競争に勝ち抜くために
第1部
1
20××年5月某日。ゴールデンウィークを明けたが人々は休日気分から抜け出せずにいる。本物語の主人公である立花俊平は東京都杉並区の阿佐ヶ谷駅近くにあるスナックあけみのカウンター席に座っていた。
まだ週前半の火曜日だというのに夜の時を図った店内には常連客を中心に半分以上の 座が埋まっていた。店内ではこのスナックの定番曲であるサザンのいとしのエリーを田島和夫が唄い終えたところであった。
「このスナックで唄えるのも、そう長くないかもな。」
田島は小さく呟いた。俊平には独り言に聞こえたため聞き流す。この日は大学2年になった俊平に大人の酒の飲み方を教えるということだった。しかし俊平はまだ19歳であるため、酒は控えている。
幼い頃に父親を失った俊平にとって田島はたまに面倒をみてくれる近所のおじちゃんといった存在であった。田島は阿佐ヶ谷西口商店街にある肉屋田島の主人である。俊平の母である明子も商店街の中で大衆割烹をアルバイトを雇いながら切り盛りしている。
俊平と田島は明子の店で夕食をとり、2軒目としてスナックあけみに来ている。田島は焼酎のロックを勢いよく飲み干すと、おかわりと強く言った。隣で他の客と話をしていたスナックのママであるあけみが俊平の前にやってきた。
「田島さん、いつもよりペースが早いんじゃないですか。」
「そんなことない。いつものペースだ。あけみちゃんも一杯飲んだらどうだ。わしの奢りでいいから。たくさん飲んでもっと綺麗になってくれよ。」
田島は酒の勢いのまま調子良く言った。
「綺麗を維持するって大変なんですよ。もうアラフォーですから。ここまでくると化粧とか小手先だけではどうにもならなくて。がっつり土台から整形するかもですね。」
あけみは豪快に笑いながら、山崎12年をグラスに注ぐ。
スナックあけみの経営者兼ママの青野あけみは俊平の母、明子の同級生だ。39歳とアラフォーというカテゴリに入るが、化粧映えする顔はまだアラサーと言われても通じそうだ。あけみと明子は高校、杉並のピンクレディーと呼ばれる程の美人コンビだったと地元では有名だ。
「あたしにご馳走してくれるのはもちろん嬉しいです。でも田島さんには俊平君にするもっと大事な話があるんじゃないですか。」
「ああ。えっと。そうだな。」
田島は喉に何か絡まったように、なかなか話が出てこない。
「僕に何かあるのですか。今日はお酒の飲み方についてだと思っていました。」
俊平は確認するように言った。
「もちろんそれが一番の目的だ。ただもう一つあってな。」
「もうまどろっこいな。あたしが知ってる範囲で教えてあげる。それはこの商店街が抱える共通の悩み。プライスマーケットのことよ。」
あけみはもう見ていられないとばかりに割って入ってきた。
プライスマーケットは東証一部上場企業で、関東を中心に展開する大手スーパーマーケットである。大量仕入れ大量販売により、どこよりも安くをコンセプトとしている。阿佐ヶ谷駅前にも支店があり、地元で知らない人はいない。
「プライスマーケットですか。あそこは昔から駅前にありましたよね。最近何か違ってきたのですか?」
「外資系の資本が入ったとかで方針が大きく変わったみたい。昔からこの商店街で客の奪い合いはあった。でもお互いに生き残れる程度に競ってきたの。」
「今までよりももっと安く売り出したとかですか?」
大学生である俊平は普段からスーパーに行く習慣がなく、何が起きているか知らない。
「うん。今までも商店街より安く売っていたのよ。けどその差はどんどん広がっているようね。それに商品ラインナップまで・・・」
その時、田島がカウンターを手で強く叩いた。
「あいつらは商店街の売れ筋商品を真似してより安く売ろうとする人だ。うちのミルフィーユチーズカツだって同じような品が総菜コーナーの一番手前に並んでいやがる。」
田島は悔しそうに言い放つ。
ミルフィーユチーズカツは肉屋田島のロングセラーだ。豚の薄切り肉を何層にも重ね、チーズを巻いて揚げている。俊平は小さい頃から好きでよく食べていた。
「ミルフィーユチーズカツ、すごく美味しいですよね。一つ180円でしたっけ。」
「160円だ。わしが店を出してから価格は1円も上げていない。消費税が導入されても豚肉の仕入れが高騰してもこの価格を守っていた。地元に住む人達のことを考えてやってきたつもりだ。」
「さすが組合長ですね。」
俊平は感心するように言った。田島は商店街組合の組合長をやっていた。
「プライスマーケットのやつらは同じ商品を98円で販売していやがる。商品名は地元で人気のミルフィーユチーズフライだ。しかもご丁寧に地元の店より39%OFFと書いてある。これはうちの価格を基に計算している。
