第三期 塔の始
鮮明ならざる光でも、闇の中では、道を照らす松明にも等しい。
「昼日、少し私は出掛けてくるよ」
大丈夫。この塔の中を見てくるだけだから。そう言い置いておけば、私がいなくても困らないだろうかと思ったが、今は機能を完全停止させている。少しは期待したが、それは自らの見た幻想だったようだ。
脆く崩れ去りそうな“城”の、目指すは地下。
昼日の言葉が嘘や間違いでなければ、未だに天属区の人間が眠っているはずだ。だが、助け出したとしても死んだ人々の説明はどうする? 責任を問われても、私はどうすることもできない。
「何故……何故に彼の人は死んでしまったのか!!」
後悔と自らの無力さに嫌気がさす。
あの人がいたのならば、今さら悔やんだとしても、時は後悔するには長すぎる程に遠く、過ぎ去ってしまった。
螺旋状の階段を、踏み抜かないように気を遣いながら下っていく。外は、今度は土砂降りの悪天候へと変貌していた。
このような悪天候の中、この“城”が残存しているのは、奇跡にも近いことだと思ったが、ここに住まうみんなの力がそうさせているのだと思うと、胸が締め付けられた。
首筋を撫でたのは冷気。
やはりここも“種”の影響を受けないために気温が下げられていた。
あいつらが言う力を使えば寒さなど造作もないことだが、実際は子供が扱える代物ではない、第一言葉を解し、口に出して初めて言霊が成され、力を借りることができるというのに。
……寒い、とにかく火の要素を集めよう。
「ゆらり、ゆらりと。寄りて来たりて、踊られよ」
言葉を捧げること、それは言霊を与えその力を借り受けること。私の周りが暖かい空気で包まれた。火の要素たちが私の呼びかけに答えてくれたことに、若干安堵した。
言霊を使わずに発生した火が、無理やり捻じ曲げられたものだと分かっていながら使った。 それに怒りを買ってしまったのではないかと心配していた。
今は属区の言葉は必要がない、私以外の誰にも向けることが出来ないからだ。
「ゆらめく炎よ、道を照らさ……」
『照らせば、いいのだろう?』
耳元で囁くのは、静かで、大人びた声だった。
聞き覚えのあるその声は、もう聞けないと思っていた。
「フレイ、なの……か?」
『その名前で呼ばないでくれ、俺はその名前は嫌いだ』
ああ、そうだ。彼に違いない、彼は私のつけた名前を嫌っていた。
「私がつけた名前に、文句でもあるのか」
『なければ言わない。それよりも、お前が最初に付けてくれた名前があるだろうが』
「嫌なのか、それは仕方がない……な」
少し残念だ。言葉自体はとても滑らかで綺麗な言だと思ったのに。しかし力を借り、使役させていただいているこの身では、その名で呼ぶことを強要することは出来ない。
私が最初につけた名前も、嫌いではないからいいが。
「雀螢、今までどこにいた」
私だけに許された真実の名で呼ぶ権利。私が聞けば、雀螢は苛立たしげにこちらを見た。
『眠りを強制された。どのくらいの時間が経ったか、お聞かせ願おうか』
眠りを強制された。誰か、雀螢の力を押さえ込めるほどの実力を持った人間からの命令だったろう、想像はついているが、あえては言わない。
「私にも分からない、理由は簡単、まだ状況把握できるほどの情報がないから、だ。でも、この先には知っている人間がいるかもしれないな」
冷気が滞ることなく流れ続けている。しかし、進むに連れて冷気とは正反対の、暖気が流れ込んできた。生温い風が、暑く感じるようになってきた。嫌な予感が頭をよぎる。
部屋に辿り着いた。
目の前に見える外属の文明が作り出した利器が、私たちの同族を、目覚めさせるものがいなければ悠久に続く現在に閉じ込めている。だが、そこには決定的な違いがあった。
緑色に蠢くそれは、霜の降りかかった硝子を舐めるように滑り、喰らいつく瞬間を待ち望んでいた。
硝子を通して見える者は全員、私の記憶に残っている顔だった。何一つ変わってはいない。
だとしたら……。
(何故、私を他属区の者と一緒にあそこへ眠らせたのだろうか……)
『俺を使役する者よ』
雀螢が、現実から逃避を始めていた私の思考を、現実へと呼び戻した。
「……何だ?」
『お聞かせ願おう。俺に何を望む? 何を願う?』
生物の気配を感じた緑色の不気味な“それ”は、私を見つけ、標的としたようだ。
しゅるり、しゅるりと動く様は、まるで蛇。
睨み付ける目はなかったとしても、粘っこく獲物を狙う姿は、蛇といわずに何と言おう。
「敵の、殲滅を」
『承知』
私は願いを込め、言霊を与えるだけ。
ただそれだけ。
彼がいる限り、私に許される行動はそれだけなのだ。でなければ、私は雀螢を貶めてしまう、それを理解していても、彼が怒ろうとも、見ているのは辛い。
すまない。
心の内では、しっかり謝ったから、許してくれ。
×××××
雷鳴が降り注いでいたと思えば、次は土砂降りの雨。
叩きつけるそれは、もはや凶器と言っても過言ではない。
視界は確保できない、声も雨が土を叩く音で掻き消されてしまう。
スーシンは、姉の手を強く握る。シンスウも、妹の不安を察してか、その手を離すまいと固く誓った。
二人の足では長い距離を進めず、また、雨が進行を妨げるので、未だに炎属区からは抜け出せていない。
天属区の塔を中心として、炎属区の領土を東と基準すると、双子は東南へと向かっていた。そちらは風属区の領土。彼女たちは本能的に自分の属区へと戻ろうとしていた。
「お、おね、シン姉!!」
スーシンが声を張り上げても、シンスウは暴雨に気をとられてその音を拾えない。
小女は気付いたのだ。
暴雨に混じる外属の不快な、音に。それは機械の動き出す音。
雷に打たれて機能を停止させていた機械たちが、自らを修復し終えたのだ。
立ち止まり、先を行く姉の足を止めさせた。
「スーシン! いったい……どうし…」
振り向いた時に視界は泥水に汚染されていた。
どこにも川などないのに、濁流は無慈悲にも双子を引き裂いた。
濁流に飲まれ、体中を木片や石の欠片にぶつけられ、傷だらけになりながらも、シンスウは妹の姿を探そうと侵食する蔦の存在を感じながら、風を喚んだ。
ゴッ――!!
