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45 月のない夜

 月のない夜だった。


 なんとも言えない胸騒ぎにふと目が覚めた。


 あたりを見渡すがこれと言って異常はない。


 面倒ごとはあらかた片付いた。あとは主人公の彼らに任せておけば良い。

 なのに胸がざわついて仕方がない。


 寝台から足を下ろし、バルコニーに出た。


「どうした」


 静かな抑えた声に顔を向ければザイがいた。


 私が眠っている時の、特に夜の見張りにはザイかゴウキが必ずいる。


 今夜はザイがいたらしい。


 周囲の空気に違和感がある。


「ザイ、警戒せよ。何かおかしい」


 ザイが側にいたであろう見張りに声をかける。


「ゴウキを呼べ」


 男は頷いて笛を口に咥えた瞬間だった。


 風を切って何かがこちらに向かって飛んでくる。

 それを全てザイが弾き落とした。


 甲高い笛の音が辺りに響き、俄かに辺りが騒がしくなる。

 続いて黒い複数のヒトが現れる。あちらこちらで剣戟の音が上がった。


 私目掛けて襲いかかってきた曲者をザイが切り捨てる。

 倒れ伏した黒い影の手の中から何かが転がり私の足元に散らばった。


 礫《つぶて》のように見えるそれがドス黒い紫の光を淡く放つ。

 光が強くなり、足元の空間が歪んだ。

 以前の神の御技ではない、ヒトが無理矢理歪められたものだ。


「フェイ!」


 ザイが振り返り、咄嗟に手を伸ばした。それを握り返そうとした手が空を切る。


 歪んだ空間の中から鋭い爪の生えた手が生え足首を掴まれたかと思えばぐん、と強い力で引きずり込まれる。


「フェイ!!」


 ザイが叫んだ。

 私はザイの名を呼んだ。声は届いたのだろうか。


 前にも似たようなことがあったなと思いながら意識が暗転した。




 §




 光の一切射さない空洞。辺りには朽ちた柱が幾本もあり、そこから伸びた呪帯が私の身体を縛る。宙づりにされ、僅かに足先の届かぬ地面には禍々しい色合いの見覚えのある魔法陣が敷かれている。


 機械仕掛けによる女神(デア・エクス・マキナ)の足元に敷かれていたものに非常に酷似しているが、あちらよりいくらかシンプルだ。


 恐らく、私という存在を封じる為のもの。私がどれだけ声を上げようと、きょうだいたちには私の声は届かない。そういうものだ。


「お目覚めですか? 巫女様」


 そう言って私の目の前に立ったのは学者風の男だ。

 見た事はないが、記憶にはある。


 麦わらを思わせる髪の色に癖の強い跳ねた毛先、そこそこ整った容貌に大きな眼鏡と散ったそばかすが年齢よりも幼く見せる。


 帝国から皇国へとその身を移し、方針の違いから袂を分ち主人公らの貴重な情報源となる学者を自称する男。


 名は、何といったか。


「はじめまして。僕はアークと言います。こうしてお目にかかれて光栄です。狭間の巫女」


 アークはそう挨拶し、人好きのする笑顔を浮かべた。

 だがその眼鏡の奥の目は笑っていない。


「ここはどこだ」

「皇国のとある場所、といいたい所ですが、とある遺跡とだけ。もう少し時間を貰えたら皇国まであなたをお招きできたのに」


 非常に残念です。


 とお道化たように肩を竦める。


「巫女様のお気に入りのお茶もこんなところではご用意もできない」

「何?」


 その物言いに引っかかりを覚え、思わず問い返せば、男はニヤリと笑った。


「あれ、結構手間暇かかってるんですよ。ブレンドも販路も」


 その言葉にゾッとする。


「あれは、何だ……?」

「ただの希少性の高い茶葉ですよ。ただ、ほんの少しあなたの嫌う呪を刻んだものを混ぜた、ね」


 そういって懐から取り出したのは茶葉の詰まった小瓶だ。


「随分と弱っているご様子だったので、ひょっとしたら効くんじゃないかと提案してみたのですよ。お食事にでも、と思ったのですが、あなたは食事を摂らないという。けれど身の回りの世話をする使用人がいればお茶ぐらいは飲むでしょう? 幸いコレはあなたに効くが人の身体には大した害はない。」


 茶を出す際のリラ達の顔が浮かぶ。こちらを気遣う優しい笑顔の彼女達。

 そんな彼女たち自身が出したものが私にとっての呪《どく》であったと知ったなら、どれほど悲しむ事か。


「何故、こんな事をする?」


「何故? 皇国の実験と成果を悉く駄目にした貴女がそれを言いますか」

「……」

「そもそも、貴女は何ですか(・・・・)?」

「何、とは?」


 言葉の意味が分からず思わず聞き返す。


「あなたの事は色々調べました。不老の存在『放浪の癒し手』『古き女神』『狭間の巫女』そして『最後の御使い』」

「……」

「最後のひとつは置いておいて、あなたはとても長い間この世界に存在している。人間とは違った存在。長い歴史を持つ種族はあなたをそのように呼びますが、神は地上を去って久しい。

