第35話 シャスタ鉱山
夜も更けた宿の一室。
「……っ」
ザイは詰めていた息を吐きだし、壁に頭を預けた。
虚しい。
欲しい女は手を伸ばせば触れられる距離にいる。
フェイへのアプローチと襲撃を警戒している事もあり、宿はなるべく二人部屋を取っていたが、ある程度の安全が確保できる宿では部屋を別に取る事が増えた。
主にザイ自身の精神衛生上の問題だ。
旅装を解くだけとは言え、衝立一枚向こうで衣擦れの音が聞こえるだけで落ち着かない気持ちになる。気を抜けばうっかり襲いそうになる自身を引き止めるのに必死だ。
最近は特にそれが酷い。
壁一枚隔てた別室ですやすやと寝息を立てている彼女を思う。
宿を取ればフェイは眠る。
御使いは余程の場合を除いては眠る必要はないが、眠らないわけではないらしい。
人が午睡するような感覚のものに近いのかも知れないと、フェイは考え考え口にした。
御使とヒトの感覚の違いはいつも突拍子のない形で目の前に現れる。
ヒトの感覚からすれば、彼女はかなり鈍く大雑把だ。
喜怒哀楽の感情も薄い。ただ、嬉しい時に口元を緩めるその顔は見ていて飽きない。
元々が気性の穏やかな存在なのだ。激しい感情とは無縁なのだろう。どんな状況にあってもフェイは穏やかで冷静だ。
しかし、何かと彼女を気にかける銀の御使と比べれば、彼女は随分感情豊かな部類なのだとわかる。
フェイがその気になるまで辛抱強く待つのは彼女なりにザイという、本来のフェイにとっては取るに足らない存在に誠意をもって向き合おうとしてくれているからだ。
遅々としているが、確実に状況は進展している。
白霧の峡谷以降、フェイの態度は軟化した。
フェイを抱きしめる為にくだらない理由を考える回数が減った。
切っ掛けは嘆き女との語らいのようだ。
早ければ5年以内、遅くとも5年後には堂々とフェイを押し倒せるのだ。その最初の一年も半分を超えた。同じ待つにしても期間があるとないとでは気持ちの持ちようが全く違う。
ザイがどれだけ努力しても動かなかった彼女が動いたのだ。次に会う事があったなら、是非礼をしなければならない。
そう、確実に進展しているのだ。
ザイは焦る自身の心に言い聞かせる。
フェイの態度が軟化したとは言ってもザイの想いのほとんどは彼女には伝わっていない気がする。手応えらしい手応えが感じられないのだ。
こちらの想いの一欠片でも受け取って欲しいと思うが、あいにくと彼女の受け止める器が大きすぎて隙間を素通りしているのが現状だ。
ザイの愛とフェイの愛は違う。
彼女のお人好しな部分に付け込んで事に及ぼうと思えばできない訳ではない。
相手がザイならきっとフェイはそれさえも許す。それだけの確信はある。
だが、それは最終手段だ。
衒いのない信頼を寄せる彼女を裏切る真似は、できるならしたくない。
それでも側に寄れば香る甘い匂いや、身を寄せた時に触れる柔らかな感触がザイを誘う。
我慢が限界を超えそうになり、あらぬ場所に手が伸びそうになる事も多々ある。
それならばいっそ、娼館でどうにか誤魔化すのも一つの手かと考えた事もあったが、それがそもそもの失敗だった。
人里に入ればフェイの護衛はザイの他にもいる。
業腹ではあるが、衝動に負けてフェイに失望されるよりはマシである。
他の女が抱けない訳ではない筈だ。
試しに娼館に足を向けた事があった。単純な欲のはけ口としてなら問題ないだろうと思ったが駄目だった。娼婦を目の前にして一気に冷めた。整った顔立ちの良い女ではあったが、指一本触れる気も起きなかった。触れられるのも想像しただけで嫌だった。
これは駄目だな、と悟ったザイは金だけ払ってさっさと娼館を後にした。
問題はその後だ。
鬼の本能がアレではないと暴れ出した。
強烈な飢餓感に襲われフェイを渇望する。
ようやく治りを見せ、フェイの元へ戻れば純粋な笑顔で迎えられた。
何もなかったのに後ろめたさと後悔と罪悪感が半端なかった。
はっきり言えば地獄だった。
二度と行かない。
あと4年と3カ月と21日。
ザイはその期間が明けるのを指折り数えて待つしかない。
その間にフェイがどうこうなるとは期待していない。
ゴウキをして「ド天然」と言わしめた、あのフェイなのだ。期待するだけ無駄である。
§
灰色の厚い雲が天を覆う。
周囲の空気の変化を肌で感じ、これは雪が降るな、と改めて空を見上げた。
日の光すら遮る灰色の空に気分が沈む。
「フェイ、どうした」
「なんでもない」
そう言えばザイが手を差し出してくる。そこに手を載せれば握られ、手を引かれる。
「直に雪が降る」
「わかった。急ぐぞ、フェイ」
私達は歩き出した。
§
白霧の峡谷を超えて、数日も歩けば五花国に着く。
その五花国よりもさらぶ東端に黄土の荒れ地が存在する。
本来であればそこが次の目的地となる筈だった。
なのに、突然、別の事柄が気になった。
シナリオ通りであれば、皇国には最終兵器なるものが存在する筈だ。
機械仕掛けによる女神。
名を持たぬ旧き時代の女神とも旧文明の遺産とも言われてはいるが、その詳細は語られないまま終わった。
それを皇国が何処からどういった手段で手に入れたかはわからない。
皇国が誇る科学技術と帝国から入手した魔導理論を元に改造し、兵器への転用を試みる実験を繰り返したが故に壊れた女神の制御に失敗、暴走し、結果主人公たちに滅ぼされるのだ。
それが本物の女神の一柱であれ、旧文明が残した女神を模した何かであれ、望んでそうなったわけではない。元は争いを好まぬ気性の穏やかな女神であったらしい。
もし、救えるものなら救いたい。それが難しくともせめて状況と女神をこの目で確認したかった。
私が皇国へ行く事にザイは難色を示したが、反対はしなかった。
ただ、道中は必ずザイの指示に従う事を約束させられた。
特に逆らう理由もなかったので承諾した。
目的地へ向かう手筈はザイに全て任せた。
ヒトの事はヒトの子に任せるに限る。
これはザイと共に行動を取るようになってから学んだものだ。
ヒトには向き不向きがあるはずなのに、ザイはどんな事もそつ無く熟す。
ザイが繋ぎを取った密偵の手引きで私たちはノーザン皇国に入国を果たした。
ヴェストの密偵は皇国内のあらゆる場所に潜み、その動きを探っている。
いるのヴェストの密偵だけではないが、それは何処の国でも似たようなものだと言う。
目的地の近くの寂れた村の外れで夜を待ち、寝静まった頃合いを見て動き出す。
向かうはシャスタ鉱山、昔は貴重な鉱物が豊富に取れたが、取り尽くした今となっては廃鉱となった山だ。
坑道に入り、この山一帯を閉ざす。
外からはヒトは入れず、山の中の生き物の全てを深い安寧の眠りへと誘った。
完全に閉ざした事を確認し、安堵の息をついた。
閉ざした一帯を探ってみるが、呪印の反応はどこにもない。
女神らしき者の気配もない。
それにおかしさを感じながらもザイと共に奥へと進むとなんとなく見覚えのある広い場所に出た。
その光景を見て、私は思わずつぶやいた。
「馬鹿な……」
そこには女神はおろか、人一人いない。何も無い空間だけが広がっていた。




