41 二人の勇者
AM5:30
まだ辺りは薄暗く、吐く息も白い。
悩み出すとどうも勝手に足が動くのは、私の悪癖なのだろうか。
あの角を曲がればアキの自宅。
随分と早くついてしまったものだ。そう思いつつも彼女との約束を果たすために、足を向けている。
次の瞬間、私は驚いた。
「先生! 遅い!」
門前には軽装な格好で屈伸運動をしているアキの姿があった。
「アキ……。お前、やる気満々のようだな」
「当たり前でしょ! 先生が言ったんだからね。ジョギングを頑張ったら親を説得してくれるって!」
彼女の夢はアイドル。
そのための最初の試練が、このジョギングだ。
あれほど運動をすることを嫌がっていたのに、彼女の変化に少しばかり驚きはした。
私たちは日の出前のアイゼンハードを走り始めた。
薄がりの世界。
はっはっとリズミカルな声と共に、レンガ造りの街を走り抜ける。
「張り切るのはいいが、最初からあんまり飛ばし過ぎると後がきついぞ」
「はぁ、はぁ、大丈夫、大丈夫」
張り切っているのを止めるのも無粋か。
私はアキの速度に合わせ、肩を並べて走った。
すぐにアキの表情が険しくなる。
予定コースの折り返し地点に到達する前なのに、かなり参っているのだろう。走り慣れていないのがすぐに分かる。
ランニングとはすなわちカロリーの消費。
走っている間はHPが減り続ける。
毒にかかった状態でウロウロするのと大差ない。
慣れていないだけに、それはとても苦しいのだろう。
そしてこのランニングという行為。
苦行のように見えて、見解を変えるとなんとも贅沢な行動でもある。
贅肉という名の余分なHPの消耗を目的とするだけのこのアクションは、誰の役にも立たない。
常に誰かの為に働いている者もいる。
そう――
貧しくて体内に贅肉すら蓄えらず、必死に働いている者達もいるのだ。
その一人がなつみ。
彼女は母の病を治すために必死に頑張っている。
そんななつみを苛めているのが、アキである。
高架下までくると、「じゃぁここで小休憩しよう」と言ってアキに竹筒に入ったオレンジジュースを渡した。
「ありがとう。先生。気が利くね。もしかして私に興味でもあるの?」
私は3年C組の全員に興味がある。
お前らに幸せになってもらいたい。
だからそれぞれに試練を与えようと思っている。
そういう気持ちを込めて、口の端で軽く笑みを返しておいた。
どういう訳かアキは真っ赤になった。
*
アキと別れた後、転移魔法を唱え、勇者が暮らしている村にやってきた。
あの二人に敗れ、私は封じ込められた。
勇者リューゼルとフローリア。
恐ろしい宿敵だった。
奴らを倒すために私は地獄の底で修行を重ね、さらなる強靭な肉体を手にした。
勇者の自宅の住所も、昨晩、情報サイトで調べておいた。
この世界の情報サイトの検索方法はわりとよくできている。
やり方は簡単で、水晶玉に手をかざして、例えば――おまいら、うまいラーメン屋はどこか教えれ。と念じると、それを見ている誰かが、『ググレカス』と返事をしてくれる。
それくらいで心を折れていてはだめで、その返事をしてくれた者に、評価1/5をつけてやる。そうするとしばらくしてへそを曲げ、『評価上げてくれないかな』とか言ってくる。
そこでもう一度聞く。
聞き方にもルールがあり、例えば魔法の言葉が固い表現の多い古代言語のように、水晶玉に念じる言葉もそれにちなんで独特である。
そもそも水晶玉占いは古くからあったが、こうした世界中の誰でも閲覧できる参加型水晶玉占いになったのは、ここ最近の話だ。
水晶玉革命とも呼ばれ、特に若者たちの中で大人気である。
私は若者達の中ではやっているオンライン水晶玉ならではのルールに基づいて、問いかける。
『おまいら、うまいラーメン屋、教えれ』
さすれば、『アイゼンハード武器屋ストリート5番街のゴンザの店の真向かいの店が最高だ。逝けよ、カス』と返事が来る。
そうか、ありがとう。
私は手帳を開いた。
そこには若者たちから学んだ言葉が書かれてある。
謝礼の言葉も独特な表現をしていた。
郷に入れば郷に従え、だ。
だから若者に通じる用語を見つけ、水晶玉に手を添えて念じる。
『おk
サンクソ』
こんな調子で、水晶玉(ネット通信)で勇者リューゼルとフローリアの場所を特定したのだ。手帳を開き、若者達に通じる言葉で念じる。
『マジレス、キボンヌ。
勇者リューゼルとフローリアにお世話になった者です。
お礼がしたいので、彼らがどこにいるのか知りたいです』
しばらくして返信がくる。
『お礼なんていいです。
私はひっそりしていたいのです』
まさか本人からメッセージが来るとは思わなかった。
私は夢中で返した。
『覚えていますか?