 神との繋がりの深い中央教国という国がある以上、神の存在を否定しようとは思いません。けれど私にはあなたが神の一柱だとはとても思えない。ならば、神ではないと仮定して導き出される答えはヒトの手によって作り出された何かだ。

 古き文明の遺物《オーパーツ》、人造生命《ホムンクルス》、あなたはどうやって作り出されたのでしょうか」


 冷え切った瞳が私の目を覗き込む。

 そこにあるのは純粋な探求心。上位存在に払う敬意もなく、己と対等な存在に向ける目でもない。たまたま見つけた未知の物《・》がどういった由来で作られたのか、その構造を解き明かそうとする目だ。


 私はこの目をよく知っている。欲に眩んだ者らと並び、私を御使いではないと否定し、追い回していた者らと同じ目だ。

 そして、違った時間軸で私の身体を刻んだ者らの見せた狂気に近い何かをその瞳の奥に宿らせている。


 知識の探求の前には何をしても許されると信じて疑わない。そんな傲慢さに不快さが滲む。


「……私は、今まで一度も神を名乗った事はない。この身は神によって生み出されたもの。決してヒトの手によるものではない」

「ほう」


 アークの瞳の奥で光が瞬いた。


「長い歴史の中で神を称するものが作られた例は文献にいくつか残されているが、それが生み出した何かだと?」


 視線を下に彷徨わせ、ぶつぶつと独り言をつぶやく男に思わず眉が寄る。


「何を言っている、我が身の創造にヒトが関与した事などない」


 そもそも我が身がきょうだい達と共に生み落とされたのは、我らが神が世界を創り出すより前の事だ。


「ええ、ええ、そうでしょう。ヒトの関与しないところで『神』があなたを勝手に生み出した。つまりはそういう事だ」


 こちらの話がほとんど耳に入ってない様子で都合よく結論付けた男の目がこちらを向きにんまりと笑う。


「仮にあなたがもし、本物の女神の一柱だった存在だとしても、あなたはあまりにも弱すぎる。私は以前、たまたま(・・・・)中央教国の女神を目にする機会がありまして――」


 たまたまなどとは嘘だ。女神は限られた者の前にのみ姿を現す。それも易々と見せるものでもない。

 近いものでは『勇者』の資格を授かった青年の女神との謁見だ。

 教国に女神の加護が健在である事を知らしめる為に諸国から賓客を招く事があるという。

 謁見に立ち会える者はほんの一握り。

 中立の立場の教国と言えど、今の皇国の関係者をそんな神聖な場に招くとは考え難い。



「あの圧倒的な存在に比べるとあなたはあまりにも薄っぺらい」



 当たり前だ。まだこの世界が形成され始めた頃ならいざ知らず、形を定め育ち始めている世界にそんな状態であり続ければ世界は歪む。世界の成長に合わせていけば、自ずと薄っぺらくもなる事だろう。


 神の一時的な顕現程度ならばそれほどでもないが、御使いが本来の存在のまま地上に降り立てば世界の負担になる。


 あきらかにこちらを見下し、馬鹿にした口調に苛立ちを感じるが、その目はどこまでも冷静だ。

 こちらを挑発し、何らかの情報を引き出そうとしている事がわかる。


 そもそも、私が御使いでないという前提で話を進めるこの男には何を言っても無駄だ。


(さて、どうするか……)


 私はしばし考える。

 呪帯により身動きは取れず、魔法陣により力は封じられている。今のままではきょうだいに助けを求めようにも声は届かない。


 だが、呪帯も魔法陣もアレに比べれば不完全《・・・》だ。


 こちらも不完全《・・・》な状態にあるわけなのだが。

 今まで漠然と感じていた不調。それはもう一人の私による影響だけではなかった。

 この身の内に取り込んだ不和の力が私の安定の力を弱く、緩く、乱し続けている。


 私が外《・》へ向けて力を振るう力の制御が不完全なものとなるのが危ぶまれる。

 私自身の存在を本来のものに戻してしまえば世界に一時の負担はかかろうが、この不調も消えてなくなる。

 元来、御使いとは個として完成した存在だ。身の内の異常と異物は排除される事だろう。


 しかし、私の身の内を乱すのは忌々しい不和の呪だけではない。

 ヒトと触れ合う事で小さく沸き立つ様々な感情。

 それらを元に戻った(・・・・・)我が身が異常と判断して排除してしまわないかが心配になる。


 神は本来、私の前世の記憶のみを引きだそうとして人間の頃の感情も一緒に引きだしてしまった。本来必要なのは記憶のみで、この感情は不要なものだった筈だ。




 この時の私はヒトという存在をまだ甘く見ていた。

 この私に本当の意味で害を為せるヒトがいるとは思っていなかった。


 違った時間軸でヒトに捕まり、利用され、滅ぼされる未来の途にあった己自身を目の当たりにし、記憶と感情を共有したにもかかわらず。


 身の内に育ち始めた感情惜しさに躊躇うべきではなかった。


 躊躇いは捨て去るべきだったのだ。




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