【小説】 100年後
香る花は、百合。
「湿気が多い国だ、霧も多い」
外国かぶれの友人がつぶやいた通り、この国は水に満ちている。
朝は特にそう思う。
めずらしい客が来た。
「おはよう」
私から声をかけなければ、電信柱のようにしっかり突っ立っているだろう。
この男は。
彼の武骨な手に美しい百合が飾ってある。
「花瓶がほしい」
「君のままでいいと思うけどね」
「…」
私の冗談がわからない、という顔がまた武骨だった。
花瓶はいくつもあった。外国かぶれが手土産に置いていく。
白い陶磁器の花瓶を渡すと、無言で井戸から水を汲み、百合を生けた。
「細君かい」
彼は朴訥な顔でうんと、低くうなった。
酔狂な奴だと思う。
「100年」
呻った。
彼は妻を100年前に亡くした。彼女は約束させた。
「100年待って 会いに行くから」
石のようにこの友人は妻の遺言に従った埋葬を行い、
その墓前で待っていた。
そうして再び得た妻は目の前にいる百合だという。
「幻想的だな」
百合を見つめるこの男は待っていた。
「ファンタジックなんだよ」
「また会いに来るなんて」
「生まれ変わりなんてないよ」
「あれは弱い心につけこんだ悪いウソさ」
石の口が開かれた。
「お前はどうしてた」
「だれかさんが墓前にいるあいだかい。最初は様子を見てたけど、
そのあとは論文書いたりしたかな。そうそう胃も患った」
「そうか」
百合のにおいがする。
強くて強くて泣きそうだ。
「水の匂いが、苦しい」
熱い暑い夏の昼だ。この時間、湿気がじわじわ頬にしみた。
だから嘘じゃない。
「すまんな、随分露を浴びてしまったから、匂うのだろう」
こう言い放った。
彼は知らないだろう。
100年。私も待っていたのだ。
長かった。
水に浸かり続けていたようだ。
肺が押しつぶされるようだった。
心臓が苦しい。苦しい。
玄関で物音がする。歩く足と汽笛の音。
遠い国から帰って来たのだ。
土産はなんだろう。
水が欲しい。この国のものではない、苦い苦い水が。