は使えないし、殺しちゃダメだし、それじゃあつまらないし。彼女には何度も説得されけど、その度に断っていた。
「それじゃあ、私と殺し合いできないじゃない!」
なんて言われて、苦渋の思考の上で拒絶した。
しかしまあ、一度受け入れてみると、なんだかやる気が出てくるものだ。真希と戦うため、そして弟が笑顔で学園生活を送るために、少しは頑張ってみようかな?なんて思える。
溜め息をつく。
問題なのは、このやる気がいつまで持つのか、ということ。俺って結構燃えやすいけど、消えやすいんだよな。やる気もまちまちで、一気にやっておかないと後々後悔するタイプ。
それともう一つの問題は――落ちこぼれの俺が、どうやって一組に行くのか、だ。