明らかにわしの店から客を奪おうとしているだろ。こんなことが許されていいのか。大企業のくせして商売の倫理観や道徳なんてこれっぽっちもありゃしない。」
田島の声は次第に大きくなる。この話が事実なら、俊平の想像以上に商店街はプライスマーケットに苦しめられているだろう。
「他にも真似された商品はありますか?」
「もちろんだ。言い出したらキリがない。わしの店だけでなく魚屋も惣菜屋もみんな同じだ。看板商品のコピーがプライスマーケットで安く売られている。こんなことが続いていたら商店街は潰れてしまう。」
田島はまた焼酎のロックを勢い良く飲み干す。田島が熱くなる一方で俊平は冷静だった。 これをヤケ酒と言うのかもと関係ないことを考えたりしてしまう。さすがに悪いと思い話に戻る。
「今まで何か対策を打ったりしていないのですか?」
「もちろんやったよ。最近ポイントが流行っていたから真似してみたんだ。ポイ活ってやつだ。」
俊平は肉屋田島の肉ポイントは知っていた。明子がポイントカードを持っていたからだ。
千円毎に1ポイントが貯まる。カードの裏にスタンプを押すという原始的な仕組みだ。10ポイント毎に肉屋田島で使える500円分の商品券が貰えたはず。つまり1万円買うと500円の券が貰える。還元率は5%ということだ。
「それで効果はあったのですか?」
「最初は良かったんだ。常連客を中心に肉ポイントカードは広がっていった。半分以上の客が会計時にカードを提示する程だった。それで客の購買回数が増えて、売上は回復した。プライスマーケットが嫌がらせしてくる前までの水準とはいかなかったが。効果はあったと言える。」
「ポイントの力ってすごいですね。」
俊平は田島の話に合わせる。
「わしは組合長という立場から他の店にもポイントカードの導入を勧めた。弁当屋から八百屋、パン屋など多くの店が始めたんだ。」
「最初は良かったってことは、結果は悪いということですか?」
俊平は悪い結果の理由を聞きたかった。
「残念ながらその通りだ。多くの店がポイントカードを始めたら、客の財布がポイントカードで溢れてしまった。管理が大変だし、見た目も美しくないという理由でカードを財布の中に入れない客が増えてしまった。多くの客が会計時にカードを忘れるようになった。カードがなければポイントは貯まらない。次第に形骸化してしまったよ。」
明子が財布の中にあるカードを整理していたのを見たことがあった。俊平も肉ポイントカードは持っていなかったが、他のポイントカードで財布が膨らむ時期があった。
「ポイントを商店街で共通にしようとは思わなかったのですか?」
俊平は頭に浮かんだ案をそのまま口に出した。
「組合の会議でも共通ポイントカード発行でまとまりつつあった。1つのカードで済むから同じ問題は起こらないだろう。しかし魚屋のオヤジから横槍が入ったんだ。」
魚屋のオヤジとは戸郷信一のことだろう。戸郷は頭は良いがかなりの気分屋として知られている。田島とはいつも意見が対立し、犬猿の仲となっていた。
「あいつは共通したポイントカードを作って商品券を渡しても無駄だと言った。つまるところキャッシュドックで安売りでしかない。プライスマーケットに安売りで勝負しても勝てる可能性はゼロ。大量仕入れ、大量販売を商店街は真似できないと。」
確かに戸郷の意見はスジが通っている。俊平も価格でプライスマーケットに対抗するのは無謀だと思う。
「そしてみんな共通ポイントカード発行に消極的になってしまった。」
田島は悔しそうに言った。田島の悔しさはカード発行断念に対してだけではないだろう。プライスマーケットに対してまとまりかけていた商店街がバラバラになってしまったこともあるように見えた。その時、田島がカウンターのスツールから立ち上がる。そして俊平の方に頭を下げる。
「俊平君、プライスマーケットへの対抗策を考えてくれないか。まだ成人にもなってない君に頼むのは間違っているかもしれない。しかしわしには他に頼れる若者がいないんだ。」
「僕なんかに無理ですよ。社会にも出たことないですし。」
俊平は慌てて否定する。
「君が優秀であることは昔から知っている。商店街の中にはわしみたいな人生の折り返し地点を越えたジジイしかいない。これでは解決策が出ない。お願いだ。」
これだけ追いつめられている田島を見たことがなかった。
ただ俊平にはなぜ自分が解決するのか理解できない。田島のような肉屋ならプライスマーケットと競合するだろう。食品販売店にとっては死活問題だ。でも母の店は飲食店であるから関係ない。血の繋がりもない人を助けるほどのことなのか。田島には悪いが俊平は真剣に取り組む理由を見つけられずにいた。