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26 嫌われ者

 アスカは何事もなかったように廊下を歩き、観客席の方へ足を向けた。

 

 自分は腹を壊してトイレに駆け付けたことになっている。

 試合も終わり、アークは元いた場所に戻っている頃だろう。

 さすがにそこにカノンがいないとなれば、アークは心配するに違いない。

 

 その道中の階段に三角すわりをしていた女性がいた。

 二十歳前後くらいだろうか。

 普段なら気に留めない観客のひとりではあるが、アスカは歩を緩めた。恐ろしいほどの殺気を自分に向けていたからだ。

 

 

 目こそ見えないがアスカには分かる。

 

 

 この殺気の放ち方は戦闘のプロではない。いや、戦闘経験自体ないのだろう。いわゆるただの女性だ。

 盲目故なのか、それとも両親が勇者でありその血を受け継ぐ才能故なのか、アスカにはそういった周りの空気の流れだけで相手の実力が手に取るようにわかる。

 

 

 素人独特の肩をワナワナ振らせながら全身から滲み出したような殺気だ。怖い顔でじっと睨めつけている。一眼レフを首からぶら下げた油ギッシュな野球ファンが、自分に恨みを抱いていることは知っている。奴らは姫菊京香の死ぬのを楽しみにしていた外道だ。美少女野球選手が辱めを受けて惨殺されるシーンをカメラに収めて、それを宝物のように大切にファイリングしている鬼畜。それを同類のマニアと自慢し合う胸糞の悪い連中。

 

 アスカは表向きには殺さずに賛同こそしていないが、彼女の登場で姫菊を応援する結果となった。

 

 だから野球マニアが自分を逆恨みしていることは、当然の如く分かる。

 だけど目の前にいるこの少女は、そういった独特なマニア気質を放ってはいない。

 余所行きの洋服姿で頭にはリボン。かわいく着飾っている、至って普通の凛とした顔立ちのちょっと神経質そうな女の子である。

 

 いわゆる真面目女子。

 まさかこんな殺人ショーを好むような人にはとても思えない。


 まぁそんなことどうでもいい。面倒は御免こうむる。それでも既に面倒に片足以上突っ込んでいる。

 

 そんなアスカは何食わぬ顔で通り過ぎようとした。



「この非国民!」



 そう言うと少女は立ち上がり、手に持っていた石を投げつけてきた。


 アスカにはすべてを見切ることができる地味な女の子タクティクスがある。

 素人が投げる石など容易にかわせる。

 だが、かわすことなく真っ直ぐ歩いた。

 わりと痛かったのかもしれない。少し顔が引きつる。



 少女は「非国民」と叫んで、また石を投げてくる。



 アスカは足を止めた。



「な、なに! この非国民! 怒った? だったら私を殺せば?」


 挑発的にそう言い放つ少女。


 例え、殺しを容認されているプロ野球選手と言えど、試合以外で一般人を殺したとなれば犯罪者になるのだ。それは刑法でも定められている。ちなみに試合中なら、弾みで一般人を巻き込むことは問題ない。それも刑法と憲法で定められている。



 そのような専門的な法律を長年意識の奥底で眠っていたカノ……いや、アスカが知る訳もないが、アスカは足を止めた。


 少女は続ける。


「あなたがいなければ、今頃姫菊は死んでいたのに! あんな女死ねばいい。あいつが勝手に殺さずとかバカなことを言っているから牛尾さんは……」



 牛尾。

 それはユニカルに所属していた超実力派ファーストの名だ。

 

 ただ、殺さずの野球には反対していた。

 

 でもそれは、誰よりも姫菊を心配してのことだった。

 このまま姫菊が意地を通しても、誰も喜ばない。なぜなら観客は殺し合いを見に来ているのだから。だから姫菊がどんなに頑張っても時代を変える事はできない。そう諭した。それに対戦相手だって殺人野球をやっているのだ。だったら俺達も殺し合いをしましょうと姫菊を説得しようとした。そんな最中、チームの心はバラバラになり、ほとんどのメンバーが離脱していった。姫菊に意見ばかりしていた牛尾ではあったが、最後の最期まで姫菊を命がけで守ろうした。そして瀕死に重体になり、今、治療中である。


  


 彼女は牛尾の関係者なのだろうか。



「私、牛尾さんが甲子園で頑張っている頃からのファンでした」



 甲子園。

 それは未来を憂う若き高校球児達が、容赦ない殺し合いをして熱き夏を血で彩る、うるわしき青春の舞台。それを応援する学校の仲間たち、応援団、チアガール、鼓笛隊。

 