シンスウの風が掴みかけた小さな存在は、濁流にさらわれた木に遮られ、意識も遠く彼方へと離れていった。
×××
濁流が収まり、ぬかるみの中を歩く存在は、水を従えていた。雨は、彼女の前に跪き、キューノの御身を濡らさぬように、左右に開いた。
その側に仕えるは、罪悪感に顔を真っ青にした女の子。
「ユイリィ」
冷め切った声が無感動に女の子の名前を呼んだ。
肩を大きく動揺させ、今にも涙がこぼれそうになるユイリィは、それでもキューノの言うことを聞かなければという強迫観念に駆られ、彼女の方を向いた。
双子や、ノズミがいた頃に浮かべていた笑みなど、片鱗も感じられぬキューノは、泥に塗れ気絶しているシンスウを見つけると、口の両端を吊り上げた。
「殺しなさい」
「え……?!」
予想外の言葉と、その言葉の恐ろしさに、ユイリィは震えが止まらなくなった。
「殺すのよ、今の内に、それとも出来ないの?」
「で、出来な……」
出来ない。そう言いたくても、温かみのない微笑を向けられ、黙りこくるユイリィに、キューノは左腕から肩まで這ってきた蔦を見、余計な力を使うことは出来ないと一人確認した。
自らをこのふざけたものなどにくれてやるつもりもない――。自分を守るためにも、水属区の道具として遣うためにも、「殺せ」と命じた。
キューノの放つ言霊は、無情にも力の弱いユイリィを汚染した。
「殺しなさい」
「……ハ…イ」
青く煌く瞳は、光を失い、夢現の状態になったユイリィは壊れた。幼い精神が、直面させられた現実から視線を外した。
足取り危うく進む小女は、手に持った蝋絵具を空中に構え、刀を描いた。現実の物として現れた刀は軽く、ユイリィでも持つことは出来たが、切れ味は絶対的に鋭い。証拠に、試し切りとばかりに刃に触れさせた木の枝は、綺麗な切断面を見せ、二つに分かれた。
左足から外へ出ようと凹凸を作り出していた蔦は、膝の辺りまでを侵食すると、もっと上へと進みたいのか、外側への抵抗を試みた。
「さあ」
キューノが促す。
振りかざした刃が、シンスウを映し出す。
風を切り裂いた刀は振り下ろされた。
「何をしているっ!!」
シンスウの代わりとなったのは土塊の人形。人ではなかった。
声の正体は少年。茶色の瞳は、鋭く小女を射抜いた。
「あ、ああ……あぁあぁあぁっ!?」
未遂だったとはいえ、人の命に手をかけてしまった自分に、ユイリィは喉の奥から悲鳴を迸らせた。
彼女の声は、水の要素たちの悲鳴に替わる。水属区の叫びに、水の要素が引き寄せられた。
腕を貫通する勢いで降る、局地的な雨。属区を襲う雨が、ユイリィの周りへと無理やりに集められている。
ユイリィの腕の蔦は、行動を見せない。幼い間は封印される能力が、封印を食い破って暴れだしたのだ。
「ユイリィ……凄い、これなら…あの方も!!」
水属区のキューノには雨は降らない、避けるようにしているからだ。その代わりに、蔦の侵食は右肩まで移っていた。年齢的にも、彼女はまだ大人ではない、自分自身の能力は封印されたままだからだ。
キューノはこの際仕方がないと諦め、シンスウと飛び込んできた男の姿を探した。
辺りを見回してみるが、局地的な雨に視界はふさがれている。音に頼れるはずもなく、シンスウを消すことはまた次回に、とキューノは思考をまとめた。
あと少し、もう少しだけ粘り強く辺りを探したのなら、キューノは見ることが出来ただろう。泥に紛れ、キューノの側を通りかかった、動く、泥を――。
咎める人がいない、それは、どれほど不幸で、幸せなのだろう――!!