51 素振り
赤き旋風。
轟く稲妻。
電光石火の如くひのきの棒を使いこなし、ボーガンから放たれた10本の矢をまたたく間に叩き落としたヴァルナ。
だが怯んだのは、ほんの一部。
何故ならここは狭い路地裏だ。
その神がかり的な剣さばき、いや、棒さばきを目の当たりにできたのは、ほんのわずかな先頭集団のみ。
何が起こったのか分からない後続からは、ヤジが飛んでくる。
「たかだか一人に何をビビってやがる!」
「学校で習っただろうが! 殺人野球を反対する奴はバカなんだぞ!」
ここは腐ってもアイゼンハード。
大衆の半数以上は、かつて冒険者であったり、冒険者くずれのヤクザだったりと、まぁ、それなりに戦闘技術を持つ者も少なくない。
そんな輩が武器を持ち、暴徒となっているのだ。
そしてその数も尋常ではない。
数の力というのは、それだけで感覚を麻痺させる。
ヴァルナほどの使い手を敵に回していると言うのに、圧倒的な人数が意味なく心を増長させ、その現実を理解しようとしないのだ。
ナイフを舐めて、ニヤニヤと醜悪な笑みを浮かべている者だって何人もいる。
上空から見渡すとよく分かるが、三人を取り囲んでドーナツ状となり、おそらく人数にして数百は下らないだろう。
狭い路地裏で、ヴァルナ達は両サイドから壁に挟まれるような形となった。
彼女たちの両脇は建物の高い壁で覆われており、その上にまで暴徒とかした大衆は、弓を手に構えている。
具体的に書くとこのような陣形で挟まれている。
弓 弓 弓 弓 弓 弓 弓 弓 弓 弓 弓
壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁
剣 剣 ボーガン → ヴァルナ 姫菊 アーク ← ボーガン 剣 剣 剣
壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁
弓 弓 弓 弓 弓 弓 弓 弓 弓 弓 弓
愚民共はヴァルナの反対側が有利と思い、そちらに回り込んでいく。
こんな狭い道で、隊列を入れ替えるのは困難。
「バックアタックだ!」
その掛け声とともに、アーク目掛けて大量の矢が飛んできた。
それはまるでバケツをひっくり返したかのような、ゲリラ豪雨の如くだ。
アークは真っ青になる。
さすがの姫菊も、言葉を失う。
だがヴァルナは涼しい顔でそれを見ていた。
計り知れぬ数の矢。
右翼を包囲している愚民は200人。
うち何人かは連射ボーガンで放ってきたのだ。
数にして500本はあるだろう。
それなのにヴァルナはまったく動こうとしない。
竜巻の如く迅速な棒さばきができる少女は、まばたきひとつせず、じっと見つめているだけ。
無数の矢がアークの頭上に降りかかろうとする、その時だった。
まばゆい閃光が一体を包んだ。
その光源は――
それは一点の曇りもない美しい剃髪によるものだ。
その頭部を持つ男の名は珍念。
彼の両手にはひのきの棒がある。
そして見えぬまでの高速な動きで、棒を振りまくる。
矢は弾かれると、放った者へ向かっていく。
そして頬の丁度5ミリ横を過ぎ去る。
すべてだ。
飛んできた矢、すべてがすべて、180度方角を変え、放った者へ向かい、寸分狂わずそいつの頬5ミリ横を過ぎ去る。
あまりの出来事に愚民共は、一瞬、何が起きたのか分からなかった。
ことのすさまじさを理解するまで、数秒の時間を要した。
珍念は汗ひとつかかず、奇跡ともいえるカウンター攻撃をやってのけているのだ。
どうして珍念に、そこまでの技術があるのか――
それは彼が一日も欠かさず、それも四六時中、民の幸せを祈りお経を唱えているからだ。お経を唱えるとき、大抵は木魚を叩く。
その時彼が用いるのはひのきの棒である。
彼は誰よりもたくさん、ひのきの棒を振り続けているのだ。
例えるならそれは、プロ野球選手が毎日素振りをしてトレーニングを積むように、プロボクサーがサンドバッグを叩き続け打撃力を鍛えるように、剣豪が虚空を斬りつけ心眼を手に入れるように――
まさにそれが如く、珍念は木魚を叩き続けてきたのだ。
ただ適当に振っているのではない。お経のリズムに合わせて叩いているのだ。お経には心がある。大衆の幸せを憂うときは春のそよ風のように優しく、貧しい子ども達に勇気と元気を与えるときには力強くそしてリズミカルに、過ちを犯した者の心を癒す時はまるで母の奏でる子守唄のごとく。そして罪人は珍念の木魚に涙するのだ。
それが真の仏道修行者の木魚なのだ。
故にたかだか1秒間で500本程度くらいの矢に合わせて棒を振り、その方角を変えることなど、珍念にとっては戦う前の準備体操くらい容易なことである。
言い換えれば、これはお経を唱える前にする発声練習程度の児戯。
それを熟知しているからこそ、ヴァルナは動こうとしなかった。
ただ珍念に目配せをして「やぁ、久しぶり! 元気そうじゃないか!」と歯切れのよい言葉をかけたくらいだ。
成長した珍念を見てうれしそうなヴァルナ同様、珍念もヴァルナとの再会に満面の笑みで返した。