「私、ずっと応援していた。彼とは中学も高校も同じだった。牛尾さんがどんどん上に上り詰めていくのが、まるで自分のことのようにうれしかった」



 少女の熱弁でアスカは感じ取った。

 この少女はきっと牛尾に片思いをしているのだろう。



「だけど牛尾さんは、殺さずを始めてしまった。甲子園で大活躍しドラフトトップで沢山の球団から指名がかかった牛尾さんが……。同期にいた殺さずとか訳の分からない女に騙されて、有名な球団を全部蹴って、イカれた反社会チーム、ユニカルに入団してしまった……。私は必死に止めたのに。きっとあの女が純粋な牛尾さんを誑かしたんだわ。

 でも今日はギガスウォーリア選手との一戦だった。

 あの人はすごい。

 今日、姫菊京香が死ぬ。

 そうしたら牛尾さんが、目を覚ましてくれる。

 なのに!

 牛尾さんは姫菊京香を守るために、その身をていして死にかけたわ!

 あんな女、ほっとけばいいのに……。あいつが牛尾さんを騙して……

 それなのに!

 どうしてあなたは姫菊京香を助けたの!?」



 アスカは思った。

 この少女が牛尾に熱愛していることは、心が冷めきった自分でもよく分かる。



 だけど本当に牛尾を思うのなら、一刻も早く、この終わりなき殺人の舞台から身を引かせるべきである。

 野球とは容赦ない殺し合いだ。

 だから野球をしている以上、いつか死ぬのだ。

 姫菊に恨みを転換すること自体が、既におかしい。


 だからアスカは、この少女が涙ながらに訴えていることに、なんら同情を感じることはない。

 一刻も早く野球という名の殺しの螺旋から抜け出すことだ。


 だが、そいつは無理だろう。



 アスカには分かる。

 自分だってその不幸な螺旋階段の上に生きているのだから。



 先ほどアスカは口にした。

 私はただの嫌われ者、と――



 自分は卑劣な9人のカノンに支配されて生きてきた。

 


 ふと、アスカは思い出した。



 心優しい僧侶に出会ったことがあった。

 彼の名は珍念。

 セルフ葬式屋と罵倒したのに、モンスターに囲まれた自分を助けに来てくれたのだ。

 そんな彼を色仕掛けで、弄ぼうとしたことがある。

 その時の自分の支配権はおそらく悪の色摩カノン・ジュピター。

 

 アスカは意識の奥底で珍念を見ていた。

 その時のアスカは、今のようにすれた性格をしていなかった。

 子どものままの純粋な精神だった。

 だから意識の片隅で叫んでいた。


「珍念様! 騙されないで」と。


 そんな心配をよそに、珍念がさらりと誘惑をかわしたのを見て、ほっと胸をなでおろしていた。


 続いて伝説のストーカーとまで称されるあの人も、この汚れた自分は弄ぼうとしてきた。

 あの人は自分のせいで人生を狂わされた。


 伝説のストーカー、シュバルツァー。

 彼は誰よりも強く、ただただ真っ直ぐな青年だった。

 そんな彼から、自分は1000万ゴールドもの大金をだまし取った。



 アスカは辛くて辛くて仕方がなかった。



 それだけではない。

 カトリーヌという少女を騙したこともある。

 彼女は自分を心から尊敬していた。

 カノン先生のようになりたいと言ってくれた。


 まだ純粋だったアスカは、何としてもカトリーヌに幸せになってほしかった。


 だけど自分を支配していたカノン・ゴールデルは、カトリーヌに勇者の看板をちらつかせバカから貢がせるのが、真の勇者の道と教え込んだ。





 カノンという人物は数々の悪事を仕出かしてきた。

 そしてたくさんの不幸を招いてきた。




 みんな私を嫌っている。




 別に構わない。

 みんな、私のことを嫌えばいい。



 

 ただ。

 


 アスカは少女に向かって小さく言った。



「……お前、牛尾のこと、本当に好きなんだな……」



 さっきまで金切声を出していた少女は、急に真っ赤になった。



「な、なによ! 話をすり替えないでくれる!」




 アスカは何も言わず立ち去った。


 だけど心の中でこう叫んでいたのかもしれない。


 ――彼が本当に大切な人ならば、今できる全力を尽くすべきだ。私はそれができなかった。だから嫌われ者になった。みんな私を憎んでいるだろう。お前はまだ純粋だ。私のように冷え切っていない。だからお前には私のようになって欲しくない。もしお前にとってその人が本当に大切なら、もう一度考えるべきだ。野球とは何かを……

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