私はあなたに助けてもらいましたジョージです』
ジョージとは適当に思いついた名前。
だから勇者からの返事は想像がついた。
『すいません。
記憶にありません』
『そうだと思います。私はあなたに助けてもらったたくさんの中の一人。本当に身勝手なことですが、私の息子にあなたの名前を付け、あなたのようになるように育ててきました。どんなに辛い時も苦しい時も、勇者リューゼル様は絶対にあきらめませんでした。だからお前もそうなるように、そう言い聞かせ育ててきました。そんな息子が今年で12歳になります。そして念願だった魔法学園に通うことになったのです。
ご迷惑とは存じますが、ぜひ、一目会って頭を撫でていただきたいのです』
決してフェアーなやり方ではないと思う。
だが私の目的は打倒勇者。
如何なる手を使っても、勇者を倒さなくてはならない。
だからこれくらいの偽計くらいで、鬼神である私が動揺してはならない。
そして――
やった。
間抜けにも勇者は、住所を送ってきたのだ。
そして私はその住所の場所へ転移したって訳だ。
だが……
私は木陰から勇者の家を見ている。
それほど大きくもない木造平屋の民家。
勇者リューゼルは、あんなに細かったのか……
……人間にとって20年という歳月は長かったのかもしれない。
かつて奴が持っていたギラギラとした眼光は、その面影すら感じることができなかった。優しそうではあるがどこかぼんやりとした白髪の初老の男になっていた。
かつて奴は無敵の強さだった。
だけど、今、目の前にいるのは……
「ゴホッ、ゴホッ……」
「あなた……朝は冷えますから……」
フローリア。
大賢者ですら凌駕する強大な魔法を、まさしく空気を吐くがごとく自在に操った女勇者は、細くなった手で白髪の男の肩にマフラーをかけた。
二人からは、あのころの凄みをまるで感じない。
変わったな……
そのすぐそばには、黒い目をした小さな少女がいる。
あれが勇者の娘、カノンなのか?
幸せそうな無垢な表情で、母親の手を握っている。
私の目に映っているのは、ごく平凡で穏やかな家庭。
それを私は……
「大丈夫だよ、フローリア。今日はね、遠い友人が来るんだ」
「遠い友人?」
「あぁ……。息子さんも連れてきてくれるみたいなんだ。それが楽しみでね」
それは……
私の事か……
だが、だからと言って罪悪感など覚えてはダメだ。
私は人々を恐怖のどん底に叩き落とす、暗黒鬼神。
「ご友人? それはどんな人なんですか?」
「実は覚えていなんだ。でもとても懐かしい空気を感じたんだ」
「そうなんですか。楽しみですね」
「あぁ。どんな話をしようかな……。ゴホッ、ゴホッ」
「ここは寒いですから。中で」
「いい。どういう訳か、すごく会いたいんだ」
勇者リューゼルは杖をしっかりと握り、遠い場所を見つめるような目で空を眺めた。
もはやお前には、戦う力すら残されていない。
目の奥が熱くなるのを感じた。
目元に手を添えた。
これはもしや……
どうしてなのだろう。
私の目からは、既に失ったはずの涙がとめどなく流れていた。




